毎夜ではないが、それでも二人揃えば「一緒に寝ましょう!」と枕を持ちそう言うのだが、誘われたその人はニコッとして
「おやすみ」
そう言って自分の部屋に入っていく。
今日もボクは同棲した時に浮かれて買ったダブルベッドの上で一人泣いていた。これで何敗目だろうか、五十回辺りで数えるのをやめた。
付き合ってから何年も経つのに、一緒に寝たのはまだ両手の指の数にも満たない。
夜の営みに至っては片手程度。
一緒に眠れる時間なんて限られており、明日にでもハララさんは北の方に依頼を受けに行って、一ヶ月は戻らないと言っていた。
今日も暫く会えないから寂しい、と付け加えたのだが「おやすみ、ユーマ」と顔も見ずに扉を閉められてしまった。
まだ中から鍵を掛けられないだけマシだとデスヒコくんの言葉を思い出すが、やはり寂しい。
一ヶ月間、ハララさんに会えない。
朝は一緒にご飯食べれるかな、電気を消して布団をかぶる。
カチカチと時計の音が静かな室内に響く。
寝れそうにない、そう思っているとキィッと扉が開く小さな音がした。
「寝ているか……」ハララさんの小さな声が聞こえる。
どうしたのだろうか、なにか用事だろうか。
起き上がって聞こうか迷っている時だった。
ギシッ。
ベッドのスプリングが音を立て、僅かに揺れる。
「…………?」
何故かボクの背中をつつき始めた。
少しくすぐったいが我慢して寝たフリをする。
一緒に寝てくれないから、ちょっと意地悪をすることに決めた。
急に起き上がったらびっくりするかなと思いながら寝たフリを続ける。
やがてハララさんはボクがちゃんと寝ていると思ったのだろう、背中をつつくのを止めた。
起き上がるなら今かもしれない、ゆっくり目を開いている時だった。
背中側の布団が少し剥がされ、代わりに温かいなにかが背中に当たる。
なんだろう、とぼんやりとしている脳で考える。背中に当てられた二本のなにか、足首を触る小さななにか。グイッとボクから少しだけ布団を引っ張っている。
まさか、いや、でも。脳が推理をしている時より回転していく。
「……ユーマ」
ぽそっと呟かれた声が、背中越しに聞こえてボクは目を見開いた。
ハララさんが。
ボクのベッドに。
入り込んでる!?
真相に辿り着いた瞬間、汗が吹き出しそうになった。
この数年間、一度もそんな可愛い事をしてこなかったじゃないか。
恋人の可愛い姿を背中越しとはいえ見せられ、落ち着かなければと仲間の言葉を思い出す。
『やっちまえよ、マイメン!!』
デスヒコくん。今じゃないんだ。今起きたら「……寝たフリしていたのか?」って蔑んだ目をしながら言われ、このまま寝るどころか明日の朝食すら一緒に食べてもらえなくなる。
『いきましょう、ユーマさん!!』
フブキさんもダメですって!親指立ててもらったところ悪いですが、きっとハララさんに失望される事は目に見えている。
でも、我慢出来ない。
こんな可愛い事されて我慢出来る男はいるだろうか。
今すぐ起き上がって、朝まで抱き潰してやりたい。
身長だけはハララさんに勝っている。
罵倒されてもいい。
罵倒されても、ボクは。
『……まだ慣れてないから……子猫は難しいね、ユーマくん』
突如ヴィヴィアさんの言葉を思い出して、ハッとしたボクはようやく心を落ち着かせられた。
あの日、雨の中餌をやろうと子猫を抱き上げてしまって引っかかれたボクに言ってくれた言葉、慣れてくれるのを待つべきだと。
そう考えたら可愛い恋人から、可愛い子猫に思えてきた。
今だって飼い主が動かないからじゃれついているだけだ。
驚かせてしまっては、今までの慣れが水の泡になる。
好きなようにさせとこう、そう思って目を閉じる。
ハララさんは暫くボクの背中に顔を押し付けたり、肩に指を這わせていたが、やがて規則正しい寝息が聞こえてきた。
数分間待って、起こさないようにゆっくりとハララさんの方を向く。
昔は物音一つで起きていたが、ボクが向き直っても起きる気配はなかった。
本当に猫みたいだ、顔にかかった髪を退けてやれば若干眉を寄せたが目は開けなかった。
よく見れば薄らとクマが出来ている。
明日から北の、寒いところに行くと言っていた。
付き合ってから寒さに弱いことがわかって、初めてベッドに来た時は「君は湯たんぽだ」と言われて抱きしめられ、まだ背が差程伸びなかったせいかボクはハララさんの胸に抱かれたまま一睡も出来なかった。
「……ハララさん」
起こさないように呟く。
「無事に、早く帰ってきてくださいね」
起こさないように、頬にキスをする。
ハララさんを抱きしめ、ボクも目を閉じた。
今日だけは、こうして寝ることを許してほしい。
温かいな。そう思う内に意識を手放した。
朝起きたらハララさんの姿はなく、時計を見れば起きたかった時間から一時間も過ぎていた。
もう行ってしまっただろうかと飛び起きてリビングに向かえば、ハララさんは新聞を読んで「おはよう」と言った。
流石に朝食は済ませたのか、昨日買っておいたパンを食べたようで袋がゴミ箱に捨てられていた。
それでもまだいてくれた、とホッとしていると「行ってくる」と新聞を置いた。
「もう、行っちゃうんですか?」
確かに一時間も長く寝てしまったのだ。
本当は行く時間だって、本当は過ぎている。
もしかしてボクが起きるのを待ってくれていたのだろうか。
そんな自惚れたことを考えながら玄関まで着いていく。
ハララさんが昨日の内に置いていた荷物を持った。
「空港まで行きたいんですけど……」
「この後カナイ区との会議があるんだろう?
そっちを優先するのは当たり前だ」
Web会議だから家から出なくて済むが、尚更見送りに行きたかった。
「行ってくる」
ハララさんが玄関を開けようとして、止まる。
忘れ物だろうか、心配になり見つめるとハララさんが振り返り、ボクのパジャマの胸元を掴んだ。
そのまま引っ張られて咄嗟に踏ん張ると同時にハララさんの顔が近づいた。
「……無事に帰ってきたら、一緒に寝よう」
口を押さえるボクの胸元をトンっと指先で突き、ハララさんが不敵に微笑んで出ていった。
不意打ちでキスをされたボクは暫く動けなかったが、玄関を飛び出して外を見る。
まだ下を歩いている。
「っ、ハララさん!!!」
名前を叫ぶ、ハララさんは聴こえていないのか振り返らない。
いっぱい言いたいことがあった。
ベッドで待っているとか、無事に帰ってきてほしいとか。
ずるずると廊下にしゃがみこみ、ポケットに入れていた携帯電話を取り出す。
「……もしもし、朝早くにごめん」
ボクの声に電話の主は不機嫌そうに声を上げた。
数時間後、空港で「……なにをしているんだ、ユーマ」と少し震えながら聞いてくるハララさんに「マコトに会議時間を夜にしてくれって頼んだんです!」と答えて朝のキスのお返しをして、そのまま空港の床にキスをするまであと数十秒。
(了)