カランカラーン。
ドアについているベルが鳴り、客が来たことを知らせてくれる。
「いらっしゃいませ」
暗く照明を落としているせいで、ドアのところにいる人影は暗く顔を見ることはできないが、長身の男性のようだ。
「こちらへどうぞ」
大学生になって始めたアルバイト先は、この落ち着いたバー。深夜までのバイトは大変かと思ったが、元々夜に起きているのは慣れているし、なにより時給の良さに惹かれて始めた。マスターの優しさもありもう半年近くになる。授業の課題などもあるので週末を中心に週3回ほど入っているが、接客にはだいぶ慣れてきた。
先ほど入って来た客は、空いていたカウンターの端の席に座る。なんとなく知った顔に似ている気もしたが、つばのある帽子を被っていて顔に影ができてしまっているのでよく見えない。
「ご注文はいかがいたしますか?」
目の前にコースターを置きながら、決まり文句のように声を掛ける。
「ウィスキーをロックで」
テノールの効いた心地よい声だった。
難しいカクテルでなければ自分で準備できる。グラスを用意すると氷を入れウイスキーを注いだ。
「お待たせしました」
小指でいったんクッションさせ、音を出さないようにしてそっとコースターに乗せる。マスターに教えてもらったちょっとした気遣いだ。
「ありがとう」
グラスを手に持ち口に運ぶ。傾ける際に氷がカランとなった。最近、この音がとても心地よくお気に入りだ。自分自身あまりお酒が強いほうではないので、飲むとしてもカクテルなどになってしまい大きな氷がグラスに入っていることはない。なので、客が奏でるこの音を秘かに楽しみにしていたりもする。
さきほどの客は場慣れした感じもするので、もしかしたら自分がバイトに入ってないときにくる常連なのかもしれない。
こういった店ではよほどのことがない限りこちらから話しかけることはないが、それでも気になって横目でちらちらと見てしまう。グラスを傾けるしぐさがさまになっていて、洗練された大人の雰囲気だ。ちらっと見える顎には薄いがひげを生やしていて、帽子と相まって某アニメに出てくる怪盗の仲間みたいな雰囲気だ。実際にこんな帽子被る人がいるのかと思う。静かにウィスキーを嗜む姿は、顔はよく見えないが少し憂いを帯びた雰囲気にちょっとだけドキッとする。あの人に似ているかもしれない。客相手にそんなことを思うなんて初めてだ。何を考えてるんだと慌てて自分の中で打ち消すと、グラスを磨くことに集中した。
「・・・ません」
「墨村君、お客様がお呼びだよ」
少し離れたところにいるマスターに声を掛けられ我に返る。物思いにふけっていてすっかり自分だけの世界に入り込んでしまっていたようだ。
「申し訳ありません。お呼びでしょうか?」
「おかわりもらえる?」
「かしこまりました」
グラスを掲げながらおかわりと言う。グラスを持った指が長く綺麗なのに気づいてしばらくじっと見とれた。あの人も大きく綺麗な手をしていて優しくなでて欲しいと思いつつも、逆にその手で叱られることのほうが多かった。
「おかわり欲しいんだけど?」
またも自分の世界に入りそうになっていたところで引き戻される。なんだか今日は調子が狂う。
「あ、はい!今すぐ」
調子を取り戻すべく元気な返事をすると、クスクスと笑われる。
急いでおかわりのグラスを作ると先ほどのものと入れ違いにまたコースターに乗せる。
「元気がいいんだな。新人君?」
「いや。あ、でもまだ半年くらいです」
「大学生?」
「はい。週3日くらいなのでまだ全然うまく行かなくて。ご迷惑をかけてしまったみたいで申し訳ありません」
ぼーっとしていたり、この場にそぐわない元気の良い返事をしてしまったのは分かっていたので素直に詫びる。
「素直でいいね。でも、君と話したいと思ってたからキッカケをもらえて逆によかったかな」
「え?」
「さっきからチラチラ視線を感じてたから、俺の事気になるのかなと思って」
気づかれていないと思っていたが、相手には分かってしまっていたようで急に恥ずかしくなる。
「す、すみません・・・」
慌てて謝ると、相手は怒った様子もなく優しく笑ったような気がした。気がしたというのも、相変わらず帽子のつばで表情がハッキリ見えない。
「じゃあ、お詫びに少し話し相手になってくれない?ねえ、マスターいいでしょ?」
少し離れたマスターのほうを見ると、うなづいていた。店内に客もそんなにいるわけではないので、きっと大丈夫なのだろう。
「す、少しだけなら。でも、俺うまく話とかできないですよ?」
「話がうまいかなんて求めてないよ。俺は君と話したいだけなんだ」
その口ぶりに再びドキッとする。なんだか口説かれている気分になる。
「大学生って言ったけど何勉強してるの?」
「建築です。自分の城を作るのが夢で」
「へえ~城か。すごいね。じゃあいっぱい勉強して大学入ったんだ?」
「そんなにいいとこではないですけど、自分のやりたいことなら最後まであきらめずに頑張れって兄が」
「お兄さんいるんだ?」
「あ、はい。歳が離れていて小さいころにはもう家を出てしまってて。俺が中学生の頃までは色々あったりもしたんですけど、それでもやっぱり今は大好きな兄なんです」
「ふーん。お兄さんいくつ?」
「7つ上です」
「7歳しか離れてないのに君が小さい頃には家出ちゃったの?」
「えっと、その。ちょっと特殊な家の事情とかあって…。口うるさい兄で、一時期はほんと苦手だったんですよね。なんでも上から目線で言ってきてすぐに説教して。でも、それが全部俺のためだって気づいてからは兄の凄さとか大変さが分かるようになって。仕事とかでもすごく忙しいみたいなんでめったに会えないんですけど、それでもたまに会いたいなって」
「お兄さんのことが好きなんだね」
「なんかベラベラ話してしまってすみません。でも、昔はムカつく・嫌いって思ってたんですけど、今は憧れというかなんというか…カッコイイなって」
少し前に会った兄を思い出す。最近では自慢の兄だと思えるが、誰かに話す機会もないのでついベラベラと口が滑って聞かれていないことまで話してしまった。
「君のお兄さんはいいね。そんな風に思われていて。うらやましくなっちゃうな」
「そうなんですかね?」
「俺にも少し離れた弟がいてね。昔は危なっかしかったからつい色々と口出しちゃって。君のお兄さんと同じかな。それで嫌われちゃったんだろうな」
「でも、その弟さんもきっと分かってくれてるんじゃないですか?大人になってから有難さとかすごさが分かることもあるし」
「そうかな?会うと今でもつい説教しちゃうから、歳も離れてるしウザいとか思ってるんだろうなとか考えると泣けてくるんだけど。でもやめられないんだよね」
「俺の兄もそんな感じです。いつまでも子供じゃないのに」
「きっと君のことが可愛くてつい揶揄いたくなるのかな。その気持ちわかるなぁ。きっとお兄さんも君のことが好きなんだと思うよ」
「そうでしょうか。そうだといいんですけどね」
「どんなお兄さんなのかなぁ。気になるな~」
「あの、もうそろそろいいですか?」
さらに兄の事を聞いてきそうな気配を感じて話を遮る。あまり聞かれたくないようなことも突っ込んで聞かれたら余計なことまで口走ってしまいそうだ。
「あ、ごめん。気分を害したかな。君が話しやすいからついちょっと調子に乗っちゃった。そしたら、最後に1つだけお願いしてもいい?」
「なんでしょうか?」
邪険に扱うわけにもいかずとりあえず話だけは聞く。
「君、カクテルは作れるよね?」
「難しくなければある程度は…」
「そしたらさ、君のお兄さんに飲ませるつもりでカクテルを作ってくれない?ちょっとだけ君のお兄さんの気分を味わってみたいなって」
「へっ?」
突然変なことを言われ、思わず変な声がでてしまった。思ってもいなかった提案に少し考え込む。
「あ、変に考えすぎないで。ただ単に君がもしお兄さんに作るとしたら何を出すかなと思っただけだから」
たまに、こういった客に遭遇する。○○をイメージしてとか、私に合いそうな雰囲気のものをと言われてもそういったのをイメージするのがまだ苦手なので普段はマスターにお願いしてしまう。だが、今日ばかりは自分が作らなければならないだろう。というか、リクエストに正直に答えるべきなのだろうか。
「無理にとは言わない。君を困らせたくて言ったわけじゃないし」
目の前の客は、相変わらず俯き加減で表情は分からなかったが、多少酔いも回ってきているのか楽しそうにグラスの氷を鳴らしながら言った。
「いえ。せっかくなので作らせてもらいます。なにか苦手なものはありますか?」
「特にないよ。君が作ったものならなんでも頂くよ」
「かしこまりました」
このアルバイトを始めてからカクテルの勉強はしている。作り方もマスターに一通りは教えてもらってできるようになったのでレシピさえわかれば作れることは作れる。あとは何を作るかだ。ベストのポケットに忍ばせているレシピを書いた小さなノートを開き、ページをめくりながら心を決めた。
シェイカーにジガーを使ってウィスキーと生クリーム、そして少しの砂糖を加えると蓋をし、ゆっくりとシェイカーを振り始めた。シャカシャカと小気味良い音を立てて振る。初めて作るレシピだが、作るイメージは何度かしていたので迷いはなかった。その姿に、カウンターの外から眺めていた男は嬉しそうに目じりを下げ口元を緩ませていたが、作るのに集中していた良守は全然気づいていなかった。
シェイカーを振り終わりショートグラスに移すと、すでに飲み終わっていたグラスと入れ替えにそっと置いた。
「これは?」
「カウボーイです。ウィスキーと生クリームのカクテルになります」
「へぇー。これが君のお兄さんへのイメージか。やっぱり愛されてるんだね。いいね」
たしかにこのカクテルには意味はあるが、そんなこともこの人は知っているんだろうか。どうせ知らないと思って作ったのが失敗だったのか。変に勘繰られてもめんどくさくなると思い、言われる前に先に言葉を挟む。
「あの。特に深い意味はないです。ウィスキーを飲んでらしたのでこういうのもお好きかなと思って」
「ふーん。でも、さっきお兄さんをイメージしてってお願いして君も了承したよね?ってことは、これが君の気持ちなんじゃないの?」
「それは…」
なんと言い返していいのか分からずに黙ってしまう。とっさに誤魔化したこともお見通しのようだ。すると、目の前の男が突然笑いをこらえきれずに声をもらす。
「クックック・・・ハハハ」
その姿に驚いて見つめると、お腹を抱えて笑いをこらえていたその人がやっと帽子のつばを上げて顔を見せた。
「あ、てめぇぇぇ!!!ふざけるな!!」
つい大きな声を出してしまい、マスターに咎められる。
「なんでこんなとこにいるんだよ!?ってか最初からわかってやってたのかよ??」
声を抑えながらも怒りを隠しきれずに問い詰める。
「いやさ、お前全然気づかないから。父さんからアルバイト始めたって聞いて職場見学のつもりでここに来たんだけど、なかなか会えないし。でもここの雰囲気が気に入ったから頻繁に通っててさ。マスターには話したんだけどね」
そういうと、ちらっとマスターを見る。マスターも笑ってこちらを見ている。最初からマスターも分かっていて良守に接客をさせていたのだ。自分だけ踊らされていたことに気づいて耳まで真っ赤になる。
「でも、お前ちゃんと仕事できてたし成長した姿をみれてお兄ちゃんは良かったよ。ま、俺のイメージのカクテルで、まさかカウボーイが出てくるなんて思わなかったけどな」
ニヤニヤしながら茶化してくる。
「もういいって!別にお前のことを思って作ったわけじゃないから!」
「ふーん?素直じゃないねぇ。意味を知らないなんて言わせないよ?」
「そ、そんなの知らねぇ!」
今更だとは思ったがそこに込めた意味まで知られてしまっては居てもたってもいられない。
「わかった。じゃあ、気持ちだけもらっておくね。次会ったら今度は逃がさないから覚悟しといてね」
そういうとカクテルを飲み干し、お会計と言ってマスターと一言二言話して支払いを終えると、じゃあと言って片手をあげながら来た時と同じようにドアのベルを鳴らしながら出て行った。
残された良守は、ぐったりと疲れを感じてカウンターに手をつく。
「マ、マスター?もう兄貴とグルだったんですか?」
「いいお兄さんじゃないか。何度か話をしているうちに君のお兄さんだと知ってね。君のこととても心配してるみたいだったからシフトのこととか色々情報は流しといたけど」
軽くウィンクしながら言われても嬉しくはない。
少し兄に似ているからと思った時点でなぜ気づかなかったのか。次会う時は逃さないと言われた以上、あのカクテルの意味は確実に伝わっているし、バイトに入る予定すら把握されているのでいつ来られるのかヒヤヒヤしながら毎回シフトに入らければならない。
ただ気づかれたうえであの対応だった以上、悪いようには進まないだろう。もうどうにもなれと逆に開き直ったほうが楽かもしれない。もし今度来たら注文を入れる前にロブ・ロイを作って出してやる!そう思いながら残りの時間までバイトに勤しんだ。
カクテル名:カウボーイ
配合:ウイスキー×生クリーム(牛乳)×砂糖
意味:今宵もあなたを思う
カクテル名:ロブ・ロイ
配合:スコッチウイスキー×スイート・ベルモット×ロマティックビダーズ
意味:あなたの心を奪いたい