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    はるち

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    はるち

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    新春を龍門の温泉宿で過ごす二人のお話

    #鯉博
    leiBo

    朝にあなたと凍えたい 龍門の郊外にある温泉宿が妥協点だった。それ以上離れるとすぐにロドスへ戻ることが出来ないし、何より通信が不安定になる。リーとしては龍門からもロドス本艦からも離れた場所、日々の業務や仕事から遠く離れた場所に連れていきたかったようだが。尚蜀なんてどうですかい、と言われたが、そこへ二人で行けるとすれば、それはもう少し先の話になるだろう。
     ドクターは窓の外を見上げた。外がやけに静かだと思えば、雪が降っていたようだ。降り注ぐ天からの祝福は、まさしく舞い落ちるという言葉が相応しく、質量も重力もないかのようだった。白銀へと染まりゆく外の景色を眺めながら、こんなに暖かい場所から雪を眺めていられるのはいつぶりだろうかと思案する。野営のときは、この優雅な白はただひたすらに寒くて冷たくて憎らしいもので、いっそのこと感覚ごと凍りついてしまった方が楽だと、半ば呪うような気持ちで見上げていたから。こんな風に穏やかな気持で、はらはらと舞い散る様を眺めていられるようなものではなかった。
    「こんなところにいたんですか」
     背後から聞こえた咎めるように振り返ると、そこには予想通りの人影が、何か羽織るもの――確か、半纏と言ったか――を持ってこちらへと歩いてくるところだった。大股で歩いてくる彼との距離はあっという間に零になり、傍らに立った彼が自分の肩へと服をかける。探しましたよ、と棘をしのばせた口調で言うけれど、自分たちの止まっている宿の離れはそう広くもない。寝室と居間と風呂場と、それくらいだ。探すような場所もなかろうに。
    「そんな格好でうろうろしないでくださいよ」
    「目の毒だから?」
    「ははあ、羽織るものよりも布団がご所望ですか?」
    「冗談だよ、冗談」
     彼と過ごした時間に、口調の軽さが移ってしまった。顔を見合わせて、同じタイミングで吹き出す。
    「風邪をひくでしょう。いくら室内でも浴衣一枚じゃあ寒い」
     それとも、外にでも出たくなりましたかと彼は尋ねる。自分と揃いの浴衣を着た彼が、窓硝子に肩を預ける。自分などより余程、上品な着こなしだ。上背のある彼にこの衣装は、悔しいくらいに良く似合った。
    「あなたはこたつで丸くなる方だと思っていましたが」
    「君もだろう。……いや、本艦までの帰りが少し心配だと思ってね」
    「もう帰りの話ですか」
     鬱金色の瞳に不満が滲む。彼を置いて雪景色を鑑賞していたこと、置いていかれたことよりも、もう終わりの話をすることの方が、彼にとっては許し難いらしい。二人きりの時はどうにも我儘で、甘えたで、寂しがりなのだ、この龍は。
    「日が落ちるまではおれといてくれるって、約束でしょう」
     懇願の響きを持った声と共に、するりと手を取られる。引かれるままに窓から引き離され、部屋の奥へと導かれる。そこにあるのはこの旅館に来てからの時間の大半を過ごした場所だ。横になって過ごすばかりでは良くないと思ったから、温かな布団を抜け出してきたのに。
    「雪を見るなら向こうでもいいでしょう。この宿には雪見障子がある。向こうで一緒に見ましょうや」
     躊躇う素振りを見せる自分に、仕方がないですねえ、と呟いた彼が膝の裏を掬い上げる。地面から足が離れる感覚がもたらす心許なさに、思わず彼に縋ると、細められた金の瞳は木漏れ日めいて自分を見つめる。
    「もう十分寝たと思うんだけど」
     照れ隠しのように棘のある言葉が口から出るが、彼にとっては頬を撫でる花弁と等しいようだった。
    「寝る子は育つっていうでしょう」
    「これ以上育ちようがないよ」
    「あるでしょ、胸とか……おっと!」
     そのマズルに頭突きでもしてやろうかと思ったのだが、彼の動きの方が俊敏だった。
     冗談ですよ、と笑いながら、彼は自分を寝室へと運んで行く。
    「……あのさ、リー」
     ――もし、君と二人で、ずっとこうしていられたら。
     自分が彼のために用意できた時間は、二十四時間にも満たない。それで十分です、と彼は言っていたけれど。瞳の奥、月光を受けて煌めく湖面の下で揺らめく影に似たそれには、自分も彼も気づかない振りをした。自分も彼も、自分の役割、互いの家族を捨ててまで互いを選べるほど若くもなく、さりとて互いを諦めきれるほどに老いているわけでもない。
     だからこうして、胸の奥に沈めたはずの感情が、忘れてくれるなと痛みをもたらすのだ。
    「どうかしましたか」
     問う眼差しは優しい。甘えたくなるほどに。泣きたくなるほどに、縋りたくなるほどに。
     だから。
    「――なんでもないよ」
     そうですか、と彼は答える。それだけだった。
     窓の外では音もなく雪が降っている。それは全てを白に沈めてしまうだろうけれど、しかし帰り道を忘れさせてはくれない。その時が来たら、自分たちは、雪を踏みしめて、あるべき場所へと帰らなくてはならない。互いの瞳に浮かぶ寂寞が、その白に塗りつぶされていくことを願いながら、一番の願いには気づかないふりをして。
     雪はただ、全ての音を吸い込んで、深々と降り積もっていた。
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