髪は口ほどに物を言う 何度目か数えることも忘れた異常事態。少年、もしくはアオガミの髪が長髪化する事象。
都度、原因が判明するより先に自然に解決していたのだが、今回は研究員達の意気込みが違った。今回こそ、原因究明を果たしてみせると。
「一晩、ですか?」
その為、アオガミを一晩調べたいと研究員達は少年に頼み込んだのであった。長髪化してしまったアオガミを徹底的に調べたいと。
少年がアオガミと一晩離れたのは、東京に戻ってきた最初の夜だけである。少年は緑灰色の瞳を揺らしながら隣に立つアオガミを見上げるが、彼の表情はいつもと変わらない。
「……アオガミが、良いんでしたら」
研究員達には世話になっているし、毎度迷惑を掛けてしまっている自覚はあった。ならば、協力したいというのは少年の本音だ。同時に、アオガミから自分と同じ拒絶の意を感じられなかった事実に対する八つ当たりも含まれていた。こちらも、少年の本音である。
「少年、研究所からは」
「絶対に出ないよ。どこかの部屋を借りて、仲魔達と待ってる」
アオガミはベテルの神造魔人だ。少年の半身であれど、その事実は変わらない。
それでも、アオガミに起きている"不具合"の解決策を知っておきたいのもまた事実であり。
相反する様々な気持ちを抱えながら、アオガミに微笑みを向けた少年は即座に踵を返した。このままでは、自分の不安な気持ちがもっと表情に出てしまうかもしれないと。駆け足で研究室から飛び出そうとしたのであるが。
「――うわ!?」
経験した事がない体の動きと、視界の反転。
重力に逆らわず、両手をだらりと垂らしながら瞬きを繰り返す少年は直ぐに気づいた。視界が反転していると。
珍しく金色の双眸を見開いているアオガミも、普段と変わらず冷静な面持ちをしている越水の顔も、慌てふためく周囲の研究員達も景色も反転した世界。上下が逆さまになった世界で唯一先ほどまでとは違うのは、青色の線だ。否、青色の髪。アオガミの長髪が伸びている。
そして、伸びている先を視線で追いかければ。
(ああ、そういうことか)
己の足首へと辿り着き、事態の全貌は把握出来た。
アオガミの髪が少年の足首を捉えた。ただ、それだけだ。
「少年、すまない……!」
意識的に髪を操れない様子で慌てふためくアオガミの姿と声を目にして、少年は己の心の中のもやもやが晴れていくことを自覚した。やはり自分は、身勝手な人間なのだと認めながら少年は越水に視線を向けた。
「……分かった。アオガミのメンテナンスは無しにしよう。その代わり、事象が解消するまでは外出を禁ずる。研究所内での待機を命ずる」
越水が言い終わるや否や、するりと少年の足を拘束していた髪はその力を緩め――即ち、少年の体は落下をし始める。
「少年!」
だが、危険は一切無い。直ぐ傍にまで来ていたアオガミの両腕の中に少年の体は収まるのであった。
「少年、すまない」
「謝らないで」
苦しそうに眉間に皺を寄せるアオガミの頬を少年の手が撫でる。
「だが、私にはどうして髪があのように動いたのかが理解出来ない。これこそ、メンテナンスが必要なのではないかと」
「必要ないよ、アオガミ」
どうして、と疑問を返すアオガミに対して少年は正解は教えない。気づいて欲しいからこそぼかして、但し嘘偽りのない事実を伝えるのであった。
「嫌なときは嫌って言って良いんだからね」
俺もちゃんと主張するよ、と言いながら少年はアオガミの首元に両腕を回すのであった。
「俺、アオガミと離れるのは嫌だから」
アオガミからの返答はない。
しかし、少年を力強く抱きしめるその両腕が――答えであった。