リボンの姫と薔薇の君 いつかの時代、どこかの地に、自然と歴史が共存する美しく小さな王国がありました。
その国の王様とお后様の間にはお姫様がひとりだけいました。名を『あんず』といい、実に純真で愛らしい姫でした。
あんず姫は長い髪をリボンで結うのがお好きでしたので、両陛下は世界中からさまざまな色や模様のリボンを取り寄せては姫に贈りました。姫はこれを大層気に入り、とても大切にしていました。そのため城の者や国の民からは『リボンの姫』と呼ばれることもありました。
あんず姫は両陛下に愛情を注がれ健やかに成長していきましたが、両陛下が跡継ぎとなる男子に長らく恵まれなかったため、後継者として隣に位置する大国の王子を迎え入れ、姫と結婚させようという運びになりました。あんず姫はまだ結婚をするつもりはありませんでしたが、国の民と平和のため、そしてほかならぬ御両親のためとすんなり受け入れられました。
事は上手く運び、あんず姫が成人する18の歳になる前、結婚相手となる隣国の王子がその両陛下とともに城を訪れ、結納の儀を兼ねた顔合わせの宴が開かれることになりました。あんず姫はきらびやかなドレスを身にまとい、気に入りの赤いリボンを髪に結いつけています。食卓には豪華な料理がずらりと並びました。あんず姫の御両親である両陛下は誇らしげな思いで姫を眺めておられました。姫は姫で、いったいどのような御方がいらっしゃるのだろうと密かに胸を高鳴らせながら、王子御一行の到着を待ちわびておりました。
宴の会場に姿を現した隣国の王子は、それはそれは見目麗しく精悍とした青年でした。しゃんと伸びる背丈、品のある仕草。桜色をした短い髪は小綺麗に整えられ、羽織る上着にはいくつもの勲章が光ります。切れ長の紫色の瞳はまるで宝石のアメジストのように美しくありました。あんず姫は王子のあまりの美貌に恐縮する一方でした。
王子は名を『宗』といいました。胸元でひと際目を引く薔薇の花を象った金のブローチは、宗王子個人の紋章を表しています。そこから王子の凛々しい容姿と高貴な身のこなしとを合わせ、彼の国の民からは『薔薇の君』と呼ばれていました。
宗王子には兄がいるため、彼は第二王子でありました。この国へ婿として嫁ぐことで一国の主となるよう、互いの両陛下から沙汰を受けていたのです。
しかし宗王子は宴の間ずっと顔をしかめて不機嫌な様子で、会話を振られても口数少なく、食事もあまり手をつけませんでした。口を開く度に刺々しい言葉を投げつけるので、隣国の両陛下はひやひやとし、我が国の両陛下は眉をひそめました。
そんな王子を気にかけて声をかけたたあんず姫にも、王子はぶっきらぼうに接しました。
「あの、よかったらこれどうぞ。クリームシチューです。体が温まりますよ」
「わざわざ勧めてもらわずとも結構。口にするものは自分で選ぶ」
「ご、ごめんなさい。でもとっても美味しいんですよ。私も大好きなんです。体が温まればきっと気持ちも落ち着いて──」
「こんなみすぼらしい国、さっさと出られることができるのなら、僕の胸も少しは晴れるというものなのだがね」
宗王子はあんず姫にまったく興味がないようでした。王子は思ったことをすぐ口にしてしまう性格だったのです。隣国の両陛下は王子をたしなめてその場を収めようとしましたが、我が国の両陛下は笑顔を取り繕いつつも内心憤慨しておられました。
宴が終わったあとの夜、宗王子御一行はそのまま城内にて一晩泊まり、明日発つことになりました。
我が国の両陛下はあんず姫に、無理をすることはないと言いました。姫も王子の態度は気分よく思いませんでしたが、自分を愛情こめて育ててくださった御両親の力になりたいとの思いを捨てることはできずにいました。
どうにかして宗王子と打ち解ける方法はないか、どうすればこの国を好きになってもらえるか、あんず姫は自室のバルコニーにもたれて夜空を見上げながらぼんやり考えました。晴れ渡る空には星々が瞬き、風の心地よい夜でした。
「確かに彼の国みたいに派手さはないけれど、素敵な場所はたくさんあるのよ。鏡の泉の花畑や碧の森、街の教会の見事なステンドグラスも一度見る価値がある。お誘いしたら来てくれるかな。どう思う、リュバン?」
あんず姫が話しかけているのはくまのぬいぐるみのリュバンです。彼は姫にとって心の開ける幼い頃からの親友なのです。目印となる胸元の赤いリボンは、姫の一等お気に入りである髪結いのリボンと同じものでした。
「何か彼の好きなものとかわかればいいんだけど……お手紙でも書いてみようかな」
姫がリュバンに向かって微笑みかけ、また外の景色を眺めていると、ふとどこからか誰かの話し声が聞こえてきました。それはとてもかすかでしたが、静かな夜は音をよく通すので、耳のいいあんず姫はなんとか聞き取ることができたのです。
「──まったく、とんでもないことになってしまったのだよ。一国の主になれるというから来てみたはいいものの、期待外れだった」
それは宗王子の声でした。あんず姫は驚いて辺りをキョロキョロと見回しました。すると横並び奥に建つ別の塔のバルコニーに宗王子がたたずんでいるのを見つけました。階数は姫の部屋よりひとつ上でした。姫は宗王子の泊まる部屋がこんなにも近くに用意されていたとは知りませんでした。王子は姫には気づいていないようで、なおも独り言を続けます。
「あの姫も未だうぶな小娘といったところだね。僕の結婚相手にふさわしいとは思えない。お父様は何を考えているのか……君もそう思うだろう?」
宗王子の独り言だと思っていたら、どうやらほかにも誰かいるようです。王子が向ける目線の先に見えたのは、意外な姿でした。
『そんなことないと思うわ。優しくてかわいらしい姫様じゃない』
宗王子が話し相手としていたのは、金色の巻き髪が美しいフランス人形の女の子でした。王子は人形の彼女を腕に乗せて話しかけます。何よりもあんず姫の興味を引いたのは、その人形が『しゃべっている』ということでした。
「ふん、どうせ見かけだけなのだよ。女はみな男の容姿と金にしか興味がない。だから媚を売って近づこうとする。あの小娘も僕の美貌と富が目当てなのだろう」
『私はそんな風には思わないわ。皆が皆そうじゃないものよ。それに歳は宗くんと一つしか違わないんでしょう? もう少しお近づきになって、姫様のことを知ることから始めてみたらどうかしら』
「君までそんなことを……。僕は君さえいてくれれば十分なのだよ、マドモアゼル。僕は誰とも結婚するつもりはない」
おそらくそうなのだろうなとあんず姫は当初から感じていましたが、本人の口から本音を聞いたことで確信しました。宗王子はあんず姫との結婚を望んでいなかったのです。
宗王子はマドモアゼルと呼ぶ人形の彼女を見つめ続けました。その表情は先程の宴での様子からは想像できないほど優しく、慈しみをたずさえていました。
あんず姫はひどく驚き、はっと息を飲みました。あんなにも厳格そうな人が、自分と同じようにお人形遊びが好きだなんて思いもしなかったのです。宗王子が表へは隠しているのであろう秘密を垣間見てしまったあんず姫は、どこかいけないことをしてしまったような感覚を抱きました。しかし姫は同時にこれをまたとない機会だと直感しました。姫はあわてて屋内へ戻り、自室を出て宗王子の部屋へと急いで駆けてゆきます。扉の前まで来ると一度立ち止まり、深呼吸をひとつしてからノックをしました。
「宗王子殿下、あんずです! 夜分遅くにすみません、お話ししたいことがあります!」
部屋からはしばらく返事がありませんでしたが、のちにギィ……と控えめに開かれた扉の向こうから宗王子がそろりと顔を出しました。
「……何かね、突然。こんな時間に女人がひとりで男の部屋を訪ねるとは到底褒められたものではないよ」
「ごめんなさい……。でも先程見てしまったんです、あなたがかわいらしいお人形とお話ししているのを」
あんず姫がそう言うと、宗王子はギクッとして途端に焦りだしました。それから辺りをぐるりと見回し、姫の腕をバッ!とつかんで部屋の中へと引きずりこんだのです。姫は突然のことに驚いてよろけてしまいました。
「あ、あの、殿下!? 何を……!?」
宗王子は扉を閉めたのち、しっかりと鍵をかけました。王子は姫を部屋の奥まで引き連れると、キッと鋭い目で振り返りにらみつけました。それから声を潜めて姫に問います。
「いったいどこから盗み見ていたのかね」
「その、私の部屋のバルコニーから偶然見えてしまって……」
あんず姫がおそるおそる告白すると、それを聞いた宗王子は頭を抱えて大きなため息をつきました。そして姫を再びにらみつけ、ズイッと迫ったのです。
「いいかね、このことは絶対に口外するんじゃないよ。一切、誰にも! 一国の王子が人形遊びなどの女人めいたことにご執心だと思われては面目が丸つぶれだからね」
宗王子の気迫におののいたあんず姫は、激しく頷いて王子との距離を空けました。ですが姫の本当の狙いはここからでした。
「大丈夫ですよ。実は私にも幼い頃からの友達がいるんです」
あんず姫は隠し連れていたくまのリュバンを宗王子の前に差しだしました。王子はぎょっとした顔でリュバンをまじまじと眺めます。
「……名前は何というのかね」
「リュバンといいます。男の子です。この子はしゃべれませんが、いつも夜に部屋でおしゃべりするんです。今日はこんなことがあってとか、庭に綺麗な花が咲いたから明日一緒に見に行こうねとか……。だからわかるんです、殿下のお気持ち。私たち、お近づきになれると思うんです! よかったら殿下のお友達のお人形さんとも仲良くしていただけないでしょうか」
すると宗王子の返答より早く、別の甲高い声があんず姫のもとに届きました。
『ほら、私の言った通りだったじゃない。とてもお優しい姫様だこと』
部屋の奥にあるベッドの横、サイドテーブルの上に腰かけるフランス人形の少女──マドモアゼルが言葉を発しました。あんず姫はもう驚きはしませんでした。姫はマドモアゼルへ向けてしゃなりと会釈をしました。
「ありがとうございます、マドモアゼル殿下」
『私にまでかしこまらなくていいのよ、姫様。あなたとは仲良くなれそうですもの。もちろんリュバンくんとも。ねぇ、宗くん?』
マドモアゼルが宗王子に呼びかけます。しかし王子は固く腕を組み、変わらずどこか気に食わない様子でした。
「あの、宗王子殿下。もしよければ今度私にお時間をいただけないでしょうか」
「あいにくだが、僕はこれでも忙しい身なのだよ。君に構っている暇はない」
「殿下にこの国のことを知ってもらいたいんです。確かに殿下の国に比べたら小さくて地味な国かもしれませんが、美しい場所はたくさんあるんですよ! それらを目にしないまま『みすぼらしい』と決めつけるにはまだ早いと思うんです」
あんず姫は宗王子へ果敢に立ち向かいました。この国の美しさを知ればきっと考えが変わるはず。姫はそう信じて王子をまっすぐに見据えました。
「それに私も殿下のことをもっと知りたいです。好きなものの話とか、そちらの国のお話とか、ぜひ聞かせてほしいです」
にこりと微笑むあんず姫に、宗王子はふいにドキリと胸を動かされました。王子の性格上、彼を目の前にすると怖気づいてしまう女性が多く、このようにグイグイと押し迫る女性は今までにいなかったのです。
『宗くん、私もこの国のことをもっと知りたいわ。美しいものに触れれば、宗くんもきっと印象が変わるはずよ。この国のことも、あんず姫のことも』
マドモアゼルが宗王子を諭します。
宗王子は少しでも取り乱した自分を恥じ、あわてて平静を装いました。コホンと咳払いをするとあんず姫へくるりと背を向けます。
「今日はもう帰りたまえ」
「あ、あの、またお会いできますでしょうか」
「僕はまだ君を認めたわけではないが、マドモアゼルは君を気に入ったようだからね。……たまになら付き合ってやらないこともない」
宗王子の言葉にあんず姫の瞳はぱあっと輝きました。
「本当ですか!」
「勘違いしないでくれたまえ、あくまでマドモアゼルのためだからね。彼女の望みはできる限り叶えてやりたいだけなのだよ」
宗王子の不愛想ぶりは相変わらずでしたが、あんず姫にとっては十分でした。
「ありがとうございます! お手紙、書きますね」
あんず姫はふふっと笑うとリュバンとともに部屋の出入口へと小走りで駆けていきました。扉を開けて部屋を出たかと思うと、リュバンだけが扉の隙間からちらりと顔を覗かせました。
『おやすみなさい♪』
手を振るリュバンにマドモアゼルもふふっと笑い声をこぼしました。
『おやすみなさいリュバンくん、姫様♪ ほら、宗くんも』
「……おやすみ。扉はしっかり閉めていってくれたまえ、夜は冷えるからね」
扉を閉めたあと、あんず姫はそのまま扉にそっと背中を預け、リュバンをぎゅっと抱きしめました。姫は喜びが抑えきれず、ひとり笑顔をほころばせました。宗王子の意外な一面を知れたことで、人は見かけによらないものだとなんだか楽しくなってきたのです。
あんず姫は足取り軽く自分の部屋へ戻りました。リュバンを高く抱き上げ、それは嬉しそうにくるくると舞い踊りながら。
「ふふっ、やったねリュバン! よーし、早速計画立てなきゃ……♪」
姫の髪に揺れる赤いリボンは、結い始めの赤い糸のごとく軽やかにたなびいていました。
to Be Continued...?