病弱江澄ss曦澄おち「もうここには来んな」
「どうして?そんな事言わないで、阿澄」
「どうしてもだ」
「明日も会いに来るから」
そう言って帰って行った彼。
綺麗な顔を歪ませてしまったけれど仕方がなかった。
小さな頃の約束は果たせそうにない。
ごめんな。
初めて藍渙…あの頃は阿渙と呼ばれていた。
出会ったのはココ。
このクラス10000の清浄な空気に囲われた箱庭みたいな小さな世界だった。
俺と同じ病の弟のドナーになるためにこの病院にやってきた彼。
小児病棟の端っこで他の患児達と混じることなく一人でいた彼はとても可愛らしい顔に不安を滲ませラウンジのベンチに座っていた。
「忘機…」
それが弟の名前だったらしかった。
何となく気になってしまった俺はその子に声をかけてしまっていた。今から思ったら笑えてしまうけれどその時俺は一目惚れをしてしまったのだった、彼に。
ふっくらとした頬にくりりと大きな目。サラリと流れる黒髪をひとつに束ねた彼をなんて可愛い女の子なんだ、って。
ここには長い髪の子は少ないからたっぶりとしたそのぬばたまの黒髪が眩しく映ったのかもしれない。
声をかけると少し驚いたような様子だったが、「こんにちわ」と応じてくれた。
そして少し話をして。
その子の不安の原因を知ったのだ。
弟を助けたいからドナーになること。でも骨髄移植をしても助からない可能性もあるということ。
「怖い…私のせいで弟が苦しい思いをするかもしれないから」
泣きそうに震えたその手に、姉さんを思い出した。"私がドナーになれたら良かったのに"と言った姉さんのことを。
「きっと大丈夫。ドナーになってくれる君の事を弟は恨んだりしない。良くなるよ、信じてあげたらいい」
「ありがとう、あなたは優しいね」
ふふっと笑ったその顔はまだ少し強ばっていたから衝動的に俺はその子の額にキスをしてしまっていた。
「元気になるおまじない。姉さんが良くしてくれるんだ」
「元気…ありがとう。あなたの名前は?私は藍渙」
頬を染めながらもニコリと笑ったその顔は先程とは違っていた。
「俺は江澄」
それが彼のと出会いだった。
遠いあの日の出来事は昨日のことにも思えた。
可愛いあの藍渙が実は男だったということを知った時は恥ずかしくて死にそうになったっけ。
"ずっと江澄と一緒にいたい"と弟が退院の日に彼が俺にそう言って、俺ももう会えないと寂しいと思ったから"元気になったら俺のお嫁さんになって?"と言ったんだ。そしたら"うん"と言ったからてっきり…
でも藍渙が男であったと知ったあとも、俺と彼の関係は変わらなかった。
時々弟と共に通院する傍ら俺に面会に来てくれた。
外の世界を色々と教えてくれる彼との会話が楽しくて。昔した約束など忘れてしまったみたいに友達としてずっと長い間過ごした。
そして、彼に告白されて付き合うようになって。
でもそれももう終わりの時を迎えようとしていた。
繰り返し再発を繰り返す中でようやく見えた治療の道。
この治療を乗り越えれば俺は未来を見ることができる。
でもそれには大きなリスクを秘めていた。
もしも俺が死んだら彼は悲しむだろう。
そう思うとその事実を知らせる勇気が俺には持てなかった。
だから何も告げずに彼の元から去ることに決めた。
明日俺に会いに来てももう俺はここにはいないから。
長い間辛い気持ちと幸せの気持ちをくれたこの小児病棟の小さな小さな世界が俺の全てだった。
箱庭のような世界、そこは俺を守り育ててくれた。でもこれ以上は無理なのだ。
もうこの体では持ちこたえられない。
光に溢れる世界にとび出てみたい。
彼のそばで未来をみる時間が欲しい。
その為に生きることに足掻くことに決めた
。
だからさようならだ。
あなたはずっと笑っていて。
綺麗なままで。
大好きだよ
ずっと
藍渙
初恋の君よ。