「麻里はいいよな、早く泳げて」
「お兄ちゃんだって脚がヒラヒラしてて綺麗だよ」
「これを脚って言うのかな」
海の中でヒレをひらつかせながら、麻里は器用に海中を泳いでいる。麻里は人魚だ。下半身が魚のようになっていて、腰から下は鮮やかな翡翠のような鱗に覆われている。それに比べて僕は下半身は海月のように半透明でブヨブヨとしている。人魚のように早く泳げないし、綺麗な鱗も持っていない。同族は皆人魚なのに僕だけ海月ということにコンプレックスを感じている。
「それに比べて、僕の下半身は水風船みたいだよ」
「別にいいんじゃない。それに、なんかぷにぷにしてて気持ちいいよ」
麻里は悪戯っぽく笑って言った。僕はちょっと傷ついたけど、麻里の無邪気な笑顔を見ると許してしまう。麻里は僕のコンプレックスをいつも笑い飛ばしてくれる。麻里の笑顔が僕は大好きだ。麻里の笑顔につられて僕も笑う。僕らは海の中で笑い合う。どこまでも深い蒼が僕と麻里を優しく包んでくれる。麻里は僕に近づくと泳ぐのを止めて、傘の上に頭をもたせかける。
「ねえ、お兄ちゃん」
麻里は上目遣いで僕を見上げる。大きな丸い瞳が僕を映す。
「どうしたの?」
「大好きだよ、お兄ちゃん」
「僕もだよ」
麻里の頬に触れ、そっと髪を撫でる。麻里は嬉しそうに目を細める。
「お兄ちゃん、また陸に遊びに行こ」
「陸か・・・」
僕はしばらく考え込んだ。麻里は僕の答えを待って、静かに目を伏せる。長い睫毛が震える。
「うん、いいよ」
「やった!」
麻里は弾けるように笑って僕に抱き着く。麻里の身体は僕にとっては熱く感じるがそれでも僕は抱きしめ返す。
「お兄ちゃんって冷たいね」
「麻里が暖かいんだよ」
「じゃあ、もっと暖かくなることしよっか?」
麻里はいたずらっ子のような瞳で僕を見つめる。僕はどうしていいか分からずに、ただ麻里の顔を見つめることしかできない。
「あれ?お兄ちゃん照れてるの?」
「て、照れてない!」
「あっそう」
赤面する僕に、麻里は余裕の表情を浮かべた。
「恥ずかしいよ・・・」
****
「お兄ちゃん毎回こういうの着てるよね」
「だって皆みたいに擬態が上手くないしさ」
陸に遊びに上がる。麻里はカジュアルな服装に対して僕は裾の長い上着を着て下半身の傘を隠していた。同族の一部は人間に擬態して暮らしていることも多く皆上手いのだが、僕は口碗の一部を脚に擬態させることしか出来ず、傘を裾の長い服装で隠している。
「お兄ちゃん、人間に溶け込むの下手だよね」
「いいんだよ。麻里と一緒にいるためなんだから」
「嬉しいこと言ってくれるじゃん!」
麻里は僕の腕に自分の腕を絡めて笑いかける。僕も思わず頬が緩む。
「ねえ、お兄ちゃん、空が綺麗だね」
「海みたいにね」
「そういうこと言ってるんじゃないの!」
麻里は頬を膨らます。その仕草がとても可愛らしい。僕は思わず笑ってしまう。麻里もつられて笑う。笑い声が響く。
「ねえ、お兄ちゃん、あそこのカフェでお茶しようよ」
「分かった」
僕と麻里は街の中央にある広場のベンチでお茶にすることにした。
「麻里は何を頼んだの?」
「キャラメルフラペチーノ」
「キャラ何だって?」
聞いたことないものを頼んだようだ。僕はメニュー表に書いてある説明を一通り読んでもいまいち分からなかったが、麻里に促されるがまま注文した。
「お兄ちゃんは何にしたの?」
「コーヒー」
「お兄ちゃんいつもコーヒーだよね」
「特にこれってのがないし」
僕は別に飲み物なら何でもいいのだ。麻里は甘そうなキャラメルフラペチーノを美味しそうに飲んでいる。僕はコーヒーを飲みながら、ふと広場の時計を見る。時刻を見るとそろそろ日が暮れる時間帯だった。
「もうこんな時間か」
「帰らないとね」
お会計を済ませて、僕らは帰途についた。
「お兄ちゃん、今日は楽しかったよ」
「僕も楽しかったよ」
麻里は嬉しそうに笑って僕の腕に自分の腕を絡ませる。僕も思わず顔が緩む。
「あっ」
よそ見をしていたせいで人とのすれ違いざまに肩がぶつかり、その弾みで転ける。
「お兄ちゃん!」
「いっ・・・」
「大丈夫・・・か?」
転けた僕を心配そうに見つめているのは、紺色のコートを羽織った黒髪の男性だった。男性は転んだ僕に手を差し伸べる。
「ありがとうございます」
僕は男性の手を掴んで立ち上がる。男性は僕をじっと見つめた。その目は冷ややかで、どこか危険さを感じさせた。
「麻里、帰ろ・・・」
僕はそそくさと立ち去ろうとしたが、男性は僕の腕を掴む。
「待ってくれ」
「な、なんですか?」
僕は男性に引き留められる。男性の表情は堅い。
「お前は何者だ?」
「ぼ、僕はただの通りすがりの人です」
男性は僕の腕を掴んだまま離さない。麻里が男性の腕を振り払うと、僕を守るように前に立った。
「お兄ちゃんに何のよう?」
「お前は・・・」
部が悪いと感じたのか、男性は何も言わずに去っていった。
「お兄ちゃん大丈夫?」
「うん」
麻里は心配そうに僕を見つめる。僕は平静を装うが、あの男性のことが頭から離れなかった。冷たい目線に危険な雰囲気・・・。
「麻里、中身見られたかもしれない」