うちの伴侶が世界一可愛いんだ! 派手なルーラの着地音が響いた。あまりの振動に机に置いてあったカップが揺れ、中に入っていた茶がこぼれる。マトリフは顔を盛大に顰めた。
マトリフにはルーラでやって来た主がわかっていた。そもそもルーラを使える者は稀有であり、その着地音でだいたいの判別がつく。この存在感を誇張させたような着地音はハドラーだ。
「ガンガディアはおるか!」
「いねえよ馬鹿野郎。帰れ」
大声を張り上げながら洞窟へと入ってきたハドラーにマトリフが言い返す。ハドラーは仁王立ちしてマトリフを見下ろしていた。その存在の熱苦しさに、マトリフは鬱陶しく思いながらシッシと追い払うように手を振った。そして反対の手でポットから茶を継ぎ足す。湯気を上げるカップを手にしてハドラーを無視するように茶を啜った。
「なんだガンガディアはおらぬのか。さてはようやく奴も貴様に愛想を尽かしたのだな」
ハドラーはマトリフとガンガディアが伴侶になった事が気に入らないらしく、事あるごとに突っかかってくる。だがそれはマトリフも同じだ。アバンがハドラーとくっついたと聞いて耳を疑った。三流魔王如きに大事な勇者が喰われたという事が今でも許し難い。
「愛想を尽かされるのはテメェのほうだっての」
マトリフは耳をほじりながら欠伸をする。ハドラーが苛ついたように目をすがめた。
「どういう意味だ」
「ガンガディアはお料理教室の助手を頼まれて朝から出かけたんだぜ」
「それがどうし……お料理教室?」
ハドラーは気がついたように表情を変える。ようやく思い出したのだろう。さらに煽るためにマトリフは口を開く。
「そう、アバン主催のお料理教室だ。けっこう大掛かりなイベントだってんで、前々から準備してたよなぁ。って、もしかしてアバンから聞いてねえのか?」
そんなイベントをすることをアバンがハドラーに黙っているわけがない。おそらくそこにガンガディアが手伝いに行くことも伝えてあるだろう。おそらくハドラーはアバンに聞いたことをすっかり忘れて、朝からいないアバンを不思議に思いながら暇を潰すためにガンガディアを訪ねたのだ。
「お、覚えておったわ!」
「へぇ〜じゃあなんでガンガディアに会いに来てんだよ。あいつも朝からいねえぞ」
マトリフもガンガディアがいなくて暇だった。そこへハドラーがのこのこと現れたのだから、格好の餌食となるのは避けられなかった。せいぜい揶揄って遊んでやろうとマトリフは悪戯な笑みを浮かべる。
しかしハドラーもマトリフに揶揄われていると気付いて冷静さを取り戻した。
「ふん、どうせ貴様がガンガディアの行動を把握しているのはあいつがよく言い含めて行ったからだろう。あいつは貴様がぐうたらなことを嘆いておったぞ」
「なんだと」
ガンガディアの名を出されてマトリフの顔から笑みが消える。ハドラーはマトリフの弱点がガンガディアであることをとっくに知っていた。ハドラーは勝ち誇った笑みを浮かべてマトリフの側にある茶の入ったポットを指差す。
「そのポットには保温魔法がかかっているな。淹れたのも魔法をかけたのもガンガディアだろう。貴様は一人では茶も入れられんと思われている証拠だ」
それが図星であったからマトリフは面白くない。朝早くからガンガディアはマトリフのために細々と準備していった。茶が入ったポットもその一つである。
マトリフからすぐさま反撃がこなかったことに気を良くしたハドラーはさらに追い討ちをかけた。
「どうせ貴様は家事の全てをガンガにやらせておるのだろう。オレは洗濯物を干しているがな」
共に暮らし者として当然のことだと言わんばかりにハドラーは自慢げに言った。
しかしマトリフも黙っていない。
「なに言ってやがる脳筋魔王が。オレはあいつのパンツの穴を縫ってやってるんだぜ」
「それくらいオレにも容易いわ!」
「お前絶対に縫い物なんてしたことねえだろ。お前が力尽くで脱水してシャツを破いたってアバが言ってたぜ」
「やかましい! 失敗は誰にでもあるものだ。そのような小言が家事へのやる気を削ぐのだ!」
「家事への当事者意識が足りねえな。やる気があってもなくてもやるのが家事だろうが。アバンはマメだから何でも家事をやってんだろ」
「今の言葉そっくりそのままお前に返すわ。ガンガディアが世話焼きだからと全部やらせているのは貴様だろう!」
お互いに怒鳴りながらマトリフとハドラーは睨み合う。いつもならアバンかガンガディアが止めるのだが、今は止める者がいないので喧嘩はヒートアップしていく。
「オレのガンガディアは何でも出来るから何でもやってくれるんだよ。それだけオレを愛してるってことだ!」
「アバンだって何でも出来るわ! 飯を作るのだって上手いし掃除も洗濯も出来るし笑った顔は可愛い!」
「てめえふざけんな。ガンガディアはかっこいい上に可愛いし胸はバインバインだしケツはプリンプリンだ!」
「アバンは閨でも積極的で扇情的で昨夜だって挑発してきたかと思えば可憐な横顔を見せたりと」
「やめろ! ダチの夜の様子なんて聞きたくねえ!」
「ガンガディアほどの男なら夜だって思う存分にやりたいだろうに、貴様のような老ぼれ相手だと満足できんわ!」
「ガンガディアなら毎回オレを抱くのは最高に気持ちがいいって言ってんだよ! あいつはオレとのセックスに満足してんだよ!」
「アバンだってオレとのまぐわいに満足しておるわ! 昨夜だって果てるときの恍惚とした表情ときたら」
「だからダチのエッチの時の様子なんて聞きたくねえって言ってんだろ!」
マトリフは叫ぶとゼイゼイと息を切らした。興奮して頭がくらくらする。マトリフは呼吸を落ち着かせながら地を這うような声で言った。
「……おい」
「なんだ」
「ガンガディアが満足してねえって……それガンガディア本人が言ったのか」
マトリフの表情に普段見せない焦りを見つけてハドラーはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「……言うわけなかろう。あいつが話すのは貴様がどれほど素晴らしいかとか、そんなことだ。オレにはさっぱり理解できんがな」
「アバンがお前の話をするときもそうだよ。あんな嬉しそうな顔されちゃあ、何も言えねえぜ」
お互いに急に熱が冷めて気まずい空気になる。相手の顔もまともに見れずにお互いに顔をそらせた。
するとタイミングを見計らったように二つの足音が近づいてきた。マトリフとハドラーは思わず顔を見合わせる。その二つの足音が聞き慣れたものだったからだ。
「アバン……」
「ガンガディア……」
ハドラーとマトリフは現れたお互いの伴侶の名を呼んだ。アバンはフフフと笑い、ガンガディアはすまなさそうに身を縮めていた。
「面白かったので話は最初から聞かせて貰いました」
「すまないマトリフ。盗み聞きをしてしまった」
「最初から!?」
珍しいことにハドラーとマトリフの声が重なった。アバンが見事な微笑みを浮かべてハドラーを見る。
「そんなに昨夜の私は可愛かったのですか? ハドラー」
「うぐ……」
「マトリフ、安心してくれ。私はあなたとの性交に満足している」
「……おぅ」
マトリフは居た堪れなくなって手で顔を覆った。するとアバンが持っていた大きな箱を机に置く。
「お土産があるんですよ。今日のお料理教室で作ったアレウラをメイッグィマティスしてザカリしたプラクースです」
「なんて??」
「魔界の料理だ。マトリフも気にいると良いのだが」
これは私が作ったのだよ、とガンガディアは照れ臭そうに眼鏡を弄っている。机に置かれた箱からは甘い匂いが漂っていた。
「プラクースとは懐かしい。これに合う酒は白だな。おい老ぼれ、白ワインを持ってこい」
ハドラーは勝手に椅子に座っていた。マトリフはハドラーに暴言を吐きながらもワインを取ってくる。それはとっておきの白ワインで、ガンガディアが作ったというプラクースにもよく合った。
二組のカップルは食事を楽しんだ。ただ酒が入ったこともあり、いつも以上に賑やかなものになった。