Dungeon「お前が」
ヒュンケルは、自分の声量に驚いて俯いた。
ぽそぽそと続ける。
「お前が……言ってくれたから」
ラーハルトは頭を抱えて突っ伏したまま、「何をだ」と言い返す。
「俺の、頬骨がきれいだって」
そうだ、確かに言った。
戦後にひと回り細くなってしまった相棒は、彫刻めいた美を纏っている。
痩せた腕を切なそうに見ている元戦士に、慰め半分、情欲半分で。
青白い頬に触れ、甘く囁いてみたのだった。
まさかその一言が、ヒュンケルの歪んだ美意識に着火してしまうとは。うかつだった。
「だから、その。お前もやはり、ああいうのが好みなんだろうなと」
当人はもじもじと顔を赤らめる。
「?」
「もう少しだけ痩せたら、近づけるかと思ったんだ」
中指の指輪を弄る。
「父さんは、本当にハンサムだったから」
ラーハルトは顔を上げて、また突っ伏した。
生ける骸骨の化け物に育てられたとはいえ、ここまで常識が抜け落ちるものだろうか。
この男、ひとりで生かしておくには危険すぎる。
「分かっていると思うが、ヒュンケル」
「分かってる。もうダイエットはやめる」
「どこでそんな言葉を覚えたのか知らんが」
「姫の茶会で」
「だろうさ。そして、『骨』を目指すのは健康的なダイエットとは言わん。自傷行為だ」
「それも分かってる、衝動的だったんだ。なんと言うか」
と、ヒュンケルはまた緑色の指輪を撫でた。
「ラーハルトのこととなると、俺は時々、正気を失ってしまって」
お前はずっと出張で、ダイと各国行脚だったし。
ひとりで待っているのも退屈で。
と、ヒュンケルはぶつぶつ言い訳する。
「それで。わざわざ大勇者を訪問して、情報を盗んで」
ラーハルトが頬杖をつきながら追及する。
「人聞きが悪いぞ。先生にちゃんと頼んだんだ」
ヒュンケルは明後日の方向に目を逸らす。
「厳重に警護された破邪の洞窟に単身潜って」
「ああ」
「最深部ギリギリまで降りて」
「そう」
「けったいな指輪を手に入れてきたと」
「うむ」
「どこが衝動的なんだ」
怒られて、ヒュンケルは首をすくめる。
「――まあ見てくれ。この文献」
しかしめげずに、どさりと古文書を開いた。
「とある勇敢な武器商人の伝説だ。神秘のダンジョンを踏破し、財宝を手に入れたと言う」
ラーハルトが覗き込むと、おどろおどろしい怪物の挿絵。
丸っこい人物が、数匹がかりで洞穴の入り口からつまみ出されている。
怪物の足元には、魔界語で『ももんじゃ』と注釈が付いていた。
「詳細を読むと、彼の冒険は破邪の洞窟にそっくりなんだ。俺の予想通り、最深部には伝説のダンジョンが保存されていた。そしてついに、古代の挑戦者が悩まされた、呪いのアイテムが手に入ったんだ。人呼んで」
ぎらりと緑の宝石が光る。
「『ハラペコの指輪』」
ラーハルトは無表情に、目をキラキラさせた相棒を見返す。
「聞きたくないが一応聞いてやる。 一体、効能はなんだ」
「たちどころに空腹になる。装備するとどんどん痩せ衰えてしまう、らしい」
だいえっとに最適じゃないか。と、ヒュンケルが胸を張る。
「……仮説は認めるが」
ラーハルトはページを繰りながら、
「本当に結果が出たと思うか?」
二人して、じっと挿絵を見つめる。
しましまのチュニックを着こなした恰幅の良い英雄、伝説の武器商人は、なんとなくキングスライムに似ていた。
「……」
「こいつが、特別にハラペコに弱かったんじゃないか」
「む」
「だろ?」
ヒュンケルはこくりと頷いて、指輪を外した。
「確かに」
きゅう、とおなかを鳴らすヒュンケルの肩をぽんぽんと労う。
「二度と馬鹿な真似をしないように」
「……」
「返事」
「はい」
まったく。目を離したらこれだ。
しかし、せっかく前人未踏の領域まで降りたのに、収穫がこの仕様もない指輪だけで良いのだろうか。というまっとうな感想はしまいこんだ。
「……早めの夕食だ。何がいい」
しょんぼり肩を落としていたヒュンケルが、ぱ、と顔を輝かせる。
「ニジマスを焼いたやつと、いつものシチューと、それから」
「分かった。腹いっぱい食わせてやる。手伝え」
「うむ。……ところであの指輪、どうしたらいいだろう」
ヒュンケルがしおらしく聞く。
「癪だが、明日大勇者に相談だ。どこかに封印して貰え」
「先生に怒られるだろうな」
「怒られろ。間違っても指輪を誰かに贈ったりするなよ」
「なぜ? 御婦人方は皆、あんなにダイエットが大好きなのに」
「自分で考えろ、馬鹿」
食卓に残され、寂しそうにきらめくハラペコの指輪。
騒がしい闖入者、食いしん坊の武器商人を、ちょっと懐かしんでいるようにも見えた。