春も夏も秋も冬もどれもそれなりに楽しんでしまう享楽主義の吸血鬼だが、季節のことで、ロナルドを毎年誘ってくる、というようなことは少ない。くだらないバトルやフェスにはちょいちょい連れ出そうとするのに、花見だって海遊びだって、退治のついでにロナルドのほうがあれを連れ出した。
ドラルクはと言えば、気付けばジョンとふたりでどこぞの桜が見事だったよとか、あちらの通りでクリスマスフェスタが始まっていたよだとか、ロナルド抜きで勝手に愉しんでいる。そういうことが多い。
クソみたいな集いではなくそういうものにもっと誘えと言いたかったけれど、なんだかそれも癪で結局仕事のついででもなければ、押しかけ同居人とその使い魔と、季節を愉しむことなどほとんどなかった。
そんなドラルクが、都合さえ付けばほぼ毎年、必ず誘ってくることがある。いつか壊れたドラルク城の麓に広がる向日葵畑に迎えに行った、それ以来の習慣だ。
ひまわり見に行こうロナルド君、と、そのときばかりは無邪気な顔をして、ドラルクは誘ってくる。
ジョンは、留守番が多い。夏のジョンはいろんな友達との約束で忙しく留守にしている日も多いから、そういうときに誘ってくるようではあった。一度、ジョンも行かないか、とこそりと誘ってもみたが、ふたりで行ってくればいいとすげなく断られてしまった。
ドラルクが彼の母に攫われたあのときのことは、ジョンの中では折り合いが付いたのだろうか。いや、付いてはいないだろう。それでもなおついてはこないとなれば、彼の主人に頼まれているのかもしれない。
ロナルドとふたりきり、夏の夜の生温い風の中、太陽を失いなお天を向く頭の重そうな向日葵たちを見る、ことを。
「まだ日が落ちきらないねえ」
後部座席で砂になり遮光布を被せられていたドラルクが、車を停めた振動に気付いたか蘇り、その骨と皮しかないような手をぬっと座席の合間から突き出してロナルドのシートを掴んだ。続いて頭蓋骨の薄そうな鋭角ばかりで形成されている顔が、フロントガラスからひまわり畑とその向こうの黒々とした城の跡を眺める。
「太陽は沈んでるから大丈夫だろ」
「そうね」
答えながらさっさと車を降りてしまったドラルクに続き、ロナルドは運転席を降りた。ぴ、と鍵を掛ける間に吸血鬼は、今日最後の夕焼けに炎のように燃えているひまわり畑を歩き出している。
「昔ねえ、まだ城があった頃、ジョンとふたりでひまわり畑を散歩したものだよ」
「夜にか? 虫が出ただろ」
「それが不思議と出ないのさ。殺虫剤でもまかれてるのかな? でもそれだと私も死ぬんだよなあ」
「……土地の問題とか」
「かもしれないな。このへん水場は遠いし、山も森もちょっと離れてるからな」
眩しげに明るい空に手庇を翳して片目を細め、ドラルクは大きな口を引いてすこしニヒルにも思える表情で笑っている。
「一度ね、真昼間に出てみたことがあるよ」
「ハ? 死ぬだろ」
「台風が来てたんだ。風が渦巻いて、分厚い青黒い雲が空いっぱいに広がって、不気味でまるで映画のワンシーンのようだった。ひまわりだけが燃えてるみたいにざわめいて、まるで私を燃やし尽くそうとしてるようで」
ンフフ、とちろりと横目に視線を流し、ドラルクはどこかうっとりと嗤う。
「何世紀も前、対立の深かった時代に焼かれた吸血鬼たちは、あんなかんじだったかな」
「……そのあたりは俺も勉強続けてるけど、魔女狩りに近いものだったんだろ。焼かれて死んだやつが吸血鬼とは限らない」
「そうさ。むしろ人間のほうがたくさん焼かれて死んだのだろうね。私は一族に守られていたから、実際にそれらのことは……そうだな、師匠のところにいた頃しか、しらないが」
「お前の師匠の城は危ねえとこにあったのかよ」
「そうではないが、クソヒゲの城にいる間に神の祝福を受けた退治人……退治人でないのか、まあそういうのが来たことはあるよ。この私の機転で敵意を削いでやったものだが」
ハ、とロナルドは嗤う。帽子のない髪を、生温い風が乱していく。
「どうせ死んで見せたんだろ。俺のときみたいに」
「君のときは君が殺したんじゃないか」
「どーだか」
「それに君は私を助けようとはしなかっただろ。私が君の敵意を削ごうとしたのなら、失敗したということじゃないか」
「あのガキに同情してもらったろうが」
「ああまあ…………あの子にはなんか今でも頭があがらんのだが……」
まあ他人のことはいいだろ、と自分から他人の話を始めたくせにそう言って、ドラルクは足を止めた。少し距離があるまま、ロナルドはつられて足を止める。風が吹いている。嵐が来るような予報ではなかったが、天気が崩れるのかも知れない。
西の夕焼けに、東から夜が追い付いてきていた。
「夜って……」
「ん?」
「西からくるんだと思ってた」
地平を振り向き、天を仰ぎ、吸血鬼はふふ、と笑う。
「夜は天からくるのだよ」
「天」
「宇宙さ。我々夜の申し子は、宇宙に生きる生き物だ。いつか月の果てにもいってみせるさ」
「人間はもう月には到達してんだぜ」
ははっ、と声を上げて笑い、ドラルクは手を差し出した。
「とっくに夜を支配しているくせに何を言う! いずれそう遠くないうちに、君たち昼の生き物と、我々夜の生き物の垣根は取り払われて、命は混じり、対立は虚無となり、時代は変わっていくのだろうよ」
ロナルドはがさがさと向日葵を掻き分け少しの距離を詰め、些か乱暴にドラルクを引き寄せて抱き締めた。勢いに少し輪郭を崩したドラルクは、すぐにかたちを取り戻しどこか切ないような手付きでロナルドの背に手を回す。
ドラルクの、いつもは花びらのように思えるマントの裾が今はまるでぼろぼろに朽ちたように、風に靡き浸食する夜に溶けた。
「ロナルド君」
「……ああ」
「もしも私とジョンを見失ったとしても、いつでも喚びたまえ。お祖父様が君を見付ける」
「ああ」
「お祖父様の庇護下に、我々はいるからね」
「うん」
「無茶をするんじゃないよ。……殺さずに済ませようなどと、甘いこともなしだ」
「お前の同胞だろうが」
「敵性吸血鬼は同胞ではない。我々竜の一族は、人間に親和的な一族なのだ。人間を害する連中を、同胞などとは呼ぶまいよ」
「………それでも、俺は」
ぎゅ、と非力に過ぎる腕が抱き締める力を強め、ロナルドは黙った。
「対立の時代などいずれ過ぎる。歴史がそれを証明している。だから、ロナルド君」
骨のような指が、ロナルドのコートの背を掻くように握った。まるで抱いているときのようだ、とロナルドは思う。
「生き延びてくれ」
頬に触れる冷たい尖った耳朶が、わずかに俯く。ロナルドはドラルクの古い書物のような、香のようなにおいを嗅いだ。
「オメーを置いて俺が死ぬかよ」
人間のくせに、と毒突いた声は柔らかくて、燃える向日葵をゆっくりと黒く変えていく夜に、心地よく溶けた。