「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃい」
玄関前でモクマはチェズレイへと向き直る。エプロン姿のチェズレイとチークキスを交わし、向かい合って微笑む。まるで新婚生活みたいでモクマの胸は高鳴った。
「あァ、こちら、お忘れなく」
チェズレイがモクマへ手提げ袋を渡してきた。
「ん?」
保冷機能を持った小さなバッグは軽い。目で「なにこれ?」と問う。チェズレイは「お弁当です。早起きして作りました」とはにかんだ。かわいい。
「気が利くねえ。嬉しいよ」
ますます新婚さんっぽい。ポニーテールといい、チェズレイもまた新婚カップルを意識しているのかもしれない。今回のセーフハウスは一軒家タイプで、結婚を機にマイホームを持ったとするカモフラージュにはぴったりだ。あくまでモクマの妄想だが。
玄関扉を開き街へ出るモクマの足取りは羽のように軽かった。
モクマはこの街でショーマンをしていた。
街のご当地ヒーローショーに出るスーツアクターが突如失踪し、その代わりをモクマが引き受けることになったのだ。もちろん、失踪した人物の調査を兼ねている。
チェズレイは、この街の闇組織と彼の失踪を結びつけて考えているようだった。
昼はスーツアクターとしてステージを飛び、夜はスタッフ周りを探るのがモクマのミッションだ。
公演は朝から夕方まで全4回。途中昼休憩を挟む。昼食時間に仲間とカップ麺を啜るのがモクマの日常だったのだが、今日は一味違う。
「お、モクマさんは弁当ですか」
昼飯仲間の一人がモクマの持ってきた保冷バッグを見て声をかけてきた。
「まさか、まさかの〜?」
「や〜、えへへ、手作り弁当ってヤツだねえ」
「ひゅ〜。愛妻弁当じゃないですか!どれどれ」
モクマはバッグから黄色い一段弁当を取り出す。ドキドキしながら蓋を開ける。
「ほお〜!」
「ひゅーひゅー!」
興奮の歓声を上げたのはモクマではなく、周りの同僚だった。モクマも眼下に広がるチェズレイ手製弁当を見て、声にならない感動を味わう。
弁当の真ん中に鎮座する丸いフォルムのくまさんと目があった。おかかご飯を大小サイズ違いに丸めて合体させ、目と口には海苔、鼻は枝豆、耳は丸くカットされたチーズで作られている。
くまさんおにぎりの周りには茹でたブロッコリーとミニトマト、からあげが詰まっていた。
(あいつ、どんな顔してこれ作ったんだろ……)
エプロン姿のチェズレイがあつあつのご飯におかかをまぶし、ラップにくるんだそれを丁寧に丸める姿を思い描く。
食べる前から落ちそうなほっぺを手のひらで何とか持ち上げながら、モクマは唸った。
味も当然美味しかった。
チェズレイのお手製弁当は、モクマがショーへ行く日すべてに付いてきた。
メニューは様々だ。ふりかけ弁当もあったし、シンプルな白米おにぎりの日もあった。
どれもモクマは美味しく完食した。チェズレイの作る弁当が仕事の楽しみのひとつになっていた。
だが、今日でショー最終日。つまり、チェズレイからの弁当も今日で最後だ。
最後だから豪勢なメニューになっていやしないだろうかとワクワクしながら弁当の蓋を開けたモクマは、驚きに目を丸くした。
周りの同僚たちが「あ〜」「あちゃあ」と同情の目でモクマを見る。
「喧嘩したんですか、モクマさん。あんなに奥さんとラブラブ新婚生活タノシーってノロケてたのに」
「いや、喧嘩はして、ないけど、たぶん。え? これ、やばい?」
モクマは白黒の弁当を指差した。今まで色鮮やかな弁当だったのに、今日は白と黒の2色しかない。すなわち、白米の上に海苔が乗せてあるだけなのだ。おかずの1つも無かった。
「ヤバいっすね。奥さんの反撃です。今日は早く上がった方いいですよ。今亀裂入ったら離婚の危機かも」
離婚の言葉にモクマは動揺した。
そんな、弁当ひとつで別れるなんて。そもそも喧嘩も別れるような出来事も思い当たる節がない。
(まてよ。昨日晩酌からそのまま湯浴みさせずにヤッちまったから、綺麗好きのあいつを怒らせた? でも、あいつもノリノリで……)
海苔の下にふりかけくらいは無いかなと思いながら箸を入れるも、見事に弁当は白米と海苔しか構成されていない。
「で、でも、今流行りの『おにぎらず』かもしれませんよ」
同僚の斜め上なフォローも聞き流し、モクマは自分の行いを振り返りながら味気ないご飯を流し込んだ。
その夜は打ち上げが予定されていた。だが、同僚たちは口々にモクマへ早く帰った方が良いとアドバイスした。
モクマは恩に着ると言い残し、急いでチェズレイの待つ家へ戻った。
チェズレイの目の前でスライディング土下座を決める。何に謝っていいかわからないが、ひとまず謝罪の姿勢を取る。
チェズレイはモクマの行動にキョトンと首を傾げた。
「私は怒っていませんよ」
「じゃあ、今日の弁当のあれ、何?」
「ああすれば、私とあなたが喧嘩してると思われて、あなたも寄り道せず早く帰ってくるものと踏んでました。効果は、あったようですね」
チェズレイはいたずらっ子の顔でくすくす笑う。
「ホントに怒ってない? 昨日、酔った勢いでヤッたことも? 抜かずに続けたことも? 気絶したお前に昨日のパンツ履かせたことも?」
「…………あァ、今怒りがふつふつと沸いてきました」
「ごめんなさい」
「フ、罰として、あなたにはお掃除をしてもらいましょうか。これから示す場所を一掃してもらいたいのです」
「! よろこんで!」
それはつまり、チェズレイがターゲットとしている闇組織のアジトを突き止めたということだった。そして、モクマのミッションはアジトへ潜入し、組織を壊滅させ、消えたアクターを救出することに代わる。
「終えたら夕食にしましょう。ご希望は?」
「お前さんの素手で握ったおにぎり、とかどう?」
愛情込めてニギニギしてね!と付け足せば、チェズレイは目を眇めて「働き次第ですね」と口元を緩めた。