雪解けのキス 秘密はいつでも夜にあって、守られていた。朝になればそっとしまいこんで、スノウとフィガロの前では知らん顔をしてみせる。それでも同じ場所で暮らしていて気づかないわけがないから、見え透いた茶番のようだっただろう。
しかし、それも昔のことだ。あのころよりもずっと大きく広い『家』のようなこの魔法舎で、多くの魔法使いと暮らし始めてからはあのころのようなことはなかった。互いに厄災の傷を負っている身であったし、それ以前に必要がなかったのだ。一人寝のできない子どもではないし、眠れなければその場でやり過ごせるだけの娯楽的要素が自室にはある。それゆえに、必要だけでなく機会も失われていた。
けれども、何事も不意に起こり突然動き出す。オズは、膝のうえに乗ってきたホワイトを見やり、思った。遠すぎる過去を振り返ってみたが、やはりあのころのホワイトはこんなことはしなかった。彼もスノウも年長者の顔をして保護者気分で接してきていながらも、確かに君臨していた。たまに何ともいえない若作りしたようなことを口走ることはあっても、こんな幼子のような真似などしなかった。少なくとも、自分の記憶のなかには同じ光景はない。そんな気がした。忘れているだけであるという可能性も残っているので、断定するにはもう一手欠けるといったところなのである。
ほんの少しの昔話をしたその後すっかりおとなしくなり、膝のうえで二度寝を決め込んでしまったホワイトを、オズはしばらくなんともなしにみていた。思えば、寝顔を見たこともろくになかったかもしれない。まだこの体が然程大きくないころには概ね戯れにスノウとフィガロと共に四人一緒に同じベッドに入ったこともあったけれども、そういうときばかり不思議と自分の方が先に意識を沈めてしまっていたから、こんな風に眠っている姿を至近距離で見つめるというのは実質初めてといってもいい。
どの程度の年月を遡れば当時の記憶に辿り着けるのか、数えようとすれば気が遠くなるほど昔からの付き合いになるのに、未だ知らないことが簡単に出てくる。そうして、自分は彼らの一部を知っているだけにすぎないことを思い知らされるのだ。
同様に彼らもこちらのことをすべて知っているというわけではないので、そういった意味では対等ではある。とはいえ、植えつけられたものというのはそう容易に消えないもので、実のところは上下関係に至らぬまでも立ち位置はなんとなく決まっているのだった。
しかし、おはようのキスでもしてやろうなどと言っていた本人が寝てしまうとは。勝手なものである。しかし、勝手で自分たちの気分や都合で動くのはいまに始まったことではないから、相変わらずなのかもしれない。
ただ、言い方に引っ掛かる点があり、オズはそこで居心地の悪さについて考えていた。
―教えてくれないと拗ねるぞ。泣くぞ。不貞腐れるぞ。あっ、そうじゃ! おはようのキスでもしてやろう!
どうせ大したことは考えていなかったのだろうが、『でも』とはなんだ。ずいぶんと適当なことを言ってくれる。それに、振り返ってみてもそんなことをしてもらった覚えはない。おそらく、ない。忘れているだけかもしれないが、もし日常的にそういったことをされていたら記憶にあってもよさそうなものだ。それにも関わらず覚えがないということは、そういうことなのだろう。
ホワイトはわずかばかり微笑んだように唇をゆるく結び、瞼をおろしている。よくみると胸が小さく上下しているけれども、彼はもうずっと昔に死んでいる。
この世に在ってこの世のものではないその存在に向き合っていると、気持ちが空虚に放り出されるような感覚になることがあるが、それが一体どういった感情によるものなのか、ずっと名付けられずにいる。おそらくこれからも持て余し続けるのであろう、そう思いながらオズはホワイトの上半身を抱えて起こした。すると、不満を訴えるように瞼をもたげたホワイトが腕を伸ばして顔を寄せてきた。吐息も届くような距離だ、と思ったが早いか、そっと盗むようなキスをされて刹那、その冷たさに眠ってもいない目が覚める。
―冷たい。
しかし、とける程度にはあたたかい。北の国の春のようなくちづけだ。そっと離れていくのを追って、オズは冬の名残りのようなホワイトの唇にキスを返す。
「……ちょっとー、さすがの我もときめいちゃうんじゃけど」
「何を……。初心でもないだろう」
「さすがのって言ったじゃろ。キスなぞ数えきれんほどしてきたわ。なめるでない!」
「なめたつもりはないが……」
なめたつもりもなければ、他意もないのだが。オズは困惑した目を向けるホワイトの薄紅色に染まった頬に触れてみた。そうしたところで、ホワイト自身からうまれるぬくもりがあるのかないのかはよくわからない。暖炉の火であたたまっているだけかもしれないし、ホワイトが自称する『幽霊』という概念には謎も不思議も多い。けれども、そんなことを挙げだすときりがない。
「ないが、何じゃ」
「……」
衝動的な行動に理由などない。オズはややあって「隙が増えたな」と返した。問いに対してそぐわないことを言った自覚はあるが、ありもしない理由を適当に組み上げたところでホワイトにはお見通しだろう。見え透いた手を使っても、ろくなことにならないのが見えている。それゆえ、主観による感想を述べたのだが、ホワイトは意外なことにもごもごと口ごもり目を泳がせ始めた。
「そこは、そなたへの……んん……あれ、あれじゃ」
「あれ、とは」
「口に出すと羽より軽くなってしまうから、嫌じゃ。察してくれぬか」
「……」
「駄目か」
「まだ何も言っていない」
「言われなくても分かるもんね。くだらんと言うつもりなのじゃろう」
「……」
決してそのようなつもりはないのだが、ホワイトはほら見ろといった顔をしている。それにはなんとなく反発したい。なんとなくである。そうするには言葉にも感情にも瞬発力が足りない。ただ、言いたいことがないわけでもないから厄介なのだ。
「……なんじゃ、その顔は」
「口に出すと、嘘に聞こえる」
「ほう。意趣返しとは、生意気じゃの」
察してくれと言ったその口でそんなことを言うけれども、ホワイトからすればきっとこんなのは言葉遊びのうちだ。付き合わされるのも慣れたし受け流し方を知らないわけでもない。しかし、今日は逆らいたいようなねじ伏せてしまいたいような、なんとも言い難い気分だった。
どうせ朝に呼ばれて魔法舎じゅうが目を覚まし、すぐ終いになるのなら曖昧にやり過ごそうと切り返そうと同じことだろう。オズはかすかなプレッシャーを放つホワイトに視線を結び直した。
「そのような意図はない。ただ、」
「ただ?」
「記憶する限り、おまえと寝覚めにくちづけをかわしたことなどない」
「……えっ、もしかして、そのことずっと考えてたの?」
「……」
「我も憶えてないけど、待って待って、そなた可愛すぎない?」
「黙れ」
ぬくもりがあろうとなかろうと、ホワイトはホワイトなのだ。本当にみえなくなるまで、触れられなくなるまで、『いる』と言えなくなるまで。
幽霊でも幻影でもそこに姿があって触れられるのなら、それだけが真実、確かにホワイトだ。条件も定義もいらない。
たとえ触れられることが届くことではないにせよ。
<おわり>
以
下
蛇
足
(というか幻覚の前提として)
タイトルの回収というかなんというかなんですけど、ホワイトの唇が『冷たいけれども、とけるほどにはあたたかい』ということを知ってるのは北師弟間だけじゃね!?っていうかそうあってくれ!!!!!!
……という強めの幻をみて願ったことを回りくどくそして加速力だけでどうにか書いた形の話です。そしてこのキスは親愛。親愛です。
そして『あれじゃ…』の『あれ』は『愛』です。昔はきっとオズに隙をいまほど見せてなかった気がするんです双子どちらも
時間がうーーーーーんと経って、ホワイトの死によって彼らの関係も思いもどこか何かが変わってしまったけど、それによってうまれたものもあるような気がして。その曖昧な感情のことをうっかり『愛』と言いそうになって踏みとどまるホワイト……
とりあえず強すぎる幻覚でした。北師弟尊い。