「さて、チェズレイさんや。これから俺たち何処へ行くんだっけ?」
五つ星ホテルで行われた歌姫スイのクリスマスショーを終え、慕わしきヒーローズと別れを済ませたモクマとチェズレイは、エリントンの空港ロビーに立っていた。
モクマは2人分のスーツケースを転がしながら、横に並ぶ美丈夫へ話しかける。
チェズレイは艷やかな髪を後ろへ靡かせ、口を開いた。
「南へ行こうかと」
モクマの視界に長方形の紙片が飛び込んで来た。これから乗る飛行機のチケットだ。
「へえ、暖かくていいね…………ん?」
モクマは目を見開いた。
見慣れてきた『ファーストクラス』表記の上、行き先空港の名に見覚えがあった。
そこは穏やかな南の島にある空港。一年前、モクマはチェズレイとそこで三週間滞在したことがある。長年凝り固まって氷解せずにいたわだかまりを溶かすため、そして、相棒の傷を癒やすために。
目線を持ち上げると、薄く笑みを浮かべたチェズレイと目が合う。モクマの言葉を待つ彼へ、モクマは遠慮なく応えをぶつけることにした。
「……このタイミングで何しに? なんて、愚問かもしれんが言わせてくれ。何しに行くんだい?」
「フ、愚問ですねぇ。年末年始といえば『大掃除』と『ご挨拶』ですよ」
「俺のおふくろん家に?」
モクマはボリボリと後頭部をかいて、むず痒さをやり過ごす。
相棒の気遣いに感謝する反面、母親へどんな顔をして向かい合えばいいのか心の準備が出来ていない。一年前、ようやっと長年会わずにいた親族と向き合ったときは、チェズレイの祖国での事件を受けて実母へ感謝を告げようという覚悟があった。確かに別れ際、また来るかもねと母へ挨拶したが、そのときは5年、10年先の話だとモクマは考えていたのだ。
横に立つ相棒が世界一律儀な詐欺師であることをすっかり失念していた。
かの詐欺師は口角を持ち上げ、微笑んでいる。モクマにサプライズが効いて愉しいようだ。
「実はね、モクマさん」歌うようにチェズレイが続ける。
「追っているシンジケートが南の島東南部に支部を立ち上げたと情報が入りまして。それはそれはすみやかに『大掃除』した上で是非ともボスへ『ご挨拶』しなければならないと考えた次第です」
「あ、そっちね」モクマはかくんと肩を落とした。
なんだ、闇組織を潰す仕事をしに行くのが目的か。母への顔見せは我々の仕事のついでなのだ。
「どちらが『ついで』でも私は構いませんよ。モクマさんの好きなように解釈していただければ」
チェズレイの用意した名目に安堵するモクマの心内を見透かすようにチェズレイが言う。
「どのみちおふくろへ会いに行くのは決定事項じゃないの」
「おや、無敵の武人がまさか怖気づきましたか?」
「うんにゃ」
モクマの足は空港のチェックインカウンターから逸れ、右の側道へ向かう。色とりどりの明るいポップが観光者を手招くお土産エリアへと足を踏み入れた。
チェズレイも静かについてくる。
「去年はヴィンウェイ土産、今年はリカルド土産か……」
モクマは、リカルド国旗をあしらった焼き菓子の箱を眺め、呟いた。
「我々が世界中を飛び回っている証左には十分すぎるでしょうねェ」
「この分じゃ、来年はハスマリー土産になっちまわない?」
チェズレイの母国ヴィンウェイ、ルークの働く国リカルドときたら、アーロンの守るハスマリーを仲間外れにはできないだろう。
「ミカグラ島もお忘れなく」チェズレイがウインクする。
つまり、少なくとも今年をのぞいてあと2回は実母へ挨拶することになるかもしれないのか。
モクマは肩を竦めて小さく笑った。
なんだか楽しみになってきた。毎年色んな国のお土産を持ってはその国に関する人や出来事を話す息子に、母親はいったいどんな顔をするのだろう。
「チェズレイさんや」
「はい、モクマさん」
「連中の掃除は30日までに終わらせよう。そんで、年越しそば食べて、初日の出見て、おふくろの家でゆっくりしようや」
ここ数年の年越しでは敵アジトの爆破が彩った。そういう華々しさや気忙しさの無い時間を過ごすのもたまには良いだろう。
モクマの脳裏に浮かぶのは、母親と並び着物を身に着けたチェズレイがモクマの隣で枡酒を煽っている姿。
今回じゃなくてもいい。いつかの来訪で叶えば良い。
下衆な妄想を読み取っているだろうに、チェズレイは目を細めただけで何も言わなかった。
モクマの手から焼き菓子の箱を奪い取り、会計レジへ向かってしまう。
「あ」
「モクマさんは荷物番を」
ひらり、手を振って人波へ溶けていく相棒を見送る。
1週間後――1月1日 夕方
果たして、モクマの妄想は叶えられることとなった。
モクマの母親と同じ着物を身に着けたチェズレイがモクマの隣に正座している。
空いたモクマの酒器に米酒を注ぐ姿は1枚の絵画のようだった。
「……夢?」
あまりにも美しく、望んだ光景過ぎて、現実を疑ってしまう。
「初夢を見るには早すぎますよ、モクマさん」
チェズレイがくすくす笑う。乾杯で数口米酒を呑んだからか、頬は赤らみ、いつもより気が緩んでいる様子だ。
「あなたが望んだことでしょう、モクマ。チェズレイさんに着物を着てお酌してほしいと」
ピシャリと言ってのけた実母の言葉にモクマは慌てて首を横に振って無実を訴える。
「そんなこと言って……言ってない、よね!?」
「そうですね。言ってはないですね」
またもチェズレイは喉を鳴らしてふくふく笑った。
「ですが、下衆のたくらみなどおみとおしですとも」
「やだー、見通されてた!?このレンコンみたいに?!」
箸で持ち上げた酢レンコンを目の前にかざす。チェズレイがまた可笑しいと笑い声を上げた。彼の肩の震えは止まらない。
「ククク……ハハッ、このドラゴンを見てたら、はは、今朝のボスのお年賀メールを、思い出してしまいましたァ」チェズレイが酒瓶のラベルを抱いて笑っている。
金色インクで表現された昇り龍とルークの描いた拙い龍?を比べているようだ。
「うんうん、可愛らしい龍だったよね」
「はぁー……スゥイートなボスぅ……今頃、酔っ払いに乗じて罪を犯す輩を逮捕しているのでしょうか」
「うんうん、そうかもね」
モクマの視線がチェズレイのうなじへ吸い寄せられた。
日頃首を守っている長い髪は頭上に纏められ、藤の簪が刺さっている。下衆の視線に晒されているうなじはほのかに朱く色づき、透き通ったプラチナブロンドの房が柳葉のようにその上に垂れ下がっている。
こころなしか、房の数が増えている。チェズレイが肩を揺らして笑ったことで髪の纏まりが緩み始めたのだろう。
「チェズレイ」
「はい」
モクマがうなじへ伸ばした手のひらは、チェズレイの左耳を包みこんだ。
あついな。お酒のせいで体温が上がっているのが手に取って分かる。
「ふ……」
チェズレイがゆっくり目を閉じた。モクマが耳に触れたことをキスの合図と勘違いしたらしかった。思えば、最近口づけを交わすときはいつもチェズレイの耳に手を添えていた。
目の前の馳走を前に食わぬ選択肢はモクマにはなかった。
「……ん、」
お酒の匂いがする。耳以上に吐息が熱い。
(あ、これ、やばい、かも……)
「――ごほん……!」
降ってきた重い咳払いにモクマとチェズレイはハッと息を飲み、背筋を正した。あまりの羞恥で、向かいの席に座る咳払いの主の顔を確かめられない。
しまった、母親の前でなんてことを。
気が緩んでいるのはチェズレイだけじゃなかったのだ。
「良い一年になりそうね、モクマ」
モクマの気持ちを何もかも見透かしたかのような母親の一言に、モクマもただ静かに頷くしかなかった。