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    はるち

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    はるち

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    不眠症のドクターとリーのお話です。リクエストありがとうございました!

    #鯉博
    leiBo

    Does the sheep count the sheep クラリス、子羊は悲鳴をあげなくなったかな? ――引用:羊たちの沈黙
     
     夜は嫌いだ。静寂が耳に煩いから。
    「――みにくい羽獣の子が水の上に眼を落とすと、そこに映っていたのは、もうあの灰色の羽獣ではありません。真っ白に光り輝く羽獣でした。そうしてその羽獣は、あたらしい仲間と一緒に幸せに暮らしました。……、はあ。あなた、まだ起きていたんですか?」
     ベッドサイドの椅子に腰掛けていた彼が、ベッドに横たわる私にちらと視線を向ける。全く眠る気配が見えないことに、その表情が渋いものへと変わった。コーヒーでも飲みすぎたようだった。雰囲気としては一リットルくらいだろうか。
    「いや、いつ聞いてもいい話だなと思っていてね。生まれた時からその羽獣の勝ちは決まっていた、ということだろう?」
     サイドテーブルの上には暖色のランプが灯っているが、その明かりは酷く弱々しい。私が眠りやすいように、眼が冴えないようにという配慮だ。彼からすると、枕元で絵本を朗読するには心許ない光源だろう。毛布に似た薄暗がりの中では、ともすると彼の瞳の方が鮮やかに見える。
    「あなたが子どもだとしたら、本当に可愛くないガキですね」
    「失礼。そのみにくい羽獣は生まれた時から鴨獣たちの一員にはなれないことが決まっていた、と言った方が良かっただろうか」
    「はいはい、良い子のドクターはもう眠る時間ですよ」
     彼の掌が目蓋を覆う。ランプの明かりもあの金色も遠ざかる。煙草の匂いがする手のひらだった。この朗読会の間中、ひそやかに私達の間を満たしていた香り。
    「リー」
    「なんですか?」
    「……もう一冊、読んで」
     溜息をつく気配が伝わる。そして、彼がサイドテーブルに積まれた本に手を伸ばした気配も。
    「もう一冊だけですよ」

     ***
     
     三日だ、とケルシーは言った。ドクターは縋るような思いで天井に向かって伸びる三本の指を見つめたが、曲がる気配は欠片もない。人差し指と薬指が折れて中指だけになってもいいから、と思ったのだが、しかしケルシーは指も主治医としての立場を曲げるつもりはないようだった。
    「一日二日眠れないのであれば睡眠薬の処方は適応外だ。君の不眠が三日以上続くのであれば処方を検討しよう」
    「それじゃあ困るんだ。業務に差し支える」
    「ではまずはその理性回復剤の乱用からやめてもらおうか」
    「……、これがないと仕事にならないんだよ」
    「ふむ。それで君は次にこれがないと眠れないと言って睡眠薬を過量内服するのか? 君は薬に頼るより先にやるべきことがある。労働及び生活習慣の改善だ。危機契約も明日で終わる。それ以降は業務に余裕が出来るだろう。これを機に、生活習慣を見直すことだ」
     その言葉が裁判の判決を告げるガヴェルだった。これ以上一歩も譲るつもりもないケルシーに背を向け、すごすごと医療部を後にした。
     眠れない夜が三夜以上続いたら、とケルシーは言うが。ここのところ、まともな睡眠を得られた記憶がない――まるでない。仕事をしているといつの間にか空が東から白み始め、秘書が来る前に慌ててシャワーを浴び、束の間の仮眠を取る。それが睡眠と呼べたら、の話ではあるが。もしかすると、失神や気絶と呼んだ方が正確かもしれない。
     ケルシーは先にやるべきことがある、と言うが。できることは全てやっている。パフューマーに頼んで安眠に効くアロマを調合してもらった。癒やしの効果があるという波の音を眠る前に聞いてみた。他にも色々、睡眠前の入浴であったり軽い運動であったりと、民間療法的な不眠の解決法は一通り試したのだ。けれどもベッドに入って毛布を被ったところで穏やかな眠りは訪れず、頭の中を巡るのは次の作戦や鉱石病についての研究のことばかり。無為に時間を過ごすよりはと執務室に向かい、眠くなるまでと思って作業をしていると睡魔より先に朝が来る。
     おそらくは今日もそうなるだろう、という予感の元、執務室へと足を向ける。疲労が隈として色濃く刻まれた今の自分は、夜の廊下では人間よりも幽霊に近しく見えるだろう。
    「ドクター」
     その、薄暗い廊下をふらつく背に、声がかけられる。
     そこに立っていたのは長身の龍族だった。リー、と名を呼ぶと、歩み寄ってきた彼は気遣わしげに顔を覗き込んだ。
    「……しばらく見ない内に随分と顔色が悪くなりましたね。何かありましたか?」
    「いや、大したことはないよ。……そうだ、君、この後空いているかい?」
     ようやく龍門から帰艦した君に頼みたい仕事があるんだよ、と冗談めかして言うと、リーはええ、とあからさまに嫌そうな顔になる。取り繕った明るさには、ひとまず何も言わないことにしたらしい。彼のそういう点、空気と人の心情を読んだ行動が出来る点は、単純に好ましい。
    「君に頼みたい任務があるんだ」
    「はあ、わかりましたよ。お話、伺いましょうか」
     リーを引き連れて執務室へと向かう。一日の大半を過ごす執務室は、いつ何時も温かく迎えてくれる。自室よりも肌に馴染んだ場所だ。例えやることが仕事しかないとしても。
    「実験器具の輸送任務を受けてね」
     PRTSを起動し、作戦場所と出現が予想される敵の情報をリーに見えるように表示する。
    「今回は地上での戦闘がメインになる。リー、君に任せたい」
     拡大表示するのはクラッシャーだ。こちらの意図を汲み取ったリーがなるほど、と呟く。
    「確かにおれ向きでしょうね」
    「だろう? 術師や狙撃からの援護も考えたが、今回の対象はあくまでも実験器具の輸送だ」
    「流れ弾で荷が破損するも困る、と」
    「加えて熱にも弱い。今回の作戦で求められるのは、機材を傷つけない形での敵の無力化だ」
     ふむ、とリーは改めて画面を覗き込んだ。ワーキングチェアに身を預け、彼が一通りの情報を確認するのを待つ。数日間の眠気は泥のように堆積し、頭は殴られたように眠い。その癖満足に眠ることさえ出来ない。
    「ドクター、いくつか聞きたいことが」
     どうぞ、とは頷く。頭痛薬はデスクのどこにしまっただろうか。それに頼れば、宝石にひびが入るように、ケルシーは眉をひそめるだろうか。
    「一つ目、おれが配置されるまでに出撃する先方はどなたですかい? この前みたいにドゥリンのお嬢ちゃん一人じゃ荷が重そうな作戦ですが」
     今の自分の意識は、カフェインを始めとする化学物質の祝福によって支えられている。生物としての破綻だ、こんなものだ。ならばいっそ、機械のようにスイッチをつけてほしかった。任意のタイミングで眠れるように。
    「二つ目、おれ一人じゃクラッシャー全員を相手取ることはできませんよ」
     低く流れるような彼の声は秋風に似て、ささくれだった心を沈めていく。――この声をずっと聞いていたいな、と思った。水底から浮かび上がる、泡沫のような思いだった。
    「他に出撃する重装オペレーターがいるなら教えてください。そして三つ目……」
     かくん、と頷くようにドクターの首が落ちる。けれども相槌としては不自然なタイミングだった。
     ドクター? とリーが呼びかける。けれどもそれに返事はなく。
    「……寝ちまったんですか?」

     ***

    「――けれど、朝になる頃、少女の身体は冷たくなっていました。薔薇のように頬を赤くし、口元には笑みを浮かべて。足元には、燃え尽きたマッチが散らばっていました……。ねえ、ドクター。こんな話のどこがいいんですか?」
    「凍死は苦しみも少なく楽な死亡法の一つとされているけど」
    「そういう話をしたいんじゃありませんよ」
     全く、と彼が本を閉じる。彼が読んでいる本、サイドテーブルに積まれた絵本の数々は、この部屋にある本棚の一番下に収められていたものだ。鉱石病についての論文や作戦記録に混じって、あまりにも場違いなそれを見つけたのは、アーミヤだった。
     懐かしいですね、とコータスの少女は目を細める。
     ――私が眠れないときに、ドクターが読んでくれたんです。
     壊れやすいものの輪郭を確かめるように、アーミヤは棚から抜き出した本を胸に抱く。
     石棺から抜け出した時に、チェルノボーグに置き去りにされた過去の一つだ。それはもうばらばらに砕け散って、今はもう彼女の記憶の中にしか存在しない。きっとかつての自分にとっても、それは失い難い思い出の一つだったのだろう。こうして書庫に収めておくくらいには。けれども今はただ、本棚の片隅で埃を被っている。
     押し黙った私を見ても、彼女は穏やかに微笑むだけで何も言おうとはしなかった。自分が覚えていればそれで満足だ、というように。
    「まだ眠れないんですか」
     自分にもかつて、そんな存在がいたのだろうか? 眠れない夜に毛布をかけてくれるように、眠るまで傍らで御伽噺を聞かせてくれるような存在が。無償の愛を与えてくれる存在が。
    「眠れないんだよ」
    「今日は一段と我儘ですねえ」
     彼の指が髪を梳く。その声にも仕草にも、責める色はない。月の光を湛えた金の瞳は静かに凪いで、その中に自分だけを宿している。
    「だって君、明日には帰っちゃうんだろう?」
    「寂しいんですか?」
    「君のことはいつだって恋しく思っているさ」
    「あなた、いつから羊飼いになったんです?」
     呆れたように彼が笑う。その穏やかな笑い声をずっと聞いていたくて、だから眠りたくないと思ってしまう。
     だって、明日には彼はもういないから。
     明日には、また一人で、夜の静けさに耐えなくてはならないから。
     
     ***

    「君の声を聞いていると睡眠薬なしでも眠れそうなんだ。だからロドスに滞在している間だけでいい。私が眠るまで、何か話を聞かせてくれないか?」
    「……はあ」
     まずは座って、という言葉に、リーはしぶしぶベッドサイドの椅子に腰を降ろした。話があると呼び出した時から、面倒ごとの予感はしていたのだろう。着いてきてくれないかと自室に招き入れた時に彼の予感は確信へと変わったらしい。
    「なんだっておれなんです。薬じゃだめなんですか?」
    「ケルシーが処方してくれないんだよ。生活習慣を見直せと言わてね」
    「そりゃそうでしょうよ。あなたがこんなに仕事熱心だとは思いませんでしたよ。休むってことを覚えたらどうです?」
    「ふむ。休むという行為は具体的に何をすれば良い?」
    「……」
     吸っても? という言葉に、私は頷く。ベッドのサイドテーブルには灰皿が置かれている。ケルシーからの忠告で禁煙をしてはいるが、片付けるのも面倒でそのままにしている。
     リーは胸元から煙草を取り出し、中から一本を抜き出して火をつけた。薄闇めいた煙を吐き出した後で、彼は腹を括ったようだった。
    「話すって何をです? 会話なんてしたら、それこそ目が覚めちまうでしょう」
    「なんでも良いよ。円周率とか」
    「勘弁してくださいよ。おれの方が眠くなっちまう」
    「君の思い出話とか」
    「寝入りばなに聞くには刺激が強すぎるかもしれませんよ」
    「そこまで?」
    「冗談ですよ、冗談」
     他になにか、と彼が視線を彷徨わせる。何かを朗読してもらうのが良いかもしれない。ただこの部屋にあるものといえば論文や資料の類で、それを聞いていたら彼はともかくとして私は目が覚めてしまいそうだ。
     しかし。
    「お誂え向きのがあるじゃないですか」
     彼は立ち上がり、テーブルの上に積まれたそれらを手に取る。埃を被らせてしまうのは忍びないからと本棚から取り出し、けれどもどこに置けば良いのかわからなくなってしまった絵本の山。
    「ドクター。御伽噺は好きですか?」

     ***

    「そんなんで、おれがいなくなった後に眠れるんですか?」
    「……」
    「ちょっと、黙らないでくださいよ」
    「地獄ってさ。どこにあると思う?」
    「は?」
     突拍子もない質問に、彼は上擦った声を出す。先程まで絵本の読み聞かせを求めていた人間の台詞とは思えないのだろう。
    「……それは宗教によって違うと思いますが。まあ一般的なイメージとしては地底、ですかね? ドクターも何か特定の信仰をお持ちで?」
    「地獄はここにあるんだよ」
     ここに、と私は自身のこめかみを人差し指で叩いた。
    「この中、頭蓋の中だよ。戦場からは逃げられる。戦争からは逃れられる。でも地獄からは逃げ出すことも忘れ去ることもできない。夜になると――ほら。聞こえるだろう?」
    「……ドクター」
     だから夜は嫌いだ。ここは静か過ぎる――私の頭の中は、あまりに煩いのに。夜になるといつも不安になる。この暗闇と静寂の中に、自身の地獄が染み出してしまわないか。それがパラノイアじみた妄想だとは理解している。けれど、私は医師ではなく博士であり、自身の病を治療することはできない。
    「リー、君には聞こえないのかい? 銃声が。爆発音が。悲鳴が。断末魔が。助けを求めて死んでいく人の声が。運命を呪いながら死んでいく人の叫びが――」
     ドクター、と。その声は静かで、けれどもそれ以上の言葉を遮る。
    「あなたは、本当に――」
     今の自分は彼にとって、良い子だろうか。それとも悪い子だろうか。尋ねるまでもない、と自嘲する。内に地獄を飼っているような人間が、どうして善良だと呼べるだろう?
     けれども。
     彼の手が、頭を撫でる。地獄が詰まっていると言った場所を。優しく労るように。慰めるように。指の隙間から覗く金の瞳が宿しているのは、温かな光だった。泣き出して、立場も責任も忘れて縋りつきたくなるほどに。
    「――仕方のない人だ」

     ***
     
     甲板で一人、空を見上げていた時だった。
    「こんなところにいたのか」
     緩慢に振り返ると、そこには麗しの我が主治医がいる。てっきりお叱りの言葉の一つでも飛んでくるかと思ったのだが、しかし顔をしかめただけでそれについては何も言わない。
    「もう薬は必要ないのか?」
    「ああ。もう大丈夫だよ」
     私の手にあるのは一本の煙草だ。吸うでもなく、ただ燃え尽きるまでを眺めている。それは最後に、彼が私へと残したものだ。じりじりと燃え尽きていくそれを見つめながら、ただ、この煙がこの身に染み込むことを祈っている。
    「今の私に必要なのは、夜じゃなくて騎士だからね」
     立ち上る煙が、夜の大気へと溶けていく。移動都市から離れ、荒野の只中にあると月も星もよく見える。都市はあの喧騒と発展の中に、これほどの光を隠していたのかと呆れてしまう。けれどそのどこにも、あの金色と同じ光は見つからない。
    「……彼が騎士という柄か?」
    「比喩だよ、比喩」
     この手の中にあるのは、一人の夜を乗り越えるためのマッチの炎だ。自分は一人ではないのだという幻想。燃え尽きるまでの夢。私が夜の寒さに凍えないようにと、彼がかけてくれた魔法。
     私は目を閉じる。彼が、手のひらで目蓋を覆ってくれたように。
     彼の声が聞こえる気がした。あの声が夜を遠ざける。彼は笑い、そうして語り始める。あの御伽噺を。紙の上にしか存在しない穏やかな世界を、現実に呼び起こすように。
     優しく毛布をかけるように。
    「昔々、あるところに――」
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    はるち

    DOODLEロドスでダンスパーティーが開かれるのは公式というのが良いですね
    shall we dance「あなたには、ダンスはどのような行為に見えるかしら?手を相手の首元に添えて、視線を交わせば、無意識下の反応で、人の本心が現れるわ」

    踊ろうか、と差し出された手と、差し出した当人の顔を、リーは交互に見た。
    「ダンスパーティーの練習ですか?」
    「そんなところだよ」
    ロドスでは時折ダンスパーティーが開催されている。リーも参加したことがあり、あのアビサルハンター達も参加していることに少なからず驚かされた。聞けば彼女たちの隊長、グレイディーアは必ずあの催しに参加するのだという。ダンスが好きなんだよ、と耳打ちしてくれたのは通りがかりのオペレーターだ。ダンスパーティーでなくとも、例えばバーで独り、グラスを傾けているときであっても、彼女はダンスの誘いであれば断らずに受けるのだという。あれだけの高嶺の花、孤高の人を誘うのは、さぞかし勇気のいることだろう――と思っていたリーは、けれどもホールの中央で、緊張した様子のオペレーターの手を取ってリードするグレイディーアを見て考えを改めた。もし落花の情を解する流水があるのならば、奔流と潮汐に漂う花弁はあのように舞い踊るのだろう。グレイディーアからすれば、大抵の人間のダンスは彼女に及ばないはずだ。しかしそれを全く感じさせることのない、正しく完璧なエスコートだった。成程、そうであれば、高嶺の花を掴もうと断崖に身を乗り出す人間がいてもおかしくない。
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