possessivoネアポリスの石畳の上で明らかにストリートチルドレンらしきみずほらしい格好をした少年がワゴンを引いている。
そのワゴンの中には赤い薔薇が美しく咲き誇っていて、少年は道行く人々に薔薇は要らないかと売り歩いていた。
あの薔薇は恐らく家の軒先に咲いていたやつを盗んだものに違いない。棘の付いたままのものは中々買い手が付かず少年はとぼとぼとした足取りで喧騒の中に消えて行った。
サン・ヴァレンティーノ。悲劇の聖人の命日はいつしか恋人達が愛を確かめ合う日になり、この街の人々も浮き足立ったように待ち合わせをしたり腕を組んでリストランテへと向かったりする。
彼等とは逆方向へ進みながら男はアイツも道を間違えればあんな風に寒空の下で働く羽目になっていたのかも知れないと思いを馳せる。
そんな風に考えてから、もし今もそんな生活をして明日の飯の心配する暮らしをさせるなら速攻連れて帰るに違いないと心の中で呟いた。
ほんの少しだけの慈悲で少年を追って薔薇を買ってやっても良かったが、敢えてそうしなかった。
12本だけでは足りない位男は恋人を愛していたし、その恋人が貰った薔薇を花瓶に入れて世話する姿も見たくない程惚れ込んでいた。
こんな仕様もない嫉妬心を聞いたらアイツは笑うのだろうか。
最初に惹かれたのはその能力だった。
自由自在に操れる針と糸。標的の情報すら捉え撓る釣竿は確実にターゲットの体力を奪う。糸そのものを攻撃しようものなら釣り上げられた者へ返っていく。まさに暗殺の為に与えられたスタンドだった。
だが、使う者が臆病なままでは宝の持ち腐れだ。
プロシュートはあまりにもマンモーニなその青年を立派なギャングにしようと育ててきた。
プロシュートは元々面倒見のいい男ではない。
チームの新入りで使えない奴に引導を渡すのはいつだってプロシュートの役目だった。自分の命だけならまだしもチームである以上仲間として認めるには信頼が必要だ。これまで教育してきた奴は隙あらば裏切ろうとするか金の為に自分達の情報を売ろうとするか任務でやらかしてそのままくたばるかだ。
組織に入らざるを得なかった理由などどうでも良かった。何せ暗殺チーム自体が社会のレールから外れた連中だ。彼等と同じで、青年――ペッシもまたパッショーネという濁りきった水でしか生きていけない魚なのだ。それなのにペッシは人を殺める事に酷く怯える。彼の繊細過ぎる心と向き合う内に、プロシュートはいつしか『オレが死んだらこいつは悲しみで泣くんだろうか』と涙を拭ってやる為に触れてしまいたくなった。
グレイトフル・デッドは無差別に老化させる能力を持つスタンドだ。特に直に掴んだ相手なら更に老化の進行が早まる。だからこそプロシュートは他人に触るのを避けていた。花だってそうだ。すぐ枯れてしまうものを贈りたいと思える相手など居なかった。だがペッシは別だった。
考えた時には既に行動を終えてるプロシュートは、出来ない言い訳を紡ぎ続けるペッシの唇を遂に塞いだ。仕置きだと感じたのかペッシはプロシュートを突き飛ばした。
「嫌なのか」
拒絶される覚悟はあった。
「だって、だって」
声を震わせるペッシは必死に言葉を続けた。オレが兄貴の事好きでも兄貴はそうじゃないのにバーチョをしてくるなんて、と。
思わぬ形でペッシの好意を聞かされてしまったプロシュートはそのままペッシをソファーへ押し倒してあれよあれよという間に抱いた。
そうでもしないとペッシの心が自分ではない誰かに向いてしまうのではないかと危惧したのだ。
女との行為の時ですら口にしないような台詞をプロシュートはペッシの耳元で吐き続けた。
「どうしてオレがお前にここまでするのか分かってんのか」
「オレはおまえの為なら何だってするし何だって出来る」
「オレはオメーの為に人生を捧げたっていい」
実際、プロシュートは尽くすような性格の男ではなかった。黙ってても女が寄って来るのだ。されるのが当たり前。して貰って当然。そんな価値観すらも変えてしまったのだから、ペッシと出会った時点で既にプロシュートは狂わされていたのだ。
ペッシは何でオレなのかと訊く事はなかった。
誰にも認められず誰にも見初められる事のなかった彼にとっては愛される事の悦びの方が強かったのだろう。兄ィ、と甘えたように幾度も呼ぶ姿にプロシュートはありとあらゆる欲を彼へぶつけた。
それでも受け入れてくれると信じていたから。
疲れ果てて乱れたシーツを握ったまま眠るペッシの寝顔。崩れた髪を撫で上げると小さく瞼が震えた。
起こしてしまったかと息を飲むが、目覚める気配は全くない。晒されたままの肌に服を着せてやろうとコートを拾い上げると、ポケットから造花の薔薇が落ちた。丁寧に「mio fratello」というメッセージカード付きで。プロシュートはそこで初めてバレンティーノにペッシとの初夜を迎えた事に気付いた。
あの造花はどこへ仕舞ったのだろう。ペッシが爆睡している間に捨ててしまったような気がする。
ペッシが自分の為に懸命に選んでくれた事実だけあればいい。懸命に選んだのが自分ではなく造花だというのに無性に腹が立っただけだ。
プロシュートは花屋ではなくショコラティエの前で足を止めた。アイツはきっと薔薇なんかよりチョコラータの方が喜ぶに違いねぇ。コートを翻し男は店の中へと入っていく。甘い香りが鼻を掠めた。