2025ー03ー30
どこへ行ったのかを思っていた男は、バルコニーの隅に椅子を持ち出してだらしなく柵に懐いているところだった。下の広場ではなんとなく形になってきた傭兵部隊が三々五々に散ってそれぞれ訓練に励んでいる。おおよそ真剣な顔つきばかりだが、時折笑い声が響いたり、さざめきのように雑談が聞こえる。
お互いの腹の探り合いは終わって、次の段階。知ったお互いをどう生かすべきか。どう仲を深めていくか。酒の入ったコミュニケーションももちろん良いが、それより常日頃に交わす言葉や行動が、彼らを一つの組織としていく段階だ。
いちいち自分が口を出すこともない。隣に立つ人間がどのような人間かを知っておかねばいざという時に困るという事を知らぬ人間はここにはいないのだから。
ビクトールの隣に立って、広場を見渡す。下からは見えない角度だが、上からならば全体が見渡せるいい場所だ。訓練を監督するにはもってこい。だけれど頬杖をついて皆を眺めるビクトールにそんなつもりは無さそうだった。
「なにをそんな嬉しそうな顔をしてる」
世話をした花がきれいに咲いたじいさまのような、真剣な顔をして遊ぶ子供を見るような、そんな緩んだ顔だ。
「ここはもしかしたら、いい場所になるんじゃないかと思ってよ」
アナベルの依頼で作った傭兵隊だが、ビクトールはかなりギリギリまでその設立にかかわる事を望まなかった。皆はとっくに集うならビクトールのそばが良いと明言していたし、アナベルもそれを知っていた。
ビクトール一人が頷かず、それを宥めすかしてやったのはフリックだ。何が気に入らぬのかは分かっていた。
手に入れれば失うかもしれない。それでも欲しい。だが怖い。ふたたび失ったときにどれだけ悲しいか、もう見当もつかない。
その恐怖が簡単に払拭できるものではない事も承知のうえで、背中を押した。真っ当な道から外れた男が、少しでも真っ当に戻れるのならそれが一番幸いな事だ。
「最初から言ったろう」
ビクトールには必要なものだ。隣にいる誰か、おかえりと言ってくれる人間たちと帰る家。ここがそういうところになればいい。なる素質はあるはずだ。
「言ってたな。そうだな」
ビクトールは広場から視線を上げ、フリックを仰ぎみた。そしてその濃い茶色の目を柔らかく細める。握っていた柵を一度放し、わずかな逡巡のあとに握りなおした。それでも視線は離さない。
「……ありがとな」
「別になんもしてない」
ビクトールの逡巡が意味することなど分からぬが、ここが気に入ったなら何よりだ。傷が傷のままであっていいわけもない。つないだ縁を深める中にビクトールがいられるなら、本当にそれは幸いな事なのだ。
「帰ってきたな懐かしい我が家に」
故郷であるキャロの街から連れ出した三人にビクトールがまるで聞かせるように言う。家を失った子供たちが一瞬目を見開いたのが分かったが、それには触れずにまぜっかえす。
ここはビクトールの家だ。ここを家だという人間がいるという事だ。
つまり、ここを家と思う誰かに、この子供たちもなっていいという事だ。