Be inside☆
ふーふーちゃんが体調を崩したらしい。
夏が終わりに近づき、風が涼しくなってきた季節の変わり目に加えて日々の配信の疲れなんかもあるのだろう。
今日は丁度配信も休みだ。Twitterで返事はすぐ返ってきたし、彼も大人だから心配はいらないだろうが体調を崩したときは何かと心細い。
浮奇はファルガーの見舞いに行こうと荷物をまとめて家を飛び出した。
彼のことだ。普段から料理はしないしよく食べているものもサラダやラップ、サンドイッチなんかだし、消化が良いとは言えない。
下手すればTwitterで浮奇やミリーが言った通りジンジャーティーだけ飲んで寝ている可能性もある。(ミリーはほうれん草のオムレツを勧めていたけど恐らく作ったりはしないだろう。)
(メジャーにチキンスープでいいかな……卵も入れればもっと美味しいよね)
近くのスーパーで買い物を済ませてファルガーの家までの道のりを歩く。
(最初に熱を測って、次にスープを作るか…いや、まずはタオルで汗を拭かないと…)
考えながら黙々と歩いていたら知らずのうちに家の近くまで来ていたらしく、浮奇の匂いを目敏く嗅ぎつけた家主の「家族」がドアを器用に開けて駆け寄ってくる。
「今日はふーふーちゃんの看病しないとだから、遊ぶのは後でね。」
「俺と君の大好きなご主人様のところまで案内して」
そう言うと「ワン!」と返事をして家に戻っていく。
飼い主に似て、本当に穏やかで優しい子なのだ。浮奇が来て嬉しいのか、ブンブンと左右に揺れる尻尾を眺めながら、これからの看病に気合を入れ直した。
☆
犬について行って入った久しぶりの彼の家は、ちょっと懐かしい香りがする。
木と、本と、ほんの少し獣の匂いが混じるこの空間は、自分の家とはまた違う穏やかで緩やかな時間の流れを浮奇にもたらしてくれる。
しかし今日は穏やかな時間を過ごすわけにはいかない、愛しのあの人が早く元気に戻れるように最善を尽くさなければ。
「ふーふーちゃん?……入るよ?」
扉は開いていたが、一度断りを入れてからそっとベッドに近づく。
ファルガーのベッドの足元にはふわふわとした塊が寝転んでいて、浮奇を見ると起き上がって「クゥン」とひとなきした。(浮奇が来る前も同じように寄り添っていたのだろう)
(呼吸も安定してるし、熱もそこまで高くなさそう…。大丈夫そうだな)
「俺スープ作ってくるから、もう少しここで一緒にいて上げてくれる?」
ひとまず安心した浮奇は、起こすのも悪いだろうと優先順位を入れ替えて最初にスープを作ることにする。ワフワフと小さく返事をした「良い子」を撫で回すとキッチンへ向かった。
☆
「………よし」
沢山の野菜とチキンとふわふわの卵の入ったスープを作り終え、小さめのボウルによそう。彼は味の濃いものが好きみたいだけれど、体調の悪い時は味覚や嗅覚も敏感になりやすいだろうと優しい味付けにしてみた。
「キッチンのお小言は元気になってからしてあげるんだからね。」
キッチンをほとんど使用しないファルガーは手入れを怠りがちで、浮奇が来る度に小言を言いながら掃除している様子を愛犬と共にニコニコ眺めていた。
大したものでは無いけれど、いつもよく喋る彼がずっと静かに寝ていると言うのも落ち着かないから、早く元気になって欲しい。
浮奇は必要なものを全てトレイの上に乗せると、寝室に戻った。
「ふーふーちゃーん、また入るね……って、目が覚めたんだね。」
浮奇が寝室に戻ると、ファルガーがベッドの上で起き上がり下に眠る犬を眺めている。
(あの子、ふーふーちゃんが起きたなら一番に気付いて起きそうなのに……)
頭の片隅でそう思考する浮奇の耳に聞き慣れた、「冷たい」声が届く。
「人の気配がしたと思ったら……お前か、浮奇・ヴィオレタ」
「……え?」
犬から視線を動かすと、「何か」がいた。
いや、「何か」は頭では理解しているのだ。「誰か」わからない。
「……………………だれ」
喉から、たった一言それだけ吐き出すことしか出来なかった。
浮奇のその様子を見た「誰か」は、ハッと嘲笑って、浮奇に言葉を投げかけてきた。
「………『だれ』??」
「心外だな、お前の大好きな『ファルガー』だろう?」
「………違う」
「何も違わない。正真正銘、俺はファルガー・オーヴィドだ。」
「そんな、」
はずはない、と言うことは出来なかった。浮奇はファルガーのために持ってきたトレイをギュッと握り、目を瞑って深呼吸をした。
そうしなければ、視界がグラグラと揺れ気持ち悪い感覚が抜けなかったのだ。
「何か」は分かる。目の前にいるソレが言うように「ファルガー」なのだ。浮奇の大好きな、ふーふーちゃん。
でもそれを、どうしても「ファルガー」と認識できない。
その気持ち悪さに、頭が混乱する。
浮奇は目を開けて、いまだこちらを面白そうに嗤っているソレを睨みつけた。
「お前は、ふーふーちゃんじゃない。消えてよ、早く。」
「ファルガーじゃない」という言葉が気に障ったのか、一瞬ソレの顔が歪む。
「………腹立たしいな、その目を向けてくるお前も。俺を生み出したアーキビストも。」
「アーキビスト……?」
今、ソレは確かにそう言った。そして「生み出した」とも。
………彼は小説を書いていたはずだ。自分は本を読むことが得意では無いから、きちんと読むことは無かったけれど。
確か、タイトルは……
「………レガトゥス」
目の前のソレから大きな舌打ちが聞こえてくる。どうやら正解したようだ。
「お前がレガトゥスなのは分かったけど、そんなことどうだっていいんだよ。早くふーふーちゃんを返して。」
「お前を見てると、ずっと頭が混乱して気持ち悪いの。」
「……物語を読まないお前が、その中で生きる者を認識できないのは当たり前なことだろうな。」
「そう、でも言ったでしょ。『どうでもいい』って。俺にとってのファルガーは彼だけだよ、レガトゥス。」
お互いの間に沈黙が生まれる。
ふーふーちゃんとの通話に生まれるような心地いい沈黙ではなくて、互いへの嫌悪感がこの沈黙を満たしていた。
その沈黙を先に破ったのはレガトゥスの笑い声だ。
「……ははは」
「何がおかしいの。」
「お前はこんなにアレを愛しているのに、特別に想っているのに、アレが自らの苦しみを共に背負わせたのは『創りものである俺』で、お前じゃないとは………なんとも皮肉なことだ、と思ってな。」
「………………………何を。」
「俺はアレが17の時に生み出された。お前の知らないアレの苦しみも、お前に一生明かすことが無いだろう苦しみも、全部知ってる。」
可哀想に。とレガトゥスが嗤う。
自分の身体の表面にある体温が、全部内側に吸い寄せられて血が沸騰していく感じがする。それと同時に、浮奇の感情に共鳴するように家全体がカタカタと震え出した。
「………………そんなに、俺を怒らせたいんだ?」
「調子に乗らないでよ、創作物が。俺がやろうと思えば、彼の中からお前の存在を消し去ることだって出来る。」
「……そんなこと、彼は望まないだろうし、やるつもりもないけど。」
浮奇がフウ、と息を吐くとカタリ…と揺れが止まる。
「……いつか話してくれたらいい。話してくれなくても、そのとき彼が今を楽しいと思ってくれてたら良い、その中に俺がいたらもっと嬉しい。……誰にでも言いたくない苦しみなんてあるでしょ。」
浮奇の語る言葉を聞き終えたレガトゥスは、感情の無い目で言い放つ。
「フン、外にいる存在が理解できる苦しみなんて、限られてるのさ…所詮な。」
「そもそも苦しみだけで理解しようとしてるところがナンセンスなんだけど?13年間、ふーふーちゃんの中にいてそれしか理解してないの?」
「お前は……………………タイムリミットだ。」
「は??」
そう呟いた途端、ファルガーの身体からガクンと力が抜けベッドに倒れた。
「ふーふーちゃん!?!?」
「ん………?」
「大丈夫!?気分は………」
「浮奇……?なんでここに………?」
ファルガーは今までのことが何も無かったかのようにベッドから上体を起こし、浮奇と目を合わせる。
先程までの気持ち悪さは消え失せ、そこに存在するのが浮奇の愛する「ファルガー」だと確信できた。
「ああ……その、体調崩したって言ってたから…スープでも作ってあげようかなって」
「そのために来てくれたのか?………わざわざありがとうな、嬉しいよ。」
ファルガーは浮奇のもつトレイに乗ったスープをニコニコと嬉しそうに見る。
浮奇はファルガーに渡そうとするが、スープがすっかり冷めきっていることに気付いた。随分と長い間、レガトゥスと会話をしていたようだ。
「あ……ごめん、スープが冷めちゃってるみたい、温めなおしてくるね」
ちょっと待ってて!とファルガーの頬に軽いキスをして立ち上がる。
「そんなに長い間待っててくれたのか?起こしてくれても良かったのに。」
手間を掛けて済まない、と謝るファルガーに笑いかけながらキッチンに戻り、再び温め直したスープを彼にふるまった。
ベッドで自分の作ったスープを美味しそうに食べるファルガーを見ながら、浮奇が語りかける。
「…………そうだ、ふーふーちゃん。」
「ん?」
「あの、ふーちゃんが書いてる小説、俺も読んでみようかなって。」
「………本当か?それは凄く嬉しいが、どうしたんだ、急に」
「上手く言えないんだけど……やっぱり勝利を掴むには敵を知らないとなってね」
「敵………………?」
「あと、もっともっと俺に頼ってくれていいからね!なんでも言ってくれていいんだからね!!……役に立てるかは、わかんないけど……」
最後の方が尻すぼみになった「お願い」を言うとふーふーちゃんは優しく笑って「そんなの、」と言葉を口に出す。
「もう十分頼ってるぞ?浮奇と過ごすのは楽しいし、気が楽だ」
今度のコラボは何にしようか、と楽しそうに話すファルガーを見ながら「まだまだ時間がかかりそうだ」と一人思う。レガトゥスに偉そうに語ったものの、浮奇だってもっと悩みや苦しみは打ち明けて欲しかった。
(俺の愛は重いからね、覚悟してねふーふーちゃん)
思いがけないところから出てきた、ある種の「ライバル」にサイキッカーは闘志を燃やすのだった。
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