花火それはとある夏の日の出来事。昼間に眩しく輝いていた太陽が沈み、僅かに空の淵を明るく照らす頃、木々に囲まれた草むらで黒髪の少年が一人しゃがみこんでいた。少年は両親と共にこの近くで開かれる夏祭りに遊びに来ていたのだが、その会場でうっかり二人とはぐれてしまったのだ。
そんな彼が何故祭りの会場では無くこんな薄暗い森の中に居るかというと、それにはとある理由がある。
彼は幼いながらも吸血鬼探知能力を有する優秀なダンピールであり、その力を使って吸血鬼である母親を見つけようとしていたのだ。しかし他の吸血鬼も多い喧騒の中では上手くいかず、少し人ごみから離れようと移動している内にいつの間にか祭りの会場からずいぶん離れた所に来てしまったという訳だった。
「うぅ……」
少年は怯えながら辺りを見回す。人間よりきく夜目も下等吸血鬼でさえ探知出来る力も今は少年の恐怖心を煽る要因でしかなかった。
「おかあさん……お、おとうさぁん……」
届くはずが無いと思っていても、少年の口からは大好きな両親を求める声が漏れる。すると声に反応したかのようにすぐ後ろの茂みが大きく揺れた。
「ひっ……!!」
引きつった声を漏らし、少年はそちらを見る。何度かガザガサと揺れた後、遂に茂みの中から大きな影が飛び出してきた。
「うわあぁ!」
「うわっ!!」
「……えっ?」
「びっくりしたー!何だよ驚かせんなよ!!」
「えっ、えっ……?」
少年と同じかもしくはそれ以上の大きさの声を上げた影はしゃがみこむ少年へと距離を縮め更に言葉を発した。
「お前も夏祭りに来た奴?何でそんな所に座ってんの?」
距離が近くなったことで影の正体が自分と同じ年頃の少年である事に気付き、黒髪の少年ははあっと大きく息を吐きだした。はねる心臓を落ち着かせる様に胸を押さえると、何も言葉を返さない事に首を傾げていたもう一人の少年の声にからかいの色がまじる。
「もしかして迷子か?」
「違うよ!」
全くもってその通りなのだが、そんな風に言われて素直に肯定するのは癪だ。咄嗟に否定の言葉を叫びつつ、黒髪の少年は目の前の彼をじっと観察した。
色素の薄い銀色の髪、くせ毛なのかその毛先はあちこちに撥ねている。近付いたからこそ分かった青色の目は、突然の大声に驚いたのかまんまるに見開かれていた。
「何だ、普通に話せるじゃん!お前名前は?オレはロナルド!」
驚きの顔を満面の笑顔に変えた銀髪の少年、ロナルドはそう問いかけた。
「ぼ、ぼくは……半田、桃」
「じゃあトウだな!よろしく!」
「……うん」
黒髪の少年、桃の控えめな返答に満足そうに頷いた後、ロナルドは再び話始めた。
「でもそっかー。知ってるのオレだけだと思ったのになー」
「え?」
「だってトウもこんな所にいるって事は、山に花火見に来たんだろ?」
ロナルドの話によると、どうやらこの山の中腹辺りに少し開けた場所があるそうだ。そこならば人混みに揉まれず綺麗に花火が見えると前々から思っていたらしい。
「本当はヒマリと一緒に登ろうと思ってたんだけどさ、アイツはしゃぎ過ぎて疲れて寝ちゃったんだ。だからオレがどんだけすごかったか後で教えてやろうと思って!あ、ヒマリってのは妹!かわいいんだぜ!」
ひたすらに元気よくしゃべり続けるロナルドの勢いに圧倒され、桃はただ頷く事しか出来ない。しかしお陰で先程まで感じていた恐怖は大分薄らいでいた。震えていた膝にも力が入り、立ち上がることが出来る。
「あ!早くしなきゃ花火始まっちまうな!どうせなら一緒に行こうぜ!」
散々一人で喋った後、ロナルドはそう言い桃に背を向け再び藪の中を突き進もうとする。
「え、どこに行くの?」
「どこって……花火見に行くんだよ。お前も一緒に行くだろ?」
ロナルドの頭の中では既に桃の目的も花火だと決まっているらしい。不思議そうに聞かれた桃はすぐに否定の言葉を口にしようとし、そしてそれを飲み込んだ。
正直、ここよりもっと人気の無い場所に行くなんて桃は嫌でしょうがなかったが、着いていかなければまた一人ぼっちになってしまう。そうすればまたあの恐怖に怯えなくてはいけない。
「うん……一緒に、行く」
一人で戻るか二人で進むか。悩んだ結果、桃は仕方なくロナルドに着いていく事を決めた。ロナルドはニカッと笑い、片手を桃へと差し出す。
「ほら、暗いしはぐれるといけないから」
恐らく先程彼が話していた妹にも普段同じ事をしているのだろう。幼い子供の様な扱いに少しムッとしたが、慣れない道を先導してくれる彼に何も言う事は出来ず、桃は手を差し出す。
桃の手をぎゅっと握りしめた手は熱く汗で湿っていたが、不快には思わなかった。
道中、ロナルドはひたすらによく喋った。自分の好きな食べ物の事、家族の事、将来の夢、今一番ハマっているテレビ番組等。それら全てをとても楽しそうに話すのだ。人見知りの桃も最初は相槌を打つ程度だったが、徐々にその明るさに絆され、自身の事を少しずつ話せる様になった。
「トウは祭り、父さん母さんと来たんだな!オレは兄ちゃんとヒマリ!あ、ヒマリってのは妹で」
「さっきも聞いたよそれ」
「花火見たらまたチョコバナナ食べたいなー!トウは何が好き?」
「ぼくは、りんごあめかなぁ」
「あー!それもいいなー!」
「ハンターマン面白いよな!オレあの歌全部覚えちゃった!飛べ!飛べ!ハンターマーン!!」
「う、歌うの?恥ずかしいよ……」
そんなやり取りを繰り返し、二人で好きなアニメの主題歌を口ずさむ程に仲良くなったのだ。先程まで恐怖と不安で一杯だった桃の心は偶然出来た友達の存在に弾んでいた。だからこそ、とある事に気付くのが遅れてしまったのだ。
「あれ……?」
気付いたのは先導していたロナルドがたびたび立ち止まり、首を傾げる事が多くなったからだった。
「どうしたの?」
「な、なんでもない!」
そう笑うロナルドだが、明らかに笑顔がぎこちない。不審に思った桃は気になっていた事を口にする。
「ここって、さっきも通らなかった?」
普通の人間よりも夜目がきく桃は自分達を囲む風景に見覚えがあった。桃の指摘にロナルドは顔を逸らし、呟く。
「……気のせいだろ」
その態度が全てを物語っていた。
「迷ったの?」
「迷ってない」
「じゃあ次はどっち?」
「…………」
「……やっぱり迷ったんじゃないか!」
桃が抗議の声を上げると、それ以上の声量でロナルドが言葉を返す。
「違うって!ちょっと……寄り道してるだけ!」
「時間が無いのにどうして寄り道する必要があるんだよ!」
「ううう……!!」
桃の言葉にロナルドがたじろぐ。弱気なその様子に桃はにぎっていた手を振りほどきながら叫んだ。
「あんなに自信満々だったくせに!本当はそんな場所なんて無いんだろ!」
「なっ……そんなウソなんてつくもんか!」
「さっきついたくせに!」
普段は家族の前でしか出さない位の大声で桃はロナルドを責める。心の中ではこんな事を言っても仕方が無いと分かっているのに、忘れていた不安や恐怖をロナルドにぶつける事しか出来なかった。
「な、何だよ!全部オレのせいにして!」
「だってそうだろ!こんな事なら最初から着いて行かなきゃよかっ……!!」
その時、ガサリとすぐ近くの茂みが大きく揺れた。二人は言い争うのを止め、音のした方に顔を向ける。
「なに……?」
「しらない……」
お互いにささやきながら茂みをじっと見つめる。そんな二人の目の前で茂みは再び大きく揺れ、直後大きく黒い影が勢いよく飛び出してきた。
「うわああああ!!」
そろって悲鳴を上げる二人に襲い掛かる、なんて事は無く、影は別の方向へ走り去り姿を消した。
「……なんだ、猫か」
一瞬ではあったものの、影の正体を視認した桃は安堵の声を漏らす。
「ねこ?」
「うん、多分野良猫だと思う」
「……そっか」
どうやら暗すぎてロナルドには分からなかったらしい。桃の言葉を聞いて何度も同じ事を繰り返し呟いた。
「ねこ……なら、大丈夫だよな」
「?」
「大丈夫……だって、ねこだもん……」
影の正体が分かってもなお緊張が解けない声と、こわばった顔のロナルドを見て、桃は自分がある勘違いをしていた事に気が付いた。
(そうか、怖くない訳じゃ無かったんだ)
出会った時からずっと楽しそうにはしゃいでいた彼も、この状況に何も感じていない訳では無かったのだ。桃と同じ様に怖がってそれを隠していただけなのだとようやく気付くことが出来た。
(それなのにぼく、自分の事ばっかり……)
先程までの自分の行動を思い出し、恥ずかしくなった桃は服の裾をぎゅっと握りしめる。
「……トウ、ごめんな、迷ってないなんてウソついて。でも、本当にもうちょっとのはずだから」
そう謝りながらロナルドは震える手を差し出し、不安に揺れる瞳で桃を見つめた。
桃はその手に触れ、今度は自分からぎゅっと握りしめる。ロナルドを安心させるように、強く優しい力で。
「……ぼくの方こそごめん」
だから一緒に行こう。桃の言葉にロナルドは唇を噛み締め頷いた。
「……ついたぁ!!」
しばらく藪をかき分けながら進んだ結果、二人は何とか目的の地に辿り着く事が出来た。ロナルドが言っていた通りその部分だけは地面が砂利で整備されており、生い茂った木も無いため星空が大きく見える様になっていた。
「あ!ほら、見てみろよトウ!」
すっかりと調子を取り戻したロナルドは桃の腕を引き、山の斜面に沿って立てられた柵の方へと連れていく。柵に手をつき見下ろしてみると、そこからは様々な明かりに彩られた祭りの様子が一望出来て、桃は思わず感嘆の声を漏らす。
「いい眺めだろ!」
「うん!」
力強く頷いた桃を見て、ロナルドは照れくさそうに笑う。
「後は花火を待つだけ……」
そうロナルドが呟いた時、最高のタイミングでひゅるるる、という大きな音が辺りに響き渡った。その数瞬後、夜空に大きな金色の花が咲いた。すぐ後に遅れてどぉん!という音も響きわたり、二人の肌にビリビリと振動が伝わる。
「すごぉい!」
「すげーー!!」
柵から身を乗り出す程に興奮した様子を見せるロナルドは半田へと顔を向けた。そして、目をまたたかせて口からポロリとある言葉を溢す。
「……トウって、もしかしてダンピール?」
花火の光に照らされ、ロナルドはようやくその事に気が付いた様だった。桃ははっとなって自分の耳と口を隠す。
今までダンピールだからという理由で苛められた事は無かったが、いつかそういう事があるかもしれないとはずっと思い続けていた。
(せっかく仲良くなれたのに……)
こんな理由で友達を失ってしまうのかと泣きそうになる半田に対し、ロナルドは先程までよりも更に大きな声で叫ぶ。
「すっげーーー!!オレ、ダンピールの友達初めてだ!!すっげえ嬉しい!!」
「……ほ、ほんと?」
「おう!……あ!だから道とかねことかもハッキリ見えてたんだな!ダンピールってすげー!!」
「え、えへへ……」
嫌われなかった事と友達だと言ってもらえた事に半田は嬉しくなってしまう。
夜空を彩る花火を横目に一通りはしゃいだ後、ロナルドは一つ咳ばらいをし、桃を真っ直ぐ見つめる。
「ありがとな、トウ……オレ、お前に会えてよかった!」
そう言って頬を緩ませ、ロナルドは笑った。
どおん、という空気の震える音と共に夜空に色とりどりの花が咲く。その光に照らされたロナルドの笑顔は、とても綺麗で眩しくて、桃は自分の胸が大きく脈打つのを感じた。
※
「…だ!半田!大丈夫か?」
聞き覚えのある声に呼ばれ目を覚ました半田は、眩しい光に顔をしかめた。花火とは違う白くて馴染みのあるそれが蛍光灯の光だと分かると、そこから一気に周りの風景が鮮明に分かる様になった。
「副隊長……か?」
半田を呼んでいた赤毛の少女、ヒナイチは半田の言葉を聞いて安心したように微笑んだ。
「良かった……もう平気みたいだな。あ、立ち上がらなくてもいい。そのまま座っていろ」
ヒナイチにそう言われ、半田は自分がベンチに腰掛けている事に気が付いた。どうやらここは屋外に設置されたテントの中らしい。
「俺は、確か夏祭りの警備をして……」
茶色い土の地面を見つめながら、半田は自身の記憶を辿る。それを補完するようにヒナイチが説明をしてくれた。
「そうだ。そこでとある吸血鬼が騒ぎを起こしてな。一般人に被害は無かったんだが、お前とロナルドだけその能力のせいで気を失っていたんだ」
ロナルド、その名前を聞いて辺りを見回すと、少し離れた場所に見慣れた銀髪を見つける。半田と同じく覚醒しきってない様子の男を同居人である吸血鬼がからかっていた。
「……その、吸血鬼は?」
「とっくにVRCに搬送したぞ。花火も終わったし、流石にもう祭りに乗じて暴れる奴も少ないだろう」
「えっ、花火終わっちゃったのか!?」
ヒナイチの言葉にロナルドがショックを受けた様に叫んだ。足元には殴られたのであろう同居人の砂が積もっている。
「残念だが二人が気を失っている間にな……さて、屋台もしまる頃だろうし私は最後の見回りしてくる。二人はまだそこで休んでいてくれ。ドラルク、行こう」
そう言ってヒナイチは颯爽とテントを出ていく。その後ろ姿をぼんやりと眺めていた半田に砂から戻ったドラルクが話しかけた。
「半田君、その暴力ゴリラの見張りよろしくね」
「誰が暴力ゴリラだ!!」
「ギャー!!貴様の事に決まっとるだろう!いいからそこで大人しくしておけ!」
再びロナルドの拳で砂になりながらもドラルクはそんな言葉を言い残し、ヒナイチの後を追っていった。
拳を握りしめて怒りの表情を見せていたロナルドだったが、ドラルクの姿が見えなくなるとすぐにその拳をほどき、頭をかく。
「……なぁ、半田。俺達花火の間ずっと気を失ってたんだよな」
「そうらしいな」
「俺、花火見てた気がするんだけど、気のせいかなぁ」
「……」
ロナルドの疑問に半田は黙りこむ。それは半田の方にもその記憶がぼんやりと残っていたからだった。
夢にしては鮮明で、現実にしては朧気過ぎるそれ。その正体を必死に考える半田の横で、ロナルドは明るい声を上げた。
「まぁ、いっか!不思議だけど花火を見た気分は味わえたし」
「……貴様、そんな結論でいいのか」
「だって考えてもしょうがねえじゃん。また来年、楽しみにしてようぜ」
そう言って、ロナルドはへらりと笑う。その笑顔に半田はかすかに胸の奥がむずがゆくなるのを感じたが、結局その正体か何かは分からなかった。
祭りの会場に向かいながら、吸血鬼ドラルクは隣の赤毛の少女に話しかける。
「しかしあの吸血鬼アンチエイジングの被害がこれだけで収まったのは本当に良かった。下手したら祭りが中止になる所だったからねえ」
「ああ。二人と連絡が取れなくなった時はほんとうにどうしようかと思ったが……どうやら子供の姿で祭りを満喫していただけみたいだしな」
頷き、笑顔を浮かべるヒナイチだったが、そこで少しだけ眉を下げ話を続ける。
「二人には申し訳ないが、出来ればもう少しそのままの姿を見ておきたかったな。あれはとても可愛かった」
二人を発見した時の様子を思い出し、ヒナイチは残念そうに呟く。そんなヒナイチに向けて、ドラルクはニヤリと笑った。
「……実はこっそり撮っておいたんだけど、ヒナイチ君データいる?」
「ほ、本当か!是非とも欲しい!」
嬉しそうにはしゃぐヒナイチを前にドラルクは自身のスマホを取り出す。そこに記録された一番新しい写真は、ベンチに座って眠るとある少年達の姿。お互いに寄りかかり眠る少年達の片手はしっかりと繋がれたままだった。