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    はるち

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    はるち

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    土人形と動死体/円城塔のパロディです。
    BGM:2145年/ACIDMAN

    #鯉博
    leiBo

    機械博士と動死体 墓はただの石だ。死体は肉塊だ。魂はお伽噺だ。
     けれど、心は。まだここにある。あるはずだ。
     ――引用:回樹 斜線堂有紀

     意識を持った時から、男は既に死んでいた。
    「君のことはリーと呼ぶ」
     自分を呼び起こして現世へと留めおく主人は、自らを博士と呼称した。自分よりよほど死体じみて見える人間だった。頬はこけ、本当に血が通っているのか疑わしくなるほど白い肌をしている。目の下には刺青のように深い隈が刻まれている。ただ、その瞳だけが、眼窩に嵌った宝石のようにぎらついた輝きを放っており、その非対象さは博士に生気よりも不気味さを与えていた。
     博士は男の全身、漆の上に佩いた金粉の河めいた傷口に貼られている札を一枚一枚確かめてから、傍らに置かれた服を着るように指示した。関節を軋ませながら釦を止める男の動きを、博士は黙って見つめていた。実験動物の挙動を確認しているようでもあったが、その奥底には別種の光が宿っている。それを何と呼ぶべきなのか、男にはわからなかった。男に与えられているのは意識と名前だけだ。
    「おれは何をすればいいですか」
    「君は何もしなくていい」
     切り捨てるような言葉だった。何もしなくていい、とは。それでは何故この人は、既に死体と化しているこの体を僵尸として動かしているのか。死者を現世に縛り付けているのか。
     博士は、自分の施した術式が正しく機能していることと、男の呼吸と鼓動が止まっていること、唇の冷たさを確かめてから目を閉じた。それはおそらく、瞑目と呼ばれる仕草だった。
    「ただ、私のそばにいてくれ」

     ***

     博士の元にはひっきりなしに来客が訪れた。病を治してほしい、敵から守ってほしい、この大地を救ってほしい。博士はまるで神か何かのように扱われ、頼られ、縋られ、そして救済を求めて伸ばされる手の中には、少なからず博士の喉元を掻き切ろうとする刃が混ざっていた。
     だから男は初めは自分が護身のために造られたのかと思った。肉の盾としては頑丈だろう。しかし博士にそう提案すると、二度とそんなことを口にするなときつく言い含められた。その通りで、博士の護衛役は既に存在していた。例えば、ザラックの騎士。例えば、影のように黒く赤いフェリーン。
     男に求められたのは、ただ彫像のように博士の後ろに立っていることだけだった。
     博士が客室を去る時には、当然男も立ち去る。来客の多くは、それまで趣味の悪い人型だ度思っていた男が動き出すと恐れおののいた。博士のことを影で死体玩弄者や、屍体愛好者と呼ぶ者もいた。そういった客が博士の元を訪れることは二度となく、時折獣に襲われて死んだとか、戦争に敗れて死んだという噂を耳にした。
     おれをそばにおくからでしょう、と言ったとき、博士はかつて見たことがないほどの冷たい怒りを見せた。もしそれが炎の形を持っているならば、男の体は焼け落ちて灰になっていただろう。
    「誰が何と言おうと、君は生きているんだ」
     博士は虚空に向かってそう繰り返した。呪文めいた言葉は男に向けられたものではなく、自分自身へと言い聞かせるためのものだった。
    「君が死体なら、私だって機械と変わらない」

     ***

    「そんなはずがないだろう」
     というのは博士の主治医であるフェリーンの言だった。千年雪と同じ色の髪と、万年を見通す翡翠の瞳は、今はベッドの上で眠っている博士に注がれている。
    「君は既に死体だ。君自身も、博士だってわかっていることだろう」
     博士は時折倒れ、倒れた博士を病室に運ぶのは男の役回りだった。一度博士を担いで、医療部と呼ばれている場所に踏み入った時にはそれなりの騒ぎとなり、以降は専用の部屋が用意されることになった。動く死体が、死を遠ざけるための戦場に立ち入るのがどれほど冒涜的なことなのかは、男自身も理解していた。
     自分が既に死んでいることは初めから理解している。意識があることを生きているというのなら、時折この施設で見かける機械たちもそう扱うべきだろう。死んだ蛙の足に電流を流し、動くところを観察したとしても、それは電気刺激に従う筋肉の痙攣を見ているだけだ。動くこと、意識を持つこと。それだけでは、生きていると呼べはしない。
    「人格や記憶は失われたら二度と戻らない。記憶や感情が幽霊として残留することはあり得ない」
     博士が自分に課した命令はたった一つだけだった。翻って、それに反する行動をとれば男は物言わぬ死体へと戻る。とはいえ先日倒れた際、医者に口説く叱られてからは、男に身の回りの世話を多少は許すようになっていた。
    「誰かの形を取った幻影が見えるのは、それを見たいと思う誰かがいるからだ」
     博士と共に過ごす時間が増え、男は博士を取り巻く状況を少しずつ理解していった。この大地が抱える問題を解消するために、博士の力を必要としている者が多くいること。そんな博士を支えるものも、共に歩むものも多くいること。その一人として、博士の隣にいた龍がいたこと。そしてそれを失ったこと。
     いずれも、今の男には関係のないことだった。
     今の男にとって重要なのは、博士と、博士が課した命令と、博士が与えた名前と、それから――
    「――」
     まだ眠っている博士が、譫言のように誰かの名前を呼んだ。
     それは自分の名とよく似た響きをしているが、しかし決定的に違うことを、男はもう知っていた。

     ***

    「もっと早くにこうするべきだった」
     クルビアと呼ばれる地で同胞との再会を果たしてから、博士を構成する歯車は決定的に破綻することを決意したようだった。博士は論文をかき回し、呪文のように何かを演算し、何かを思いつくと手元の紙が足りなくなると壁でも床でも関係なしに数式と文章の混雑した何かを書き連ねるようになった。一度夜中に目を覚まし、切れたインクの代わりに、万年筆で割いた肌の傷口から溢れる血を使おうとして以降、男は博士の寝室にも付き従うようになった。それを見て嗤うものは、当然彼らのそばにはもういない。
    「何をしようとしているんですか」
     博士の目に嵌った宝石が光を増すにつれ、博士からは生気が失せていくようだった。
    「機械仕掛けの私を作る。戦闘の指揮に特化した私を。私を演算し続ける私を」
    「どうしてそんなことを」
    「この大地を滅びから救い続けるためだ。私にはもうそれしかない」
     男は、龍がどうして博士の元を去ったのかを知っていた。博士を守るためだ。それがこの大地を救うためだったのか、それとも博士を救いたいからだったのかは、男にはわからない。博士はきっと知っていて、気づかない振りをしている。多くの人がそう呼ぶように、博士はこの大地で最も聡明な人間の一人だろう。しかしその聡明さは、博士を救ってくれはしない。
     もっと早くにこうするべきだった、と博士は再び呟いた。か細い声は、けれども血を吐くような悲痛さで綴られており、それは男にはもう流れていないものだった。だから胸が軋むのも、ただの錯覚に過ぎなかった。人格や記憶は失われたら二度と戻らず、記憶や感情が残留することはあり得ないと、男は身をもって知っているのだから。
    「そうすれば、君を失わずに済んだ」

     ***

    「――行くのか」
     博士が自らを完成させるまで、あと幾ばくもなかった。
     それを阻んだのは、かつての博士の敵であり味方だった。彼らがどのような思惑で博士を止めようと思ったのかは一筋縄では語れないが、あまりに危険だという点で意見は一致していた。しかしその妨害も博士にとっては計算の範疇であり、彼らが攻め入るころには、博士はロドスと呼ばれた方舟を一つの迷宮として完成させていた。出ていくことは容易いが、攻め落とすことは困難だ。
     その最奥で、博士は今も演算装置と成ろうとしている。
     この大地を救うための、機械仕掛けの神へと。
    「行きますよ」
     男は医者に答えた。医者は迷宮の入り口に立っており、それは王の墓所の番人のようだった。
    「何のために」
     ――博士。
     だって。
    「博士に、これを返さないとなりませんからね」
     それはあの日、自分が僵尸として意識を持った日に、博士から渡されたものだ。
     君が預かっていてくれ、と。
     それは佩玉だった。価値もわからないほど古びたそれには、いくつかの傷と、そして言葉が刻まれている。正面には但思善悪、裏面には無問吉凶、――それから。
     博士ではない、あの人の名前が。
    「あの人は、神様になんかなっちゃいけませんよ」
     無機質な鉄と血の通わない理性と合理で構成された神は、確かに救いをもたらしてくれるのかもしれない。もう何かを過つことも、何かを失うこともなく――あの人だって、もう傷つかずに済むのかもしれない。
     それでも。
     あの人が機械になるというのなら、それは自分が死体に戻るときだ。
    「あの人には――心があるんですから」
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    はるち

    DOODLEロドスでダンスパーティーが開かれるのは公式というのが良いですね
    shall we dance「あなたには、ダンスはどのような行為に見えるかしら?手を相手の首元に添えて、視線を交わせば、無意識下の反応で、人の本心が現れるわ」

    踊ろうか、と差し出された手と、差し出した当人の顔を、リーは交互に見た。
    「ダンスパーティーの練習ですか?」
    「そんなところだよ」
    ロドスでは時折ダンスパーティーが開催されている。リーも参加したことがあり、あのアビサルハンター達も参加していることに少なからず驚かされた。聞けば彼女たちの隊長、グレイディーアは必ずあの催しに参加するのだという。ダンスが好きなんだよ、と耳打ちしてくれたのは通りがかりのオペレーターだ。ダンスパーティーでなくとも、例えばバーで独り、グラスを傾けているときであっても、彼女はダンスの誘いであれば断らずに受けるのだという。あれだけの高嶺の花、孤高の人を誘うのは、さぞかし勇気のいることだろう――と思っていたリーは、けれどもホールの中央で、緊張した様子のオペレーターの手を取ってリードするグレイディーアを見て考えを改めた。もし落花の情を解する流水があるのならば、奔流と潮汐に漂う花弁はあのように舞い踊るのだろう。グレイディーアからすれば、大抵の人間のダンスは彼女に及ばないはずだ。しかしそれを全く感じさせることのない、正しく完璧なエスコートだった。成程、そうであれば、高嶺の花を掴もうと断崖に身を乗り出す人間がいてもおかしくない。
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