父子竜の狭間の前に コツコツと、ノックの音が響く。レオナが書きかけの手紙から顔をあけると、開け放たれた戸口にポップが立っていた。ランプの明かりの下ではあるが、ポップの顔色はなんとなく読み取れる。疲労の色はあまり感じない。レオナは安堵する。
「おかえりなさい。お疲れ様」
「おう、もうひとっ走り必要なら行くけど?」
この前線基地は野戦病院へと変わり、必要な食料や医療物資が増加した。その手配の書類をレオナが用意し、ポップに届けてもらったのだ。明日の出撃に備えてポップも体を休めてほしいところではあるが、ルーラの使い手は多くない。フォブスターもノヴァも万全ではなく、ポップの「ルーラの1回や2回はどうってことねぇよ」という言葉にレオナは遠慮なく甘えた次第だ。
「そうね、別口のお願いがあるの。ちょっとまってね、これのサインだけさせて」
「その手紙も届けようか?」
「いえ、これは後でもいいの。明日以降に回復した誰かにお願いするわ。はい、これでよし」
レオナは手紙にサインを記すと座ったままで大きく伸びをした。今日はいろいろなことがあった1日だった。気球での移動、北の勇者との邂逅、サババでの攻防戦、そしてバランの参入。状況が変わりゆく中でレオナは様々な手配や差配を行い続けた。
「姫さんのおかげでおれたちが飯の心配もなく戦いに専念できるんだよなぁ。今日は姫さんも大変だったな」
「ありがとう。でも食料や物資は頼めばベンガーナから届くし。怪我はいずれ回復するし。バランっていう戦力も増加したし。あの頃に比べたら」
レオナはバルジでの籠城を思い出し、多くを語らずに微笑む。ポップはその微笑みで察する。ポップがたどり着いたパプニカの港は散々な様子だった。それにレオナたちは塔に長く立てこもっていたと聞く。物資もなく食料もなかったであろうことは想像に難くない。いつ状況が打開できるか、援軍が来るかも見えない状態で何日も過ごす心理は想像もしたくない。ポップは話を戻す。
「で、おれにお願いって?」
「ダイ君のお父さんに食料や野営用の道具を持っていってくれないかしら。ここの入口にエイミが用意してくれているはずだから」
「じゃあ親父さん、ここに泊まんねぇことで確定?」
ポップは開け放たれた戸口にもたれながらずるずると座り込む。レオナの目線がポップにあわせて少し下がる。王家の姫たるレオナの前でそんな態度に出るものは珍しく、こんな状況ではあるがレオナな少し心が軽くなる。あのころと違って自分を単なる仲間と扱ってくれるダイたちがいることを実感する。
「一応、部屋は用意するとは言ったわよ」
「ま、姫さんの立場ではそう言うわな」
「断ってくれて少しホッとしたけども」
野戦病院と化したこの基地にはリンガイアの人間もカールの人間もいる。いずれもバランが滅ぼした国の人間だ。一時的に同盟を組んだとはいえ、バランがこの中を歩き回れば生まれるのは軋轢しかない。
「さっき、ノヴァたちも複雑そうな顔をしてたもんなぁ」
ポップが思い出すのは、レオナがバウスンとノヴァに事情を説明したときのことだ。
ダイはデルムリン島にて善良なモンスターの手で育てられたこと。ダイの父がバランであること。ダイも最近までそのことを知らずに、かつてバランと戦ったこと。できればダイの出生について今は秘してほしいこと。
さすがに将軍とその子である二人は「バランは必要な戦力」であることを理解し、バランとの同盟に異は唱えなかった。しかし全てを受け入れている表情にも見えなかった。「元とはいえ侵略者の長と共に戦う姫は度量が違いますね」と零したバウスンの心情を、まだ年若いポップには推し量りきることはできなかった。聞きようによってはヒュンケルやレオナに対する皮肉になる。それだけでないようにも聞こえる。ただ、もう今日は二人を休ませたほうが良いのだろうとだけポップは考えた。
「あんときさ、ノヴァたちにダイのおふくろさんのことを言わなかったのはあえて?」
「竜の騎士が国を丸ごと消し飛ばすことができることを言いたくなかったの」
「そりゃ広まると面倒になるな」
ポップ自身はダイがダイであることは当然のことで、ダイがどんな種族であろうと関係ないのだが、そうでない考えをする人がいることもこれまでの旅で理解している。
「ま、とりあえず、何もなしで野宿してもらうのもどうかってぇ話か。野営用のあれこれを親父さんとこに運べばいいんだな?」
「できればダイ君と二人で。無理にとは言わないけど。そこはポップ君の判断に任せる」
「姫さん、気を使いすぎじゃね?」
つまりレオナは、バランとダイとの間に流れた硬い空気を変えるきっかけを作ることができれば考えているのだろう。いざとなったら連携できると信じつつ。しかし、できることはやっておきたいのが彼女の性分だということもポップはなんとなく理解し始めている。
「おれが『一人で持っていくのは重いし、やっぱちょっと怖ぇえかなぁ』って言えば、ダイはついてきてくれる気がするけどさ。でも今日の時点で空気を変えるのは難しいと思うぜ。ダイも珍しく意固地になってるし」
「前にキミが死にかけて、今日のヒュンケルもかなりの重傷だから思うところはあるのも当然よ」
「おまけにディーノって呼ばれたのが決定打だよなぁ。でもあいつ、チビって言われたり勇者じゃねぇって言われても気にしねぇのにディーノって呼ばれるのは嫌がるんだな」
「ノヴァ君の失礼に、ダイ君”は”怒っていなかったもんね」
ニッコリと笑顔を浮かべるレオナの表情で、ポップはノヴァと言い争ったことを思い出す。ダイとレオナに諭されたことも。今日のレオナが対処した幾つもの出来事の中に、ポップの頭に血が上ったことも含まれているかもしれない。
ポップは謝罪代わりに軽く敬礼し、レオナは鷹揚に頷く。
「でね、多分だけど。ダイ君はね、ディーノって呼ばれるのが嫌というよりも、ダイ君のこれまでの全部を否定されるのが嫌なんだと思うの。つまりブラスさんに育てられて今に至るまでのことや、出会った人たちのことね」
バランによって不要とされたダイの記憶を消されたときの足元の危うさ。それはポップとレオナの共通の思い出だ。ダイとしての想い出がなくなったダイは、優しく繊細な少年だった。その少年を否定するわけではないが、その少年を見ていると欠落した想い出を直視せざるを得ず、寂しく哀しかった。親であるからというだけで、自分たちの想いや絆はこんなに簡単に全て否定されてしまうものか、と。
「それにしても流石だな、そういう機微に聡いところ」
「これに関してはね、あたしは叩き込まれているから。公の場であたしを否定された時にへらへら笑っちゃいけないの。パプニカの第一王女が蔑ろにされたってことは、あたしを支えてくれているパプニカのみんなを含めて蔑ろにされたってことだから」
「なるほどねぇ、んじゃおれも無礼に座って話を聞くんじゃなくて立ち上がりますか」
聞くべきことは聞いたし、そろそろ話も長くなってきたのでポップは立ち上がる。雑談でレオナの気分転換となるかもしれないが、レオナの時間をあまり使うのもよくないだろう。
「なぁによぉ、こんな時ぐらいいつだって着席を許すわよ」
「ありがたいこって」
姫であるが自分より年下の少女を妹のように思うのは、不敬になるだろうか?今度、機会があれば聞いてみようとポップは考える。
「じゃあ、よろしくね」
「なぁ、姫さん。ダイに持ってけって言うんじゃなくて、おれに頼むのって、さっきダイの気持ちをおいて親父さんと戦えっていったことを気にしてる?ダイ、別に怒ってなかったぜ」
「……ありがと」
それを合図に、二人は明日の出撃に備えて細々とした準備を続けることにした。