2025-05-27
城の外に設置された兵舎で部下と話していると、ふいに皆がざわめいた。何人かが軽く手を上げ、おかえりなさいと口にする。振り返れば、一週間程いなかったフリックが兵舎に入ってくるところだった。夕日が後ろから照らして表情こそよく見えないが、旅塵にまみれていても怪我なんかはしていないようだ。
「おう、お帰り」
「ただいま」
なんの衒いもなく言って、返されれば少し面映ゆくさえ思う。
交わした言葉はそれだけで、副官連中がいなかったにどうしてもたまる仕事を抱えてやいのやいの言い始めるから一歩身を引くことにする。まだ仕事が残っているのはこっちも同じだ。
とはいえそこまで戦況が切迫していない状態ならば夕飯は普通に取れるし、風呂も冷めない内に入ることが出来るのはありがたい話だ。夕涼みをするにはちょうどいい気温で、部屋にそのまま帰るのは少し惜しい気分だ。
いや違うな。探しているのだ。満月に少し足りないぐらいの月明かりと常夜灯のおかげで手持ちランプのいらない城の中をふらふらと歩き回り、時折歩哨としゃべりながら、不自然にならない程度の熱でフリックの姿を探している。
流石にシュウへの報告は終わっているだろうから、新たな緊急の仕事でも押し付けられていない限りは俺と同じように飯を食って、風呂にでも入っているに違いない。レオナの酒場にはいなかったし、お気に入りの定食屋にもいないから風呂かな。
そう思って、来たのとは別の道を通って風呂の前に戻れば、実にタイミングが良かった。風呂の前に置かれた竹のベンチにフリックと、奴に熱心に何事かを話しかけるタイラギの姿があったのだ。
「マチルダとの交易ルート、どうにか開拓すべきなんですよ」
「お前の言う事は理解するけどさ、危ないってシュウも言ってただろ」
「マチルダ領の人たちに恩を売っといて損はないはずなんですよ」
「何話してんだ」
「ビクトールさんだって、マチルダワインがもっと安価で手に入ったら嬉しいですよね」
近づいただけで唐突に言われて、曖昧に頷いた。フリックが呆れた顔で俺を見上げてくる。
「適当な相槌やめろ。軍主が勢いづくだろ」
「言質とりましたぁ。ビクトールさんは賛成ってことで」
「なんの話だよ」
勢いよく立ち上がったタイラギは楽し気に俺の肩を小突いた。
「交易の販路の話ですよ。シュウさんがぐうの音も出ないぐらいの奴をね、考えないとね」
タイラギが交易に熱を上げているのは知っている。いろんな町をめぐり、いろんな人間と話すのが楽しくて仕方ないと言う顔をして、日々駆けまわっている。
それじゃあおやすみなさい、と半分踊るような歩調で去っていく軍主の背中を二人で見送り、同じタイミングでため息をついた。
「今回の仕事はあれがらみか?」
「全然違う。風呂場で捕まっただけ」
まだ湿った髪をもう一度わさわさとかき回しながら、フリックも立ち上がった。湯上りのいいにおいがする。
「おまえはもう風呂入ったか?」
頷けば、じゃあ帰ろうと子供を誘うみたいに言われて素直に頷いた。
一週間前なんにも変わんない顔をしている。出立前の朝に、何があったかなんてまるで忘れたか、なかったことになったみたい。
他愛のない話をしながらでも自室までそう時間はかからない。フリックの奴、本当に、俺に対しては警戒感が薄いよな。言ったはずなのにな。待ってるからって。
扉を開けて、閉める。錠をかける音は軽い。本当にただ寝るつもりだっただろうフリックを、なんも言わずに引き寄せた。湯上りで湿った肌といつもより高い体温に引っ付けて、何ならそれだけで充足感がすごい。
色気のない小さな悲鳴を上げる唇を塞ぐ。ほんの少しの距離にあるベッドまで行くのも待ちきれなかった。壁に押し付けるようなちょっとした無体だって、これだけ体格さがありゃあ簡単に出来る。
唇を離せば、ちっちゃいかわいい音が鳴った。
「抱きたい」
一週間前と同じセリフをもう少し高い湿度をこめて言えば、目の前の随分と整った顔は正直に眉を寄せた。
「お姉ちゃんとこに行けって言っただろう」
「お前がいい、って言ったはずだぞ」
お姉ちゃんのあったかくて柔らかい体も良い。単純に遊ぶだけならお姉ちゃんたちも心得ている。でも、今俺が望んでいるのは違うのだ。
首筋に軽く歯を立てて、ついた跡に舌を這わせる。俺の肩に置かれた指にぎり、と力が入ったのが分かった。
「なんか困ることあるか?」
首筋に吸いつき、細い頤を舐める。半分反射みたいにそむけた顔は月明かりでも分かるぐらいにもう赤い。
湯上りのラフなシャツの裾から手を差し入れて素肌を撫でれば、まだ湿り気を帯びた肌が手に吸い付いてくるようだ。
「シュウにも報告した。夕飯も食ったし、風呂も入った。明日は休み」
「休みなんていってない!」
「ちがうのか」
「……休みだよ!」
一週間も仕事に追われていた傭兵に休みを与えないほど俺たちの雇い主は鬼畜じゃない。少しばかり皮膚の薄い古傷を指先でじっとりと探れば、身をよじって逃げをうつ。お遊びみたいなその抵抗を押さえつけるなんて簡単だと分かっているだろうに。
フリック、と小さく名前を呼んだ。一週間、ずっと腹のそこで渦を巻くようにこいつだけ向かう熱がある。他の誰とも分け合おうと思わない、熱がある。名を呼ぶ声の熱っぽさ、欲情の色といったらどうだ。
ほかの人間には聞かせられない。こいつだけが知っている。
伸びあがって耳を噛み、もう一度、名を呼ぶ。肌に触れる掌が、こいつの体の芯が震えた様をとらえたようで知らず笑みが漏れた。
上気した頬にキスをする。距離を取りたいのか、突っ張ってくる腕のせいでわずかに距離があく。まあそんなの、大した話じゃない。真っ赤になったかわいい顔が見れて、お得なぐらいだ。
「何をそんな嫌がるかね」
「いや、っていうか……」
目を伏せ、子供みたいに尖らせた唇が俺の唾液で濡れているのがエロいな。
「は、恥ずかし……」
思いもかけないことを言われて、目を見開いた。そんな俺のリアクションが気に入らなかったのか、突っ張っていた腕が振りあがった。
「恥ずかしいだろ! お前がやる気なのも、それがちょっと嬉しいとか思うのも!」
意味が分かるまで瞬きが数回必要だった。顔が緩む。フリックはといえば、もっと顔を赤くして、殆ど涙目で俺を睨みつけた。
「バカみたいな顔して! はなせ!」
「いやなんでそれ言って放してもらえるとおもった?」
かわいい。
やりたいと思ってんのは俺だけじゃないのも、それがちゃんと伝わってるのも嬉しい。かわいい。
唇をちゅっと短く吸って、きつく抱き寄せた。ガキみたいに熱を持った下半身を押し付ければ、声にもならない声が上がってそれがまた堪らなくかわいらしい。
「かわいい」
「黙れ」
背中に回った手が俺の背中を殴るけど、そんなの痛くもなんともない。