レンタル彼氏のふーふーちゃん☆
「浮奇、今日は俺とどうだ?」
そう言って腰に回された手を払い、代わりにチラと目をむけ手を振ってやる。
行きつけのバーをコツコツと音を鳴らしながら奥へ進み、今日は誰の相手もする気はないのだと気配で示しながら、お気に入りのカクテルを注文した。
最低で最高のビッチだと、自他共に認めている訳なのだけれど。
何回も繰り返される同じ台詞と同じ夜、そしてベッドで眠る男を見下ろしてから帰路に着く同じ朝に飽き飽きしていた。
「はあ………。」
「ハァイ、浮奇。ため息とか珍しいねベイビー?……今日は良い男いなかったの?」
「……ショートじゃん。そっちこそどうした訳?『ハジメテ』もまだな仔猫ちゃんが勇気を出すにはここはちょっと敷居が高いけど?」
突然現れた友人にそう言葉を返せば、ショートは顔を赤らめて小さく舌打ちしてから大人しく隣のカウンターに腰掛けた。
「…ファック。 別に、ちょっとお酒飲もうと思っただけだし。……で?」
どうしたのだという目を向けてくる。数年前に知り合ってからの付き合いであるショートは、ちょっと出会いに夢見がちだが友人想いの可愛いヤツだった。
くだらない悩みではあるけれど、あっちから聞いて来たのだから遠慮なんていらないだろうと「くだらない悩み」を音にした。
「…………………へえ」
浮奇が話し終えると、ショートは先程とは打って変わって呆れを含んだ声を出した。その顔にはありありと“聞かなきゃよかった”と書いてあって、思った通りの反応に面白くなる。
「ちょっと、自分で聞いてきたんだから責任持って俺の『楽しい性生活』に向けて考えてよね。」
「マジ最悪……。」
「最近ホント、つまんなくてさあ……」
「聞けよ。」
「あ〜、分かったから。お前に刺激をくれる人、いるからさ」
「……………………お???」
ショートからこんな答えが返ってくるとは期待していなかった。
案外くだらないものでも友人に話してみるものだと思っている浮奇の前に、青白く発光するスマホの画面が差し出される。
赤と紫のグラデーションの可愛らしいハート。そこにこれまた可愛らしいフォントで文字が書かれている。
「レンタル、彼氏」
「なんと年齢、職業、趣味、様々な男がよりどりみどり選び放題!お前にピッタリじゃん。」
浮奇は押し付けられたスマホの電源をそのまま落とすと、ショートの顔面に押し付け返した。
「あ〜はいはい、ここがお前の『王子様』を見つけるための発掘場所ってわけね?」
「ち、違うし!!まだ、使ったことないし………。」
「そもそも、こういうのは性行為までは禁止の場合だって多いじゃん。」
「……………確かに…?」
「はあ〜……まあ、いいや。暫くすればどうせ元に戻るだろうし。」
「ハア!?俺の時間使って悩み話して結局それ!?!?」
横でショートが騒いでいるのを聴きながらカクテルをちびちび消費する。
次第に近況なんかの他愛ない話に移り、その日はそれで解散した。
☆
ショートと別れて帰宅した後、諸々のスキンケアを済ませて愛猫と共にソファで寛いでいる浮奇の持つスマホの画面には、赤と紫のグラデーションのアイコンが新しく追加されていた。
どうして入れたのかは分からない。酒のノリで、なんとなく。なんとなくだ。
酒でふわふわとした頭のまま、ずらりと並んだ男達を眺める。
ショートの言っていた通り、様々な男がジャンル分けまでされて、プロフィール写真で必死にアピールをして指名されるのを待っていた。
(微妙だなぁ………)
誰も彼も、数多の男を見てきた浮奇にはイマイチ響かない。
カワイイ系は論外だし、気が強そうなのも面倒臭い。かと言って気が弱そうな男なんて楽しくないし、どうせならお洒落し甲斐のあるスマートな男がいいに決まってる。
もうアプリを消してしまおう、と最後のスクロールをしたページの一番下に浮奇の目は吸い寄せられた。
「ファルガー………………」
他の男達が必死にアピールをする写真達の中、証明写真かと思うほどなんの面白みも無い無愛想なプロフィール写真が目立っていた。
しかし、なんの飾り気のない写真だからこそその顔の美しさと端正さが際立っている男だった。
写真もシンプルなら書かれているプロフィール内容もやけにシンプルで、趣味には読書、自己アピールは「読書と人と話すことが好き」とだけ書かれていたが、その割に評価は高く全体を見てもかなり上位に位置している不思議な人。
「試しに、やってみるだけ。1回、やってみるだけだから………」
癖っ毛な自分とは全く違うストレートで色素の無い綺麗な銀髪を持っていて、目元に傷のような特徴的な痣のあるその男を、浮奇は気付けばレンタルしていた。
読書なんて、今までの人生でほとんどしたことなんてない。
人との会話は、通りにくい声質なのもあって黙ってしまうことだって多くて、お世辞にも「会話が得意」とは言えない。
全く合わない人をレンタルしてしまったと微睡みの中ぼんやりと考える。しかし無愛想な写真を見ると不思議と「大丈夫」という気持ちが湧いてきて、久しぶりすぎる「普通のデート」に心が動いている自分をどこか面白く思いながら、浮奇はそのまま眠りに落ちていった。
☆
数日後のデート当日の朝、浮奇は鏡の前で満足そうにくるりと回った。
ふんわりとしたシルエットのカジュアルな服でまとめて、金縁の可愛らしい丸眼鏡をかける。前髪も少しいじって、見た目だけは清楚で夜の街なんて何も知らない「浮奇・ヴィオレタ」の完成だ。
「何でこんなにテンション上がってるわけ?コイツ……。」
鏡の中の自分に苦笑してしまう。今の自分をショートに見られたら、向こう半年はネタにされるかもしれない。
浮奇は最後にもう一度全身を確認して、愛猫をひと撫ですると「普通のデート」の待ち合わせ場所に向かっていった。
目当ての人はすぐに見つかった。何せあの銀髪と目元の痣はそれなりに目立つ。
街頭に寄りかかって「待ち合わせ中です」という雰囲気で視線を落としスマホを眺めている。
近くを通る女性がチラチラと視線を向けながらも離れていく。その女性達の横を通り抜けて浮奇はずんずんと彼の元に近付いた。だって彼が待っているのは「俺」なんだから。
「………すみません、ファルガー…さん?」
「ん、ああ……良かった。待ち合わせ場所分かりにくかったかなと心配してた。その通り、ファルガーだ。今日はよろしく……うき?」
「うん、よろしくお願いします。」
初めて聞いた彼の声は、低めで落ち着いていて心地良い声だった。
堅物そうな顔をしているが物腰は柔らかで、あのアプリの中での評価にも納得がいく。
「君の呼び方は名前のまま浮奇でいいか?」
「うん、大丈夫」
「敬称付きでもいいが、一応今日は恋人だからな。俺のことは………」
「ふーふーちゃん」
ずっと考えていたあだ名を提案してみる。「ふーちゃん」でも可愛いけれど、2つにして「ふーふーちゃん」の方が可愛い。
俺の提案を聞いたふーふーちゃんは、一瞬目を丸くした後ティーポットのお湯が沸いた時のような音を出して笑い出した。
特徴的な笑い声に釣られてこっちまで笑ってしまって、いきなり笑い出した俺達2人に近くの人が何事だと顔を上げていたのが更に面白い。
「あ〜笑った。すまない、そんなふうに呼ばれるのは初めてだったから……。いい呼び名だな、それで呼んでくれて構わないよ」
「へへ……うん、ふーふーちゃん!」
彼は優しい顔で、声で笑ってくれる。
自分の周りにいた男たちは薄暗いバーで出会って、暗い部屋でベッドを共にするだけの存在で、浮奇を「服従させたい」という欲が丸出しの男ばかりだった。(そういうふうに振る舞っていたのも確かだけれど)
だから日が昇っている、こんなに明るい世界の中で笑いかけられたのは随分と久しぶりの感覚だと、なんだかふわふわした頭の片隅で思う。
「じゃあ、行くか」
そう言って、ふーふーちゃんが俺にスッと手を差し出してくる。
「...え?」
「うん?……ああ、手を繋ぐのは嫌か?」
嫌なら強要はしない、とふーふーちゃんが引っ込めようとした手を勢いよく掴む。
「おわっ!?」
「嫌じゃない!!」
突然飛びかかってきた浮奇にファルガーはびっくりしたようだったが、浮奇は内心それどころではなく気付かない。浮奇の視界にはしっかりと握られたお互いの手しか映っていなかった。
(手繋ぐのなんて、初めて…………かも?)
昔から性事情が色々とお察し状態だった浮奇は、真っ当な恋なんて遥か彼方で、付き合う前に体の関係を持つ方が早く本来あるべき段階をすっ飛ばして生きていたため、実はショートのことを笑えないくらいには「デート」の経験が皆無だった。
先日「試すだけ」なんて余裕をこいていたのに、今の浮奇には余裕のよの字も無い。
向こう半年どころか3年くらいショートに笑われるだろう。
(クソ……ティーンでもあるまいし……!)
(落ち着け。浮奇・ヴィオレタ、お前は最低で最高のビッチ。そうでしょう?)
頭の中でそう唱えながら、深呼吸をして顔を上げる。
「……………………………………………。」
「……どうした?大丈夫か、浮奇?」
顔を上げれば、こちらを気遣うように優しく、眉を少し下げながら笑っているふーふーちゃんの顔があって。
あっけなく、百戦錬磨の俺の心臓は撃ち抜かれてしまった。
「……………………………マジ……?」
「…本当に大丈夫か?無理はしなくていいぞ?」
1人で百面相をしている浮奇を不思議そうに、そして少し心配そうに見るファルガーに、浮奇は一言「全然大丈夫」というと繋いだ手が離れないようにもう一度強く握るとファルガーを引っ張って歩き出す。
「おっと!」
「最初は映画見るんだよね?俺ポップコーン食べたい。早く行こ!」
「ははっ!元気なら良かった。 あそこのポップコーン美味いよな、俺も好きだ」
引っ張られながら浮奇の後をついてくるファルガーは、前を歩く浮奇の表情には気付かない。
(絶っっっっっ対落としてやる………………!!!!!)
これはもう「お試し」でもなく「遊び」でもない。「闘い」だ。
昇っていく太陽の下、1人の最低で最高のビッチが真っ当な恋に目を燃やしていた。
次回、負け続ける百戦錬磨編