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    ロビぐだ♂とヘクマンを書きたい

    そのスタンプで救われる命があります

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    POIPOI 46

    前からちまちま以下略。
    良いモブも悪いモブも出ます。

    #ロビぐだ♂
    #パラレル
    parallel
    #鯖ぐだ♂

    ファンタジーパラレルなロビぐだ♂第3話「―――公が来るんだってよ。」




    そんな世間話が耳に入ってきたのは、東から紫のとばりが街に覆い被さろうとする時間帯だった。
    ちょうどロビンは森から街に出てきていた。麻縄や布のような市場でしか手に入りにくい必需品を買い足し、ついでに麦酒エールの一杯でも引っかけて帰る算段である。物資の調達は滞りなく済み、夕方には目論み通り酒場の戸をくぐることが出来た。
    徐々に賑わいを増していく店の片隅でジョッキを傾けるロビンの耳に、その話は偶然入り込んできたのである。

    「…………」

    こういう時に耳をそばだててしまうのはもう習性といって良い。様々な方面に敏くなければ長く旅暮らしはやっていけないのだ。不審に思われない程度に話が聞こえてきた方向へ身体を寄せる。
    話しているのはどうやらこの街の住人のようだ。小さな円形のテーブルを三人で囲んでおり、安酒を酌み交わしながら何事か話し合っている。

    「ほお、こんな田舎までお貴族様が何しに来んだ?」
    「何でもちょっとした遊興バカンスらしいぜ。」
    「はーあ、日々の暮らしにあくせく働かなくて良いご身分ってのは羨ましいこった。」

    違えねえ!と起こる談笑。そのまま話題が違う方向へ流れていったため、ロビンはそれ以上聞き耳を立てるのをやめた。酒を一口嚥下し、思考を巡らせる。
    ロビンがこうも噂を気にかけるのには理由があった。初めに聞こえた貴族、その名前に聞き覚えがあったからである。しかもあまり良くない印象で。

    長く旅人なんてものをやっていると、自ずと土地柄ごとの空気や情勢には詳しくなる。特にこの国は一つの家に連なる血族が治める王国でこそあるものの、地域によって治安や豊かさの差が激しい。管理が各領地を纏める領主に任されているからだ。近年即位した当代国王は人格者の名君だと謳われているが、その眼が隅々まで届いているかといえば怪しいところだ。領民など良くて愛玩動物ペット、悪ければ好きな時に屠殺して良い家畜同然の存在だと認識し、実際そう扱っている貴族も多いのだから。
    そしてロビンの記憶が確かならば、先に名前が挙がった人物はかなり悪趣味な部類だった筈だ。以前に訪れた街で噂を聞いたことがある。王都から見て東南にあたる地域を領土に持ち、小狡い手段で度々都からの監査を誤魔化しているとまことしやかに囁かれている。尤も評判を知ってすぐに彼の領地近くから離れたので、それ程詳しい訳ではないが。
    不安、とまではいかない些細な予感。確固たる根拠はない。ただ、虫の知らせのような直感を信じることも時には必要なのだと知っている。

    「……考えすぎなら、それで良いんだが。」

    ぬるくなった麦酒を舐めて、ロビンは誰に聞かせるでもなく呟いた。




    ◇◆◇




    噂の裏は存外にあっさりと取れた。それも酒場に寄った次の日には。

    「―――伯爵?ああ、いらっしゃるみたいだよ。暫くはお屋敷うちに滞在されるらしくて、皆その準備であたふたしてるんだ。」

    情報をもたらしたのは他でもない愛しの恋人立香その人である。
    厨番から料理の香りづけに使うハーブを頼まれたという彼は、太陽が中天を少し過ぎた頃に森を訪れた。逢引きも兼ねて共に香草を摘んでいる際、何気なく例の話題を出してみたところ先の言葉が返ってきたのである。
    確かに立香が働いているのは街の管理を任されている有力者の屋敷だ、やんごとなき客人を迎えるのは妥当といえる。

    「そうですか……」
    「うん、だからね、しばらく会いに来れないかも。お屋敷をぴっかぴかにしろって旦那様達が張り切ってるんだ。」

    そう言って立香は残念そうに眉尻を下げた。素直な感情の表出を愛しく思うも、噂が単なるデマでない事実であることには溜息を吐きたくなる。

    「……どうしたの?何かあった?」

    すかさずの案じるような声。見れば丸っこい瞳がじっとこちらに向けられている。雲一つない二対の蒼天に舌を巻いた。
    ポーカーフェイスには自信があるのに、どうしてか目の前の少年相手では上手く繕えない。惚れ込んだ相手の前でつい気が緩んでしまうのか、彼が人心の機微に敏いのか。参った、と胸中で苦笑しながら彼の問いには答えずに違う質問をぶつける。

    「……そのお貴族様、何しに来るとか聞いてます?」
    「へ?えーと、何だったかな……ああそうだ、狩りがお好きだからそれでもてなすって話してたような……」
    「……へえ。」

    抱いていた予感がますます現実としての強度を上げた。可愛い恋人の前でなければ舌打ちの一つでもしていたところである。

    緑深い土地ではままある文化だが、上流階級の間では娯楽としての狩猟が嗜まれる。ロビンにとって狩りは日々の糧を得る手段だが、貴族には優雅なスポーツ扱いだ。しかも地道に獲物の痕跡を探すところから始まる訳でもない。予め包囲した地域に手負いの動物を放ち、それを追うのである。怪我で弱った生き物を集団で追い詰める行為のどこが伝統的で格調高いのか、親の顔すら定かでない流れ者には欠片も理解出来ない。

    「……もしかして。」

    ついロビンが思考に耽ってしまった間に、立香は立香で推論を出すに至ったらしい。複雑な表情で問いかけてきた。

    「……狩りってこの森でやるよね。そうしたらロビンには、困ったことになっちゃう……?」

    そうだよね、たくさん人が入るから森も荒れるよね、と納得したように続ける。一人で頷いている彼にロビンは目を瞬かせた。

    「ああ俺、ごめん、全然思い至らなくて……」
    「いや、それもある。それもありますが、そうじゃなくってですね……」

    勝手に推論からしょぼくれだそうとする少年に待ったをかける。
    立香の言はあながち的外れでもない。事実厄介なことこの上なかった。地元の人間でもないはぐれものアウトローが体制側の人間に関わると碌なことがないのだ。今までなら滞在が予期出来た時点でとっとと撤収作業に取り掛かっている。
    けれど今は、そう簡単に判断を下せない理由があった。

    「……別の土地に居た時、そのお客人について嫌な評判を聞いたもんですから。」

    そう前置きして、ロビンは気がかりの根拠を話した。
    聞くところによると、件の貴族は大層“狩り”を好むという。
    それが普通の作法のもと行われるならそこまで噂が立ちはしない。話題の伯爵が嗜むのは酷く特殊なものだ。
    通常、狩りの対象に選ばれるのは実施する場所近辺に生息している獣達である。中にはわざわざ異郷の動物を仕入れて放すこともあるようだが、それは余程資産を唸らせている金満家のすることだ。敢えて比較するならば伯爵の趣味はもっと安上がりで、もっと残虐だった。

    罠と弓矢、猟犬に追い詰められ、追い立てられる憐れな獲物。例えばそれは野兎、鹿、狐、猪――――――そして、人間。
    の伯爵は自分の領民をも狩猟の道具に数えるのである。

    選ばれるのは何かしらの罪人。しかしながら真偽は疑わしい。恐らく謂われなき咎で放り込まれた者もいるだろう。何せ裁判官の席でさえその気になれば金で買える。例えどんな非道がなされようと、糾弾の声をあげる者がいなければ罪は罪として成り立たないのが現実だ。周囲の口を塞ぐだけの力があれば悪徳の花は咲き誇る。わざわざ伯爵が遠方まで足を延ばしたのも、恐らくは人道主義を掲げる王の目を気にしてに違いない。

    「オレぁ所詮風来坊。危なくなったらケツまくって逃げりゃあ良いだけの話ですが、アンタはそうもいかんでしょう。」

    言いながらロビンは傍らのなだらかな輪郭に手を伸ばした。まろみを残した頬に薄らと付着した土埃を拭い、眉をしかめる。
    人肌の温度は指に馴染んで心地好い。柔らかな温もりはただ愛おしく、これが損なわれるなど想像するだけでぞっとした。よくも気安く触れてくれたものだと、いつかの暴虐を思い出して怒りが反芻される。

    ――――本当は、このまま攫ってしまいたいと幾度夢想したことか。少年を無碍に扱う輩共の近くから、誰も知らない遠い地へと。酷な環境に愛しい者を置いておきたくないと思うのは当たり前のことだろう。
    けれどそれはあくまでロビンの欲求に過ぎず、立香の―――少なくともそれらしき要望が瑞々しい唇から零されたことは一度もなかった―――願いではない。それに現実を鑑みれば、実行に移すには越えねばならない障害が幾つかあった。情熱だけで腹が膨れるようなら世話はないのだ。
    ただ、諦めるつもりは毛頭なかった。そんな生半可な想いで立香を抱きしめた訳ではない。確かに機会は今ではないだろう。だが、今ではないだけだ。いつか必ず己は彼の手を引いて塀の外へと連れ出す。最早確信めいた予感がロビンにはあった。

    「……そのお貴族様が来てる間、オレは暫く此処を離れようと思います。けど、そこまで遠くへ行くつもりはありません。そいつらが帰ってほとぼりが冷める頃には戻ってきますよ。だからどうか気をつけて。その手の連中に目をつけられると、とんでもない厄介ごとに巻き込まれるかもしれねえですから。」

    触れていた手をそのまま頬を包み込むように滑らせて、じっと見つめる。今日も澄み渡る二つの水面には案じる表情の己が映っていた。

    「……心配されてたのは、俺の方だったのか。」

    面映ゆそうな声音を伴い、黒い睫毛が蝶の羽ばたきのようにひらめく。唇をはにかむ形に綻ばせた立香は額をこつんとロビンのそれにくっつけた。鼻先が触れそうな距離で恋人達は見つめあう。

    「……ありがとう。ロビンも気を付けてね。」
    「ええ、お互いに。」

    甘やかな声にロビンの表情筋が緩む。暫しの沈黙の後、唇が重なったのは自然なことだった。




    ◇◆◇




    それから暫くの間、二人に顔を合わせる機はなかった。片や本人が言っていた通り言いつけられる用事に追われ、片や多忙な恋人に遠慮しながら撤収作業あとかたづけに手をつける、そんな日々が数日続いて。本来ならロビンの方はそこまで長引く作業ではないのだが、如何せん妨害の手が入ると上手くいかない。何せ目敏い妖精達森の野次馬共が早速気付いて不思議がり、つがいはどうしたのかとこぞって袖を引くのだから。その度にロビンは妖精が好みそうな―――具体的に述べると木の実やら小さな菓子やら―――を遠くに放ることで対処する羽目になった。

    邪魔をかわしながら準備を済ませ、明日には出発しようと決めたのは細い三日月の晩だ。
    ロビンはここ暫く塒にしていた場所で、最後の焚き火を起こしていた。木の幹に背を預け、夜空を見上げる。梢が擦れ合う隙間から今宵の空模様が見えた。
    今にも折れそうな程痩せた月は、まるで誰かが紺色の紙に爪で傷をつけたよう。森に投げかける光も白くか細く頼りない。救いはまだ雲が出ていないことか。儚い月の代わりに散りばめられた星々が、己こそ主役とばかりに輝きを放っている。
    きっと明日の朝はよく晴れて、野道を歩きやすいだろう。出来れば離れる前に立香の顔をちらとでも見ておきたいが。ぱちぱちと小さく爆ぜる炎に恋人の顔を思い浮かべていた、そんな時。

    「…………?」

    ぴく、と片眉が跳ねる。反射的に身を起こし、すぐ側に用意していた水を焚き火にぶち撒けた。断末魔をあげて息絶える火。恨みがましく上る煙には一瞥もくれず、ロビンは周囲を見渡した。
    暗闇が統べる夜の森は無明ではあれど無音ではない。風鳴り、葉擦れ、川のせせらぎ、虫の羽音、蝙蝠の羽ばたき、梟の鳴き声、獣の息遣い、己の心音。むしろ雑多な音に満ち充ちている。その中でも森に生まれて育った血筋の、そして天性の狩人としての感覚は微々たる違和いわを捕まえた。

    ―――何か、否、誰かがこちらにやって来る。

    そう感じ取るが早いか、長革靴ブーツは地を蹴った。
    拠点周りの地形は頭に入っているし、生まれつき夜目は利く性質である。どれくらいの助走をつけてどの位置から跳べば、自分の頭より上に伸びる大木の枝を掴めるか。頭の中で計算機を弾き、実行するくらいは造作もない。そのままの勢いと膂力で樹木に乗り上がる。
    足元がしっかりしたことを確かめ、ロビンは気配を察知した方角を睨むように注視した。
    “それ”は殆ど勘に近い。けれども直感が物を言う場合もあることを経験上知っている。だから息を潜め、注意深く辺りを探った。

    ふと、睥睨する緑のまなこに何かが入り込む。捉えたものの正体を見極めようとロビンは目を凝らした。
    ほの明るいものが木々の隙間からちらちら見える。恐らくは灯り、それも小さな手提げ照明カンテラか何かだろう。揺れる光源の頼りなさと鳥や獣が騒いでいないことから集団でないのは一目瞭然だ。
    件の“狩り”のための下見だろうか。それなら本当に明日の朝には発たなくては、と思うも、すぐ違和感に気づく。
    下見に来た使用人ならもっと不規則に、覚束ない足取りで周囲を見て回る筈だ。だが、それにしてはあの光はあまりに迷いなく、真っ直ぐに近づいてくる。

    どこへ。

    ロビンの拠点・・・・・・まで。


    そう思い至った刹那、ロビンは樹から飛び降りた。難なく着地し、自ら思わぬ来訪者のもとへと走る。

    ただでさえ暗く、その上月明かりすら乏しい夜の森。林道ですらない道をそれでも辿って来れるとしたら。つまり目的地までのおおよその方向と距離を理解しているということで。

    そして、ロビンが弱みたりえる仮住まいの位置を教えた相手はたった一人。



    「…………リツカ!」


    呼んだ名前は確信を以て響いた。揺らめく灯りが一度止まり、先程よりも速度を増して寄ってくる。そのうち木立の隙間から姿が顕になる。目立たない茶色の粗雑な外套。古ぼけたそれを纏った人影が一直線に駆けてくる。


    「―――――ロビン!!」


    走った拍子にはらりと被ったフードが落ちて、隠れていた容貌が見えるようになった。他の誰と見紛うものか。王妃の宝石箱にさえ比類なかろう蒼玉を零れ落ちそうな程見開いて飛びついてきたのは間違いなく立香当人だった。

    「どうしたんですこんな夜更けに!」

    一心不乱に翼を広げた小鳥のような少年を抱き止めると、彼はロビンの胸元でおもてを上げた。大抵は明るい表情を崩さない童顔。それが今にも泣き出しそうに歪んでいる。大きな瞳には涙の膜が張り、ちょっとつついただけで決壊しそうだ。明らかにただ事ではない。

    「どう……どうしようロビン!俺、俺……!」

    至近距離で見た立香の顔色は暗がりの中ですら分かる程青く、ロビンの服を縋るように握り締めた手は少し震えている。彼が動揺の中にあるのは見て取れた。

    「落ち着けリツカ、一体何が……」

    宥めようと肩に手を置いた時、漸く別の視線に気付く。
    立香が駆けてきた方向、その辺りに乱立する木の影に誰かが立っていた。少年と同じような質素な生地のケープを纏い、所在なさげに佇んでいる。フードを被っているため細かい造作は分からないが、スカートとその下から覗く痩せた足首が少女であることを示していた。彼女はロビンの注目を受けて肩をびくりと揺らし、それでも小さく一礼する。

    「……リツカ、あのお嬢さんは?」
    「あ……」

    落ち着かせついでに訊ねれば、立香がはっと我に返った。他人の存在を思い出したからだろう、一瞬気まずそうに眉根を寄せ、それでもすぐに立て直して口を開いた。

    「……あの子は俺の仕事仲間の一人。」

    言いながら目を伏せる少年。曇る面容からロビンはろくでもない災禍が彼らに降りかかったことを察す。実際彼の口をついて出てきたのは予感を肯定する内容だった。



    「ーーーー俺達、逃げてきたんだ。お屋敷から。」








    立香の同僚だという少女も交えて聞いた、事の顛末。年若い少年少女を夜の森に走らせた理由それはロビンが思った通りろくでもない事態だった。

    街で一番の名家の主人には、二人の娘と一人の息子がいる。
    教育の成果か、はたまた生まれ持った性根の問題か。彼ら彼女らも両親と同じく権力を笠に着た連中であるらしい。立場が下の者には何をしても良いのだと本気で考えているような、鼻持ちならない部類の人間。特に後継ぎとして甘やかされた息子はその傾向が酷く、使用人に手を上げることも珍しくないという。
    そしてこの男の暴挙を立香が目撃したのが事の始まりだった。

    今夜の立香は使用人小屋に帰るのがいつもより遅くなっていた。言いつけられた仕事量が多く、片付けるのに時間がかかってしまったのである。
    ところが灯りの落とされた薄暗い邸内を足早に歩いていると、微かな物音が聞こえた。気になって注意深く探してみれば、音の発生源は普段あまり使われていない物置で。鼠でも入り込んだのかと思ったが、近づくと何やら口論のような声が混じっている。
    誰かが喧嘩でもしているのだろうか。それは良くない、と立香は扉を薄く開けて中の様子を窺い見た。
    だが目にしたのは想定よりもっと酷い光景だった。
    初めは暗いのと雑多に置かれた物の陰に紛れているせいで何が起こっているのかよく分からなかった。しかし暗がりに目を凝らし、情景を認識した立香は、見えたものが何かの間違いであれと強く思うことになる。
    物置に居たのは二人。まず共に屋敷で働く小間使いの少女、そして件の息子である。男はドアに背を向ける形で華奢な身体に覆い被さらんとし、少女は出来得る限り抵抗しているように見えた。

    立香が目撃したのは、雇う側の人間が使用人の娘を襲っている光景だったのだ。

    扉の前で硬直していた時間は決して長くはなかっただろう。ただ、その数秒間に立香の思考は千々に乱れた。驚愕、混乱、動揺、身分、道徳。様々なことが脳を交差して過っていく。

    そんな時、少女と立香の目があった。

    入口を背に立つ男に対して彼女は扉の方を向いている。だから目撃者の存在に狼藉者より早く気付けたらしい。いっぱいに見開かれた両目には涙の膜が張り、今にも堰を切って溢れだしそうだった。榛色はしばみいろの瞳を染める絶望と恐怖。血の気の失せた唇ははくはくと開閉し、音にならない懇願を紡いでいた。
    縋りつく眼差しと怯じ惑う表情。彼女は間違いなく、助けを求めている。

    そこで、覚悟が決まった。ロビンからすれば、決めてしまったというべきかもしれない。

    立香は扉の陰から飛び出し、主人の息子を背後から横に薙ぎ払うように突き飛ばした。不意をつかれた男が対応出来ず転倒した隙に少年は少女の手を掴む。彼女の脚は一瞬混乱と躊躇を表すように止まったものの、通りの悪い怒声が響くのよりも先に走り出した。
    耳障りな喚き声に背を向け、二人は廊下を、裏庭を、路地を駆ける。勝手口近くの納屋に野良作業用の外套が掛けっぱなしになっていたのは幸いだった。擦り切れた布地のくすんだ色合いは夜闇に紛れるのに都合がいい。
    そうやって人目を忍び、暗い森の獣道を記憶だけを頼りに辿り、何とかここまで逃れてきたという。



    「……そうでしたか。」

    話し終えた少年の肩をロビンは労わるように手のひらで包んだ。服の上からでも骨の位置が分かる痩身。こんなに細い体に比して降りかかる難事の何と多いことか。やるせなさに歯噛みする。
    しかし立香は小さく首を横に振ってロビンの手を丁寧にはがした。

    「……俺よりもあの子の方が大変だったよ。どんなに怖かっただろう……」

    そう呟いて少女の方を振り返る。彼女は相変わらず少し離れたところで佇んでいたが、立香が手招くとおずおずとした足取りで近付いてきた。
    距離が縮まるにつれ、少女の容姿がはっきり視認出来るようになる。フードの隙間から覗くくすんだ金髪にやや垂れ気味の大きな瞳。丸っこい鼻の頭から頬にかけてそばかすが薄く浮いているが、顔の造作自体は悪くない。野暮ったい垢抜けなさを差し引かずとも充分可愛らしいと評せる見目だ。まさに素朴で可憐な田舎の町娘、といった風情である。―――だからこそ目をつけられてしまったのだろう。
    少女は小さく唇を噛み、身を横に半歩ずらした。ちょうど仕事仲間の背に半身を隠すように立つその姿は怯えた兎を連想させる。
    立香はそんな彼女を痛ましそうな眼差しで見やってから言いづらそうに唇を動かした。

    「坊ちゃん、怒鳴ってたんだ…………『お前達も豚にしてやる』って。」

    彼の舌で不安げに綴られた内容がロビンの眉間に皺を寄せる。額面通り受け取るだけなら意味の通った言葉ではない。だがその怒声を背中に投げつけられた立香は血の気が引いたことだろう。何故ならその語句がどういう意味を孕んだものか、今の立香は知っているのだから。

    「迷惑かけてごめん、でも、頼れる相手がロビンしか思いつかなくて……」

    蒼い瞳が罪悪感と責任感の狭間で揺れる。伏せた睫毛を震わせた恋人の姿に、ロビンは堪らなくなって小さく唇を噛んだ。
    道義に基づいて判断するならどちらに非があるかは明白だ。狼藉を働こうとしていた男から少女を少年が守った、ただそれだけの単純な話。だが立場や権力という見えない枠組みは、時としていとも簡単に善悪の秤を引っくり返す。少なくともあの街で彼らがどんなに身の潔白を叫ぼうが届きはしないだろう。一つの家の都合で全てが決まるための土台が、既にあそこでは築かれてしまっている。
    だから大抵の住民は他人の不幸に目を瞑り耳を塞ぐのだ。下手に同情して災難が自分達にまで降りかかるのを防ごうと。それは正しくはないが仕方のないことでもある。綺麗事だけで人生を送れるのはほんの一握りの人間だけだ。自身の生活を第一に考えるのは生存を本能とする種として当たり前の行動である。

    少年の行いを短慮だと切って捨てるのは容易い。
    けれど、そこで駆け寄る選択をするのが己の愛した彼立香なのだ。


    「……むしろオレ以外の誰を頼るつもりですか。」


    だからロビンは笑ってみせる。これ以上彼が気に病むことのないように。利害を度外視して動いてしまう気性が、誰かの窮地を見過ごせない底抜けのお人好しさが、悪癖などでは決してないと伝えるために。

    「もしも頼ってくれなかったら拗ねちまうところですよ。」

    軽薄を装うのは得意分野だ。大袈裟に肩を竦めてやれば張りつめていた空気が僅かに和ぐ。無意識だろうが少年少女の強張っていた表情が少しだけ緩んだのを見てロビンもまた隠れて息を吐いた。ここまで神経を尖らせ続けていただろう頭を一撫でし、角度を意識してやや下を向く。そうすれば自ずと伸ばした前髪が顔の半分を隠すのだ。


    「……オレが、何とかしてみせますから。」


    声音は軽く、口元は笑みを刻む。外面を取り繕うのには自信があったが、それでも立香にはあまり見せたくなかった。彼ならばロビンの眼の底に滲み出るものに気づくやもしれなかったから。





    ◇◆◇




    翌日の朝、町で一番古い屋敷でちょっとした騒ぎが起こった。
    下働きをしていた使用人が二人、行方をくらましたのだ。彼らの行き先を知る者は誰もおらず、見当すらつけられない。
    窃盗を働く現場を見咎められ逃げ出したのだ、と主張したのは家長の息子だった。唯一の目撃証言であることや男の立場からその発言は全面的に事実として扱われた。
    当主により捜索が命じられたものの、結局邸内どころか街のどこにも二人の姿は見つからなかった。怒り狂う息子は見つかるまで探せと怒鳴ったが、その命令は次の日には早くもうやむやになった。それどころではない非常事態が起こったからだ。
    前々から滞在が予定されていた貴族から早馬が届いたのである。随分と疲労した様子の使者が告げた内容に当主一家は血の気が引いた。

    こちらへ向かう道中で伯爵が何者かの妨害に遭ったという。

    事態は一行が街の少し手前、森になりかけの鬱蒼とした林を抜ける道に差し掛かった時に起こったのだそうだ。二頭いる馬車馬の一頭が突然躓いて足を乱したのである。どうしたどうしたと御者が馬車を止めて調べていると、今度はもう一頭が突然暴れ出し手綱を振り払って逃げ出した。
    仕方なく同行していた使用人の何人かが探しに行ったが中々見当たらない。それどころか探しに行った彼らさえ一向に帰ってこない始末だ。
    幾ら何でもこれはおかしい。不審に思った護衛が数人連れ立って捜索に向かうと、分け入った木々の間で身動きが取れなくなっている使用人達を見つけた。これらが事故であるならまだ大事には至らなかったろうが、彼らの腕、或いは足を絡めとっていたのは明らかに人工物で。しかもその後、別の場所で見つかった馬に射られた形跡があったことが決定的だった。
    他領から来た貴族が被害に遭う、そのうえ原因が他者からの攻撃とあらば、即ち管轄する者の責任問題に発展する。
    如何なる悪漢の仕業か、それとも魔物でも住み着いたか。どちらにせよ脅威であることに変わりはない。当主一家は勿論のこと、街の自治に携わる顔ぶれは血相を変えて調べさせた。だが調査も空しく下手人の正体は藪の中。我が身可愛さ由来の必死さを嘲笑うが如く、周辺に残されていた罠や仕掛けで負傷する人員が増えるばかりである。
    まるで妖精に化かされたようだと、薄ら寒い心地で人々は囁いた。


    やがて権力者も手こずる得体の知れない狼藉者の噂は王都にまで届き、監査役が派遣されることとなる。それを契機に地方自治の在り方に一石を投じることになるのだが―――その頃にはもう街を後にし二度と戻らなかった人間にとって、何の関係もない話である。
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    Replies from the creator

    ロビぐだ♂とヘクマンを書きたい

    DONEそれは誰も知らない、本を閉じた後のお話。

    昔呟いてたロビぐだ♂ファンタジー(元ネタ有り)パラレルを今更小説の形でリメイクしてみたものの最終話。
    てなわけで完結です。長々とありがとうございました。

    ちなみにこのシリーズの全部をまとめた加筆修正版を一冊の文庫本にして今度のインテに持っていく予定です。紙媒体で欲しい方はよろしければ。
    ハッピーエンドは頁の外側で──────復讐を果たした代償のように魔道に堕ち、死ぬことさえ出来なくなった男は、それからの長い時を惰性で生きた。
    妖精達と再び会話を交わせる程度には理性を取り戻したものの、胸の内は冬の湖のように凍りつき、漣さえ立たない。自発的に行動しようとはせず、精々が森を荒そうとする不届き者を追い払ったり、興味本位でやって来る他所からの訪問者をあしらったりする程度。
    このまま在るだけの時間の果てにいつの日か擦り切れて、消滅を迎えるのだろう。その刻限を恩赦と捉えて待ち続けることを化け物は己自身へ科した。巡る季節と深さを増す樹海を他人事として感じ取りながら、摩耗しきるまでただ無為に時間をやり過ごす日々。繰り返しでしかない朝と夜を重ねること幾百年の末。
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