1528①-2「ちょっと待ってよ! それ、どういうこと?」
「今説明した通りだ。今日中に荷物をまとめて指定の場所に移れ。いいな」
「よくないよっ」
渚君の世話係を勤め初めて二週間が経ったある日。出勤してすぐ最高責任者である父に呼び出された僕は、予想もしていなかった命令を下されて柄にもなく大声を出した。
社長室にいるのは、上司である実父ゲンドウと僕の二人だけなので、多少の大声は問題ない。普段の業務命令ならここまで反抗することはないけれども今回の話はそうはいかなかった。
「どうして僕が渚君と一緒に住まなきゃいけないんだよ。サポートはきちんとしてるし、今まで通り通いでも問題ないはずだけど」
「上からの命令だ。仕方ないだろう。お前は随分とゼーレの孫に気に入られているらしいからな」
「気に入られているって……普通に接してるだけだけど。それにこっちに知り合いいないって言ってたから頼れるのが僕だけなんでしょ」
まだ日本に来たばかりなんだから、必然的に親しい人間は限られてくるのは当たり前だ。たまたま僕が渚君の世話係を任されたってだけ。それなりに仲良くできていると思ってはいるけど、特別気に入られるようなことはしていないと思う。
「その孫、渚カヲルがお前のことをゼーレの会長に話したらしい。いたく感謝していた。これからも長期的な世話係として任命したいそうだ」
「……それって拒否出来るの?」
「不可能だ」
「そう……」
そんな気はしていた。僕に話が来た時点で、それは確定事項となっていて僕個人の意見は関係ない。たぶん上の方で色々と取引をしているに違いない。それが会社の利益になる取引だから、僕を貸し出すことに迷いはないのだ。そういう父親だと理解しているから今更抵抗しても仕方ない。それに本気で嫌だったらストライキしたって良かった。
「……僕の仕事はどうするの?」
「現在進行中の業務はそのまま継続し、徐々に他職員に分配。自分で負担のない業務量になるように調整しろ」
「わかった」
完全に仕事をさせてもらえなくなるよりはマシだろう。上の要望は、渚君が学業に専念できるように家事などのサポートを近くでして欲しいということ。家事をするのは嫌いではないけれど、それ専門の人と比べたら全然なのに。
「他に質問は?」
「期間は決まってるの?」
「渚カヲルが帰国するまでだ」
そっか。彼の母国は外国だった。だからいつかは帰るんだ。それが中学卒業後なのか、高校卒業後なのかは本人に聞かないとわからない。もしかしたら、その間に僕の手が必要じゃなくなるかもしれない。最近は料理も洗濯も一緒に出来るようになったし。
きっとすぐに僕の手助けなんて必要なくなるんじゃないか。そうなればきっと渚君に会うこともなくなるんだろうなと考えると、少し寂しい気持ちになる。いずれにせよ、彼との別れはいつかはやってくると決まっているのに。
◇◇◇
僕は住居移動命令を受けた次の日から言われた通りに渚君の住むマンションに移り住むことになった。その日は昼には自宅に戻る許可を得て荷造りをした。最低でも一年は一緒に住むことになるので、元々僕が住んでいたアパートは解約することになる。
住まないのにそのまま残しておくのは家賃がもったいなかったからと、僕自身の荷物があまりなく引越しが簡単だったからだ。ダンボールに衣類などや日用品をまとめても八箱で済んだ。明日大きめの家具と一緒に会社の方で運んでくれるらしい。
一応会社命令だからそれくらいはしてもらわなきゃね。特に家具に思入れがあるわけでもないし、必要なさそうな物は処分してもらうことにした。実家を出てからずっと住んでた家だけど、ガラガラになった様子を見ても特に感想は思いつかない。これからの生活の方が気にかかるからだろう。
なんか勢いで一緒に住むことになってしまったけれど、渚君はどう思っているんだろうか。気ままな一人暮らしだったのに、急に他人と同居するなんて普通なら嫌だと思うかもしれない。気まずさを感じるけれど、今日も夕飯を作りに行かなきゃ行けないんだよなぁ。でも僕はまだ渚君と直接引越しについて話をしてなかった。携帯の番号は知っているけれど、電話をかける勇気がなかったから。本当だったら先に本人の意志を確認するべきなんだって分かってる。だけど、彼の口から『一緒に住むのは嫌だ』と言われたらと思うとやっぱりショックで。嫌われてはいないと思っているけれど、どこまで好かれているのかも分からない。結局僕は、渚君になんて言って貰いたいんだろう……。
必要な数日分の着替えだけバッグに詰めて部屋を出る。向かうのはいつものスーパーだった。今日の晩ご飯は炒飯にしようね、と渚君と話していたからその材料を買いに行かないといけなかった。引越しの件はともかく、身の回りの世話をするのは辞められないから。もし万が一、渚君に嫌だって言われたらどうしよう。部屋は契約を切ってしまったので、すぐには戻れないだろう。一日、二日くらいなら泊めてくれるかな……。ダメなら会社で寝泊まりしながら家を探すしかないけど。どこでも寝られる体質で良かったなぁと思う。
まだ決まってもないのにぐるぐる考えていたら、いつの間にかスーパーの近くまで来ていた。スーパーから聞こえてくるテーマソングに気づいて顔を上げた僕は、その先に見慣れない光景を見ることになる。店の入口の壁に寄り掛かるようにして人が立っていた。彼が身体を動かすと銀色の髪が陽射しを受けて輝いて見える。俯いているから印象的な瞳は伏せられていて見えないけれど道行く人の視線を集めているのがわかった。彼がそこにいるだけで周囲の空気が変わる。
「……渚君! どうしたのこんな所で。何かいるものでもあった? だったら連絡してくれたら良かったのに……」
パッと顔を上げた渚君が僕の顔を確認して安堵の表情を浮かべた。壁から離れ近づいてきた彼はゆっくりと手を伸ばして僕に触れる。その手は冷たかった。
「シンジ君。良かった、来てくれたんだね」
「え? ご飯作るために買い物しに行かなきゃだから……。今日の晩御飯は炒飯がいいって言ってたよね?」
「……ああ、そうだったかな」
渚君にしては何だか歯切れが悪い返答だった。僕がスーパーに現れたことにも驚いていたみたいだ。ぎゅっと握られたままの手をどう扱えばいいのか戸惑ったけれど離す気はないみたいなのでそのままにしておく。
「ええと……渚君も何か買い物しに来たのかな?」
「待っていたんだ、シンジ君を」
「僕を?」
今までこんなことなかったのに、急にどうしてだろう。僕の手を握る彼の手は冷たいけれど、しっかりと力がこもっていた。瞬きする瞳に視線が吸い寄せられる。少し潤んで見えるのは気のせいだと思うんだけど。
「祖父のせいで、僕と急に同居することになっただろう? 」
「あ、うん……」
「それが嫌になってシンジ君が、もう来てくれなくなるんじゃないかと思ってね」
確かに最初は驚いたし、最終的には業務命令だから従うことになったけど、嫌になるなんてことはなかった。渚君が良い子なのはよく分かっていたから。
「僕が来なくなると思って心配で待ってたの?」
「そうだよ」
僕の質問にすんなりと答えて渚君が微笑んだ。もう穏やかないつもの表情に戻ってる。僕が現れたことで不安がなくなったからだとしたら、なんだろ……ちょっと、嬉しいかもしれない。
「僕は渚君の方が嫌がるんじゃないかと思ってたよ」
「どうしてだい?」
「なんて言うか……監視されてる気分になったりしない?」
学校に行ってる以外、四六時中他人と一緒にいるなんて普通の感覚なら嫌なんじゃないかと僕は思うんだけど。渚君は誰かといつも一緒にいたいってタイプには見えなかった。きっと一人を楽しめる子だ。時々甘えるように触れられることはあっても、彼なりのスキンシップだと思えばなんてことはない。
一回り以上離れている子供と手を繋いだくらいで心を乱される方が変だ。これから一緒に暮らすんだから、これくらい慣れないと。そう思っているのに、重なっていた彼の手が動き、指を絡められてドキドキしてしまう。なんて情けない。
「監視か……むしろ嬉しいよ。僕は、シンジ君のことが好きだから」
にっこり微笑まれ、顔面が熱くなる。少し低い位置から見上げるように見つめてくる赤い瞳が妖しく輝いているように見えて、僕は咄嗟に目を逸らした。
「僕だけを見つめるのなら、幾らでも監視してくれて構わないよ」
「……もっ、もう、何言ってるの。そんなことする訳ないでしょ」
「そうなのかい?」
「渚君が悪いことするっていうなら保護者として見ておかないといけないけど……君はそんなこと、しないよね?」
渚君は良い子だから僕を困らせるようなことはしないはすだ。そうだよね? と同意を求める視線を向けると、彼は穏やかに微笑んで「もちろんさ」と答えた。
つづく。