オセロゲーム① 高校生だった3年間、恋をしていた。相手は高校の教師で担任。思春期真っ只中の、人生の右も左も分からない青二才のマセガキが、手近な大人への憧れを恋と思い込んだだけなのかもしれない。
だが、相手は男でしかも無気力の塊のような教師で。何がいいのかと何度も自分に自問自答した。死んだ魚のような目、覇気のない表情、スリッパをいつも引きずるようにペタペタと音をたて歩いていた。風紀委員の俺からしたら、物申したい事だらけだった。さすがに教師に対して、正面切っては言う事はなかったが。
およそ“憧れ”とは遠いの存在なのに、ほとんど一目惚れだった。
初めて銀八を見たのは入学式の日。ステージの前に一列に並んでいた教師の中で、若いくせに白髪頭で一際目立っていた。校長の長い式辞に、まだ終わらないのかと噛み殺すように欠伸をしていた銀八の頭上を、窓から差し込む陽の光がスポットライトのように照らしていた。銀色の髪が、キラキラと光を反射して、綺麗だなと思ったのを覚えている。
白衣姿に白髪頭は、黒の学ランとセーラー服で溢れる校内では浮いた存在で、歩いていると自然と目についた。その飄々とした風貌を見かける度に、何となく目で追っていた。銀八が担任になって、恋愛対象として好きなのだと自覚するまでに、そう時間はかからなかった。
担任なのだから学校に行けば毎日、教室で顔を合わせるし、名前も呼んでもらえる。Z組は個性過ぎる生徒が集まっているからか、どうやら俺は銀八の中で『比較的常識的な生徒』に入ったらしい。授業中に使う資料作りやプリントの回収など、何かと用事を頼まれた。
こっちとしても委員会活動もあるし、正直面倒だったが、「はぁあ? 自分でやれよ」と文句を垂れながらも渋々といった体で言うことをきいた。内心、頼られるのは嬉しかった。
プリントの回収などは職員室に持っていったが、時々、授業の準備は校舎の3階の奥にある国語準備室に呼ばれた。もともとは学校の物置として使われていたが、備品が増え過ぎて、その役割は空き教室へと引き継がれたらしい。そのまま銀八が貰い受けたのだと銀八から聞いた。
「違う違う、金時が勝手に自分の部屋にしただけじゃ。理事長もさすがに、ショバ代払えっておかんむりじゃったのう」
そう言ったのは、数学教師の坂本辰馬だ。クラスで集めたプリントを此方に持ってきてくれと銀八に言われ、放課後、国語準備室へ持って行くと坂本がいたのだ。銀八の隣でパイプ椅子に座り、缶コーヒーを飲む坂本に、チッと心の中だけで舌打ちする。
「金時じゃねえ、銀八だ。だいたい、お前も勝手に自分の部屋つくってるじゃねーか」
銀八が呆れたように言葉を返すと、「おまんのマネをしただけじゃァ。アハハハハッ」と坂本は口を大きく開けて大笑いした。
「それより、金時には助手がいるのか。いいのぉ~、ワシにも欲しいが」
「だから、金時じゃねえ、銀八だっつってんだろ。どれも合ってねェから!それに、そいつは助手じゃねェよ」
ため息混じりに吐き出された銀八の言葉を、土方は片方の口角を上げて掬い取った。
「助手をするなら、ちゃんと対価を払って貰わねぇとな」
「土方…、おまえ、教師から堂々と金盗るのかよ」
「冗談だよ。だいたい、昼飯代さえ苦心してる奴から、金なんかとれねえだろ」
「あ、何で知って……、ち、ちげェよ、給料日前で、たまたま財布に入ってなかっただけだから」
銀八が椅子から立ち上がり、焦ったように言い訳する。
ーー別に金じゃなくても、かまわねェけど。
土方は喉まで出かかった言葉を飲み込むと、小さく息を吐いた。それを何か勘違いしたのか、銀八がしばらくポケットをまさぐって言った。
「じゃあ、まあ、あれだ――、はい」
銀八の声に何事かと顔を上げる。銀八が無表情な顔で差し出してきたのは、棒付きのキャンディだった。苺柄のピンクのセロファンに包まれている。授業中に銀八がよく口にしているものだ。手伝いの対価ということか。
「しょぼっ」
「はー、ったく、今の若いもんは……。先生が若い時は、キャンディなんて貰えようもんなら、ウッキウキで喜んだのにだったよ?」
「んなわけねーだろ。いつの時代だ、それ」
「え? そうだったよなぁ?」
銀八が少しも表情を変えずに、隣で面白そうに二人のやりとりを眺めていた坂本を振り返る。坂本は一瞬、キョトンとしていたが、ああ、そうじゃと大きく頷いた。
「あれは、ほんま嬉しかったのう」
そう言って笑ったが、サングラスで目元が見えず、どこまで本気かわからない。銀八は「ほらな」としたり顔で土方の方を向くが、んなの、嘘に決まってんだろと思わず重いため息が漏れた。
「なんだよ、そんなに嫌なら、いいよ」
銀八が宙に浮いたままのキャンディを所在無げに振り、ポケットに仕舞おうとする。土方は銀八の手から掻っ攫うと、制服のポケットに捩じ込んだ。
「イヤとは言ってねえ」
奪ったばかりのキャンディは、棒がほんのりと温かく、銀八の体温だと思うとじわっと頬が熱くなった
「もう、用事はないんだろ、じゃあな」
国語準備室の扉を閉めると、後ろから銀八と坂本の笑い声が聞こえてきた。銀八と坂本は銀魂高校に就任した時期が一緒だから仲が良いのだと、他の生徒が噂しているのを耳にした。坂本は方向音痴で『船』に関連する言葉を耳にすると、場所を選ばず吐くような傍迷惑な人物だが、数学教師というだけあって頭は悪くない。しかも朗らかで、居るだけで場を明るくするという天賦の才の持ち主だ。
銀八もそんな坂本に絆されているのか、何だかんだ文句を言いながらも、仲は良さそうだ。
自分でも分かっている。俺が一方的に好意を寄せているだけで、銀八の交友関係に口を挟める立場にはない。そんな事わかり切っているのだが、さっきから胸の奥にどす黒いモヤが渦巻いていて、どうにも治まらないのだ。土方は扉にもたれ掛かるようにして、はあっと深いため息を吐いた。
ここからさっさと離れよう。ポケットに手を入れると指先に硬い感触があった。さっき銀八から奪ったキャンディだ。土方はそれをポケットから取り出し、しばらく見つめていたが、そっと握り締める。やがて、そこから静かに立ち去った。
3年生に進級しても、銀八との間柄は当たり前だが、相変わらず教師と生徒のままだ。用事がある度に銀八から言いつけられるのを、文句を言いながらも手伝っていた。
その状況に、俺はまあ満足していた。二人で話す中で、銀八には今のところ付き合っている人はいないということが分かった。坂本はちょくちょく国語準備室で見かけるが、銀八とはただ単に仲の良い同僚というだけだと自分に言い聞かせ、スルーする。
だが、3年の夏休みも終わる頃には、高校生活はあと半年しかないのだという焦りが突然沸いてきた。高校を卒業したら、銀八と毎日顔を合わせることはなくなるのだ。顔を拝めるのは、数年後の同窓会ぐらいか? 下手したら数十年後ということも有り得る。
――それは嫌だ! そんな思いが土方の頭の中を占めるようになっていった。