泣き虫ナっちゃんナツは恋というものを知らなかった。しかし、ある人がずっと、出会った頃からずっと気になっていた。それはグレイのことだ。幼い頃に初めてギルドを訪れた時、不思議な胸の高鳴りを覚えた。その時は喧嘩に発展してしまいその気持ちは有耶無耶となったが。それでもグレイが気になるということは変わらなかった。出会い以降、喧嘩友達のような関係となってしまったのはいいことなのか悪いことなのか。今日も今日とて喧嘩三昧。挙句の果てにはグレイは嫌いなものにナツを挙げていた。グレイに嫌いと言われると条件反射でグレイに嫌いだと言ってしまう。売り言葉に買い言葉とはこのことだ。ナツは家に帰る度に泣きじゃくっていた。
「もう、けんか、やだあ……」
そう言って泣くと、同居人であり相棒のハッピーが辛辣なことを言いつつも慰める。
「まぁ、確かにナツとグレイって喧嘩ばかりで仲悪そうに見えるよね。」
「うぅ……だってぇ……」
「でもさ、ナツもグレイのこと嫌いじゃないんでしょ?」
「うん……。好きだけどぉ……」
「なら大丈夫だよ!きっとうまくいくよ!」ハッピーの言葉を聞いて少し元気が出たのか、ナツは涙を引っ込めた。そして決意したように言う。
「決めた!おれ、グレイと喧嘩しないようにする!」
ナツは決意を胸に、次の日ギルドへと向かった。ギルドに入ると、いつも通り騒がしい声が聞こえてくる。その中にはもちろん、グレイの姿もあった。ナツは勇気を振り絞ってグレイに声をかける。普通を心がけて。喧嘩腰ではなく、友好的に。
「よう、グレイ!」
喧嘩腰にならないように気をつけてグレイに声をかける。するとグレイはこちらを向いて返事をした。
「おう」
それだけだった。たった一言だけ。だがそれで十分だった。ナツの顔が真っ赤に染まったからだ。
(えっ!?なんで?どうしてだ?)
ナツは自分の顔が熱くなるのを感じた。心臓の音が大きく聞こえる気がして落ち着かないでいると、グレイは続ける。
「お前、昨日俺を殴ってそのまま帰りやがって!」
「そ、れはお前が殴ってくるからだろ!やり返しただけだ!」
ナツは必死になって言い訳をする。本当は殴りたくなんてなかったのだ。ただ、グレイを見るとつい手が出てしまうだけで。それを聞いたグレイは呆れたような顔をしていた。
(なんだよこいつ、そんな目で見るなよ)
ナツはさらにムキになった。自分が好きなことを悟られたくない一心で。だからさらに口撃を続ける。
「そのタレ目で睨んでくるからだろう!ころタレ目野郎!」
……やってしまった。また、喧嘩腰になってしまった。これではまた喧嘩に発展してしまう。せっかく仲良くしようと思ったのに。ナツは後悔したが後の祭りである。案の定、グレイは怒った様子で言った。
「テメェ、いい加減にしねぇとその舌引っこ抜くぞ」
「やってみろよ、このクソやろー!」
結局このまま喧嘩が始まってしまった。この後、エルザに怒られて喧嘩は終わったが、2人の雰囲気は喧嘩腰を維持している。ナツはそのことが嫌で嫌でたまらなくて、ため息が出た。
***
それから次の日のことだった。仕事を終えて帰ろうとした時、ギルドの入り口付近で見覚えのある人物を見つけた。それはグレイだった。どうやら誰かと話しているようだ。相手を見てみると、ウェンディだった。ウェンディは何か困っているようで、グレイに相談しているらしい。そっと覗き見ると、時折笑顔をグレイは浮かべる。……自分には見せてくれないのに。そう思うと、胸の奥がモヤッとした。
(あれ?何だ今の感じ……?)自分の感情がよくわからず戸惑い、ハッピーがいるのも忘れてその場を離れた。
家に着くとすぐにベッドに飛び込んだ。寝転びながら考えることはやはり先程の光景について。あの時のグレイはとても楽しそうな表情をしていた。自分には向けられない表情。それが悔しくて仕方がない。いや、喧嘩相手に笑顔なんて向けるわけない。そんなの分かってる。それでも、どうしても悲しくて寂しかった。自分はこんなにもあいつのことを想っていたんだと思うと同時に、今までの想いが溢れ出してきた。気づいた時には泣いていた。止めどなく溢れる涙を止める術はなく、ひたすらに泣き続ける。
すると突然、家の扉を叩く音が聞こえてきた。誰だろうかこんな時間に。時計を見てみると時刻は既に夜の11時を過ぎていた。無視しようと思い再び目を閉じようとしたその時もう一度ドアを強く叩かれた。仕方なく玄関まで行き、鍵を開けるとそこにはグレイがいた。驚いているとグレイはズカズカと部屋に入り、ナツを押し倒した。そして言う。
「誰に泣かされた?」
いきなり押し倒されて混乱する頭の中で、グレイの言葉を理解した瞬間、一気に顔が赤くなった。そして慌てて否定する。泣き腫らした目は誤魔化せないかもしれないけどそれでも精一杯否定する。するとグレイは訝しげな眼差しをこちらに向ける。そして、ナツの頬に手を当てた。ビクッと肩が跳ね上がる。そしてグレイはナツの目元に触れた。そして言う。
「やっぱり泣いてんじゃねーか」
「ち、違うこれは……」
「違わねえよ」
グレイはナツの言葉を否定した。そして言う。「誰がお前を傷つけた?」
「……」
ナツは何も答えられなかった。だって、自分でもわからないんだ。グレイはナツを抱き起こして抱きしめると優しく頭を撫で始めた。ナツは抵抗しなかった。むしろもっとしてほしいと思っているくらいで。
「ナツ……教えてくれ、誰にやられた?」
ナツは少し躊躇った後小さな声で言った。
「……お前だよ、ばかぁ……!」
ナツは耐えられなくなり、余計に泣いてしまう。
「え、俺!?」
ナツの告白を聞いて驚くグレイ ナツはこくりと小さくうなずいて肯定した。
「も、おまえとけんか、したくねえよ……!」
ナツはしゃくりあげながらも必死になって言葉を紡ぐ。
グレイはナツがどうして泣くのか理解できずにいた。
ナツはグレイの腕の中にすっぽりと収まって静かに涙を流していた。グレイはナツが落ち着くように背中をさすってやる。
「ごめんな、喧嘩した時、力入れすぎたか?それとも他になんかあったか?」
ナツは何回かぶるぶると首を横に振った。「じゃあなんで泣いてんだよ」
「……」
「ん?」
ナツが言いづらそうにしているのを感じ取り、急かすことなく返事を待つ。しばらくしてようやくナツが口を開いた。
「い、つも、けんかばかりで、すきとか、そういうこと、いえなくて」
「うん」
「でも、おれ、ほんとは、ずっといっしょに、いたいし、なかよくなりたい」
「おう」
「きのうだって、けんかしないように、したけど、ついいいかえしちまって、けんかしちゃって」
ナツは途切れ途切れになりつつも懸命に言葉を口にしていく。その度にグレイは相槌を打ちながら聞いていく。
「そ、れに、このまえ、ぐれい、きらいなものにおれのこと、いってたから、きらわれてんだって、かなしくて」
そこまで言ってまた泣き出した。今度は嗚咽混じりだった。グレイは黙って聞いていたが、最後の言葉でとうとう我慢できなくなったらしい。ナツをぎゅっと強く抱き締めて、耳元で言う。
「嫌ってなんかないっつーの。」
「俺はそもそも好きじゃないやつに構ったりしない。それに、さっきウェンディと話してたのは相談に乗ってやってただけだ。だから安心しろ。」
「……じゃあ、きらいなものに俺の事出してたの、あれ何なんだよ。」
まだ疑っているようで、ジト目を向ける。すると、グレイは顔を赤く染めて恥ずかしげに視線を逸らす。そしてぼそりと言った。
「それは……お前のことがこういう意味で好きなの、気づきそうにないもんだから……八つ当たりしちまった。ごめん……」
まさかそんな理由だと思わなかったナツはぽかんと口を開けている。そして、ぷいっと横を向いてしまった。だが、すぐに向き直る。そして言う。
「……おれも、たぶん、そういういみで、すきなんだとおもう、んだけど……」
ナツは消え入りそうな声で言う。止められていない涙が一筋流れ落ちた。グレイはそれを見て心臓を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。今まで散々傷つけてきたという自覚はある。だけど、ここまで想ってくれてるなんて思ってなかったのだ。グレイはナツの顔を上げさせると、唇を重ねた。突然の出来事にナツは固まる。
「好きだ、愛してる……」
グレイはナツにだけ聞こえる声で囁くと再びキスをした。そして何度も角度を変えてキスをする。ナツは息ができなくなってグレイを押し退けようとするがびくりとも動かない。やがて苦しくなり、頭がぼおっとしてくる頃、やっと口が解放された。
「ぐれ、い……」
ナツは呼吸を整えつつ、目の前にいる男の名前を呼んだ。グレイは優しく微笑んでナツの頬に触れる。ナツはその手に自分の手を重ねてすり寄る。
「涙、止まったか?」
「え?あ、止まってる……」
ナツは自分の顔に触れてみると確かに濡れていなかった。グレイの行動に驚きだ。あのグレイが自分にあんなことをするなんて……。しかも自分と同じ気持ちでいるみたいだし。ナツは嬉しさ半分戸惑い半分といったところだった。
「泣かせちまったのは俺だもんな……ごめんな……」
「……別に、お前が悪いわけじゃねーよ」
ナツはぶっきらぼうに答える。そう、グレイが悪いわけじゃない。俺が、今の喧嘩仲間という関係じゃないものになりたかっただけなんだ。
「……喧嘩ばっかは嫌だ。その、喧嘩仲間じゃない関係に、なりたい……」
ナツは勇気を振り絞って言った。言ってしまった。これで嫌われたらどうしよう。ナツは不安でいっぱいになる。しかし、返ってきた答えは全く予想もしていないものだった。
ナツが恐る恐る見上げるとそこには優しい笑みを浮かべるグレイがいた。
「その関係をなんて言うか知ってるか?」
「わからん」
「恋人同士っていうんだぜ」
「こいびと?」
「ああ。」
ナツはグレイの言葉を聞いてみるみると赤面していった。グレイはそれを見てくすりと笑うと、もう一度口づけをして抱きしめた。
「俺の、恋人になってくれないか?」
グレイは真剣な表情でナツを見つめて言った。ナツはしばらく固まっていたが、グレイの目を見るとこくりとうなずいた。
「なる。」
二人は笑い合うとどちらからともなくまた口付けを交わした。それからしばらくの間抱き合ったままお互いの体温を感じていた。
「目、腫れる前にこれで冷やせ、な?」
グレイは魔法で氷を作り、ナツの目元に当てる。ひんやりとしていて心地よい。ナツはそれを受け取ってじっと見つめていた。そしてぽつりと言う。
俺はこの男が好きなんだなぁ…… 改めて実感した瞬間だった。
今更ながらに恥ずかしさが込み上げてくる。さっきまで泣いていたせいもあって目が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。ナツは恥ずかしくて顔を上げられずに下を向いたままだった。すると、ふわりといい匂いに包まれる。それがグレイの腕の中だと気づくまでに時間はかからなかった。そしてそのまま頭を撫でられる。ナツはグレイの胸板に顔を押し付けるようにして抱きついた。すると、グレイもぎゅっと力を込めてくれる。それだけでも幸せを感じた。しばらくして、グレイは腕を緩めると少し体を離してナツの顔を見る。まだ目は赤いもののだいぶマシになっていた。それを確認するとグレイはその目元にキスをする。
「泣かせちまって、ごめんな。」
グレイは申し訳なさそうに謝った。俺は首を横に振って大丈夫だという意思を示す。すると、今度はぎゅっと抱き締められた。そして耳元で言う。
「好きだぞ、ナツ……」
ドキッとした。心臓がバクバクしている。ナツもグレイの背中に腕を回しておそるおそる呟く
「おれも、すき……かもしんねぇ…………」
多分、好き、だと思う。確信はないけど。
グレイはナツを離すと、ナツの顔を覗き込むようにして見る。ナツは恥ずかしさから目を合わせられないようだったが、グレイに促されてゆっくりと目を合わせた。グレイはナツの目に溜まっている涙を指先で拭う。そしてそっと唇を重ねた。ナツもお返しとばかりにグレイの首に手を回して引き寄せると、唇を重ねる。何度も、何度も繰り返した。
やがて唇が離れる頃にはナツは別の涙が流れていた。
「ど、どうした!?キスいやだったか!?」
「ち、ちがう!そうじゃなくて……」
ナツは慌てて否定する。決して嫌ではなかったのだ。むしろもっとしたいくらいで……。
「……嬉しくて。グレイとこんな……喧嘩しなくても側にいられるの、初めて……だから。」
「ナツ……」グレイは愛おしそうに名前を呼ぶと、ナツを抱き寄せた。
「俺だって、嬉しいよ……」
「ん……」
ナツはグレイの胸に顔を埋めた。こうして二人でいるだけで幸せな気持ちになれる。喧嘩してるのも、グレイとの大切な時間だし、2人だけの特別なものになるから好きだ。だけど、喧嘩ばかりは……悲しいから。
「グレイとなら喧嘩するのも好きだけど……喧嘩ばかりは、不安になるから、嫌だ……」
ナツは素直な思いを口に出した。グレイはナツの言葉を聞くと優しく微笑んでナツの髪をかきあげると額に軽く口付けた。
ナツは驚いてグレイを見上げる グレイはそんなナツを見てくすりと笑うともう一度口付ける。
ナツの目に流れていた涙が止まる。もう悲しさはどこにもなかった。ただ、目の前にいる男が好きで好きでたまらないという感情だけが心を占めていた。ナツはもう一度グレイの胸に飛び込んだ。それをグレイは再び受け止めてくれる。
「また泣かせちまうといけねえからな。お前には笑っていて欲しい。」
「うん。ありがとうな、グレイ。」
ナツは笑顔で答えた。
グレイは満足げに笑うともう一度口付けをした。
涙が流れたその後は、綺麗な綺麗な笑顔が咲いた。