レイチュリ / おそろいの夢は色違い 年の瀬、年越し、新年の幕開け、なんて言うけれど、そんなの僕には何の関係もない。そもそもこれまでの人生で関係あったことなんてあっただろうか? 思い出す限りではない。少なくとも物心つく頃にはなかった。今だって年の終わりも始まりも変わらず仕事だし?
ああ、ほら、そんなこと考えてる間に、
「年変わってるねー」
ひと仕事終えたアベンチュリンが時計を見れば、時刻はもう零時をとっくに過ぎていた。
といっても今いるのはピアポイントから少し離れた、過疎の進んだ辺境の星だ。ピアポイントのような喧騒とは縁のない、静寂を飲み込んだような星空が頭上に広がっている。
一緒に任務に当たっていた面々と苦笑いして、それから形式のような新年の挨拶を交わす。
宿へ向かう車に乗り込んでスマートフォンを開く。
メッセージアプリにたくさんの通知は付いていたけれど、開けばどれも同じ部署の面々や仕事関係の相手からのものばかり。教授からのものは、ない。
別に、期待していたわけじゃないけれど。
そもそも僕だって何も連絡してないし。
誰にするでもない言い訳を心の中で並べながら来ていたメッセージにひとつひとつ型通りの挨拶を送っていく。
返信したそばから別の誰かから送られて来るメッセージにきりがないなぁと嫌気がさし始めてアプリを閉じてSNSを開く。予想はしていたけれどそこも新年の挨拶、それから楽しそうな写真で溢れていて、なんだか遠い国の知らない誰かのニュースをテレビで眺めているときと同じような気分になる。
とりあえず新年の挨拶を打ち込む。まぁ僕は仕事なので何も楽しそうな写真はないけれど。
それをあげる頃には車は宿に到着して、暖房の効いた車内に慣れた体は再びの寒空にぶる、と震える。
肩を震わせながらスマホの画面を見れば先程の投稿にコメント通知。見れば『ふん』とひと言。
「え、」
見慣れたアイコンに思わず頬が熱くなる。
寒さに身を震わせていたはずなのに今はもうそんなことは気にならなくなっていた。
『今年もよろしく!』
コメントに返信する。ちょっとポップな絵文字を添えて。
送って数秒もせずにスマホが着信を告げる。
着信画面の名前に途端に心臓がばくばくと脈を打ち始める。慌てる指先で通話ボタンを押す。
だって着信画面にあった名前は、
「もしもし教授? あ、ハッピーニューイヤー! 今年もよろしくね~」
さっきコメント返信で言ったばかりだけどとりあえず新年の挨拶をする。
間違っても声が上擦ったりなんてしないように、いつも通り、いつも通り。
だって別に待ってなんかいなかったし。
嬉しいわけじゃ、ないし。
電話の向こうで「はぁ」と僅かに溜め息のような声が聞こえる。
「どうしたんだい? こんな時間に君が起きてるなんて珍しいじゃないか」
「新しい年の始まりに恋人の声が聞きたいと思っただけだが」
「う、」
恋人、という単語に耳の奥がむず痒いような気持ちになる。彼とそういった関係になっていくらか経つが、自分が彼のそういう相手であるということにいまだに実感が持てずにいる。
「き、君でもそんなことを思うんだね……?」
「ただの凡人に過ぎないからな。尤も君はそうではないらしいが」
「もう寝てると思ったんだよ」
「君は仕事だと聞いていたから大人しく待っていただけだ」
「そう、だったんだ」
研究や論文で忙しくしているとき以外は規則正しい生活をしているこのひとが自分からの連絡を待つ為だけにこんな時間まで起きている。
そのことに胸の奥がじわりと熱を帯びて。
もしかして同じなのかもしれない、と思った。
「待っててもいいんだ……」
「どうしてだめなんだ?」
「いや、面倒くさいかなって」
待っているのは自分だけなのだと思っていた。
だからどうしてか、それは悪なのだと勝手に思い込んでいた。口にしてしまうのは尚更。自分のひとりよがりのような気がして。
「君は僕が待っていたと聞いて面倒だと思ったか?」
「思わないけど」
「君が思わないなら僕も思わないんだ。好意を抱いている相手の声を聞きたいと思うのは当たり前だろう」
「うん、そうなのかもしれない」
たぶん。
命令以外で誰かからの何かを待つことなんてこれまでになかったし、そういうことは自分には縁のないものだとどこかで切り離していた。だからそれが当たり前なのかどうかは正直よくわからないけれど。
自分以外の人間が何を考えているかも仕事だったらちゃんとわかるのに。教授相手だと途端に正解がわからなくなってしまうのはどうしてなのだろう。
「……言ってくれたらよかったのに」
「言うのか? わざわざ? 一年の始まりに君の声が聞きたいから仕事が終わったら連絡しろと? 言えるわけないだろう」
「あはは、それはそうだ」
「まぁそんな細部まで言わずとも仕事が終わったら一報欲しいと言っておけば済む話だったんだ。君のことになるとどうしてうまくできないんだろうな」
「教授でもそんなこと思うんだ」
「当たり前だろう。君は僕を何だと思っているんだ」
だって僕の知る教授はいつでも正しい答えを持っているから。
だからすこしだけほっとする。同じような感情を持ち合わせていることに。
「で、SNSに投稿をしているということは仕事は無事に片付いたのか?」
「ああ、うん。ちょっと問題発生してこんな時間になっちゃったけどちゃんとうまくまとまったよ。明日からもう少し詳しい現地調査とか事後処理とかあるけど三日には帰れるんじゃないかなぁ」
「今は?」
「今はねー、宿の前の……外?」
「は? 早く中に入らないか。風邪をひくぞ」
「あーうん、そうだね」
でも。
頭上を見上げる。
冬のぴんと張り詰めた透明な空気。その中に宝石箱のように敷き詰められた満天の星空。
「星がね、すごく綺麗で……」
教授にも見せてあげたい、と思った。
「君が一緒だったらどれが何の星か教えてもらえたんだろうね」
「ふん」
僅かの間のあとで、程々のところで部屋に入るように、と言った声がどこか嬉しそうでもあって自然と頬が緩む。
「心配しなくても大丈夫だよ。明日からの仕事に支障が出ても困るからね」
「はぁ、全く……君の部署は年末年始という概念がないのか」
「まぁいつどこで実の成りそうな話が生まれるかなんてわからないし、タイミングを逃したら得られるものも得られなくなっちゃうからねぇ」
「仕事熱心なことだな」
「まぁね」
「褒めてない」
「えぇ……」
「はぁ……ならせめて交代制で連休を取得できるようにするべきじゃないか?」
「え、できるけど。年末年始だってほとんどの社員はちゃんと休みを取ってるよ」
「言ってなかったっけ」と言えば「聞いてない」と即答される。
「君は? 君の休みはいつなんだ?」
電話の向こうの心底驚いたような声に僕の方が吃驚している。
「特にないけど」
あっけらかんと答えれば、
「は?」
「休暇申請出してないからね」
「は……?」
僕はこの声を知っている。
教授が信じ難いものを目の当たりにしたときに出す声だ。
「だって僕は予定ないし。でないと家族や友人や恋人と予定のある人が休みを取りづらくなるだろう?」
「いや……僕は君の恋人ではなかったか……?」
「え、そうだけど。でも君今実家に帰ってるだろう?」
「そうだが……それは君が忙しくて休みが取れないと言うからそうしただけであって……僕は君の休みに合わせるつもりでいたのだが……」
電話の向こうでは、うーんうーん、と頭痛が痛いとでも言いたそうな教授の唸り声。
「まぁ家族との時間は大切にした方がいいよ。連休中はずっとそっちにいるんだろう? ゆっくりしてきなよ、君だっていつも忙しいんだから」
「なら来年は君もちゃんと休暇申請を出すことだな」
「え? なんで?」
「家族との時間なら……その、大切にしてくれるんだろう?」
「…………」
その言葉の意味を理解するのに数十秒。
「えっ」と大きな声が静寂の夜の中に響き渡る。
「答えは急がなくていいが……」
「いや、取るよ、休暇。取らせていただきます……申請通るかはわからないけど」
「な、」
言い出したのは教授の方なのに信じられないみたいな狼狽えた声が洩れ聞こえて僕は思わず笑ってしまう。
ああ、どうして今隣にいないのだろう。
教授は今どんな顔をしているのだろう。
今すぐにでも顔が見たい。
教授がくれる、胸の中をやわらかく包んで、ゆるやかにあたたかく満たしていく、この感情は何というものなのだろう。
「ねぇ教授」
「何だ」
「顔が見たいんだけどカメラ通話に切り替えない?」
「断る」
「えー、なんで」
「今見せられるような顔をしていない」
「大丈夫だよ」
だってたぶん僕も同じような顔してるだろうし。