『試される』② Sideカラ松『好きな人に告白されるなんて幸せすぎじゃない?』
まだオレがシャイでナイーブなティーネイジャーだった頃。学び舎を同じくするガールズ達が、小鳥の様に賑やかな噂話を交わす、その中で耳に飛び込んできたひと言だ。
確かに、それほどスペシャルな奇跡は無いだろう。特にオレの様に数奇な試練を与えられた者にとっては、それはもう、ありとあらゆる神々に感謝を捧げたくなるくらいの奇跡に違いない。
ただしそれが本当に、本気の、告白ならば。
「信用できない。」
正直に告げた声は、自分でも驚くほど低かった。ピシリと音がしそうなほど分かりやすく固まった、正面の弟。そう、弟であり、オレの想い人。これこそがまさに数奇の運命。だが先の告白を頭から信じられるほど、オレはもう無知で純真な子供ではない。
というか。
アレは誰がどう見ても信じられないだろう?
ふつう愛の告白といえば、頬を赤らめ恥じらいながらも期待と不安に満ちた潤んだ目で、必死に相手を見つめながら思いの丈を告げるものではないのか。
さっきのコイツはというと、顔は青ざめてるし涙の滲んだ目にはむしろ絶望と諦めが満ちていたし、目線は地の底を這い、伝えるどころか辛うじて聞き取れる限界のつぶやき声だった。
愛の告白というより、罪の告白。『すみません貴方の大事な壺を割りましたこれからこの命を持って償います』とでも言われたような心地で。
アレで喜べる方がおかしくないか?思わず『もういい無理はするな!』とか叫びそうになった。代わりに出たのがさっきの一言だ。
「お前のこれまでの仕打ちを考えるととても信じられない。嫌がらせか、兄弟との罰ゲームか、それとも何かオレの考えつかない裏があるんだろう。」
などと。
大声で告げたのは、おそらく襖の向こうにいるであろう主謀者のおそ松に向けたつもりだった。お前の馬鹿げた企みは全てお見通しだ、諦めて出てこいと。
ところがいつまでたっても誰も出てこないし、目の前の最愛の弟はますます窮地の顔で、脂汗を流しついには小さく震え始めた。どうもいつもと様子が違うようだと、よくよく観察したその目が、揺れて。
直感。
逃げる。
このままだとコイツは逃げて、全てを無かったことにする。思った瞬間、頭より先に口が動いた。
「本当だと言うなら、証明してみせろ。行動で。」
いや、こんな言い方したらそれこそ殴られて終わりだ。慌てて取り消そうと、するより早く。
「っっっ分かったよ!やってやろうじゃん吠え面かくなよ!何されても文句言うなよおれぁ本気だからな!」
そう吠えた弟の、その表情が。
真っ青から一転、真っ赤に染まった顔が。
挑むように強くまっすぐ向けられた視線が。
何より、滅多にない素早さと大声で響いた言葉が。
とても演技や強制されたものには見えない、そう、それこそ、思い描いた通りの。
「本気」
まさか。そんな事ある訳が。都合よく見過ぎだ、これはそう、引けなくなったコイツによくあるヤケの発言だ。
オレの中の大部分がそう言って引き止めてくる。それでもさっきの、表情が離れない。万が一の希望が捨てられない。
期待を裏切られるのは怖い。でもチャンスは逃したくない。次の一手を誤らないよう、少しの変化も見逃さないよう、これまでにない集中力でただ、相手の挙動を凝視した。凝視してそうして…何分たった?
威勢よく吠えた弟はしかし、再び固まってしまった。いやよく見れば、目は忙しなくあちこちに泳いでいるし、膝の上で握られた拳も小刻みに震えている。
と、ふと目が合う。それも一瞬、ぴゃっと毛を逆立てた相手は慌てて目を逸らし、斜め上の何を見たのか目を見開き、それから細めて渋い顔を作る。
焦るという感情一つで、これほど百面相ができるものか。感心と、まるで猫の様な反応に愛おしさすら覚え。そこで記憶が引っかかった。
あれはいつの事だったか。居間で偶然二人になり、テレビからはどこぞの忠犬のエピソードが流れていた。それに対する感動を告げたオレに対して、珍しく反応が返ってきた。
『猫だって、分かりにくいだけで情愛深い生き物だよ。一度信頼に足ると判断した相手には、とことん忠義を尽くす。』
忠義とは大げさなと苦笑しながらも、会話が続いたことに浮かれたオレは、つい軽口をたたいた。『じゃあお前もそうなのか?』と。
いつもならそれこそ黙殺か撲殺しかない様な質問に、しかしコイツは、何と言ったのだったか。確か、意味ありげな笑みを口元に浮かべた、コイツは。
『…お前には、そう見える?』
鼓動が、跳ねる。
ああ。
あの時のお前は、どんな気持ちで。
いま目の前のお前は全く違う表情で、でも全く同じ温度の視線で。
欲しい。そうだオレは、お前のそれが。
今、まさに、もうすぐそこに。手の届く距離にある。そんな気がしてならない。
だって、逃げないのだ。
これまでのコイツだったら、もうとっくに逃走している。事実、何度か足や手がぴくりと動き、逃亡を試みているのに。当の本人が、それを必死で引き止めているのだ。
何の、ために。
その理由が、知りたい。何としても。
知らず身を乗り出していた。組んでいた腕を解き、右手が伸びる、その直前。
相手が、動いた。
膝立ちで距離を詰めこちらの肩を両手で抑えて
バチっ
目が合った。音さえ聞こえた気がした。
両肩を痛いほど捕まれている。それでも振り解けない。動けない。
目が、離せない。
間近にある見開いた目が。キラキラと。輝いていて。
ああ、綺麗だ。
自分が何を求めていたとか、何のためにとか、本心がどうだとか。全部吹き飛んでしまった。ただその綺麗なモノに見惚れて、でも。すぐに閉ざされる。
ああ。何で。
もう少しで、見えたのに。もう少しでこの手に。
なあ。
お願いだから、もう少し、もっと。
近くで。
両手を、伸ばす。
口が、熱に、触れる。
弾かれたように開いた目が、現実を映す。
「あ」
ゼロ距離の瞳に映った自分が、口を開く。
「すまん。つい。」
ついって何だ。我ながら思うが他に何も出ない。
現実感が伴わない、先ほどの唇の感触のように、ふわふわした陶酔感に身を委ねつつ。
目の前の頬が薔薇色に染まり、その上の目がみるみる涙をたたえて輝くさまを、ああやっぱり綺麗だなあと眺めながら。
心の底の最後の理性が呟く予言を聞いた。
これは、オレ。
死んだかな。