A Happy New Year 2022「10、9、8……」
大通りは喧噪と熱気に包まれている。カウントダウンの唱和に混じって歓声や口笛が聞こえ、街中が大騒ぎだった。
なんといっても今日はニューイヤー・イヴである。街中がイルミネーションに彩られ、年が明けるを待ちながら飲んだくれて騒ぐ人々で通りは埋め尽くされていた。
みんな、零時きっかりに打ち上がる花火を待っているのだ。毎年恒例のことながら、実に騒々しい。友人とパーティをして盛り上がったり、こうして通りで酒を飲みながら騒いだり、というのがこの辺での一般的な新年の迎え方だった。
最近ではタチの悪いギャングが幅を利かせるようになったせいで治安が悪化し夜出歩く人は少なくなったが、ニューイヤー・イヴはやはり例外のようだった。
おかげでこのところめっきり少なくなった客足も今日は行列ができるほどに回復していた。ウィンター(冬生まれだからウィンターという安直な名前をつけたのは八つ年上の姉の所業だ)の屋台ではグリューワインや軽食――ホットドッグやらフライドポテトやら――を売っている。今夜は冷え込みも厳しい分、売上も上々といったところだ。
「……3、2、1、0!」
歓声と共に色とりどりの花火が夜空に上がった。
とはいえ、花火はウィンターの背後で打ち上げられているので実際にはまったく見えない。だが、赤や青、イエローに紫とカラフルな花火が上がるのが毎年の恒例だ。
「ハッピーニューイヤー!」
「明けましておめでとう!」
新年を祝う人々の声が、花火の音にも負けないくらい大きくこだまする。
ふと視界の端にオレンジ色の光がよぎった気がした。顔を上げたウィンターはぎょっとして目を見開いた。ダウンタウンの外れで火の手が上がっている。オレンジの光は燃え盛る炎だった。あの辺りはたしか廃工場しかないはずだが、何かが引火したのか、はたまた放火か。何にせよ、新年早々物騒なものを見てしまった。
周囲の人々はみな花火に夢中で、背後の火災に気づいた様子はない。
しばし逡巡してからウィンターはタブレットで消防署に通報した。ダウンタウン近くの住人もきっと通報しているだろうが念のためだ。案の定、消防署の交換手は「通報ありがとう、いま消火に向かっています」と答えた。
十五分が経ち、全ての花火が打ち上がる頃にはパトカーと消防車のサイレンの音が遠くから聞こえてきた。近づいたかと思うと、サイレンはまた遠ざかっていく。大通りはカウントダウンイベントで交通規制されているから、河の向こうまで迂回しているのだろう。
やれやれ、消防も警察も新年早々忙しいことだ。
「――失礼。グリューワインを二つ頂けます?」
玲瓏な、と表現するのに相応しい声がして、ウィンターははっと我に返った。
いつの間にか、目の前に長身のとんでもない美形が立っていた。声の感じからして男のような気もするが定かではない。だが、何にせよ一度見たら忘れられないようなとびきりの美人であることは確かだ。白金の長い髪を上品なスカーフで結わえて、黒いコートを着ている。瞳は澄んだ菫色で、左目のまわりに独特なタトゥーが入っていた。
客商売をしている以上、どんな客が来ても――例えば著名なセレブ俳優がお忍びで来ていたとしても――動じないようにしているのに、思わず息を飲んでしまった。
「あなたは何か召し上がります? こんな夜中に食事を摂ることは正直お勧めしませんが」
固まっていたウィンターを余所に、美しい青年は連れの男にそう声を掛けた。こういう反応にも慣れているのかもしれない。
連れの男は背が低めで人懐っこそうな笑顔を浮かべていた。ロマンスグレーの老紳士と評するには少し若いが、それでも美貌の青年よりは年嵩だろう。笑うと目尻に皺が寄って、柔らかな印象になった。
彼らはいったいどういう関係なのだろうか。
好奇心をくすぐられて、ついまじまじと観察してしまう。
友人、恋人、家族。どれもしっくり来るような、そうでもないような、なんとも不思議な二人組だった。しかし親密そうに見えるのは確かだ。互いに相手を労り慈しむような眼差しを向けている。
「あ~、お前さんはこんな夜中には絶対食わんよね。おじさんは労働の後で腹減ってるから食べちゃお。このホットドッグとフライドポテトも追加で」
「グリューワイン二つにホットドッグ、フライドポテトですね。いまご用意します」
「あ、ワインやっぱ三つで!」
他の場所に他にも連れがいるのだろうか。「かしこまりました」と答えて、ウィンターは三つのカップにワインを注いだ。
白髪の男にカップを二つ渡し、長身の青年に残り一つを渡そうとしたところで男が口を挟んだ。
「あ、そいつはお嬢さんの分だから」
ウィンターはぱちくりと瞬きした。
「……私ですか?」
「そ。寒い中元気に働いてる若人に敬意を表して乾杯させて貰えんかと思ってね。――あ、こっちはお前の分ね」
男は片手を隣の青年の前に差し出した。青年は恭しくそれを受け取ってからウィンターを見てくすりと微笑む。
「そういうわけですので、勤勉なお嬢さん。我々と新しい年の始まりを祝して乾杯していただけないでしょうか?」
茶目っ気たっぷりに青年が言った。ウィンターは笑顔で頷いて、カップを持ち直す。
「それなら、ありがたく頂きますね」
こんなふうに奢ってくれる客もごくたまにいるのだが、共に新年を祝おうと言われたのは初めてのことだった。不思議と押し付けがましさもなく、労って貰えるのが素直に嬉しい。
白髪の男はこほんと軽く咳払いをしてカップを掲げる。
「えー、それでは君と俺たちの今後の活躍を祈念いたしまして。乾杯!」
「乾杯!」
「フフ、明けましておめでとうございます。良い年にしましょうね」
*
結局、名前も聞きそびれてしまった。
世界のあちこちを飛び回っているらしい二人は、ショーマンとピアノの演奏家なのだと言っていた。ただの仕事仲間にしては随分と親密な様子だったが、“ただの”ではなく公私に渡るパートナーなのかもしれない。もっとも、それはウィンターの憶測に過ぎず、もはや確かめる術もないのだが。
今日の午後の便で出立すると言っていたからきっと二度と会うこともないだろう。
「最近はちょっと治安が悪くなったけど、ホントはそれなりにいいところだから。よかったらまたこの国に遊びに来てくださいね」
別れ際、ウィンターがそう言うと美しい青年は意味深な笑みを浮かべた。
「治安に関しては遠からず良くなることでしょう。膿さえ出し切ってしまえば傷は容易く塞がるものです」
「……?」
「おっと、屋台の前で長居しちまってごめんね。それじゃあ、縁があったらまたいつか」
別れの挨拶と共に二人は雑踏へと消えて行った。
明け方近くにアパートへと帰り着いたウィンターは、タブレットを開いてネットニュースにざっと目を通した。深夜の爆発について何かわかるだろうかと思ったのだ。案の定、事故の記事はあったのだが、読み進めるうちにウィンターの眠気は吹き飛んでしまった。
爆発事故があったのはダウンタウンの外れにある廃工場。しかしそこは最近巷を騒がせているギャングの麻薬倉庫になっていた。爆発の原因は不明だが、不思議なことにギャングたちは一人残らず建物から離れており死傷者はゼロだという。そして更におかしなことに、ギャングの幹部は自ら警察に出頭し、自分たちの悪事を詳らかに自白したのだ。廃工場の爆発により麻薬のほとんどは焼失したが、悪事の証拠はそろっていたので彼らは軒並みお縄についたという次第だった。
西の大陸では最近似たような事故が立て続けに起きており、その度に悪名を轟かせていたギャングやマフィアが壊滅に追い込まれていた。かつての都市伝説『仮面の詐欺師』が再び暗躍をはじめたのだという噂もあるほどだ。
――治安に関しては遠からず良くなることでしょう。膿さえ出し切ってしまえば傷は容易く塞がるものです。
ニューイヤーの夜に出会った不思議な青年の言葉が、ウィンターの脳裏に甦った。
もしかして、彼らが『仮面の詐欺師』の正体だったりして。
そう考えてから、あまりの馬鹿馬鹿しさに苦笑する。映画じゃあるまいし、たった二人きりでギャングを一掃できるわけがない。第一、『仮面の詐欺師』なんてオカルトじみた都市伝説を信じるほうがどうかしている。そもそも、仮に二人が犯罪者だとしたら、あんなところで悠長にグリューワインを飲んだりなんてしないだろう。
ウィンターはタブレットを放り出してベッドに転がった。
しかし、そんな空想をしてしまうくらいには不思議で、素敵な二人だったのだ。長身の青年の美貌ばかりではなく、二人の纏う空気そのものがどことなく目を惹いた。夜道を照らすランプの灯りのように、暖かで、見ていてほっとする。そんな二人だった。
もしもいつか、万が一もう一度彼らがウィンターの屋台を訪れることがあれば、今度は自分がワインを奢ることにしよう。
そのいつかを夢見ながら、彼女は瞼を閉じて眠りに落ちた。