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    はるち

    好きなものを好きなように

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    POIPOI 187

    はるち

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    そして綺麗なものには毒がある。

    リー先生がBSSするお話(ハッピーエンドです)
    リクエストありがとうございました!

    #鯉博
    leiBo

    恋をするあなたは 恋をすると人は綺麗になり、綺麗なものには毒がある。ならば、恋とは毒と何が違うのだろうか。
     リーは鬱々とした気持ちで療養庭園を歩いていた。一歩進むごとに空気が肌に纏わりつくのは、植物の育成に適した気候を再現しているからだった。園丁たちにより管理されている温度と湿度は、庭園を訪れる客人たちのために龍門の夏よりは幾分快適に設定されており、歩道に零れ出さんばかりに咲く花々も涼やかだ。水仙、紫陽花、そしてまだ花を残している鈴蘭。この花壇を作ったものは随分と趣味が良い、とリーはひっそりと笑った。そうして喜びの感情を取りつく撮ったところで、腹の中で暴れまわり、喉を食い破って出てこようとする獣を誤魔化すことは出来ない。その獣の名は嫉妬と言った。あの日以降、リーが身の裡で飼い、飼殺そうとするたびに、手酷く手を噛む獣だった。それは今もリー向かって吠えたてる。今すぐあの人の元へ行くのだ、と。けれど、そんなことをしてもどうにもならないことは、彼が一番よく知っていた。
     風にそよぎ、揺れる水仙に、ドクターの影がちらつく。普段からフェイスシールドにフードを重ねて被っているからだろう。ドクターの肌は何もせずとも透き通るように白く、無垢な躑躅の花弁を連想させた。それをさらに磨きたてることを教えたのはウタゲであり、ロベルタであり、そしてリーだった。――ねえ、このファンデーション、変じゃないかな? アンジェリーナに教えてもらったという化粧品をつけたドクターがこちらを見上げる姿は、今でも鮮明に覚えている。思い出せば、あの上品なおしろいの香りが、今も鼻先に漂っている気さえした。あの日、リーは答えたのだ。変なんかじゃありませんよ、とても良く似合っています、と。自分のためではない、他の誰かのために咲いた花のために。それを聞いて、ドクターは微笑んだ。盛りを迎えた花々でさえ、恥じらうような笑顔だった。
     恋をしてから、ドクターは綺麗になった。サイラッハに倣い、髪を整えるようになった。手入れのために使っているヘアオイルは百合の香りがして、それは〝彼〟の好むものなのだという。肌の手入れにも気を遣うようになった。クローゼットの中身も様変わりした。大量生産品であることを隠そうともしないお仕着せのシャツとスラックスは片隅へと追いやられ、代わりに品の良いブラウスやワンピースが並ぶようになった。その内の一着など、リーが選んだものだ。君のセンスなら信頼できるから、とドクターが言うものだから。だからその信頼に応えるべく、リーは選んだのだ。ドクターにとびきり良く似合う服を。ドクターのために仕立てられたような服を。その華奢さと色の白さが、花が咲くように綺麗に見えるワンピースを。それに合わせて、ブローチだって選んだ。リーからのプレゼントだった。もらえないよ、と言ってそれを拒もうとするドクターに、いいですから、と半ば無理やりそれを握らせたのだった。あなたの恋が上手くいくように、おれからの贈り物です――と。そう言って。ありがとう、と頬を赤らめて笑うドクターはやはり可愛らしく、腹の底では獣が猛り狂い、彼のことを嘲笑っていた。成功。笑わせてくれる。そんなことを願ったことが一度でもあったのか? いつだって思うことは一つだけだった。おれの方が――
    「こんにちは、リーさん! お散歩ですか?」
     背中から、弾むような声を掛けられた。聞き覚えのある声だった。リーが振り返ると、そこには思っていた通りの人物だった。
    「こんにちは、ポデンコさん。花が見頃だって聞いたもんですからね」
     そう言えば、ひと際嬉しそうにポデンコは笑った。このエリアを担当しているのは彼女なのだろうか。
    「来てくれてありがとうございます! そうなんです、とっても見頃なんですよ。水仙も、紫陽花も。鈴蘭は…もうすぐ時期が終わっちゃいますけど」
     だからその前に来てくれて嬉しいです、とポデンコは言う。
    「天気も悪いし暑いせいか、皆なかなか来てくれなくて」
     それはそうだろう。リーは苦笑した。身軽な格好で着ているとはいえ、こんな時間でもなければ療養庭園には来なかった。せめてバーが空いている時間なら良かったのだが。そうすれば、酒をいくらでも煽って、時間が流れていくのをやり過ごすことが出来た。
    「せっかく花が咲いたのに、誰も見に来てくれないなんて……悲しいですからね」
    「……そうですねえ」
     リーの脳裏にあるのは、一輪の花だった。誰よりも可憐で、何よりも美しい。自分が選んだワンピースは、今日はあのクローゼットにはかかっていないだろう。ドクターが袖を通しているはずだ。告白するときは、このワンピースを着るのだと言っていたから。
    「ところで、花壇にこの花を植えたのはポデンコさんですかい?」
     突然の問い、園丁は首を傾げた。
    「私……というより、皆ですね。園芸部の皆で相談して決めました」
     綺麗でしょう、と誇らしげに笑う彼女の笑顔に裏はなく、ならばこれは本当に偶然なのだろう。
    「ええ――とても」
     水仙。紫陽花。そして鈴蘭。
     いずれも、毒性をもつ植物だ。
    「綺麗ですね」
     とはいえその毒は茎や葉に含まれており、食べようとでもしなければその花々が人を傷つけることはない。ただ美しく咲くばかりだ。
     だから。
     リーは思う。この胸が、こんなに苦しいのは――、苦しくて仕方がないのは、あの花を、腹の底に収めてでも自分のものにしたいと思ったからなのだろうか、と。
     自分ではない、他の誰かのために美しくなったドクターを。
     ドクターは、今日、彼に告白するのだという。
     そうなる前に――自分は、手折ってしまうべきだったのか?
     死に至る猛毒、何よりも可憐な花――、恋と呼ばれる、それを。
     
     ***
     
    「あのさ、リーに一つ聞きたいことがあるんだけど」
     ドクターがそう切り出したのは、リーが秘書を任されるようになってからしばらくしてのことだった。随分と打ち付けた、と思っていた。秘書を任命された当初は書類の整理を面倒がって仮病を使うこともあったが、今は私物である茶器を置き、ドクターと自分の集中力が切れたタイミングで茶と菓子を楽しむようになった。勤務態度だって真面目なものへと変わっている、と思う。リーおじさんはかっこつけですからね――と評したのはワイフーだった。事務所にいる時はだらしがないのに、ドクターの前ではかっこつけちゃって――とも。だらしないとはなんだ、とその時のリーは反駁した。契約上、ドクターは今の彼らの上司にあたる。業務提携先と仲良くやるのは当たり前のことだろう、と。そう言いながら、リーは背筋を冷たい汗が伝うのを感じていた。子ども達の中で一番長い時間を、共に過ごしたからだろうか。それとも――所謂、女の勘、というものなのだろうか。
    「どうしましたかい? 何か相談事でも?」
     探偵が御入用でしたらぜひとも、とお道化て見せるリーに、ドクターの強張った笑みが解れていく。その下にあるのは、不安だった。
    「ええと――ちょっと、プレゼントの相談をしたくて」
     プレゼント。はて、誰にだろうか。ドクターの様子から察するに、気軽に送るような間柄ではないのだろう。何かしらの取引先だろうか? それとも懇意にしている誰かしら? アーミヤだろうか。しかしそれなら、ブレイズやケルシーと言った、もっと親しい誰かに聞くだろうから――
    「その……。お、男の人って、何をもらったら嬉しいの?」
    「は?」
     思わず声がひっくり返る。ドクターの顔がくしゃくしゃに歪み、耳の端は茹でられでもしたかのように真っ赤になっていた。
    「じ、実は――好きな人がいて」
     見覚えのある表情だった。身に覚えのある感情だった。自分はそれを知っている。
    「だから、助けてほしいんだこういうこと聞けるの、リーしかいなくて」
     何故なら――
    「リーのこと、信頼しているから」
     自分はドクターに、恋をしているから。
     
     ***
     
     いつ、自分がドクターのことを好きになったのかは、正直に言って良く覚えていない。初めはただの庇護欲だったのだと思う。ドクターは自分の身を疎かにしても、危険にさらすことになっても、作戦の成功を――、そして何より、オペレーター達のことを守ろうとしていた。自分が今までに関わり合いになった権力者たちとは、真逆の在り方だった。勿論、龍門近衛局の長官や鼠王のように、自らの信念を守り続けるものもいる。しかしそんな人間は金剛石よりも希少な存在だ。権力、大きな力というものは、それを手にするものを腐らせる。そしてロドスの持つ力――それは戦力に限ったことではない――は、一国の内政に干渉できるほどのものだった。なのにドクターは、それに欠片も酔っていなかった。
    「こんなものでは足りないよ」
     いつかに、甲板で明けゆく空を眺めながら、ドクターはそう呟いていた。何日もろくに寝ていないのだろう、目の下には疲労が色濃く隈を落としていた。満足のいく作戦が立てられないのだという。味方への損害が大きすぎる、戦闘に際して周囲に出る被害が多すぎる、そう言って。
    「私はまだ、感染者の一人救うことも出来ないんだから」
     今にして思えば。
     胸に宿るこの熱の正体が、恋なのだと気付いたのは――あの瞬間なのかもしれない。
     力なく笑う横顔を、暁光が縁取る。そのまま光の中へと溶けてしまいそうなドクターを見て、思ったのだ。この人のことを守りたい、力になりたい――と。
     だから、ドクターのためには何でもした。少しでも自分のkとを頼ってくれるように。必要としてくれるように。ドクターが自分の無力さに打ちひしがれるのならば、自分が肩を課したかった。絶望という雨がドクターの濡らすのならば、自分が温めてやりたかった。そんな自分に、ドクターも少しずつ気を許してくれるようになった。それを、自分は嬉しく思っていたのだ。その信用と信頼を。
     それなのに。
    「えっと――■■■って、聞いたことあるかな」
     ドクターがあげた名前には、聞き覚えがあった。重装オペレーターだ。自分も時折、同じ隊に編成されたことがある。自分がやってくるより前からロドスに在籍している、古株のオペレーターだった。
    「ドクターは、その人のことが――?」
     躑躅が色付くようにドクターは頬を赤らめ、そう、と頷いた。そうなんですか、と言って頷く自分は、ドクターの望む通りに物分かりの良い顔をしているだろうか。人の心の機微に聡いドクターのことだ、いつもであれば、自分の欺瞞に気付いたことだろう。しかし、恋に恋するような目に、自分は映っていないようだった。
    「今度ね、昇進祝いを贈ろうと思うんだ。それくらいだったら他のオペレーターにも渡しているから、そこまで変じゃないだろう」
     それは知っている。自分も昇進の時には、茶器を一揃い贈ってもらった。それは今、執務室に置かれており、ドクターのしばしの安らぎを得るために使われている。ドクターは、一体どんな気持ちであれを選んだのだろう? ドクターは、一体どんな気持ちで、そのオペレーターへの贈り物を選ぼうとしているのだろう。
    「気持ちを伝えるつもりはないんだ。……でも、そうだね。彼に――何かを、持っていてほしくて」
     私が贈ったものを、とドクターは言う。ドクターが着ているスラックス、そのベルトには、かつて自分が贈った佩玉が下がっていることを、リーは知っている。昇進祝いの返礼として渡したものだ。あの時の自分は、果たして、何思って、それを贈ったのだったか。
    「わかりました」
     リーが答えると、ドクターの顔色が瞬時に変わった。澄んで凪いだ湖に石を投げ込み、波紋が広がるように。
    「協力しますよ、おれでよければ」
     ありがとう、と。数拍の沈黙の後に、絞り出すような声でドクターは言った。それに、ドクターがどれほどの勇気をもって、自分に思いを打ち明けたのかを思い知る。ドクターが、自分をどれほど信頼しているのかを。自分が決して、それを茶化すことも、噂話を広めることもないと、ドクターは無邪気に信じているのだ。
     ドクターがこちらを真っ直ぐに見つめる。その瞳には、酷く透明に笑う男が映っていた。
     それからのリーは、ドクターが望む通りに振舞った。そのオペレーターが喜びそうなものを一緒に選び、作戦の際にはドクターとそのオペレーターが会話をする機会を何度か作った。そのオペレーターに向ける笑顔にだけ、普段とは異なる熱が潜んでいることに。その背中に向ける眼差しにだけ、誰とも異なる寂しさが滲んでいることに。リーだけは気づいていた。
     けれどそれとは対照的に、蕾が花を咲かせるように変わっていくドクターのことは、いつしかロドス中が知ることになった。――ドクターがあんなに綺麗になったのは、誰かに恋をしているからなのだと。そんな噂が、まことしやかに囁かれる様になるまで、さほど時間はかからなかった。
     そして。
    「告白、しようと思うんだ」
     ドクターがリーにそう打ち明けたのは、すっかり定番となった、定時後の晩酌の時だった。リーが秘書を務めた日は、終わった後にドクターかリーの部屋で飲むというのが、二人にとっての習慣となっていた。酒を用意するのはドクターで、つまみを用意するのはリーだった。その日も、リーの作った生春巻きを、ドクターは箸先で突いていた。
    「そりゃまた、どうして急に?」
     何かきっかけでも――例えば、先方から気のあるような返事でもあったのか――と、リーは探りを入れる。しかしドクターの表情は硬くこわばったままで、生春巻きはすっかりばらばらになっていた。
    「艦を降りるんだって。――多分、もうロドスには戻ってこないと思う」
    「……」
     勝算は、とは聞けなかった。そんなものはドクターの顔を見ればわかる。痛いのだろう。苦しいのだろう。恋が失われる予兆というものは、薔薇の棘などより余程鋭利に胸を刺す。ならばこそ、だろう、傷は早く切開して塩を塗り込んだ方が良い。そうでもしなければ、膿んで手が付けられなくなる。自分のように。
    「いつ――何ですか?」
     ドクターは、三日後と答えた。随分と急な話だ。その三日間を、どのように過ごせばいいのか、リーにはわからなかった。けれどただ一つだけわかっていることがあり――三日後、その予想通りに、リーの部屋を訪れたドクターは、下手くそな笑顔を浮かべていた。踏みつけられた菫のような表情だった。
    「振られちゃったよ。故郷に、好きな人がいるんだって」
     リーの用意した酒を飲みながら、ドクターは滔々と語った。自分が会いに行ったときに、彼は言ったのだという。これ以上鉱石病が悪化する前に、故郷に帰りたいのだと。艦を降りてからは、そこで感染者の手助けをしたいのだと。
     最後は、故郷にいる恋人と共に過ごしたいのだと。
    「だから、何も言えなくてね」
     そのオペレーターのために、髪を、服を、花束を用意したドクターは、だから笑顔で彼の出立を祝福したのだという。ドクターが最後に彼へとプレゼントした百合の花束は、彼の故郷で咲いていた花だったのだという。百合を見るたびに、故郷のことを思い出すのだと言っていたそのオペレーターは、涙ぐみながらそれを受け取った。
     かくしてドクターの恋は散った。実を結ぶこともなく。枯れない花はなくとも咲かない花はあり、この世界というものは不平等に出来ている。
     しかし、どんな荒野にも希望はある。
    「くるしいよ」
     どうすればいいのだろう、とドクターは胸元を掴んだ。恋が破れる痛みは、自分も良く知っている。けれど自分はその痛みに耐えた。恋を失うことはなかった。それが茨の道だと知って、ドクターの傍で、良き助言者としてあり続けた。
     それは、知っていたからだ。ドクターの恋が叶うことはないと。彼が探偵としてあるのは、何も龍門に限ったことではない。ドクターの思い人の名を知った時から、リーは本艦で構築した情報網を駆使して、その為人を調べていたのだ。出自、過去に至るまで、知ることのできる全てを。だから故郷に恋人がいることを、ドクターよりも早くに知っていた。艦を降りるつもりでいることも。
     そして、その恋が儚く散ったその先に、自分はようやく花を手折ることが出来るのだと、彼は知っていた。
     茨の先にこそ、花は咲くのだと。
    「苦しいですか」
     問えば、ドクターは子どものように素直に頷いた。
    「辛いですか」
     とろんとした瞳は、自分だけを見ている。
     今日の酒は普段よりも強く、いつもよりも速いペースで飲んでいるドクターが既に酩酊に浸っていることは明らかだった。
    「なら――おれが、それを忘れさせますから」
     ソファの上へと引き倒したとき、ドクターは夢でも見ているように陶然と、自分を見上げていた。今のドクターにとっては、何もかもが同じに見えるのかもしれない。ただ、痛みを紛らわすものが欲しいだけで。胸に空いた穴を埋める、手触りの良い螺子を探しているだけ。ならばそれで構わなかった。その空白こそ、自分が求めていたものなのだから。
     肉体の快楽は、精神に麻酔をかけてくれるだろう。ドクターが望むように、痛みを麻痺させてくれるだろう。赤ワインで濡れた唇に口づけると、無残に踏みにじられた花の芳香が鼻先まで香った。彼が望んだ毒の味は、飲み干したくなるほどに甘美だった。爛れると知って尚、煽らずにはいられない毒。彼が手折った花は今、彼の腕の中で咲いている。
    「今だけは、おれを見てくださいよ――ドクター」
     
     ***
     
    「それで、リー先生とはいつから付き合っているの?」
     ウタゲをあしらうのもそろそろ限界だろうか、とドクターは眉間に刻まれた皺を揉んだ。その手の質問を投げられるのはこれで三度目だった。女の勘と言うべきなのか何なのか、年頃の乙女をやり過ごすのには無理が生じつつあった。しかし、答えようにも自分がどう返答すべきなのかわからないのだ。付き合っている、というには、この関係はあまりに爛れている。
     一夜だけのつもりだった。それは失恋の痛みを紛らわせるためであり、彼の優しさに付け込むだけの行為だった。しかし一夜は二夜、三夜と続き、とっくに百夜へと差し掛かろうとしていた。相談に乗ってもらったときと同じように、自分は彼に甘えているのだ。けれど彼はそれを許してくれる。だから夜が来るたびに、こんなことはやめようという言葉を飲み込んでは、腹の底へと仕舞い直している。彼に縋りついた手を、離せずにいる。それがこの手を爛れさせ、いつかは溶かすと知っているのに。
    「どうしてそう思うの?」
     質問に質問で返すというマナー違反に、ウタゲはきょとんとした表情を見せた。一拍遅れて、だって、と笑う。冗談でも聞いたかのように。
    「だってドクター、綺麗になったじゃん。リー先生と一緒にいるようになってから」
     そうなのだろうか、とドクターは考える。確かに身だしなみには気を遣うようになった――それはリーのためではなかったが。
     部屋に戻ると、そうすることが当たり前であるかのように、リーは既に部屋にいた。
    「おかえりなさい――。どうしたんです、その花」
     ドクターが手にしているのは、百合の花束だった。療養庭園へと足を運んだ際に、ポデンコがくれたものだ。ドクターは百合の花が好きでしたよね――と言って。本当は、それが好きなのはもうこの艦にはいない誰かなのだければ、それを告げたところで意味はないと知っていた。だからドクターは、無言でそれを受け取った。
     あと数日で、ロドス本艦は、彼の故郷の近くを通ることになっていた。通りかかりはするけれど、ドクターが降りる必然性はない。現地にあるロドスの出張所に物資の補給はするけれど、それだけだ。後方支援のオペレーター達だけで事足りる。ドクターがそれに参加する必要はない。出張所にいるであろう、彼に会いに行く必要はない。だから今、自分が持っているのは、只の未練に過ぎなかった。
    「何でもないよ」
     花瓶に差すこともなく、ドクターはその花束を放り投げた。そして自由になった両手で、リーに抱き着く。もし、ウタゲが本当のことを知ったならば、愚かだと笑うだろうか。恋と痛みと執着を、区別することの出来なくなった自分を。
     恋をすると、人は綺麗になるのだという。それは確かに真実の一面ではあるけれど、それが全てではない。恋をすると、人が綺麗に見えるようになるのだ。あばたがえくぼに見えるように。どんな瑕疵も魅力へと変わる。
     そして今、ドクターにとって、彼は世界で一番綺麗に見えた。
    「それより、キスをしてくれないか」
     リーはただ微笑み、そうしてドクターに口づけた。彼が愛用する煙草と香水の混じり合い、鼻先で薫る。やがてしずしずと開かれた金の瞳は、陶然と欲を溶かして、自分だけを見つめていた。深まる口づけの、粘ついた水音の合間に、ドクターは尋ねた。――君は、私のことが好きなのか、と。リーは金の瞳を三日月のように細め、答えを探すかのように、ドクターの口腔内へと舌を伸ばした。それが毒だと知って尚、絡む舌を拒むことが出来ない。骨まで溶かすと知って尚、肌を暴く指先を拒むことができない。その瞳から、眼を逸らすことができない。
    「好きですよ、ドクター」
     恋をしているあなたは、こんなにも美しいのだから。
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