良守は、縁側から空を見上げた。
雲は強い風に吹かれて早いスピードで流されていく。そして降り続く強い雨。
古い日本家屋の墨村家はクーラーなどあるわけもなく、暑く湿った空気が部屋にこもり、それを扇風機がかき回すだけでしかなく、じっとり汗をかいて不快だった。
学校が夏休みに入った兄は昼間も家にいる。そのことが良守にとっては嬉しかった。
毎朝一緒に早起きをして道場で繁守に稽古をつけてもらい、そのあと庭で修行もかねつつ水遊びもしつつ、そして朝ごはんを食べる。夏休みがまだない良守にとっては、それが特別な毎日になっていた。
なのに今日は台風が近づいているということもあり、朝の水遊びもなく昼間も外では遊べそうにもない。そのことがより暑い不快感を増す原因になっていた。
「つまんない・・・」
口に出したところでだれからも返事があるわけでもない。今、茶の間にいるのは良守一人なのだ。正守は部屋でおそらく宿題をしているのだろう。
仕方なしに絵本を引っ張り出したり、おもちゃを出してきたところで一人で遊んでいてもつまらない。
いつもの日常と変わらないはずなのだが、家に正守の気配があるのに一人残されているのがたまらなく嫌だった。
しばらく一人でなんとか遊んでいたがそれにも限界があり、あまりのつまらなさに正守の部屋を覗きに行く。机に向かっている背中にそっと声をかけた。
「にいちゃん、あそぼ」
「もう少しで宿題終わるからそのあとな」
振り返らずに机に向かったまま答えた。集中しているのかこちらを向いてはくれない。
「つまんない!!遊ぼうよ!!ねえ!ねえってば!にいちゃん!」
いつもならここまでしつこく食い下がらないのだが、天気がジメジメしてて鬱陶しい気分もあり、今日は構ってもらえないことになぜか我慢できなかった。
「うるさいなぁ。宿題終わったらって言ってるでしょ!」
それでも振り返らずに言われ、限界を超えた。
「にいちゃんのバカ!もう知らない!」
真っ赤な顔で怒鳴ると、正守の部屋を足早に去った。
「にいちゃん遊べないって…」
威勢を張ったものの、やはり正守に構ってもらえないのは寂しい。仕方なしにお気に入りのペンギンのぬいぐるみに話しかけるがもちろん返事が返ってくるわけもない。
「つまんないねぇ~」
ぬいぐるみを抱えたままゴロンと横になる。窓から見える風景は相変わらず雨が降り続いていてやみそうにない。外に遊びに行くわけにもいかない。
そのまましばらくゴロゴロしていたが、ふと部屋を出ていった。
「良守終わったよ。遊べるよ」
宿題が終わった正守は茶の間に顔を出す。だが、良守の姿はない。ついさっきまで遊んでいたのか、本やおもちゃがそのまま出しっぱなしになっていた。
家中探してみても姿は見えない。玄関に靴はあったから外には出てないはずだ。なにしろ外は暴風雨だ。
「どこにいったんだろ?」
今までこんなことはなかったので正守は落ち着かなかった。
家の中にいて誘拐などということはないとは思うものの、トイレにもいない、家の中で呼んでみても返事がないことで、焦り始めていた。
「良守~、良守~どこいったんだ?」
呼んでみても返事はない。不思議に思いながらも家中を探し回る。自室にいた繁守に聞いても来ていないという。
「どこいったんだよ…」
先程顔も見ずに邪険にしたことを後悔し始める。少しくらい宿題を放置しても構ってやればよかった。まだ夏休みはあるというのに…
「まさか神隠し!?…なんてことはないよな。ははは…」
笑ってごまかしたが、烏森という不思議な土地にいる以上ありえなくもない話で、慌てて自分の中でその考えを打ち消した。
再度家の中を見て回るが、ふと玄関脇の納戸の扉が少し開いているのに気づいた。蔵には古い書物などがあるが、納戸には季節柄使用しないものなどが置かれていた。父がなにか探し物でもしていたのだろうか?それでも中途半端に閉め忘れることなど今までに見たことはなかった気がする。
もしかして…
正守はそっと扉を横に引いた。
「良守~」
中は真っ暗だったのでなんとなく声を潜めてしまう。
しかし特に返事は返ってこない。やはり父が閉め忘れただけなのだろう。そうして、扉を静かに閉めようとしてふと足元にいつも良守が抱えているぬいぐるみが落ちているのに気づいた。
「あれ?なんでこんなところに…?」
閉めかけた扉を再びあけ、電気をつける。
「良守~良守!いるんだろ!?」
今度は大声を遠慮なく出す。すると、置かれた荷物の陰からひょこっと顔をのぞかせた。
「にいちゃん…」
今にも泣きそうな声で答える。
「お前なにやってるんだよ。心配しただろ!なんでこんなところにいるんだよ」
今まで不安な気持ちが安心に変わったが心配させられた不満がつい口をついて出て強い口調になってしまう。
「ごめんなさい」
そうは言うもののいっこうに出てくる気配がない。
「いつまでそうしてるんだ?早く来ないと遊ばないよ」
「……」
「いいんだな。じゃあ置いていくな」
グスッ。鼻水をすする音が聞こえるが返事がないので良守をよくよく見て見ると、どうやら荷物の陰に挟まったのかそこから出られず、でも怒られたせいでそれを自分から言い出せないようだった。
どうやったらそんなところに挟まるのか。
正守はそれを見ていたずら心に火が付いた。
「良守、出れないの?兄ちゃんが助けてやろうか?」
正守から手を差し伸べられたことにパッと顔が明るくなる。
「うん!」
「そのかわり、助けたら兄ちゃんの言うことなんでも聞く?」
「なんでも?」
「そう、なんでも」
何でもというところが引っかかったのか少し悩む素振りを見せる。
「じゃあ、助けなくていいんだな。勝手に出ておいで」
「いや!待って。でも、なんでもはイヤ」
少し前なら無条件に受け入れていたのに多少知恵がついてきたということか。
「じゃあなんだったらいい?」
「う~ん……1つだけ!1つだけならにいちゃんのいうこと聞いてもいいよ」
「絶対だな」
「うん」
そうして、約束を取り付けた正守は、良守のことを抱きかかえると隙間から救出してやった。
とりあえず茶の間に戻ってきたところで先程の事情を問いただす。
「なんであんなとこにいたの?」
「にいちゃんが遊んでくれないから探検してた。そしたら、にいちゃんの声聞こえたからビックリさせてやろうと思って電気消して隠れたらああなったの」
悪びれた様子もなく言う。
「いきなりいなくなって心配したんだからな!」
わざと怒った口調で言う。
「だってにいちゃん遊んでくれないから」
下を向きながら拗ねて言う。
「さっきの約束忘れてないだろうな。心配かけたんだからとびきりのやつ考えてやるからな」
「う"~~痛いのと変なのはイヤだからね!」
「そしたらね…」
何を言われるのかじっと正守を見つめる。
「にいちゃんの言うことを1日なんでも聞くこと!」
「え?それずるい!!」
「1つしか言ってないよ?1つならなんでも聞くんだろ?」
「え?え~~~~~~」
盛大に喚いてみてもすでにあとの祭り。
後日、良守は正守の言うことを1日聞かされるのであった。
※兄ちゃんの言うこと
・何かする時は常にお兄ちゃんの膝の上
・にいちゃんにチュー
・1日中兄ちゃんと修行
とかは思いついたんですがね・・・