光芒を憎む 姉が死んだ。
葬儀の日は、両親も、年に一度程度しか顔を合わせないような親族も、沢山の姉の友人達も、誰もが泣いていた。空さえ、姉の死を悼むかのような雨だった。
そんな中でぼんやりと、花に囲まれた箱に仕舞われた姉を俺は見ていた。呆とパイプ椅子に座った儘の俺を、誰も咎めず、声一つ掛けられなかったので、俺は又ぼんやり、と、『何故姉さんは死なねば成らなかったのだろう』と益体もない思考を漂った。
恵那院の家は、まあそれなりと云った処の上流階級だった。社長令息だの時を遡ればやんごとなき血がどうのなんてものでは全く無かったが、姉弟揃って幼稚舎から私学に通うのが当然というような家だった。
恵那院家の長子たる姉は、それはもう、優しい女だった。
両親も親戚も友人も隣人も、姉を知る者は、知った者は男も女も老いも若きも身内も他人も揃って『天使だ』『女神のような人だ』と姉を讃えた。肇も、それを当然だと思っていた。姉はそんな女だった。優しく、柔らかく、慈悲にあふれ、愛らしかった。姉の外見は美しかったが、姉と少しでも言葉を交わせば薄皮の美しさ等何れ程の価値があるのかと皆が思った。内面の美しさを可視化など出来れば、姉を直視する事の出来る人間は居なくなるだろうとさえ肇は思う。それほどの、女だった。
才能に溢れていたと感じたことはないが、努力を厭わず勤勉な人だった。自分の環境に感謝を忘れない人だった。人の不和に悲しんで、根気と慈愛でもって他者に寄り添える人だった。
そんな姉を自分は当然敬愛したし、姉も肇や家族を愛してくれていた。
死んでいい理由なんて一つも無い人だった。一つも。
高校二年の夏、姉の顔色は悪かった。
家族は心配して、母は休息を提案して、父は相談に乗ると言って、俺は案じる言葉をかけた。
姉はいつもよりも明るく美しく笑って、「ありがとう」と言っていたのを憶えている。
夏休みの前、道場からの帰路で姉の親友に呼び止められ、姉を案じる言葉を聞いた。
姉はもう一度「大丈夫」だと言った。美しく、美しく。
姉は、姉は酷くか細く見えた。
秋に入る前、姉が入院した。
みるみると痩せていった姉は食事をまったく受け付けなくなり、髪が荒れて骨が浮いて、湛える微笑みだけが以前の姉と同じだった。
死にゆく姉はそれでも優しく穏やかで、なのにどんなに懇願しても食事もなにもかもを拒否して命を縮めていった。
病の一つも見つからない姉の躰は栄養失調で弱っていき、誰の「何故」と問う言葉にも微笑みしか返さなかった。
掠れたか細い声で姉が慈愛の言葉を紡ぐ。そこに拒絶も何も無くただ愛情だけが在るのが苦しかった。
誰も彼もが愛した姉を救える人間が誰もいない事実が吐き気をもよおす程に醜悪に思えた。
姉は、姉は姉は姉は姉は、
誰も彼もに愛された美しい姉は、誰も彼もを愛したまま、誰も彼もに愛されたまま、うつくいしいままに亡くなった。
何故死んだのか、誰も理解らないまま姉は灰になる。
愛されていた筈の姉。恵まれていた筈の姉。最期まで、何一つ怨み言も憤りも口にしなかった姉が灰になる。
焼香をあげに来た姉の友人の誰かが、同じ制服の少女に「あの子は神様に愛されたから天国に行ったの」と耳触りの悪い慰めの言葉をかけていた。
恨むべきものの一つも知らない俺は、火葬所の外の曇り空から奔る光だけを憎んだ。