開眼暗い室内に、長く伸びる影。
廃倉庫を勝手に占拠し居座る影は三つ。
月の灯りだけが差し込む冷たい床に、靴底が擦れる音が響いた。
「遅いな。集合時間を間違えたか。……ゲルニカ」
「そんな筈は無い。何かトラブルかもしれんな」
「幸先が悪いぞ」
サイファー・ポールのゼロ番目。白装束を纏う三人は、中々現れない待ち人に苛々と口を開く。
「ただでさえ、ドンキホーテ・ドフラミンゴの暗殺などという厄介な任務だというのに……」
「インペルダウンの失態をこちらに回されてもな」
「そう言うな。あの男の存在はそれだけで天竜人達の不利益。そうなれば、奴の討伐は我々の管轄だ」
難攻不落の海底監獄から逃げ出したかつての天夜叉、ドンキホーテ・ドフラミンゴの行方を追って数ヶ月。
ログポースでは辿り着けない渇いた島で、その存在を確認したのは約一週間前だ。
「よりによって面倒な島に潜伏したものだ……」
「それも全て計算の内だろう、忌々しい」
「我々は表立ってあの島に関わる事は出来ないからな」
数々の隠蔽ビジネスが蔓延る非合法の島。その島の存在を黙認し、無視し続けなければならないのは、他でもない、世界政府自体がこの島の顧客だからだ。
数々の隠蔽をあの島で行っている政府にとって、あそこは丸ごとその弱味であるとも言え、上手く付き合う為には知らないフリを通す必要がある。
そんな島に脱獄したレベル6の大罪人が入り込み、あまつさえ実権を握ったとなれば、政府にとっては大きな痛手なのだ。
あまりにも早い殺害の決断は、酒鉄鉱の採掘場とこの島との癒着を闇に葬り去る為のものである。
「だからこそ、あの男の暗殺を外部に委託するというのに……。姿を現さないじゃないか」
「本当に、何か面倒ごとでも起きているんじゃないのか」
政府御用達の信頼できる機関から派遣される、暗殺専門の諜報部員。ゲルニカ達が首を長くして待っているのは正にその男だった。
島との関わりを公表できない政府関係者に代わり、ドフラミンゴ暗殺を請け負ってくれる予定である。
「あまり長い間ここに居るのも危険だな。一度、」
その時、何かを引きずるような音を聞き、ゲルニカは口を噤んだ。
廃倉庫の外側でピタリと止まる音と、明らかな人間の気配。
「……」
開け放たれた入り口で、月の光を遮る影は一つ。
白銀に輝く細い髪が、歩く速度に合わせて揺れる。
「……誰だ」
ゲルニカの声に反応も示さず、倉庫内に踏み入った女は三人の前までゆっくりと歩いた。
細い腕が緩慢に上がり、その左手で引き摺っていた大きな何かを揃いの白い革靴の前に投げる。
「何をした」
投げて寄越されたのは、待っていた男の、恐らく死体だ。
唐突に緊迫した空気にも、女の青い瞳は動きを見せない。
「殺したの」
「何故」
真っ当な感性を持ち合わせているようには見えない、人形のような光の入らない眼球。
その下で動く血色の無い唇から通らない声が漏れる。
「その仕事……私に頂戴」
白い髪、青い瞳、顔半分を覆う大きな傷跡。
僅かに覚えのあるその顔に、ゲルニカは怪訝そうに顎を擦る。
(……この女は)
サラサラと流れる白い髪が、顎あたりで揺れた。
ガクリと擡げた首の上で、眼球だけがこちらを見ている。
「何故、貴様がこんなところにいるんだ……亡国の亡霊め」
手配書で見た顔に、ゲルニカは面倒臭そうにため息を吐いた。
既に、想定の範疇外に事態は転がり出している。
そんな憂いなどつゆ知らず、ゴーストはこの世の者では無いような顔で笑うのだ。
「ドンキホーテ・ドフラミンゴを……殺す為に」
******
「あァ……暑ィなァ」
閉め切った暗い部屋で、のそりと起き上がる大きな影。
夜は寒いが、日中は暑い。
何とも住みにくい環境の島だ。
汗の伝う裸の上半身を不快そうに拭い、ドフラミンゴは襖を開ける。
パウルクレイから奪った屋敷をそのまま拠点とし、ドフラミンゴは隠蔽ビジネスの傍ら、ドレスローザで行っていたブローカー業を再開させる為に忙しく走り回っていた。
「ワカサマーッ!」
「なんだ、デリンジャー。騒々しいぞ」
「違うの!見て!」
オーク族の子ども達と一緒に大きな箱を持って中庭に現れたデリンジャーを、縁側にしゃがみ込んで見下ろす。
得意気に蓋を開けたデリンジャーは、にんまりと笑った。
「衣料品の輸送船が沖で難破したらしくて、服をたくさん積んだコンテナが港に流れ着いたらしいわよ!」
箱の中から出てきたのは、懐かしいかな、桃色のファーコートだった。
この島に入ろうとしていた衣料品ということは、十中八九、無断で作られた有名ブランドのタグを縫い付けられ、いかにも正規品のような顔で市場に出ていくのだろう。
「やっぱり若様はこれじゃない?!サングラスも探してみたんだけど無かったわ」
「フフフフッ……!そうか。ありがとよ。サングラスは注文したからじきに来る」
「なんだ。じゃあ丁度良いわね!」
本当の事を言えば、コートも馴染みのブランドに注文済みで、来週あたりには届く筈であったが、この男は昔からデリンジャーには甘いのだ。
その悪癖を享受して、自由奔放に育ったデリンジャーは、オークの子どもたちと一緒にしゃがみこんだドフラミンゴの肩にコートを掛ける。
「そういえば、死体が出たって騒いでたわよ」
「あァ?死体?そんなモン、どっかしらでいつも出ているじゃねェか」
「違うのよ」
この島の治安は悪い。
毎日覇権争いや分裂統合を繰り返す非合法な組織が跋扈し、死体など、そこかしこで上がるどころか、商品なのか殺人事件なのかを悩む始末だ。
それを、たった一つの死体で騒ぐとは、面倒事の気配を感じたドフラミンゴは、未だ借り物のサングラスでデリンジャーに視線を向ける。
「オーク達の仕業じゃないかって」
オークの子どもたちを前にあっけらかんと言ったデリンジャーは、ドフラミンゴを真っ直ぐに見上げていた。
オーク達の仕業か、違うのか、そんな事はデリンジャーにとって大した問題ではないのだ。
食われた方が悪い。それ以上でもそれ以下でもない。
「証拠はあるのか」
「どうかしら。でも、死体の周りにオーク族の毛によく似たものが落ちてたらしいわよ」
生き物に厳しいこの島には、動物は少ない。
ほぼ当たりとも言えるその憶測を真実と断定しないのは、彼らが気高い戦闘民族だと知っているからだ。
(奴らが無意味な殺人を行うとは思えんが……。殺人を犯す道理も無ェ)
僅かに不穏を帯びたこの街の雰囲気に、ドフラミンゴは顎を擦る。
そして、心配そうなオーク達の頭を撫でた。
「そんな顔をするな。フフフフッ……!血が泣くぞ。心配するな。おれも、少し様子を見てくる」
そう言って立ち上がったドフラミンゴは、久しぶりに肩で揺れるファーコートに触れる。
意外と質の良いファーに満足そうに笑みを浮かべた。
(どうせ……枯れゆくだけの街だ)
見えないところで蠢く不穏など、本来この男にとっては取るに足らない事である。
それでも、妙に曇りゆく空に嫌な予感を感じ、ドフラミンゴはゆっくりと歩き出した。
******
「オイオイ、お嬢ちゃん。こんなとこで昼寝たァ見逃せねェなァ……。オーイ、酔っぱらいか?」
野暮用を済ませた帰り道。
路地裏に座り込む小柄な女を視界に収めたセニョール・ピンクは思わずそう、声を掛けた。
細い白髪。顔半分を覆う、ケロイドのような傷跡。路地裏に積まれた木箱の影に座り込む女は、まるで、ゴーストのように生気を感じない。
「こんな所で寝てたら、ヒューマンショップに売られちまうぞ」
その瞬間、白髪の隙間で開いた瞳が青い色を宿し、しゃがみ込んで女の顔を覗き込んでいたセニョールを映した。
あまりにも、光の入らないその眼球を、セニョールは怪訝そうに見る。
「あんた、大丈夫か。空も暗くなってきた。雨は……まァ、降らねェだろうが、さっさと家に帰りな」
「……雨」
ゆっくりと動く、その青い瞳はセニョールを通り過ぎ、建物と建物の間から見える細い空へ向いた。
か細い声が繰り返すように言葉を紡ぎ、やっと、その視線がセニョールへ戻る。
「雨は……好きなのに。そう、降らないのね」
僅かに、ほんの僅かに引っ掛かりを残す台詞だ。
セニョールは束の間、息が詰まるような感覚を覚え押し黙る。
雨が好きだという女を、愛したことがあった。
バラバラと写真が散らばるように、幸福ではない記憶が頭をよぎる。
そんな、セニョールの心中など知らない目の前の女は、ゆっくりと立ち上がった。
「……おい、」
「……」
何を、言うつもりだったのか、そんなことはセニョールにも分からない。
ただ、勝手に動いた唇が無意味な音を吐き出して、立ち上がった女の瞳がゆっくりとセニョールを見上げた。
「……」
光が、入らない瞳を知っている。
既視感のある玩具みたいな瞳でセニョールを眺める女に、妙な焦燥を抱いた。
緩慢に動く薄い唇が、何か言葉を紡ぐのを、待望していたような気持ちで見た。
「お腹すいたわ……。貴方、食べ物屋さんの場所知ってる?」
Continue……