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    norico_nnn

    センチメンタルな話が好きです。

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    norico_nnn

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    ばじとら。いつでも其処にいてほしい二人の話。雰囲気注意の捏造小説。過去回想でモブの男子が喋ります。原作程度の死に関する描写あり。また、手すりのない屋上の縁に上がることは極めて危険な行為です。以上のことをご了承の上、お読みください。[22.11.13]

    #ばじとら
    punIntendedForAHatchet

    Moonlit night 階段の昇降口から真っ黒なシルエットがゆらりと長く伸張し、徐々にこちらへ向かって近づいてくる。ともすれば夜の巷を彷徨う幽霊にも見紛う不定で朧な外形は、距離が縮むごとに暗がりでも明瞭な輪郭を現して、とうとう肉体を有する実在の人間になった。芭流覇羅の白い特攻服に、肩にかかるほどある長ったらしい黒い髪。オレの共犯者であり親友の、場地だ。
     計ったようにオレの背後で、きっかり止まる乾いた靴音。さっき携帯で連絡し、場地を屋上に呼び出していた。無表情にも神妙にも見える面持ちで、場地は手すりのないビルの外縁に佇むオレを見上げている。ここは都内某所、そこそこ高層な廃ビルの最上階である。オレより若干背の高いこいつの旋毛を、こうして上から眺められるのはかなりのレアケースだった。
    「何の用だ」
    「抗争前に、場地の顔見ときてえなって」
     首だけを振り向けたまま、メールボックスから待ち受け画面に戻した携帯をポケットにしまう。無理に捩じ込んだせいで、空洞の奥に投げ入れておいたものが軽くひしゃげた。わざわざ家から持ち出したこの軟らかで薄いものは、明日の抗争には全くもって不要な品だ。利き手側のポケットに仕込んだナイフは刃先が鋭利かつ丁寧に磨き込まれ、ちゃんと実戦で使える準備が整っているのに。
     おもむろに襟足を通り抜ける突風に、思わず首を竦める。ビルの屋上は風が強い。四方を囲う柵がねえなら尚更だ。金メッシュにしたオレの髪はおろか、場地の黒々と重たい髪を真横から浚って持ち上げ、天高く掲揚された旗のように全体を靡かせる。そのついでにルーズに穿かれたズボンの端を凍える秋の指先で摘まんで、前科者のオレを底無しの奈落へと誘った。
    「場地は知ってる? ここでしか出来ねえ遊び。年少で教えてもらったんだけどさ」
     そう言ってその場で軽く足踏みし、外周に立ち上がった幅の狭いコンクリートの縁を歩き始めた。先に着地させた踵から爪先へとゆっくり体重を動かし、前方に重心を移していく。夜より暗い闇を貼りつけた瞼の裏、直線を透かし見る技術を要する危うい歩行は常に死と隣り合わせだ。
     左右交互に一度ずつ行い、三歩目に差しかかろうとする時点で薄目を開け、場地の様子を盗み見た。オレの一挙手一投足に釘づけの場地は、今にもオレが何かとんでもないことを仕出かしやしねえかと、瞳を逸らさず息を詰め、瞬きさえ惜しんで見入っている。
    「ビルのてっぺんに立って、目ぇ瞑ったまま歩くだけ。簡単だろ?」
     これは機材を使わない、身一つで行える簡易なチキンレースだった。閉鎖空間に停滞する退屈と倦怠とを募る鬱憤で縫い合わせたある夜、自らを特別な生き残りと称する同室の先輩が、数ある武勇伝の一つとして得々と経験談を語っていた。少年院は上下関係さえ遵守しときゃ、よっぽどまずいことは起こらない仕組みだ。興味の有無はひとまず措き、米粒のついた茶碗片手におとなしく耳をそばだてる。
     オレが最後にレースしたのは、と先輩は言った。最後にレースしたのは、よく晴れて空の澄み渡る初冬の午後だった。学生ならば本来放課後にあたる時間帯、オレはサボり仲間である高校のダチを連れて鍵の壊れたビルの屋上に赴く。それは無論、危険なレースに興じる計画を実行に移したいがためだ。
     最近じゃ法律が改正されてきたのかビルの整備が着々と進んでおり、危険防止の観点から手すりのない屋上は立ち入り禁止にされている場所も多い。しかし廃ビルにありがちな破れた柵の出入りしやすさは命を賭すレース場にはうってつけで、未だ補修されていないフェンスを見たオレは手を叩き喜んだ。この日のために一週間かけて下見をし、粗方の目星をつけておいた甲斐がある。
     屋上にはオレとダチの二人きりで、砂埃にざらつく灰色の敷地には他の誰もいない。現場入りするのは基本的に、二名というのが屋上渡りの鉄則だった。審判や観客を入れればどちらか一方に肩入れし、故意に突き落とす懸念がある。実際プレイヤーと審判が共謀し、事故に見せかけ二対一で殺す事案もあった(オレにも一度、不測の事態が起きてさ。二人の意味深な目配せで謀に気づいたオレは、中立のふりした審判共々敵を始末してやったんだ、と空中に箸を突き立てた先輩はオレ達聴衆を見回し、悠々と鼻腔を膨らませる)。
     勝負の提案に乗る輩は概してイカれており、罪悪感と恐怖心の克服はとっくに済ませている。信じられるのは自分だけ、の過酷な精神状態を乗り越えてこそ、輝かしい勝利を掴む権限があった。勝利即ち生、敗北即ち死の一線を画するコンクリートの盛り上がり、あの世とこの世の境界を無心に行き来して初めて、真の男の度量が測られる。
     その辺に転がる石でも何でも良いが、とにかく風が吹いてもびくともしない物を中間に置き、到着地点の目印とすることも忘れてはならないルールの一つだ。両者が上手くバランスを保ち足下へ転落することなく、印の手前まで無事に辿り着ければ引き分け。ただちに仕切り直し、二回戦が行われる。引き分けが三回繰り返されるとノーゲームでそのまま終了、再戦はまたのお楽しみ。対戦相手によっていくらかのバリエーションが加えられるのはしばしばでも、おおよそのルールはこのようになっていた。
     先にコンクリの突端へ上がったオレは、拳大の石を真ん中にセッティングしたダチが縁の端に乗ったのを確認した。直後、声を張ったせーのの合図で一斉に目を閉じ、試合をスタートさせる。不正防止で目隠しを互いに施す場合もあるらしいが、オレ達はダチ同士だ。それに生半可な覚悟でない、臨戦の気合いも入っている。
     目を開いている時と閉じている時とでは、時間の流れ方は大いに異なる。そろりと一歩踏み出すにしても、刮目の一秒は瞑目の一分に相当するのだ(ここで先輩は掲げていた箸を机に伏せ、プラスチックの描く直線をビルの縁に見立てる。その上へ平行に動かす人差し指と中指の歪な二足歩行で、縁を渡っていく自分自身を表現した)。意識に生じた時差が、個人の命運を分ける。自身の空間認識能力とありったけの幸運を信じ、慎重に足を動かすしかない。
     冬の冷気と神経の震撼を強力な克己心で打ち消しつつ、無心に中央へと歩いていく。焦っては駄目だし、遅くてもいけない(落ち着いて渡るためのコツは何ですか、とオレの隣に座る奴がいきなり訊いた。武勇伝を遮られた先輩はさぞかしご立腹だろうと緊張しもって窺えば、畳の縁を歩いていると想像しろ、オレはいつもそうして来たと大層満足げだ)。
     スニーカー履きの爪先に何やら固い感触を探知し、いつの間にか中央へ到ったことに気づく。勝ったか、引き分けか。最低でも引き分けを約束されたオレは、寒風に震える目蓋を持ち上げた。まずは、爪先の探り当てた石を視認する。コンクリート幅ぴったりの、少し抉れた楕円の石だ。排水溝に嵌まったこれを発見した時、オレ達より先にレースした奴がいるんだろうって笑ってたな、あいつ。
     数分前にこれを設置した奴がいるはずの前方に目線を転ずると、オレの視線は無人の虚空を切り取った。さっきまでそこにいたダチが、影も形も失っている。試合中、極限まで研ぎ澄まされた聴覚が拾ったのは、上空で唸ってやまぬ風の音のみ。屋上を吹き荒ぶ無情な風の奏鳴にオレは知る。あいつは自分が負けたとも知らず、梢を離れた枯れ葉が力なく翻るように無言で散っていったのだと。
     さすがに下を覗き込むのは憚られた。知り合ってから巡った季節はたった三つとはいえ、ダチの死体は見たくない。好むと好まざるとに関わらず、勝ち続ければ同じ数だけの敗者を目にするのは必定だ。オレは敗者が下界へ印す血塗られた証に、いつまで経っても慣れなかった。
     それでも、オレは選ばれた。見えざる手が、オレの命を掬い上げた。圧倒的な安堵と優越感を胸に、勝者は念願の生還を果たす。確固たる屋上に両足をつけ、試合前と何一つ変わらぬ空の青さに目を細める。ありがとう、さよなら。生者の傲りを一言二言振りかざし、友人を失った悲しみより、自己保存の安心感、もとい己の実存性を喜び世界に誇った。オレは確かにここにいる、ここにいるんだって。
     文字通り命懸けのレースで引き分けになった者同士など、ついぞないと聞く。勝つか負けるかの二択しか、試合の結果というものはありえない。敗者の記録は歴史のページに刻まれない。だからこそオレは少年院の後輩に最後のレース風景を繰り返し語り続けることで、若くして亡くなった友人の菩提を弔ってるってわけだ(オレ達の抑えた歓声とものすごく小さな、ほとんど空気に溶け入るエアーの拍手で、先輩の長々とした武勇伝はようやく幕を閉じる)。
     この先輩が率先して広めていたのか定かでないが、一時期、中高生がビルの屋上から転落死する事件が頻発していたといつかのニュースにあった。何があろうと自分だけは大丈夫と過信しがちな十代は、参加者に相応しい気質を充分に備えている。胸奥から沸き上がる謎の特権意識と無限の万能感に酩酊し、己の命運を天に賭けたくなる年頃なのだ。
     話を終えた先輩は未来のプレイヤーたるオレ達のため、試合に臨む際の心構えを最後に付け加えた。せっかく勝負に勝ったのに、ひどく心を病む奴がいる。知り合いの死に直面すると、人は精神の一部を損ないがちだ。どうしてそんな脆弱な神経で、命を張った真剣勝負に参加したのか。それでは生き残った者として、死んだ相手に申し訳が立たないだろう。
     机上に横たえた箸をあるべき位置に戻した先輩は、深い呼吸をしながら両腕を組み、空っぽになった食器の上で一息に言い放つ。一人だけ勝ち残ったからといって、罪悪感を荷う必要などない。お前が誘った側でも誘われた側でも、試合相手が敵でも味方でも、勝ったら絶対気に病むな。相手の敗因はお前にあらず、常に敗者自身に源がある。なぜなら、
    「カミサマに選ばれた奴は、絶っ対ぇ落ちねえんだって」
     だからオレも確信していた。オレは選ばれている。昔から神様なんて信じちゃいねえが、このゲームだけは別だ。神様とやらが勝者へ与えてくれる運に、生まれた環境による先天的な要素の差し挟まれない絶妙な単純さが興味をそそった。はっきりと目に見える形で、個人個人における運の優劣の判断がつく。オレは明日敵を倒し英雄になるのだから、前座として一人遊びをし、運試しておくのも一興だった。
     今のオレが神様に選ばれてそうな要素を数えてみる。年少で反東卍の仲間を見つけられた、収容期間を満了して無事に出て来られた、加入した芭流覇羅のNo.3に収まった、場地が東卍を抜けてオレの味方についてくれた。ほら、な。オレはちゃんと選ばれてるからいくら危なっかしく歩いたって、高所から真っ逆さまに落ちたりしない。それにたとえ、運悪く落ちてしまったとしても。
    「危ねえから、とっととそこから下りろ」
     ゲーム自体を否定も肯定もせず、人工的に煌めく数多のネオンを背後に従えた佇まいのオレを、場地はひたすらあちら側=場地からすればこちら側に戻したがる。下手に声をかければおかしな行動を取るかもしれぬと懸念していた時は過ぎ、オレの取るであろう次の動きを断固として止めに入った。へえ、心配してくれんだ。
     決然と諌める場地の口調に、生来の天の邪鬼がしきりに疼く。ここでオレが足を滑らせて落ちたら、こいつどんな顔すんのかな。目の前で闇に消えたオレのこと、一生覚えていてくれる? 漂白した想い出の中、イミテーションのオレを忘れないでいてくれる?
     そんな情景を想見しながら再び目を閉じ両手を広げ、今度は羽ばたきの真似事もする。背中から一対の翼が生えれば、オレはきっとこんな風にウォーミングアップしてから飛ぶ。空気を裂いて上下する両腕のしなり具合が大袈裟なのは、年少時代の名残だ。
     年少の塀の内側では、外の世界と関わりを持つものは鳥しか見えなかった。罪を犯し囚われた少年達の上を、何らのしがらみもない鳥が自由気ままに飛翔している。自在な旋回、軽々した浮揚は、飛行に特化した器官の巧妙に為せる業だ。オレにも翼があればあんな塀、楽に飛び越してゆけるのに。
     一刻も早く檻から出たいオレはイメトレじみた妄想を、移動や休憩なんかで中庭に出る度行った。夜には布団から突き出した両腕を消灯後の天井に翳し、たちまち羽毛の覆う前肢に変わりやしないかと矯めつ眇めつ眺め入る。マイキーに抱く憎悪と、事件の夜の悪夢、場地への追慕。それらに翼を手に入れる空想が加わって、オレの思考は満杯だった。
     地べたに這いつくばる人間が愚かしくも翼を欲する有名な歌を脳内で流したら、何とはなしに愉快な気分が掻き立てられ、スキップでもしそうな足取りになる。翼が欲しい、翼をください。完全同意の歌詞に合わせて無音で歌い、また右左と一歩ずつ進む。なんだかんだで、既に六歩は進んでいる。大きめに取った歩幅に反し耳元で揺れる不規則な鈴の音は、無情な風との共鳴だ。
     不意に足を止めて目を開き、場地の様子を窺った。視野に収まる範囲内に居座る斜め後ろの場地は、オレの移動先へ確実に着いて来ている。呼び出し当初は難渋だった表情が、オレが縁を歩くほどに怯え混じりとなっていた。小刻みな羽ばたきに軽快なステップと、鳥を模したオレの挙動にビビっている。オレじゃなく、自分が際で落ちそうになってるみてえな反応だ。オレは選ばれてっから、こんくらいじゃ落ちたりしねえよ。
     そうは言ってもいつまでも上ってるわけにはいかねえし、そろそろ潮時だ。今オレの立っている場所は、印こそねえが大体中間地点だった。ここらで下りとくか。一人遊びに見切りをつけたオレはバランスを失って一瞬傾いだふりをし、反動をつけてビルの内側へ飛び降りる。両足で平面を的確に捕らえたまでは良かったが、勢い余り、真下で待ち構える場地の胸元に倒れ込んだ。
     背中に軽く腕が回され、あらかじめ用意されていたような、妙にしっくり来る一人分のスペースに難なく納まる。場地に、危なげなく抱き留められた。再会が二年ぶりなら、抱擁も二年ぶりだ。特攻服の下に着込まれた黒シャツに自然と頬を寄せるオレの、左耳のピアスの鈴が控えめに鳴る。オレを受け止める胸元からも、被服越しの手のひらからも伝わる温みが、上半身を這う冷寒を隈なく掻き消した。
     土踏まずの強張る足の裏に、コンクリートの質感がやや痛い。しいて違和感を挙げるとしたらその一点に限られ、それ以外は全くの無傷だった。オレは場地を同じ強さで抱擁し返せるし、平面をしっかと踏み締めているし、纏う特攻服は支給された当時の清い雪白のまま。自慢したがりの先輩によって一方的に語られた都市伝説が、オレの中で確信に変わっていく。オレはやはり選ばれていて、英雄になる資質がある。
     勝利の余韻に浸るのも束の間、場地の息遣いが温かな微風となり、言語化された憂慮が耳元で響く。
    「マジで飛び降りんのかと思っただろ」
    「んなことしねーよ」
     マイキー殺す前に、オレが死んでどうすんだよ。死ぬならマイキーを殺してからだ。あいつは場地の幼馴染みで、東卍の総長で、オレの最悪の敵だった。明日の夕方には、きっちり息の根止めてやる。塀の中で無駄に過ごした年月も、テメエの命で支払ってもらうからな。
     復讐に急くオレの背中が、広やかな手のひらに撫でられる。あの夜とは些か種類の異なる抱擁、撫で下ろした後に上へ戻ってぽんぽんと肩周りを叩く一定のリズムは、オレの生きている安堵からか。寝かしつけるように、宥めるように、いたわるように、場地の手のひらは緩慢なテンポを刻む。
     柔らかな圧に伴う絶大な安心感に寄りかかり、いよいよ服地に頬を擦りつける。こうやって場地が受け止めてくれるなら、本当に外側へ飛び降りちまっても平気に思えた。不慮の転落で四肢がバラバラになったオレは、温かな場地の腕の中で何度だって蘇る。
     想像上の血で酔えば、アルコールがなくてもハイになりうる。しばし微睡んでいたオレは伏せていた顔を上げ、会話の新たな糸口を紡ぎ出す。今夜のオレはかなり饒舌だ。会話の切れ目で場地が離れて行かぬよう、必死で舌を回した。こいつが少しでも帰る素振りを見せたら、また屋上の際に立ってやる。
    「どうする場地? 明日からオレら、女子からすげえ人気出るんだぜ。東卍潰せるくらい強ぇ男だって証明すっから」
     女関係について少々疎いこいつに、ちょっとばかり詳しいオレが先輩風を吹かせて教授してやることにする。〝教授〟と大仰な言い回しでオレは場地相手に偉そうにするが、豊富にあるのは単なる知識のみ。実地の経験はまるでない。恋人はおろか、女子の友人が出来たこともなかった。年少入る前はダチとつるんでばっか、年少上がってからは芭流覇羅に出入りしてばっかだしな。典型的な知識先行型だ。
    「女を口説く時は、『月が綺麗ですね』って言うといいらしい」
    「月?」
    「そー、月」
     引用したのは、明治時代の有名な文豪の言葉だ。“I love you.”という英語を、日本語に訳したもの。奥手な日本人はストレートに愛を囁くことは出来なくて、月に託つけ婉曲的に密やかな恋慕を手渡す。それが奥ゆかしくて風流で、いかにも日本人的ってことになっている。
     実際は『月が綺麗ですね』の意訳は誤りで、『月が青いですね』が正解だった説もあるけど、今じゃ前者の方が人口に膾炙している。憂鬱を基調とする色彩に愛情との比喩的な結びつきを読み取るのは些か難解であり、その点美と愛との関連は語彙の華やかさという点で近かった。分かりやすいものは、大衆に受け入れられやすい。所詮世の中そんなもんだ。
    「愛してる、って意味だってよ」
     天上の月に愛を託し、想う相手に告白するのは馬鹿な行為だ。愛の告白にではない。愛とやらを誓う対象として、不適切な選択を下す程度の知見しか持ち合わせてないところを蔑んでいる。ようやく満ちたかと思えば次は新月に向けて、夜毎日毎に欠ける月は不実だ。ちょうどこの晩、空の端に引っかかっている月がそうであるように。
     極限まで痩せ細り哀れを誘うかと思いきや、次の夜からは数日前の痩身が嘘みてえに膨らみ始める。あんなインチキ、クソだろうが。そんくらいのことさえ分からねえ頭してっから、恥ずかしげもなく愛だの恋だの口に出せる。月に掲げた愛は磨り減り、やがて暗闇に滅する。新しい月が生まれ、古い月は跡形もなく夜空に消え入る。みんな常識だ。なのに文豪の言葉を嬉々として使う教養深い連中は、義務教育でダブった場地より何百倍も馬鹿だった。
    「それ、女相手じゃねえと駄目か」
     珍しくその手の話題に食いついた場地を面白がる反面、不快の念も同時に湧いた。こいつ、男もイケんだろうか。女に全然関心を示さないのは、元からそういう志向って理由もあったりして。どっちにしろ質問の手間を取って知識を強化したいくらいには、それなりの関心があるんだよな。オレ、以外の、人間に。オレは場地の周りにいるであろう、知らない人間を手短に切り捨てる。
    「別に誰でもいいんじゃねえの。で、オッケーの返事は『私、死んでもいいわ』」
     冷静に考えると、縁起でもねえ台詞ではある。たしかこれは“I love you.”の別パターン、二葉亭四迷が翻訳したフレーズだったはずだ。愛と死を結びつける感性は文豪でなくとも空恐ろしく、平たく言うとヤバい。しかし、だ。自らの死をもって応えたくなる気持ち、オレはちょっと分かったりする。最高に幸せな時に死ねたらその感情が時の流れに封じ込められ、瞬間の幸福が永遠になるから。
     オレはめちゃくちゃ共感すんのに、朴念仁の場地にはこの、複雑に込み入った心理が分からない。永久の幸福のため、最上の終末を望む心が理解出来ない。一見幸福と対立する概念を、長らく培ってきた健全な感受性で直視する難しさ。訝しげに瞼を引きつけ、歌うように死を願う台詞を吐いたオレを見やる。
    「そんなこと言う奴いんのかよ」
    「こう返すのがテンプレなんだよ」
     せめて同じ作者なら分かるのだが、問いにも答えにも別の作者の言葉を引っ張って来て、なんともお忙しいことだ。それぞれ精緻な文章を紡いでも作り上げる世界観は違うのに、たった一つの共通点からキメラの如く合成しては、後から新たな意味を申し訳程度にくっつける。癖の強い二人の文豪は、草葉の蔭で無知な大衆へ不服を申し立てているに違いない。
    「他の奴はどうか知らねえけど、オレなら言う」
     どのような形式であれ、場地が『愛してる』って言ってくれたら、オレは死んでもいい。一番近くで、心に触れて、瞳の奥を覗いて。けど、こいつはそんな浮ついたことしねえって直感してっから、こんな風に思ってもいる。そもそも愛なんて、この世にねえもんな。存在しないものについて、人は決して語ることが出来ない。
     落胆にも似た感慨で慈しみの腕を擦り抜け、再度ポケットに手を突っ込む。奥に仕舞い込んだことで携帯のクッションになっていたもの、ささやかな手紙の束を取り出した。これらは場地からの手紙だ。塀の中で無為の時を過ごす、可哀想なオレの心を慰めるべく書かれた手紙。たった数通のこれは、大量に送られた手紙の中のほんの一部に過ぎない。自宅で入念にチェックし、弾いたものを束から抜き取って来た。
     場地はある時期から学校の話を主にしており、無意識だろうがオレ以外の名前を文中に紛れ込ませていた。オレの思考回路にハブられる二文字は奇妙な染みとして便箋に浮き上がり、おぞましいほどの嫌悪を催させる。どしゃ降りの雨が止んだ翌日の川に、いくつも浮上し流れる澱だ。要らねえよな、そんなもん。場地にはオレだけ、オレだけでいい。オレには場地しかいねえように、場地にもオレしかいなきゃいい。
    「その紙……」
     小さな紙束に気づいた場地が低声で呟いたのを切っかけに、視線の誘導も兼ねて目先まで持ち上げる。一通一通がきちんきちんと糊づけされていた封筒から抜き去った剥き身の手紙はいかにも頼りなく、寒風に吹かれ縮こまっていた。どうしてこれを自宅から廃ビルの屋上にまで携行しお前を呼び出したのかってこと、今から特別に見せてやる。
     軸の細いシャーペンで綴られたであろう、手書きの文章が視界に入った。何度も読み返したから、改めて読まずとも内容はしっかり記憶している。今日の天気と学校での出来事、夕飯の献立。オレの心配、オレとしたいこと、オレとの想い出。東卍の名称を一切出さねえあたり、配慮してくれてんだなってオレなりに解釈してたのに。
     両手の親指と人差し指で上端の角を摘まみ、それぞれ反対方向に引っ張って紙面を裂く。一繋がりで意味を成す文章は想像以上に易々と別れ、見事に文意が切断された。分かたれた二つの紙の間に茫然と立つ場地が、夜の中心を真っ直ぐに貫いている。
     文字でいっぱいの便箋を縦に引き裂いた途端、場地の眉間は大いに開く。と思えばたちどころに狭まり、峻険な合間へ幾重にも皺を寄せては受けた衝撃の度合いを明確に表した。それでもオレは休みなく指先に力を込め、記入済みの紙を粉微塵と化す作業に集中する。
     感情に任せてちぎりにちぎり、貴重な手紙が数枚減った。セロテープで貼り合わせようにも、無地の便箋は紙吹雪の細かさだ。もはや修復は不可能で、貴重な原文は二度と読めやしない。本当はオレだって、こんなことしたくねえよ。けどお前が、あんなこと書くから。
     己の心ごと細切れにされている場地へあからさまな憫笑をひらめかせつつ、大事な手紙をびりびりに破いてゆく。可哀想、可愛い、可哀想、可愛い。花占いの口ぶりが唇に乗り移り、現在のごく端的な印象で場地を評する。これでいいかと手を止めた時、「可哀想」でぴたりと静止した事実にオレは薄ら笑む。やっぱり場地は、可哀想。
     理由を問いたそうな、しかしそれを堪える顔つきをこちらへ向ける場地に、胸中で答えてやる。娑婆の場地は、オレの知らねえ場地は、場地であって場地じゃねえじゃん。通ってる学校の話すんのは別にいいけどよ、そこでなんであいつの名前書くんだよ。オレの名前に用いられる虎の漢字の誤りを指摘されたからって、ご親切にも正しい漢字を教えてくれたからって、なんであいつの名前まで出す必要あんの。なんで。
     オレが読むって分かってる癖に他の奴の名前を悪びれもせず書く場地は、マジで苛つくから減点だ。元々持っている百点から様々な理由で減らした後の点数を、新たに浮上した減点要素で容赦なくさっ引く。今回はマイナス十点くらいか。それでも合計して八十点はあるから高得点だし、及第点は楽々キープしている。初対面の時に横っ面張られてっけど、そん時はまだ評価対象にしてなかったから事故処理で、全くのノーカンだった。
     個人的な減点法、言い換えれば匙加減を用いて人間を測る尺度にしているオレを、場地は決してマイナスにはしない。良い面が一つでもあればどこまでも加点し、それプラス見出だされた加点要素の喜ばしさで朗らかに微笑みかける。あーあ。こいつはこんなオレさえ十二分に加点して、ダチになってくれてんのにな。これほど優しい男が他に、他にいるだろうか。
     最近、自分が場地をどう思ってんのか、場地をどうしたいのか分からなくなってきている。オレとバイク強盗したのに一人だけ無罪放免になり、娑婆に残っていた場地が嫌いだ。のうのうと東卍の連中とつるみ、壱番隊の隊長を務めていた場地が嫌いだ。オレ宛の手紙に、オレ以外の名前を書き込む場地が嫌いだ。嫌いだ嫌いだ嫌いだ。オレの目の届かねえ場所で、暢気に青春を謳歌していた場地は。
     思いつく限り、場地の嫌いな面を列挙してみた。でもこうしてオレの側にいてくれんのは純粋に嬉しいし、嫌いな部分を引っくるめても余りある、裏返しの感情が胸に溢れる。オレは場地を好き、とは言わない。気に入ってる、って言う。一番気に入っていて、特別だと感じている。最低で最高の、オレの場地。
     一虎へ、と親しげに書き出された手紙は宛先に記された者の手で真っ二つに分かれた後、そこから四分の一、八分の一と性急な割り算を繰り返し、次第に可読スペースを縮小させた。そうして両手のひらの窪みに溜まり、ついに紙屑と化した手紙をそうっと包み込む。隙間なく合わさった手のひらの内はがさごそ鳴って、住人不在の鳥の巣のような触感がする。
     場地が介入する前にと、特攻服の脇身頃が伸びちまうほど勢い良く腕を振り上げ、拵えた無数の紙片を天高く放った。夜空に放り上げられた紙の塊は形状を崩して雪の如く四方に舞い落ち、次の季節の到来をいち早く告げる。ひらひらと風に踊る手紙の破片は、オレ達が絶対に行けやしない天国に降る、清廉潔癖な純白の花びらにも見えた。
     体感ではずいぶん長いこと辺り一面に降りしきっていたが、実際の時間に換算すれば、多分瞬きするうちに全てが完了していた。祝福の彩りを帯びぬ全ての紙吹雪はすっかり舞い終え、後には一人ぼっちと独りぼっちのオレ達だけが取り残される。送り主を懐かしんで場地の髪にひっついた手紙の切れ端を、冷たい秋風がすげなく払い除けた。
     親友を奇行に走らす原因をしきりに自問する場地は、黙して眼前に立ち尽くすばかりだ。口角に泡を飛ばして怒鳴ったりだとか頭ごなしに叱ったりだとか、んなことはしない。ずっと、そっと、見守っている。オレはこいつを戸惑わすことばっかやってっけど、やっぱ笑ってる顔が見てえよ、親友だから。ただオレの中の共犯者の部分が、オレのせいで手酷く傷つく場地を見たがっている。
     手持ち無沙汰になったオレは空の両手を振り回し、苦み走る表情の場地へゆっくりと近づいた。オレが気に入ってる場地の、数少ない気に入らねえところは皆に優しいってとこだ。皆に優しいからオレにも等分に分け前を寄越してくれるってこと、知ってるけどさあ。突飛な振る舞いの本意を告げるつもりはさらさらなく、聳える両肩へ静かに手を載せた。
    「抗争終わったらオレのこと、連れてってくれんだろ」
     どこに、とは具体的に口にしないのに、お互い行き先は明確に分かっている。故意に目的語を伏せたって、場地はオレの口にした台詞の意味を完璧に理解していた。オレ達の行き先は地獄だってことは、二年前からの共通認識だ。こっから進んでも止まっても、最終地点は地獄でしかありえない。
    「お前、昼間の海が見たいっつってなかったか」
     たとえ軽い気持ちで口にした単語であっても、言葉の持つ喚起力は鮮やかだ。水面を苛烈に反射する輝かしい夏の光で、網膜が焼き切れる心地がする。罪の色、罰の重みで住んでいた世界が一変し、夜の空気しか呼吸して生きていけなくなったオレに昼の話をするのは酷だ。淡水魚は海中に放てば著しい不適合を起こす。
     確かに、昼の海が見たいとは言った。路地裏で二年ぶりに再会した後、久し振りに弾む会話の中で、場地としたいことの一つに数え上げた。場地と、昼の海が見たい。出来れば夏が良いけど、別に秋でも良いし、冬でも春でも良い。季節はただのオプションで、場地と一緒ってのが重要だった。
     何気ない会話を覚えていてくれたのはすごく嬉しいことのはずなのに、オレとの地獄巡りを約束した場地が、やけに回避したがってるみてえな言動に捉えられた。オレのためを思ってんのが逆に裏切りっぽいニュアンス含みで、なんか嫌だな。重めの内容を何重にもスライスして軽口にし、あえて揶揄の響きを籠めて場地をなじる。
    「なんだよ、日和ってんの?」
    「日和ってなんか──」
     可哀想は、可愛い。もっと可哀想で可愛い反応をしつこく求め、必要以上に場地の精神をいたぶりたいという動機は、恐らく自分への言い訳だった。本音では場地特有の優しさで、どこまでも過剰な要求を許してくれるのを期待していた。許される範囲が広ければ広いほど、オレに付加された特別性の何よりの証明になる。
     欲深いオレは場地の首に腕を絡め、なるべく緩やかに抱き寄せた。無抵抗の素直さで引き寄せられる場地は、意外にもさっきまでの可哀想が鳴りを潜めている。夜色に染まる黒髪の艶やかさが新月、親友を案ずる顔面の蒼白さが満月と、月の有する両面を体現する場地の熱情を秘めた眼にオレの姿が映り込み、瞳に書かれた文字は他の誰でもないオレの名前。これから瞬間的に能動的に、場地をオレでいっぱいにする。
     そうしてオレ達は、月をも蝕む口づけを交わした。首の傾ぎに頬は翳り、唇の重なりで満面が影に覆い尽くされる。闇が光を深く食む。地上の月蝕の完成だ。親友を心身共に侵食するオレは月の表に移ろう影そのものとなり、目には見えない大事なものを根刮ぎ奪いたがる。
     熱いけど冷たい、柔らかいけどぎこちない、甘ったるいけど苦い。キスが解かれた頬に白光の照りを取り戻した場地を覗き込み、祈りか懇願か、はたまた独り言なのか、あるいはそれら全部なのか曖昧な口調で囁きかける。
    「なあ、オレを月まで連れてって」
     地上のどこにも居場所のないオレ達だ。今更月に行ったところで、誰が咎めたりするものか。あの世の果てに堕とされるべき罪人はオレ達以外にもたくさんいて、盛況を誇る地獄は大変な混雑ぶりが予想される。満員御礼のただ中を他人と押し合いながら待機すんのもダリぃし、もうちょい人混みが緩和してから行きてえよな。先にどっか別んとこ行って、後で戻って来るのが効率も良い。
     泣けど喚けど有無を言わさず地獄行き確定のオレらってわけだけど、幼少期のオレは行ってみたい場所の第一希望を月と心に定めていた。日本各地の名所、煌びやかな海外の観光地と比べても、オレを魅惑するのは圧倒的に月だった。半径1738kmの衛星が、あらゆるランドスケープを差し置きオレを招く。今も昔もオレは地獄の前に、月へ行きたかった。
     いつも、いつだって、ここじゃないどこか遠い場所に憧れていた。暴力を振るう父親も、無関心な母親もいない、オレの理想郷。こいつと出会う前、ここじゃねえどこかとして月を想定し、翼よりも速いスペースシャトルの飛行で、月面着陸するシーンを夢想していた。父さんにしたたか殴られ口腔に血の味のする夜、窓から空を見上げては早急な逃亡を願った。導かれて月へ行く者に、地上の憂いはなくなる。
     自室にある本棚の片隅で、今やすっかり埃を被った天体図鑑が新品だった頃。月が太陽光に埋没する昼間、ことあるごとに開いて眺めた月の図を思い出す。月には水のない海があり、乾いた山脈が連なり、クレーターの窪みがあらゆるところに刻まれている。現実逃避で空想に遊ぶ度、オレは海のほとりにしゃがみ込んで暗い領域に手を浸し、四十億年以上前に形成された高地を登り、大小無数の凹孔に腰かける。
     火星がエイリアンのイメージなら、月はアポロのリアリティだ。餅をつくウサギや竹から生まれた美女はいやしねえが、何十年も前に立てられた星条旗は今もきっと、無風の宇宙にはためいていた。手を伸ばせば届きそうなのに、すんでのところで指の間を通り抜ける。現実と幻想の共存する、地球に最も近い星。地球の唯一の衛星。
     場地の特攻服から、線香の辛気臭い匂いが微かに漂って来る。田舎の仏壇、御影石の立ち並ぶ墓場、死者の帰省するお盆と、強烈に死を想起させる香り。血を流した後に淀みなく移る工程、灰の過分に入り雑じるそれは、破滅一直線のオレ達との親和性が異様に高い。唯一思い当たる墓参り先を知らんふりして、オレは抱擁の深度を強める。場地の髪の豊饒を頬で感受し、肩口に顔を埋めた。
     オレがこうしてるってことは、つまり場地もこうしてるってことだ。お互い、相手の背後に広がる夜景を見つめている。オレは都会の上空に浮かぶ齢を重ねた月を、場地は虚飾に塗れた人工光の氾濫を。真っ向からの抱擁は相手を包み込むやさしい行為でありながら、同時に相手と方向を違える寂しい行為でもある。同じ色彩同じ匂い、同じ温度を持つ風景の共有は、望むべくもなかった。
     声なき声で、先ほど脳内再生していたかつての流行歌を口ずさむ。翼が欲しいのも愛を乞うのも月に行きたがるのも、愚かな人間のないものねだりだ。なのに場地はそれら全部を叶えてくれそうに見えるから、つい甘えてしまう。こいつが愛機であるゴキの後ろにオレを乗っけて、昔の映画みてえに月を背景に夜空を飛んだら、オレの望むものはその瞬間、一気に手に入る。
     あれだけ不実だの嘘衝きだのと罵倒していた月に、長年憧憬を抱いてるなんて矛盾している。徹底して月の誠実を疑う一方、幼い頃より無限の憧れを託していた。おかしいよな、マジで。けど人間って、そんなもんじゃん。相反した想いの不和を誤魔化し、器用に両立させるのが人間だ。翼を求めながら宇宙船に乗り込み、敬愛を向けていた相手さえ今や殺意の累乗でも足りぬほど、憎くて憎くて仕方ない。
     場地の頷きを待たず、地球を俯瞰する月を仰いだ。上空に滞在する月はまた一日分だけ器用に欠け、弓のように細くなっては待望の新月に近づく。遥か彼方の天体は凹凸を成す表面に、地球の片隅に佇立する哀れなオレ達の影を清かに映す。けれども時満ち新たに誕生した望月が、一見なめらかで清澄な白銀の鏡になろうとも。月の裏側は、永遠に見えない。


    (了)

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    norico_nnn

    PAST熊池SS。書いたのはいいけれど、アップする機会を見失っていたもの。誤字脱字衍字を発見した場合、マシュマロ(https://marshmallow-qa.com/norico_nnn)で教えていただけると幸いです。[23.12.31]
    熊なんか恐くない 同僚の池照と付き合い始めて半年経つが、未だキス止まりだ。糊のきいたシャツの裾に手を差し入れ、指を滑らせてもいない。ABCでいうところのAの段階で、長らく足踏みしている。今時中学生でももう少し進んでいそうなものだが、深く口づけた際俺の舌の動きに必死で応えようとする池照の愛らしさに、いつだって軽い懸念は霧消した。
     今晩、池照を俺の家に泊めて映画鑑賞することになっている。学生時代から友人の家に泊まった経験のない池照は、訪問前から今日のいわゆるお泊まりデートを楽しみにしてくれていた。これ幸いと、何も知らない恋人に無理矢理手を出すつもりはない。俺達は俺達の速度で、ゆっくりと進めていけば良いのだ。
    「お邪魔します」と礼儀正しく挨拶する池照を迎え入れ、リビングに通す。酒を飲めぬ池照のために烏龍茶を注いだグラスを並べ、慣れた手つきでDVDをセットする。体大同期の兎原や先輩の裏道さんなら、退屈を極めるB級映画を観せたって平気だ。しかし、恋人同士の親密な時間を過ごすにはそぐわない。なるべく途中で眠られたくないしな。ここは無難に、ファミリー向けの話題作を選んでおいた。
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