2025-05-29
別にわざと黙っていたわけではないと誓って言えるが、なんだかだまし討ちみたいな事になったのは確かだ。
マチルダの街道沿いの小さな町でハンフリーと再会して、竜騎士のフッチが竜を得て、ミューズはもうさんざんで、騎士の奴らは誓いを破った。いろいろあったし、何よりもハンフリーは口数が少ない。言いたいことがあるのに黙ってしまうと言うよりは、特に言いたい事を思いつかないから黙っている、の方が近いと短くもない付き合いから判断していた。
タイラギにつき従った俺と顔を合わせた時も、ただ一言だけ、「生きていたのか」と言っただけだ。ほんとうにそれだけ。グレッグミンスターで帰ってこなかった俺が、こうしてピンピンしているのを確認した。生きていて良かった。そういう思いをこめて、でも一言だけ。
こいつはそういう奴だと理解している。俺にだってそう言ったんだから、あいつにだって同じ温度で言うと思うだろ。
マチルダの騎士をシュウに引き合わせたら俺の仕事はおしまいだ。俺がシュウと話している間、フッチとハンフリーは担当からさしあたっての仕事と宿を与えられたらしい。タイラギがしょっちゅう素性の様々な人間を連れてくるものだから、この辺に関してはみな慣れたものだ。
「兵舎のほうに部屋を用意していただいたみたいです」
3年前に見かけていたよりも随分と背が伸びたフッチが言う。ハンフリーも頷いた。担当官がじゃあお任せしましたよ、とばかりに次の仕事へ行ってしまったものだから、二人を案内するのは俺の役目という事になる。まあ、俺も別にやることないしな。
今まで何をしていたのか問えば、戦火を避けるように竜の話を聞きまわり、クリスタルバレーを一つの目的地として動いていたらしい。子供連れでは派手な傭兵仕事が出来るはずもなく、俺たちとはまったく違うレイヤーで行動していた結果、同じ国にいても一切情報が交差する事がなかったというわけだ。
「なるほどねえ」
「だからビクトールさんが生きてて、流石に驚きました」
ハンフリーはただ頷く。
「連絡したはずなんだけどな」
「僕らも結構早くにトランから出てしまったので良く知らないんですけど、皆さんはずっと心配してましたよ」
悪いことをした、と言う気持ちと、別に俺がいなくたってあの国はいくらでも回っただろ、という気持ち。後は。
建て増したばかりの兵舎はまだ真新しい建物の匂いがする。真ん中に皆が集まる広間があって、周りにそれぞれの部屋が配置された形になっていて、広間には大概誰かいる。
今日はフリックがいた。部下の一人となんか話してて、そいつに促されてこちらを振り向いた。フリック自身は気やすい顔で笑ったのに、フッチがまるで死人でも見たような声を上げ、俺の隣をハンフリーの影があっという間に通りすぎた。ハンフリーの使い込まれた外套が大きく広がってふわりと落ちる。近づいてきた部下が誰ですか、と耳打ちしてきたけれど、俺の耳にはハンフリーの響きのいい声しか届かない。
「生きていたのか」
俺の時と同じセリフを呟いたのに、立ち上がりかけたフリックを抑え込むように肩に乗せた掌が震えている。
生きていてよかった。生きていると信じていた。でも死んでしまったのだと思っていた。どうして今まで知らせなかった。どうして帰ってこなかった。
ハンフリーがただ一言、フリックへ投げかけた言葉は、俺への生きていることをただ寿ぐ言葉とは違い、あらゆる意味がこもっていた。
生きていたのか、と言われることには正直慣れてきていたが、生きていてほしいと望まれていたのは初めてかもしれない。
生きていてほしかったのに、そうはならなかった人がこいつらの頭の中にはいつもいる。
「すまない、何も知らせなくて」
フリックの小さな謝罪にハンフリーは頭を振って、肩まで全部使って大きな大きな息をした。
「生きていたなら、それでいい」
それ以上なにも言わないくせに、手を離すことはまだできない。フリックがハンフリーの手に触れる手付きは随分と繊細で、まるで宝物にでも触れるみたいだ。