気付かないでね、それは、本当にただの「気まぐれ」だった。
夜の暗い海でも映える銀髪が綺麗だなとか、二本の腕が怪我のせいか不気味な色に変色してるなとか、彼が持っていたのであろう本のページが破れてグチャグチャになって、海月みたいにふわふわ浮いている様子が面白いなとか、その程度の興味。
長い永い「神生」から見たら、珊瑚の卵くらいしかない気まぐれ。
「今までに類を見ない嵐」と音の出る箱が言ったある嵐の日、浮奇は気まぐれに人間を助けた。
青い空と、青い海と、美味しい魚と、人魚の歌が有名な観光地。その港町の喧騒から少し離れた海岸の岩場が俺たちの秘密の場所。
今日も今日とて「ふーふーちゃん」が楽しそうに、「人魚の研究」について語られた論文を捲っていた。
「......人魚の主食は海藻や貝、らしいな。浮奇はどんな種類が好きなんだ?」
「あー......ぷちぷちしてる小さい実がついてるやつとか...?貝は、ほら...ふーふーちゃんがいつも食べてるのと一緒だよ。」
嘘。ホントはイルカとかシャチとか、寒いところならアザラシとか脂がのってて噛みごたえがあって、しっかり肉がついてるやつが1番好き。
でもそんなの可愛くない。今の俺は綺麗で可愛くて儚い、ふーふーちゃんだけの人魚。俺が好きなのは海藻と貝、そうだよ。
「ぷちぷち...?ウミブドウか?美味いよなアレ、俺もたまに食べるよ。ふむ......魚はあんまり食べないのか。仲間意識があるとかか?」
「......魚はお友達みたいなものだよ?共存関係ってやつ?食べたら可哀想だよ。」
人魚って魚食わないの?マジ??イルカとか程ではないけどあんなに美味しいのに......頭からいくのが良いんだよ。ガブッと。
.........全然可愛くない、却下。魚はお友達で、一緒に歌って踊って仲良くするの。...うん、可愛い。
「......見た目は上半身はほぼ人と同じ...但し見目は整っている場合が多い......これは納得だな。浮奇は俺が今まで会ってきた中で一番綺麗だ。」
「へへ...嬉しい。俺もふーふーちゃんのこと綺麗だなって思うよ。落ち着いた声も、こうやって俺とお話ししてくれる優しいところも好き」
俺がそう言うと、彼は決まって恥ずかしそうに目を泳がせる。
その後照れ隠しで頭を撫でてくれるところも大好きだし、重いだろうに、俺を抱えて砂浜を散歩してくれるところも大好き。
今度はこんな話をしよう、って俺と過ごす先のことを考えてくれるところが、大大大好き。
だから、
「でも......浮奇はここら辺で見る他の人魚とは少し違うよな。地域差があるのか?」
気付かないで、
「.........そうだね、俺は.........遠くのところから迷い込んじゃったから」
気付かないで、鋭い牙を必死に見せまいとしていることを。
気付かないで、どれだけ折っても削っても、翌日には元に戻ってしまう尖った爪を、必死に丸くしてから君に会いにいっていることを。
......気付かないで、俺が喋る度に、「俺の声」に呼応して海が騒ぐことを。
「でも、迷い込んでくれて良かったよ。そのおかげでお前に会えたし......そもそも俺はあの嵐で死んでただろうし。」
お願いだから、気付かないで。
あの嵐が、ただの神様の「きまぐれ」で起きたことに。
君を殺しかけた、君の両腕を奪った身勝手な嵐が、自分勝手で傲慢で、そのくせ助けた人間に恋をしてしまった無様な海神の「暇つぶし」だったことに。
.........お願いだから、気付かないでね。