ある日のこと 数年をかけてようやく帰還できたダイはデルムリン島を拠点としている。少し大きくなった体にはブラスの家はほんの少しだけ窮屈で、週の半分は島のポップの家で寝泊まりしている。
ポップの家は「姫さんに準備してもらった」もので、かつての仲間が泊まることもできるように客間も多くある。
今のダイにすべきことはない。やりたいことも特にない。ポップに何度か希望を聞かれたが「おれ、戦うことしかできないし。ポップはおれがどうしたらいいと思う?」と答えるだけだった。
ポップが「じゃあ、やりてぇことを見つけるまで、適当にのんびりしようぜ」と言ってくれたのでダイはそのとおりにすることにした。アバンが用意した教材を基に勉強したり、ポップの手伝いをしたり。
楽しく穏やかに過ごしている。
これは、何気なくて何も起こらないダイとポップの日常。
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ある日のこと、カール王国の領内にて。見渡すかぎり砂だらけの大地の上空にダイとポップがふよふよと浮かんでいた。今日はポップが契約した各種の極大呪文の試し撃ちの日である。まだ年若いポップには多くの精霊を使役する一般的な極大呪文は過負荷であるということで長く師に契約を止められていたが、ようやく許可がおりたのだ。
しかし軽率に島や師匠の家の前で試し撃ちをするのは憚られた。イオラですら大地に巨大なクレーターを拵えたポップである。どこで試すのが良いかをレオナやアバンに相談し、もっとも生命体の少ないとされるカール王国の砂漠地方を紹介されたという次第である。
「死の大地が海に沈んでいなけりゃ、こんなめんどくさい根回しせずに済んだのに」というポップの愚痴をダイは少し笑って聞いていた。力をふるうのに色々と気を使わなければいけない存在が隣にいることに少しほっとしながら。それはダイも同様のことだから。
ギラギラとした太陽が照りつけるなか、二人は目の保護のために特別製の黒塗りの魔法の眼鏡を着用している。ポップはインパスを応用し、半径3キロメートル内に生命反応がないことを確認する。続いて魔法力を展開して自分たちを保護し、更にダイもドラゴニックオーラを展開し自分たち二人を護るように覆う。
「ポップ、準備完了だよ」
ダイは手元の書き付けに記されたチェック項目を確認しながらポップに告げる。そしてポップはウキウキしながら準備時間の1%にも満たない時間で手の中にイオナズンを生み出す。事も無げに「ほらよ」と眼下に投げ込みながら高高度へとダイと揃って上昇する。
数十秒後、ポップの放ったイオナズンは地上から数百メートルの地点で炸裂した。
閃光、爆発、爆風がダイとポップの周りを激しく荒れ狂って消えていく。魔法力とドラゴニックオーラに護られて、音も熱も遮られているがそれらの外に出ていたら人間のポップなぞは消し炭になっていただろう。地表付近からはもくもくとキノコ型の雲が発生している。ダイはそれらを書き付けに記していく。この記録行為は、観察力はあるが文字での表現はまだ苦手なダイにとっての勉強も兼ねている。
「なぁ、ダイ。これって火山の噴火の時の雲みてぇだな」
ダイは火山の時の雲に心当たりはないが、書きつけに「火山の噴火の時と似た?」と書き加える。ただ、ダイの記憶の片隅にはキノコに似た雲の映像はある。それを言おうかどうかダイは僅かに迷ったが口にした。
「父さんがアルキードを消したときもこんな雲が出てたよ」
「そっか。オレの呪文は噴火ほどじゃなくてもキレた親父さん並みの威力はあるってことか。系統はともかく威力はドルオーラに近いのか……?」
ポップはアルキードそのものにはあえて感情をこめずに淡々と分析する。それがダイには有難かった。だから書き付けに感情をこめずに「アルキード」と書くことができたし、思ったことを素直に口にすることもできた。
「ポップってさ、実は化け物だよね」
「化け物の相棒だからな」
ポップはからりと笑う。ダイの隣にいるのはあの光と熱で消し炭になるくせに、あの光と熱から身を護る術を持ち、あの光と熱をふるうことのできる存在でもあった。
そうして二人はケラケラと笑って小突きあい、次の魔法の試し撃ちに移ることにした。
なお、後にカール王国の王配たるアバンより少し苦情が混じった連絡を受けることになる。砂漠地方の周辺地域で突風や一時的な雨が発生したということであった。人的被害はなかったとのことだが、今後の試し撃ちの際は実験区域内を結界で囲う方策をポップは試行錯誤することとなる。「威力が大きいから囲わなきゃとか、やっぱり化け物だよね」と、ポップの隣にいるダイは楽しそうに指摘をしたのは言うまでもない。
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ある日のこと、デルムリン島のポップの家の前にて。初めて使ったドラゴラムからとっくに人の姿に戻っているポップと、同じく初めて使ったドラゴラムによって蒼い竜の姿のままのダイが座り込んでいた。竜の大きさはかつて竜と化したアバンと同じ程度、高さは4~5メートル程度といったところか。只人ならば恐れるであろう竜の様相と巨体ではあるが、当然ながらポップは恐れることなく竜のダイにもたれて座り、書物をめくっていた。
ポップが書物をめくる音が定期的にかすかに響く。その音の数が100を超えて日も傾きはじめたのにダイの姿は戻らない。ダイは不安になっていく。
このまま人の姿に戻らなかったらどうしようか。寝るところはどうしよう。もうポップに勉強を教わることもできない。
ダイは竜の姿のままで涙が零れそうになる。泣いたらポップが困るだろ!そんな風に自分を叱咤して我慢し、体にぎゅっと力を籠める。その気配を察したのかポップは書物から顔を上げて、ダイに問いかけた。
「寒かったり、暑かったりしねぇか?」
ダイは首を小さく振る。口を開けば涙がこぼれそうで。その仕草が精いっぱいだった。
ポップは書物を置いて立ち上がる。手持ちの道具ぶくろからビスケットを掌一杯に置き、ダイの口元に近づけた。
「食えるか?腹も少し減ってるだろ」
ダイは口を開き、ポップの手を食んでしまわないように気を付けながら、むぐむぐとビスケットを食べる。ポップが焼いてくれたビスケットはいつものようにほんのり甘くて優しくて、ダイの目からぽろぽろと大粒の涙が静かに零れはじめる。ポップはそんなダイの体をゆっくりと撫でながら竜の姿のダイの肌や瞳をじっと観察する。
「いつ戻るかわかんねぇと不安だよな。ちょっと強くかかりすぎてんな……この感じだと早けりゃ夜、遅くても明日の昼には戻るから安心しろよ」
「でも、でもおれは竜の騎士だから。竜の力が強くて戻らなかったらごめん」
どうしよう、ごめん、どうしよう、ごめん。
ダイは繰り返す。
「なんでおめぇがそんなに謝るんだよ」
「ポップに迷惑をかける、ポップが困るだろ」
その言葉にポップは安堵する。ポップに迷惑をかけて困らせる、すなわちダイの中でポップが隣にいるのは確定しているのだ。迷惑をかけるだろうからポップを困らせないためにどこかに行く、それがポップにとって一番嫌なことだ。
「オレはおめぇが竜のままでも困んねぇよ。もちろん、おめぇが人に戻りてぇならなんとかするけど」
「でも」
「こうやってダイと意思の疎通ができてんだ、特に問題ねぇだろ。不便なことは言えよ。なんとかするから」
ダイはダイだ。そんな言葉がダイの頭に甦る。確かに、このままダイが竜の姿のままで家に入れないというのなら、ポップなら「姫さんに増築してもらおう、それまで野宿な」と言うに違いない。竜だって使えるサイズの食器や筆記用具も用意してくれるだろうし、服も欲しいと言えば用意してくれるだろう。島のみんなもダイの姿に驚いてもきっと嫌がりはしない。戦闘だって剣は振るえないけど炎は吐くことができるのだし力も強くなっている。確かに、ダイがダイならばポップや島のみんなは傍にいてくれるから、たいしたことはなさそうに思えてきた。であれば当面のことに対応をすればいい。ダイは思考をさくりと切り替える。
「そっか。でもとりあえず今日は野宿だね」
「準備しなきゃな。ちょっと待ってろ。あ、おめぇは1人で勝手に散歩とかするんじゃねぇぞ!島のみんなをびっくりさせちまうからな」
「うん」
泣いた竜が笑ってくれたので、ポップは野営の道具をそろえるために家の中に入っていった。
ポップは人の姿に戻っているのだから、夜は自分の部屋で眠ることもできる。しかし当然のように自分もダイと並んで野宿をするつもりのようだった。一方のダイにも「ポップは家で眠りなよ」と言う発想はない。相手がポップ以外のものならば、そういった気遣いが浮かんでくるのに。
結局、そのまま家の前で二人で並んで眠り、翌朝にはダイの姿は人の姿に戻っていた。ポップと変わらない大きさのダイが「よかった!」と喜んだので、ポップも「よかったな」とダイの頭を撫でくりまわした。
後にダイは何気なく「喋れなかったら流石のポップでも困ったよね」と聞いてみた。するとポップは「筆談でも、それができなくても身振りでも、おめぇのことならきっとわかるさ」と答えたのでダイは笑って頷いたのは言うまでもない。
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ある日のこと、湖のほとりにて。ポップは大の時になって寝転んでいた。実は溺れかけた後だ。ポップの隣にはダイが座っている。溺れかけたポップを助けた後だ。分類すれば溺れかけたということだが、危うい状態には至ってない。湖に沈む魔導図書館の調査時に魔法力を吸い取る仕掛けにひっかかり、水中活動するために実行していた呪文の効力がきれてしまったのをダイがとっさに救助をしたという次第だ。
「いやぁ、助かったわ」
暢気なポップの声をダイが咎める。
「油断しすぎだろ!」
「そっかな」
変わらず暢気なポップの声にダイは更に声を大きくする。
「おれがいなかったらどうするんだよ、あの深さなら、おまえ自分で戻ってこれないだろ!おまえは人間なんだよ!!」
「ホント、ダイのおかげだよ」
その一言にダイは絆されそうになるが堪える。しかしポップはその様子を見逃さずに言葉を続ける。
「やっぱりダイがいねぇとなぁ。あの深さもダイしかついてこれねぇし」
ダイは色々と思いめぐらせる。確かに危なっかしいポップの行く場所でダイがついていけない場所はなさそうだと。他の仲間はある場所は行くことができても、別の場所は難しいのだ。
「そっか、ポップの行く場所はおれとじゃないと」
それは小さな小さな呟きだった。ポップの耳にその声が届いたのかは不明だが、ダイの中で確実に根付く。
「……なぁ、ダイ」
「なに」
「ルーラで連れて帰ってくんね?」
仕方ないなと言いながらダイの声が弾んでいることにポップは気づいていた。
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ある日のこと、ポップはダイのルーラに連れられてバーンパレスの跡地にいた。ただしその跡地は地上ではなく空のずっとずっと上、かつてダイがバーンと最後の決着をつけたところだ。青や緑や赤茶に彩られた大地が眼下に広がり、月は大きく見え、太陽も普段よりはずっとずっと大きく見える。沢山の星々も瞬くことなく漆黒の闇に佇んでいる。
わざわざ此処にやってきた理由に大したものはなく、単にポップが「おまえに行けてオレに行けねぇ場所があるのはちょっとな」というだけのことだった。
もちろん人の身のポップが何も準備をせずに此処にやってきたわけはなく。ダイからの情報を基に魔法力で体を覆いつつ、ベタンやらバギやらを同時に発動し、空気や重力が無く寒暖の差が凄まじいこの場所でも活動できる措置を施している。
「人間は不便だ」とポップは零すが、不便の一言でなんとかしてしまえるポップはすごいとダイは思う。少なくとも今、此処に生きて存在するのはダイとポップだけだ。
「なんにもねぇけど、ちょっと怖いけど。大地とか色々と綺麗だな」
ポップがシンプルで詩情も何もない感想を口にした。でもダイは「そうだね」と真剣に頷いた。以前にダイが此処に来たときは何とも感じることはなかった。ただただ必死だった。なんとかバーンを倒さねばとそれだけで、無事に地上に戻れるとも思っていなかった。
なのにポップが隣にいる今は此処で目に入る景色を綺麗と思うことができる。楽しささえ感じる。それはなんだかダイにとって嬉しい発見だった。もっと色んなものをポップと見たいとダイは思った。
「ねぇポップ。おれもさ、おまえが行ったことあるのにおれが行ったことない場所に行ってみたいな」
ダイの口から出てきた”やりたいこと”にポップは顔が緩みそうになるが、何気ないふりで返事をする。
「それ、面白そうだな。それからおめぇの方もな、オレの知らない場所があったら連れてけよ。帰ったら地図を広げて、一個ずつ確認しなきゃな」
ダイは嬉しそうに頷くとすぐさまポップの手を取り魔法力を高めはじめる。それがルーラのための所作であると察したポップは制止の声を上げる。
「待て、まだ此処で調べたいことが!」
「また今度!」
ダイはポップの抗議を意に介さずルーラを唱えて飛び立つ。きっとポップは文句をぶつぶつ言いながら、帰ったらすぐに地図を用意してくれるだろう。
そうしてきっと明日もダイはポップと1日を過ごす。ダイは明日の予定をすぐに思い出すことはできなかったが、ポップと一緒で楽しい日になるのは間違いないと知っていた。だからダイはこんな日々がずっと続けばいいと願い始めている。