HOME SWEET HOME(1)【スミス、家を借りる】
「住んで欲しい家があるんだが、誰か心当たりないか?」
イサミが近所の不動産屋、川田にそう持ち掛けられたのは夏が始まる前だった。
のんびりとした山間の田舎町の半分眠ったような地元商店街。ほとんどがシャッターを閉めているようなその通りにイサミが営む花屋がある。客は大体近所の人で、一番の売れ筋は仏花だ。だが店先には季節の花が並び椅子とテーブルが出されていて、この商店街の中ではちょっとだけ小洒落たここは近所の人たちのいい休憩所になっているのだった。
その日も川田が昼飯の帰りだと言って店に顔を出した。そのまま立ち話もなんだからと椅子を勧め、茶を出し、すっかり寛いでしまった。そんな世間話の流れで出た言葉だった。
「人が住まない家は傷むのが早いからなぁ。家賃も入らないのに管理費だけ嵩むのも割りが合わん」
「そうっすね。ここもそれで貸して貰ったようなもんですし」
イサミの店も川田に紹介して貰ったものだ。前の店主はイサミもよく知る夫婦だったが、奥さんに先立たれたのを機に店を畳み、老人ホームに入ったそうだ。まだ権利は手放したくないが、このまま無人家で傷むよりも誰かに住んでいて貰いたい、と花屋の老人が大家となってイサミに店舗ごと貸している。
「どんなとこなんです?」
「山の中腹に別荘が集まってるとこあるだろう?あそこの一軒家なんだがなかなか通年で住んでくれる借り手が見つからなくてな。今は別荘持ちも流行らんし移住者を狙ってるんだが……」
「一軒家ってことは家族持ちですかね?うーん、そういう人なかなかこの辺では…」
イサミはこの町出身ではあるが、子供時代は訳あって離れており二年前に戻ってきたばかりである。小学校の友達たちのほとんどは就職で地元を離れており、新しい人間関係はまだそれほど築けていない。ファミリーで住む家を探しているような心当たりは浮かばなかった。
「いや、待てよ……」
「誰か、いるか!?」
「子持ちのシングルファーザーで街中の部屋は狭くて困ってるって奴がいたなぁ。夫婦もんでなくても構わないですか?」
「まぁ、最近では片親なんて珍しいことでも無いしな。地元の奴か?」
「いや…地元じゃない。外国人なんですが」
「ああ、最近多いからなぁ」
この辺りは元々スキー目当てに訪れるが異国人が多かった。そのまま移住して住み着きここで仕事を得た者も多い。オリンピックを開催したことがきっかけで広く世界に知れ渡たることになった町だが、イサミにとっては生まれる前に開催されたオリンピックのことなんて遠い昔の話で、生まれた時から町に外国人がいるのはごく普通の光景として暮らして来た。
「ま、欲を言えば地元の人間に住んで貰った方が信用出来るが、贅沢も言えないしな。ちょっとその外人サン、聞いてみて貰えるか?一応家賃はこの位で……」
「分かりました」
イサミにとっては父親くらいの年齢である川田はいまだに外国人のことは『外人サン』と呼んで距離を置く。仕事のための付き合いはあるだろうが、どれだけ長く住んでも外国人イコール他所者という、よくも悪くも田舎の親父の考え方をしていた。
「じゃあ、頼んだぜ。茶、ごっそさん」
川田不動産と車体に書かれたバンに乗り込み、午後の仕事に戻るため川田は去っていった。
イサミの頭の片隅に浮かんだのはスミスというアメリカ人だった。レジャー開発の仕事でこの町に出向で来て働いている。そういった外国人は少なくなかったが、彼はシングルで子供を育てながら慣れない異国の地で働いていた。ひょんなことで親しくなった彼は、愛娘のルルと共に店にも頻繁に遊びに来ている。仏壇花以外の花を買って行ってくれるのが嬉しくて、つい仕入れの時にも『この花はスミスが買ってくれそうだな』と思うものを入れてしまう。大抵それは間違いなくスミスの気にいるのだが。
「そうだ…今日は寄ってくれるかな?」
イサミは店先に飾ったフリージアの花束に目をやった。
「一軒家!?それは本当か!」
その日の夕方仕事帰りに顔を出したスミスは予想通りフリージアの黄色い花束を手に取ってくれた。そして、別荘の借り手を探していることを告げると両手を広げて大袈裟に喜んだ。
「いやぁ、このお姫様が思った以上にお転婆で…日本のアパートメントには収まりきらないんだよ」
「ルル、おてんばじゃ無いもん!」
そう言いながら保育園のスモックを着たルルは早速店の前を走り回っている。確かに日本の住宅事情では手狭だろう。
「来週休みの日あるか?その不動産屋を紹介する」
「何もかもありがとう、イサミ。じゃあ、連絡先教えてくれるかな?俺の番号はこれ」
そう言われてイサミは初めて今まで個人的な連絡先を交換していなかったことに気付いた。保育園の行き帰りに店の前を通れば寄ってくれるし、ここのテーブルで話してゆくこともある。それでも今までは商店街の花屋と常連の客、それだけの関係だったのだ。
「……ああ。登録した。ワンコールするな?それ、俺の番号」
「ありがとう。休みが分かったらすぐに連絡する!」
本当は直接川田の連絡先を教えても良かったのだが、川田はあまり英語に明るくない。通訳も兼ねて同席した方がいいだろう。
「そうだ、これは必要だから……」
イサミはそう独りごちてスマホの画面をそっと撫でた。
そして約束の日。イサミはスミス親子を連れて川田不動産を訪れた。だが、川田はスミスを見た途端血相を変えて怒り出してしまったのだ。
「外人サンってこいつか!?最近ここらの土地を買い漁ってるタイタンコーポレーションの奴だろう!?この町を外人専用のリゾート地にして地元民を追い出そうとしてるって噂だぜ!?」
その後も川田は方言混じりの日本語で捲し立て、スミスを困惑させた。
「イサミ…彼はなんて?」
「アンタがこの辺りの土地を奪う悪徳業者だって言ってる。そんな奴に家は貸せないと」
「oh…それは誤解だ……」
スミスの仕事は確かに海外資本のレジャー施設を作る仕事だ。だが土地を買収して海外資本だけでやっていくような時代はもう終わった。これからはその国の人々の暮らしと共存して双方が生きていける街作りをしたいのだとスミスは熱く語ったが、それを川田に翻訳するには文章量が多過ぎた。
「川田さん、こいつは決して地元住民を追い出そうなんてしてないと思いますよ?」
「騙されるな、イサミ!三丁目のばあさんもこいつに山を売った途端町の老人ホームに入れられたって言ってたぞ!駄菓子屋のばあさん、お前だって世話になったろう!」
そう詰め寄られても困る。駄菓子屋のおばあちゃんは確かにイサミにとっても馴染みだったが息子に勧められて老人ホームへの入居を決めたと言っていたはずだが…。
「大体、こんな外国まで小さい子を連れて出稼ぎに来るなんて非常識だろう!?どうせ結婚生活もまともに送れないようなやつなんだろうよ!」
「川田さん…それは言い過ぎじゃないですか?」
低いイサミの声に川田も思わずビクリと身体を強ばらせる。
「いまどき片親なんて珍しくも無いと言ったのはあなただ。それにスミスは本当にルルを可愛がっている。まともじゃない、なんて間違っても言うなよ……」
「お前は地元とこいつ、どっちの味方なんだ!?」
川田の中ではすっかりタイタンコーポレーションと地元という対立構造が出来上がっているらしい。海外からの移住者が多いといっても、今までは確かに個人レベルで、今まで通りの地元にぽつりぽつりと外国人が混じるという程度だったから、地元民に猜疑心が怒るのも無理はない。無いが。
「俺がこいつに家を貸したとなれば地元の奴らに顔が立たん!とにかくこの話は無かったことに……!」
「じゃあ、俺が契約して俺も一緒に住む。それなら文句ないだろ?」
「はぇ……?」
イサミの突飛な申し出に川田は思わず間抜けな声を出してしまった。イサミは今の花屋店舗の二階で寝起きしている。それほど広くは無いが一人暮らしなら不自由無い広さだろう。
「名目上じゃないぞ、ちゃんと俺も住む!あの辺から花屋までは車ですぐだし、通ったって構わない」
「お前……なんでそこまで……」
「それは……」
イサミにも分からない。けれどスミスのことを悪様に言われてムカついたのは事実だ。それに大人たちが怒鳴りあっているのをさっきからルルが怯えた様子で見ている。子供を犠牲にするのは許せなかった。
「じゃあ、そういうことで。スミス、家貸してくれるってよ」
「イサミ…いったい……?」
こうしてイサミとスミス親子の共同生活が始まった。