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    人間のロナルドがいなくなった町で生きる吸血鬼半田の話

    青空を仰ぐ「半田はさ、将来吸血鬼になるのか?」
    高校の教室での休み時間。いつもつるんでいる友人の一人にそんな事を言われ、半田は少し驚く。
    「……いきなり何だ」
    「ダンピールって親の血を貰うと必ず吸血鬼になれるんだろ? だったら半田もなるのかなあって思って」
    デリケートな話題を目の前の眼鏡を掛けた男は平然と持ち出してくる。元からの性格もあるだろうが、それが言えるだけの仲である事は確かだ。現に半田は特に不快に思う事も無くその問いに答えた。
    「そうだな。いずれはそうする事も視野に入れている」
    半田にとって一番身近な吸血鬼である母親、あけみはとても大切な存在だ。その母親を未来まで守り続ける為には、同じ寿命を持たなけれればいけないと考えた事もある。
    半田の言葉に、すぐ横で聞いていた銀髪の男が話に加わった。
    「もしそうなったら、俺らがじいさんになっても半田は見た目そのままだったりするのかな」
    「さぁ。吸血鬼って年齢がどの程度で固定されるかも不明だから、案外一緒にヨボヨボになるかもしれないぞ」
    「お前はどんなに歳をとっても平気でカメラを持って走り回ってそうな気がするな」
    「確かに」
    「お前ら俺を何だと思ってるんだよ」
    最初に話題を振ってきた眼鏡の男が苦笑する。
    笑顔でふざけた事を言い合えるこの空間が、半田は嫌いでは無かった。好きと言うには少し恥ずかしい、でも楽しいという事は認めてもいい場所。
    そんな想いを表に出す事無く、半田は話を終えようと少し大きめの声で話を続けた。
    「とにかく、今は決めていない。それだけだ」
    吸血鬼になるか否か。それは半田の人生において大きな選択の一つだ。だからこそもっと先、大人になって両親とも話し合ってから決める事だと思っている。
    半田の言葉に二人はそれ以上深く聞いて来ることも無かった。元々何となく話題をふっただけだったのだろう。すぐに次の小テストの範囲や昨日の面白かったテレビ番組の事に話が切り替わっていく。高校生活の中でもよくあった、ありふれた思い出の一つ。
    それが色褪せた記憶になってしまったのは、一体何時からだっただろうか。

    半田が目を覚ますと、そこは実家の自室だった。ベッドから立ち上がりながら夢の事を考えるが、どうして今になってあんな昔の夢を見たのかは分からない。違和感を胸に抱えたままリビングへ行くと、そこには母であるあけみが色の違うストールを二本両手に持ちながら唸っていた。
    「おはようお母さん」
    「あら、桃ちゃんおはよう」
    半田の声にあけみはストールを持ったまま笑顔で振り返る。
    「昨日は仕事で遅かったでしょ?まだ寝ていてもいいのよ」
    「いや、丁度目が覚めてしまったんだ……お母さんはもう出掛ける時間だろう?」
    母親の眩しい笑顔を見て心が穏やかになるのを感じながら、半田は会話を続ける。たしかあけみは今日、編み物教室の友達と会う約束があった筈だ。半田の言葉にあけみは困った様に眉を下げる。
    「そうなんだけど、どっちにしようか決まらなくて……桃ちゃんはどっちが似合うと思う?」
    そう聞かれたが、半田にはどちらの色もとてもよく似合っている様に思えた。その気持ちを素直に伝えると、やだわ桃ちゃんったら、とあけみは照れた表情を見せる。そしてもう一度見比べた後で片方のストールを首に巻いたあけみは、鞄を手に持ち準備を終える。
    そして最後にチェストに飾られた写真立てに向かって嬉しそうに話しかけた。
    「それじゃあいってきます。白さん」

    半田桃の母親、あけみは吸血鬼であるが、父親の白はごく普通の人間だった。吸血鬼へと転化する素質の無かった白は、人間としての寿命を全うし、安らかな顔でその生を終えた。最愛の夫が旅立ち、小さな肩を震わせながら泣く母親を一人にしたくない。その一心で半田は吸血鬼になる事を決めた。
    今まで武器としていた探知能力が弱まった上、完全に人間としての種族から離れてしまったが、吸血鬼対策課は半田をそのまま一人の隊員として扱ったし、周りの親しい人々からの態度が変わる事も無かった。
    そんなダンピールだった頃の半田を知っている人間は、もう皆この世を去ってしまった。
    お菓子好きな赤毛の副隊長も、心労が溜まっていそうな緑髪の後輩も、決闘を繰り広げた女編集者も、カメラを手にスクープを狙っていた悪友も、もういない。
    半田が生涯をかけて倒すべき敵だとしていた赤き退治人も、随分前にいなくなっていた。





    半田は『ロナルド吸血鬼退治事務所』と書かれたドアの前に立ち、ノックをしてからノブに手をかける。
    「邪魔するぞ」
    ドアの向こうの応接室は半田にとって見慣れた場所で、その中央に置かれたローテーブルの上には茶菓子のクッキーが用意されていた。
    視線を感じ、右横に目線を落とすと、赤い帽子を被った帽子掛けが静かに半田を見ていた。
    「久しぶりだな、メビヤツ」
    半田が帽子越しに撫でると、単眼の帽子掛けは何も音を発する事も無く目を閉じた。
    「やあ、いらっしゃい。今回も時間ぴったりだね」
    そんな声と共に、奥から人影が現れる。手にティーカップとポットを持ったその人影、此処の現在の主である吸血鬼ドラルクは薄く笑って半田を出迎えた。足元には使い魔であるジョンが付き添っており、半田を見るとヌン!と元気よく挨拶をした。
    「今日の土産だ」
    そう言いながら半田が持っていた紙袋を差し出すと、ジョンは全身で喜びを表しながら近寄り、袋を受け取る。
    「今日は生クリームどら焼きだ」
    「じゃあ冷蔵庫に入れておいた方がいいね。ジョン、つまみ食いは駄目だぞ」
    ヌーヌ、と主人の言葉に生返事をしながら、ジョンは奥の部屋へと向かって行く。
    「ありがとうね半田君、ジョンは君の土産を楽しみにしているんだ。けど、いつも持ってくるの大変じゃないかい?」
    「構わん。俺も貴様らには世話になっているし、経費で落ちるからな」
    「ああ、一応これ視察って名目だもんね」
    ポットとカップをテーブルに準備しながら、ドラルクは苦笑した。

    恐るべき吸血鬼ドラルクの監視。昔ヒナイチが行っていた任務は半田に引き継がれ現在も継続して行われていた。一か月に一回程度こうやって事務所に赴き、ドラルクと茶を飲みながら近況を話す程度の簡単な仕事。しかし様々な吸血鬼と繋がりのあるドラルクの話は吸対にとって有益な情報も多数含まれており、半田の重要な仕事の一つだった。
    ソファに座り、淹れてもらった紅茶を飲みながら半田は周りを見回す。ただの賃貸物件だった筈のこの部屋は、あの退治人ロナルドの事務所として有名になり過ぎていた。彼の死後も赤の他人に貸し出される事は無く、同居人であったドラルクが契約を継続し、今では馴染みの吸血鬼やロナ戦のファンが度々訪れる場所となっている。
    ロナルドが家主であった頃から殆ど変わらない部屋は、半田にとっての思い出の場所となっていた。

    「さて、今日は何について話そうかね」
    半田とジョンの分の紅茶を淹れ終えたドラルクは半田の向かいへと座る。
    「何でもいい。お前がどんな内容の話をしても、きっちり報告書にまとめる事は出来るからな」
    「相変わらずだなあ……それじゃあ、この前現れた吸血鬼三代目リンボーダンサーの事だけれど」
    そうやってドラルクは他愛のない世間話を始める。最近ここに来た吸血鬼の事、新たに街に出現した変態の事、個性の強い退治人達の事。半田もただ聞いているだけでは無く、自分の近況を話したりもする。母親であるあけみの事、上司まで年下になってしまった吸対の仲間達の事。途中からは戻ってきたジョンも加わり、クッキーを食べながら楽し気に話をする。最初に口元に付いていたあんこはすぐにクッキーの滓で上書きされた。
    現在に過去の思い出を少し加えながら進む会話はとめどなく続いていき、気が付くと二杯目の紅茶がすっかり冷めてしまっていた。淹れなおそうとするドラルクを手で制し、半田が言う。
    「今日はこの位にしておく。これからパトロールの時間だからな」
    「またパトロール? 君結構階級高かっただろう。そういう人ってもっとデスクワークばかりのイメージがあるんだけど」
    「俺が自分からやりたいと引き受けているんだ。元々この街で困っている人を助ける為に吸対に入ったんだからな。書類ばかり見ているのは性に合わん」
    「出世欲が無いなあ」
    「何とでも言え。それで、次も一か月後で大丈夫か?」
    そう聞くと、ドラルクは少し視線をさ迷わせた。
    「あー、うん。それは大丈夫なんだけどね。それに関する事で一つ君に言っておかなきゃいけない事があって」
    本当は最初に言うべきだったんだけど、と前置きしたドラルクは、視線をしっかりと半田に定めて言った。
    「今度ね、このビルを取り壊す事になったんだ」
    半田は目を大きく見開く。しかしそれも一瞬の事だった。すぐにいつも通りの表情に戻ると、カップを手に取り冷めた紅茶を一口飲む。
    「……そうか」
    その一言が全てだった。ドラルクは首を傾げながら、半田へと尋ねる。
    「それだけ? 君はもっと何か言ってくると思っていたんだけど」
    「俺に何か言う権利などないだろう。それにこのビルの築年数を考えれば、十分予想出来る事だったからな」
    「……オータムの人達の手が加わっていたから普通のビルよりは頑丈だったんだけど、流石にこれだけの年月が経つとね」
    そう言いながらドラルクは横に座ったジョンの頭を撫でる。ヌー、と寂しそうに鳴くジョンを見ながら、半田はドラルクへと尋ねた。
    「工事はいつからだ」
    「二か月後、だから来月は大丈夫だよ。再来月はもう引っ越しを終えている頃かな」
    「お前達の引っ越し先は決まっているのか」
    「取り敢えず栃木の実家に帰って、また別の場所でジョン達とのんびり暮らすよ。お祖父様に頼めば新しい城とか作ってくれそうだし」
    気になるのかい? と聞くドラルクに半田は頷いて返す。
    「当然だ。例え此処が無くなろうとも視察の仕事は続けなければならないからな」
    「うわ、真面目……まあ、この街は知り合いも多いしいきなり遠くに引っ越す事は無いよ」
    「なら良い」
    淡々と会話は続いていく。一番動揺しているのは、先程まで嬉しそうにクッキーを頬張っていたジョンだろうか。ドラルクの元を離れて半田の足元まで転がり、ヌーヌーと何かを訴えかけている。
    「安心しろマジロ。土産は必ず持って行ってやる」
    半田の言葉を聞いたジョンは訴えるのを止めてゆっくりと主人の元へと戻っていった。半田は訳が分からず首を傾げる。
    「どうしたんだそのマジロは」
    「ジョンにも思う所が色々あるって事さ」
    膝の上で丸くなるジョンを撫でながら、ドラルクは薄く笑う。それ以上詳しく説明する気は無い様だった。
    「君の答えが聞けて良かったよ。なら来月は……また、今日と同じ日でいいかな」
    ジョンの様子が少し気になりはしたが、強く追及する程では無い。そう判断した半田は残っていた紅茶を一気に飲み干す。
    「ああ、もし変更になったら連絡する」
    そしてソファから立ち上がり、座りジワのついた制服を手で軽く払った。
    「それでは、また来月」
    「うん、パトロール頑張ってね」
    ジョンを抱えたドラルクに見送られながら、半田は事務所を後にした。

    「……はあ」
    足音が完全に聞こえなくなってから、ドラルクは顔を顰め溜息をつく。半田の前では隠していた感情を感じ取って、丸くなっていたジョンが主人を元気づける様に鳴いた。
    「うん、私は大丈夫だよ。ジョン……来月には何とか出来るといいけど」
    使い魔には優しい言葉を返しつつも、ドラルクは険しい顔でドアの向こうを睨みつけた。



    半田はまた夢を見ていた。とはいえ今度の舞台は眩しい光が差し込む高校の教室では無く、暗い病院の一室だった。
    半田が着ているのは吸対の制服で、部屋の中央にはベッドが一つだけ置かれている。半田の足は自然と動き、そのベッドに近付いていく。そして横たわっている人物を上から覗き込んで見た。
    薄暗い中でも分かる銀色に輝く髪、整った顔立ち、瞼は閉じているので瞳の色は分からなかったが、恐らくは澄んだ青色をしているのだろう。病院着を着て目の前に眠っているのは間違いなくロナルドだった。
    間違いなくロナルドだと頭では理解しているのに、半田は心の中でそれがロナルドだと認めたくない自分がいる事に気が付いた。
    (何故だ、この顔は間違いなくアイツだ)
    半田は窓からの月明かりしか無い部屋でもう一度男をよく観察する。すると、何故一目で分からなかったのかが不思議な位、男が怪我だらけな事に気付く。頭や首、腕と病院着から覗く肌の多くが包帯やらガーゼで覆われており、更にはその隙間から見える肌には深い皺が刻まれていた。
    (本当に、これはロナルドなのか?)
    肉厚さが損なわれ骨が浮き出て見える指。一回り程小さくなった身体。見れば見るほど気付いてしまう事実に、半田の胸がざわめき始める。
    目の前のロナルドは、この男は、傷だらけの老人は、果たして本当に眠っているだけなのだろうか?
    そんな考えが頭を埋め尽くし、男から目を背けようとした所で、夢は終わりを迎えた。

    自室のベッドで目覚めた半田は慌てて上体を起こし、今までの内容が全て夢だった事を理解すると大きく息を吐いた。顔に滲む脂汗を拭いながら、荒れた息を整え、周りを見回す。特に変わった様子も無い殺風景な自分の部屋だ。昔はそこら中の壁にロナルドのポスターを貼っていたが、何年か前に引っ越した際、全て外してそのまま物置に保管したままになっている。自分が持っていたポスターの表情とどうしても一致しない夢の男の顔を思い出しながら半田は拳を握りしめた。
    あの病院の夢を見るのは今回が初めてでは無い。過去を思い出した時によく見るその夢は、半田の記憶と人から聞いた情報が複雑に混じり合って出来た様に思えた。

    年老いてからも現役の退治人として活躍していたロナルドは、亡くなる数年前にとある事故に遭った。吸血鬼によって壊された建物の崩落に巻き込まれそうになっていた子供を身を挺して助けたのだ。結果ロナルドは全身に瓦礫による怪我を負い、一時意識不明の重体にまでなったらしい。その後驚異の回復を遂げたものの足に麻痺が残って退治人を引退、後任の退治人育成やロナ戦の執筆をしていた様だが、数年後に風邪をこじらせて他界した。人間の寿命としては少し短い位の人生だった。
    葬式は生前の本人の意思としては質素に済ませたかったらしいが、周りの人間や吸血鬼がそれを許さず、葬式らしからぬ賑やかな場となったらしい。
    「皆泣いていたけど笑ってもいたよ。あいつとしてもその方が嬉しかったんじゃないかな」
    後日、友人であるカメ谷は半田にそう伝えてくれた。
    怪我をしたロナルドを見舞いに行く事はおろか、葬式にすら出席しなかった半田に、わざわざ教えてくれるとても優しい友人だった。



    「先輩、どうしたんですか?」
    その声にハッとし、半田は声のした方へ顔を向ける。急に立ち止まった事を心配したのだろう、半田より幾分か背の低い吸隊職員が不安そうな表情を浮かべていた。
    「すまん、勤務中だというのに」
    「いえ、でも体調悪いなら早めに言ってくださいね」
    半田より何十歳も若い新人の職員はそう言って笑顔を見せた。監督する立場の自分がこんな事ではどうするのだと、半田は自分を叱咤する。後輩に並び、新横浜の夜の街を再び歩き始めた。
    年月が経ち、住む人間や建物が変わっていっても、この新横浜での吸血鬼の在り方は殆ど変わっていなかった。時折大きな騒ぎが起こる事はあるが、基本的に平和に騒がしく違う種族同士の共存生活が続けられている。吸血鬼にとっては百年足らずの歳月など、そう大した時間ではないからかもしれないが。
    吸血鬼対策課も組織の規模は大きくなったが仕事内容に大きな変わりは無い。今日の半田は新人の職員の教育も兼ねて街をパトロールしていた。
    「俺、実は小さい頃に半田先輩に吸血鬼から助けてもらった事があるんです。その時の先輩が凄く格好良くて、だから吸対に入るのが夢で、しかもこうやって先輩と一緒に働けて本当に嬉しいんです」
    以前、吸対に入った理由をそう語った後輩は、今、半田の横を張り切った様子で歩いている。
    (まるで出会った頃のサギョウみたいだな)
    もっともあの後輩がそういう顔を見せていたのは最初だけで、すぐさま自分を呆れた顔で見る事が多くなったが。そうやって懐かしさに浸りそうになった頭を半田は横に振った。最近こうやって過去を思い出す事が明らかに増えている。今は目の前の仕事に集中するべきだと思った直後、近くの路地裏から男の悲鳴が聞こえてきた。

    「あら、久しぶりね」
    後輩と二人で路地裏に駆け付けた半田が見たのは、地面に倒れ呻く男と、少し離れた場所に立つ長い黒髪をもった女の吸血鬼だった。女は半田を見ると、平然とした様子でそう話しかけてくる。
    後輩に男を介抱するよう指示をしながら、半田は女へと話しかける。
    「……にく美さん、貴女がやったんですか」
    「そうよ、その男が気に入らなかったの」
    女、アベックにく美はフンと鼻をならし、応える。彼女の能力は物、人問わず対象を振り回す事に特化した恐るべき念能力だ。半田は最悪の事態を想定しながら、刀の柄に手をかけた。
    「そんな理由で一般人をむやみに攻撃するのは」
    半田がそこまで言った所で、情けない悲鳴が辺りに響く。慌てて後輩の方を確認すると、倒れていた男が土下座をしながらにく美とそして何故か後輩に向かって何度も頭を下げていた。
    「すいません! もう能力悪用したりしないんで! だからもう勘弁して下さい……!」
    涙混じりの男の訴えを聞き、半田はにく美の方へ再び顔を向ける。にく美は男を指差しながら吐き捨てる様に言った。
    「その男が魅了の能力を使って、女の血を吸おうとしていたからぶっ飛ばしてやったのよ。女の方は能力が解けてすぐ逃げたみたいね」
    半田は警戒を解き、刀の柄から手を離しながら大きく息を吐いた。
    「それを最初に言って下さい……」
    「私には声すらかけなかったくせにね、この男」
    人助けはあくまで結果であり、そちらが彼女の行動の大きな理由なのだろう。にく美が発する暗いオーラに怯える男にどうやら逃げる等の反抗の意思は無い様だった。
    半田は路地裏に入る前に呼んでおいた応援の警察官が駆け付けてきたのを確認しながら、にく美へと丁寧に話をする。
    「にく美さん、経緯はどうであれ貴女には調書の為に一緒に署まで来てもらう必要がある。御同行願いたい」
    「面倒臭いわね……でも、そこの彼がエスコートしてくれるならいいわよ。私好みのなかなかのイケメンだわ」
    そう言って後輩を指差すにく美。驚き、慌てた様子の後輩に目配せをしながら、半田は言葉を続ける。
    「あいつはまだ新人で何か貴女の気に障る事を言ってしまうかもしれない。俺で我慢してくれないだろうか」
    半田の言葉ににく美は少し考えた後、薄く笑って言った。
    「……そうね、半田君も昔と変わらずイケメンだから許してあげるわ」

    駆け付けた警察官のパトカーで犯人と後輩を先に署へと帰らせ、半田自身は慣れ親しんだ新横浜の夜の街を、にく美と歩く。
    彼女に合わせるため少しだけ速度を緩め、不快にさせない程度の会話を続けるのは少々骨が折れたが、それでも昔からの思い出話が出来る時間は半田にとってそう悪くない物だった。
    「半田君は今でもあそこに行っているの?」
    途中、にく美がそう尋ねてきた。最初は何処を指しているのか分からなかったが、ロナルド君のと言われ頷き、言葉を返す。
    「ああ、月に一回ドラルクの視察に行っている」
    「視察? あんな所にまで行かないといけないなんて、吸対はよっぽど暇なのね」
    気持ちは理解出来たが、吸対の名誉の為にも半田は重ねて理由を述べた。
    「今あそこはドラルクやロナルドとゆかりのある吸血鬼のたまり場になっているからな。情報収集には結構役立っている」
    「へえ、そうなの。なら私も今度暇つぶしに行ってやろうかしら」
    「……行くなら早めに行っておくといい。再来月にはあのビルを取り壊すそうだからな」
    半田の言葉を聞いたにく美は少しだけ言葉を止め、またすぐに続けた。
    「そう、寂しくなるわね」
    「ああ」
    素っ気なくも感じるにく美の一言に半田は同意する様に頷く。しかしその後に続けられたにく美の言葉に半田は首を傾げる。
    「貴方はそれだけじゃ済まないでしょうけど」
    「どういう意味だ?」
    「だって貴方……」
    そこまで言った所でにく美は言葉を止め黙ってしまう。暫くしてから再び口を開き、何でもないわと素っ気無く言い放った。
    「な、何故いきなり」
    「煩いわね。私にそこまで教える義理は無いって事よ」
    にく美の態度を疑問に思いつつも、彼女の機嫌を損ねたく無かった半田はそれ以上深く追求する事はしなかった。
    「……煩い男は嫌いだけれど、寡黙過ぎるのも考えものね」
    にく美が小さく呟いた言葉は隣の半田に届かず、結局署までの道程で再び事務所の話題が出ることは無かった。



    前の来訪から丁度一ヶ月後、半田は再び事務所のドアの前に立っていた。どなたでもお入り下さいという古ぼけた看板を見るのもこれが最後かもしれないと思うと、胸が少しだけざわつく。
    それを無視して、半田は軽くノックをしてから鍵のかかっていないドアを開けた。
    「邪魔するぞ」
    「やあ半田君、いらっしゃい。いつも本当に時間ピッタリだ」
    ドアを開けた半田をそう言って出迎えたドラルクは珍しく最初から応接室に居た様だった。先月と何ら変わらない姿を見ながら土産の入った紙袋を差し出す。
    「今日の土産だ」
    「ありがとう」
    しかし、いつもと違って嬉しそうに土産を受け取るジョンの姿はそこには無い。
    「ごめん。ジョンは今日、使い魔の集まりで栃木の城に行っているんだ」
    明日には帰って来るんだけどね、と申し訳無さそうに笑うドラルクの言葉に、半田は先月のジョンの様子を思い出す。
    (マジロはこの事を伝えたかったのだろうか)
    幸い今日買ってきた土産は焼き菓子なので、ジョンの口に入る前に痛んでしまう事は無いだろう。しかし、あの必死な訴えはそんな物では無かった気がする。そもそもジョンが居ない事をドラルクは何故半田に事前に伝えなかったのだろう。
    (まあいい)
    疑問は膨らむばかりだが、わざわざ追及する程の意思は半田には無かった。ドラルクへ直接土産の袋を渡しながら言う。
    「そうか。なら後で渡しておいてくれ」
    そして半田はいつもの様に右下へと目線を向け、そこである事に気付く。
    「メビヤツはどうした」
    ロナルドを大切に想い、また想われていたであろうあの帽子掛けの姿が見当たらない。行方を訊ねながら辺りを見回す半田に、ドラルクはあっさりと言った。
    「栃木の城に連れて行ったよ。早めに引っ越しておいた方が楽だからね」
    「……そうか」
    よく見ると、メビヤツ以外にも部屋の家具が何点か無くなっているのが分かった。着実に、先月ドラルクが言った事が形となって表れている。それを感じ、半田は目を細めた。
    そんな様子をドラルクはじっと見つめていたが、何も言うことは無かった。
    そこからは先月と同じ様にドラルクの淹れた紅茶を飲み、近況を報告したりしながら話に花を咲かせる。もう何十年も行われてきたこの集まりも今日で最後だ。
    (違うな)
    最後では無い、もうドラルクからは新しい住所も聞いているので、来月からはそこに行って同じ事を繰り返すだけだ。それなのに、半田の中から最後だという意識が消えてなくなる事は無かった。
    「さて、半田君」
    暫く話を続けた頃、唐突にドラルクか切り出した。
    「この場所で君と話すのは今日が最後になるんだけど、実は君に一つ言っておかなきゃいけない事があってね」
    「何だ急に」
    わざわざ畏まって言うドラルクに半田は眉を顰める。
    「急では無いよ。ずっと君に言おうと思っていたんだけど……言っていいのかすごく迷っていてね」
    煮え切らないドラルクの態度に少し苛立ちながら、半田は続きを促す。
    「何故、迷うんだ。言いたいなら言えばいいだろう」
    「まぁ、そうなんだけど。言ったら君絶対怒りそうだから」
    「はあ? まさか人間へ攻撃の意思がある吸血鬼を匿っているのか」
    「流石にそんな事はしてないんだけど」
    一体何を隠しているというのか。もったいぶって中々喋ろうとしないドラルクを半田は睨みつけた。
    「早く言え」
    「うーん、怒らない?」
    「内容による」
    そりゃそうだよね、と笑ったドラルクは一度咳ばらいをし、足を組み直してから半田へと言葉を掛けた。

    「ロナルド君から、君への遺言についてなんだけど」

    瞬間、半田は目の前のテーブルを大きく叩いた。カップが揺れ、中身が少しソーサーへと溢れる。音に驚いて砂になったドラルクに手を伸ばし、その一部を強く握りしめながら、半田は声を荒げた。
    「……どうして今まで言わなかった!」
    半田に再生を止められ、砂から戻れないままの状態だというのに、ドラルクは酷く冷静に言葉を返した。
    「だって君、私に何も聞かなかったじゃないか」
    「それはっそんな物があると知らなかっただけで……」
    「へえ。じゃあ何でロナルド君が怪我をした時に来なかったの? 彼が危篤の時も連絡したのに? 葬式に顔でも見せてくれれば、私だってこんな長い間黙っていようなんて思ってなかったよ」
    畳み掛ける様なドラルクの言葉に、半田はたじろぐ。顔を歪め、押し殺した声を漏らす。
    「それは……すまなかったと思って」
    「嫌だなあ半田君」
    多少蠢きながらも砂から戻る気配の無いドラルクは、饒舌に言葉を続けた。
    「私はね、謝って欲しい訳じゃ無いんだよ。別にそれはどうでもいい。ただ気になるんだ、どうして君がロナルド君に対しての全てを捨てようと思ったのか」
    「……捨ててなどいない!」
    再び半田は強くテーブルを叩き、カップがガシャンと不快な音を立てて揺れた。
    「俺は! 別に捨ててなど……!」
    「そうだね。君は捨てる事すら選べずに逃げた、と言った方が正しいのかな」
    「なっ」
    ドラルクの言葉にのけ反る程驚いた半田の指の間から砂が零れ落ちる。砂はすぐにソファに座る吸血鬼の形を取り、半田をじっと見つめる。普段の楽し気な様子など微塵も無い、真剣な表情。
    怒っている、半田にはそう見えた。
    「……ねえ、半田君。聞かせてくれないか、君がずっと隠してきた本心を」
    「俺の、本心」
    ドラルクに問われ、半田は胸を押さえながら考える。本心も何も全てを半田はさらけ出して来たつもりだった。

    父がいなくなって悲しいと泣いた。
    愛する母と共に居たくて吸血鬼になった。
    カメ谷が、友人達がいなくなって寂しいと思った。

    (ならロナルドに対してはどうだっただろうか)

    「……分からない」

    半田の口からポツリと、言葉が零れる。

    「ただ、こわいと思ったんだ」

    ロナルドは半田にとって特別な存在だったが、それ以上では無いと思っていた。いざその時が来たら父親を見送った時の様に悲しみ、友人として寂しさを胸に抱えながらも母親と共に生きていけると思っていた。けれど、ロナルドが意識不明の重体になったと聞いた時、急にこわくなったのだ。無理矢理にでもロナルドを吸血鬼にしてしまいたいと思い、吸血鬼になった事を一瞬でも悔やんでしまった自分がいたのだ。

    ずっとロナルドの傍にいたいと願う位、大きくなっていた自分の想いを認めるのがこわかったのだ。

    半田は自分の胸を押さえ、ソファに深く座りこむ。それは喪失の痛みであり、本当ならロナルドが死んだ時に受け取っていた、半田が何十年も隠そうとしていた物だった。
    (本当に厄介な感情だ)
    ただ隠していた本心を口にするだけで、こんなにも胸が痛み、涙が滲んでくる。ロナルドから距離をとる事でこの痛みを軽くしようなんて、到底無理な事だったのだ。
    「……半田君」
    俯き、嗚咽を漏らす半田にドラルクは声をかける。先程までとは違い穏やかな声だった。
    「正直ね、結構怒っていたんだよ。この数十年、君があまりにも普通に振舞ってみせるものだから」
    だからちょっとからかってみたんだ、ごめんね、と言われ、半田は胸を押さえたまま呻く。あれをちょっとしたからかいで済ませるとは、やはりコイツは性格が悪い。
    「吸血鬼として人間と関わる以上、その痛みから決して逃れる事は出来ない。だからといって最初から無いものとして蓋をするのはどうかと思ってね」
    半田は最低限の言葉しか口に出していないのに、まるで全て分かっていて、それに対するアドバイスを返してくるドラルク。
    「上手く言葉に出来なくても、恐ろしくても、我々は長い時間をかけてそれらと向き合っていかなきゃならないんだから」
    「それは、お前もか」
    溢れる涙を拭う半田に、ドラルクは頷いた。
    「そりゃそうさ。その痛みを抱えているのが君だけだと思うなよ」
    そう言われ、半田は愛する母の顔を思い出す。
    「……そうか。それもそうだな」
    決して消える事の無い胸の痛みは、ドラルクの言葉でほんの少しだけ和らいだ気がした。
    「……それでロナルド君の遺言についてだけど」
    「は?」
    和らぐどころか予想もしなかった言葉に一瞬痛みを忘れ、半田は勢いよく顔を上げる。
    「それ、は……貴様の嘘では」
    「はー? 私がそんな悪質な嘘つく訳無いだろう。ちゃんとロナルド君から受け取っているとも」
    てっきり自分を焚きつける為の嘘だとばかり思っていた半田は、呆然とする。そんな半田を見ながら、ドラルクはあっさりとロナルドの遺言を口にした。
    「『言いたい事は沢山あるけど、今はいい。今度会った時に直接言ってやる』だってさ」
    笑っちゃうよね、直接言えないから遺す言葉なのに。そうおどけるドラルクだが、その眼差しはとても優しい。そう言った相手を懐かしんでいる様だった。
    半田は、その言葉を自分の頭の中で反芻しながら目を閉じる。少しだけ色褪せた思い出の中で笑うロナルドが、そう言っているのを想像してみた。
    「ははっ」
    思わず声を上げて笑ってしまった半田に、ドラルクは怒っている、というか五歳児が拗ねている感じだったよ。と付け加えて言う。あまりにも想像通りの姿に半田は再び笑い声をあげ、つられてドラルクも笑った。
    ひとしきり笑い終えた後で、半田はドラルクへ感謝の意を告げる。
    「ありがとう。お陰で今後の目標が増えた」
    「それは良かった。けど、それが叶うのは随分先になりそうだねえ」
    数百年かそれともそれ以上先だろうか。しかし半田は不敵に笑いながら、堂々と言い切った。
    「俺が、その程度でアイツの事を諦める訳無いだろう」
    ドラルクは再び笑い声を上げ、確かに、と小さく呟いた。



    半田は自宅の玄関で靴を履き、少し気合を入れて傍にある姿見で身なりを整える。所持品や見た目にも問題が無い事を確認した所で、部屋の奥からぱたぱたと足音が近付いて来た。
    「桃ちゃん! 急なお仕事……じゃないわね、一体どうしたの?」
    心配そうに見つめるあけみに対して半田は手に持った小ぶりな花束を持ちなおしながら、言った。
    「友達の、墓参りに行こうと思って」
    花束が揺れ、包装紙の中から鮮やかな色彩を覗かせる。
    「お友達って事はカメ谷君?」
    「いや、カメ谷では無いんだが……カメ谷と同じ位、昔からの大切な友達なんだ」
    友達、という関係は自分で思っていたよりも簡単に口にする事が出来た。あけみはまだ納得出来ていないのか言葉を重ねる。
    「お墓参りなのは分かったけど、どうしてもこの時間じゃなきゃ駄目なの? もう少し遅くなってからでも」
    あけみが心配するのも無理はない。今は丁度正午に近い時間で、外は太陽の光が地上に降り注いでいる。ダンピールの名残で日光には多少耐性がある半田でも出歩くには少々きつい時間帯だ。しかしそれを承知の上で半田は言葉を続ける。
    「大丈夫だよ。傘を差していくし、ずっと太陽の下を歩く訳でも無いし」
    「でも」
    「今日みたいな天気が似合う奴だったから、今行きたいんだ」
    「……」
    穏やかにそう言い切った半田にあけみは驚き目を丸くする。そして、一度大きく深呼吸した後で、少しだけ寂しさを含んだ笑顔を向けた。
    「そう、ならいってらっしゃい。気を付けてね」
    「ああ。行ってきます」
    大好きな母親に見送られながら半田はノブに手をかけ、ドアを開いた。


    初めての墓参りに行ったら、花を供えて、手を合わせて、それから言いたい事を全部ぶちまけてやろう。本人に伝わるなんて思ってはいない。今日は予行練習だ。いつか、本人に面と向かって言うための言葉が半田の頭の中には溢れているのだから。
    だから、首を洗って待っていろ。
    遠い遠い、それでも確実に先にある未来を見つめる様に、半田は空を仰ぐ。
    透きとおる青と眩しい光が、久しぶりに近くに感じられた。


                      おわり























































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