幸せは蜜の味「あっちぃ!」
タンジェリンが台所で怒号に近い悲鳴を上げる。
俺はキッチンを覗き込んで兄弟を3度見した。
「何やってんだ?」
どうやらタンジェリンは手を軽く火傷しちまったのか耳朶を指で挟んでいる。
「あ?見りゃ分かるだろ。ホットケーキ作ってるんだよッ!」
「パンケーキの事か?」
俺はフライパンの上で黒焦げになったモノを指さす。
「だーっ!どっちだっていいだろ!」
「確かにそうだな。で、何でお前はバンケーキ作ろうとしてるんだ?」
「ホットケーキっつってんだろクソッタレ!」
頭に血が登ったタンジェリンは会話を成立させるのが難しい。俺は宥めるようにタンジェリンの手を引っ掴んで水道を捻り水で火傷の箇所を冷やした。
「お前か慣れねぇ料理をしようとしたのは分かるが、どうしてホットケーキなんか作ろうとしたんだよ」
タンジェリンは相変わらずしかめっ面のまま口を開いた。
「この間一緒に行ったレストラン、覚えてるか」
「…あぁ、…確かトラザルティだったか?」
M県S市にある杜王町に仕事で行った時立ち寄った店だ。
若いイタリア人の血の混じったクォーターのシェフがひとりで切り盛りするレストランで、不思議な事にメニューがなく客を見て提供する料理を決めるスタイルらしい。
俺達は健康そのものだから普通のコースと言われて食後のデザートとして出されたのがホットケーキだった。
薄めのパンケーキを重ねただけのシンプルなやつだったが、とびきり美味くてまた食べに行こうぜなんて話をしたんだった。
「あの時ホットケーキを喰うお前があまりに幸せそうだったからな。お前の笑顔を見れたシェフを狡いと思ったんだよ」
レストランのシェフにまで嫉妬した挙句対抗心燃やしてパンケーキを作ろうとして焦がす奴なんてこの世でただひとり俺の相棒位だろう。よっぽど俺から笑顔を引き出してぇんだろうが、俺はこいつみてぇに表情豊かじゃねぇし、いつかタンジェリンは俺の為に無茶な事をしねぇかとそっちの方が心配だった。
「で、あのパンケーキを再現しようとした結果がこれか?」
黒々とした塊はお世辞にもあの狐色に程良く焼けたパンケーキとは程遠く、お世辞にも美味そうとは言えねぇ代物で。
「ああそうだよッ!悪いか!」
けど、タンジェリンが俺の為に懸命に作ってくれた事実の方が俺は嬉しかった。
「今度のオフの日一緒に作ろうぜ」
水膨れが出来た部分に軟膏を刷り込む。
「約束だかんな。バターと蜂蜜たっぷりのホットケーキだぞ」
タンジェリンは無遠慮に俺の項を引き寄せてキスをしてきた。あの時と同じ幸せの味がした。