人間曦×人魚澄⑥ それから数日後、魏無羨の言った通り江澄の呪いは効果が切れたようで傷はみるみる回復していった。尾鰭も再生し、絹のように薄く美しい鰭が宝石のように煌めく鱗と共に碧霊湖を泳ぎ回る江澄を彩っていた。
「藍曦臣!ありがとう!元通りだ!こんなに思いっきり泳げるのは久しぶりでほんとにいい気分だ!貴方に治してもらったお陰だな!ありがとう!!」
御剣で来た藍曦臣に気づいた江澄が泳ぎよってくる。
「そんなに泳ぎまわって大丈夫なのですか?」
「ああ!もう大丈夫だ!」
キュルキュルと鳴きながら嬉しそうに鰭を動かす江澄に藍曦臣も嬉しさが伝播し、思わず顔がほころぶ。すると江澄はピタリと動きを止め、じっと見つめてきた。どうかしたのだろうかと首を傾げるとキュウキュウと小さく呟く。
「江澄?」
「あ…いや、なんでもない」
そう言ってパシャリと水の中に沈んでしまった。自分は何かしてしまったのかと思っているとプクプクと口から空気を出しているらしく、泡が浮かんでくる。
暫くすると水面から目元だけ顔を出した江澄が、再びじっと見つめてくる。こちらもじっとその美しい瞳を覗き込むようにして見つめ返すと一度眉を寄せたあと水から出てきた。
「ところで、話は変わるんだが貴方はこれからどうするんだ?」
「そう言う江澄はどうするのですか?」
「俺は一度蓮花湖に戻ろうと思う。邪崇の現状を把握きておきたいんだ」
それは、危険ではないだろうか。多くの人魚が犠牲になるほどの力を持つ邪崇に彼一人では心許なさすぎる。
「私も行きます」
「は?なんて?」
「私も行きます。貴方だけでは危険ですし、もしかしたら実際に見ることでその邪崇のことを調べられるかもしれません」
「…。確かに、俺一人では下手をすれば生きて戻れないかもしれない。それに、藍曦臣達が使う術の中にアイツに効くものもあるかもしれないからな。……じゃあついてこい」
「ありがとうございます」
「別に、お前と離れるのが寂しいとか思ってないからな!勘違いするなよ!」
「わかってますよ?」
すると、何故かよくわからないが心なしか落ち込んでいるように見える。やはり一人がよかったのだろうか?
藍曦臣がそんなことを考えていると江澄はすいと泳ぎ出す。どこに行くのだろうと見ていると江澄は振り向き、そこで待っているようにいう。藍曦臣が頷いたのを確認した彼は湖に潜ってしまった。
半柱香程経った頃、江澄は両手に魚を一匹ずつ抱えて戻ってきた。そして、無言で一匹藍曦臣に差し出す。
「えっと…江澄これは?」
「食わないのか?」
「私はいいですよ。家規によって決められた時間以外に食事をすることが禁じられてるのです」
「ふぅん。人間って変だな。食える時に食うのは大事なのに食わないなんて」
どうやら彼は食料をとってきたらしい。人魚は下半身は魚であるのに形の似た魚を食べるのかと思わず水中の彼の尾鰭を見つめる。
「その…魚を食べることは共食いとかに入るのですか?」
「じゃあ逆に聞くが、人間は豚とか鳥を食べることに罪悪感を覚えるのか?覚えないだろ?それと同じだ。それに人魚は人間が食えるなら大抵のものは食べれるぞ」
「そういうものですか」
「そういうものだ」
江澄は口をパカリと開けると頭から魚を食べ始めた。バリバリと骨を砕きながら食べる姿に、顎が強いのだなと思いながら見ていた。
やがて食べ終えた江澄は、口元を洗うと髪を手櫛で髪をすかし始めた。
藍曦臣はその様子を見ながら、疑問に思っていたことを尋ねてみることにした。
「ねぇ江澄」
「なんだ?」
「以前から常々思っていたのですが、人魚は髪を纏めたり、服を着たりしないのですか?」
「人によるな。例えば、女性の人魚達はそれこそ胸を隠すのに貝殻で作った胸当てから人間のような服を着たりする。男の人魚達は基本的に服は着ない。水の抵抗で泳ぐ速度が若干落ちるから。でも、儀式の時とかは大抵服は着るぞ。髪に関しては特にそう言った習慣がないだけだ。泳げば後ろに流れるからな」
「では、私が簪や髪紐を贈れば身につけてくれますか?」
この時何故か江澄に自分が贈ったものを身につけて欲しいと思った。その考えに思わず待ったをかける。どうして自分は彼に簪や髪紐を贈りたいと思ったのだろうか。
そもそも、髪紐はまだしも簪を贈りたいというのは軽々しくしてはならない。人魚の一族にその慣わしがあるのかは分からないが、人にとってそれは求婚する意になるのだ。ならば、自分は江澄をそういう意味で好いているのだろうか。その途端、心臓が音を立てて跳ねる全身が熱い。呼吸が乱れる。目の前にいる彼が輝いて見える。
あぁ、そうか。そういうことなのか。ならば以前から時折何故か心臓が跳ねていたことの説明もつく。恋。これが恋なのだ。甘酸っぱい感情を楽しみながら一旦呼吸を整える。
ところで、彼は贈り物を身につけてくれるのだろうか。チラリと江澄を見ると、
「別に構わないが…」
と許可をくれる。その言葉に頬が緩むのがわかる。
「本当ですか!?」
「あ、ああ…」
「では買ってきますね!」
「は!?今から!?」
「善は急げと言いますし」
「そ、そうか。なら行ってらっしゃい」
ヒラヒラと手を振る江澄に見送られ、藍曦臣は彩衣町へと向かった。