猫になりたい次男の話・後編 * * *
一松がカラ松の猫化を悟り、猫として愛で始めてから、3日め。
昼食後の居間には、おそ松とトド松がいた。
つけっ放しのテレビを眺めていたおそ松がチラリと視線をやった先、トド松はスマホ画面に視線を落として唸っている。
「どうしたのトド松、さっきからウンウン言って、なんか悩み事?」
「うーん。いやね、実はカラ松兄さんの事なんだけど…」
「あー、アイツ最近変だよね。一松もだけど。今も2階に2人きりってのが珍しいし。」
「うん、まあ、とりあえずカラ松兄さんのアレはデカパンの薬が原因なんだけどね。」
「知ってんの?!」
「だってボクが博士に打たせたから。」
「張本人なの?!え?!それずっと黙ってたの?!」
「人聞き悪いなぁ。ボクはカラ松兄さんに頼まれたの、協力した結果だよ。」
「ええー?いや、それにしたってさ、兄弟に話すくらいするでしょ?ほら、最初の日、晩ごはんの時なんてさ、みんなめっちゃ気にしてたじゃん。」
「話題に出たら話そうと思ってたけど、でも誰も聞かなかったじゃん。」
「…こっわ。いやいや、だってさ、聞けないでしょーよアレは。カラ松は一松みたいになってるし、一松はそんなカラ松にデレデレだし。怖すぎて、無理。確かに誰も声には出さなかったけど、めっちゃ目で語ってたよね?!事情知ってたならその時に説明してほしかったなぁーお兄ちゃんは。」
「まあ、過ぎた事を今言ってもね、それに今話したでしょ?」
「こわいよー弟のドライ&クールぶりに凍えそうだよぉー」
「うっさいな、何その次男兄さんみたいな言い回し。とにかく、本題はこの先なんだよ。そのカラ松兄さん、様子が変わってもう3日目でしょ?」
「うん。」
「いつ薬が切れるのかなぁって。」
「知らないの?!聞いてないの?」
「だってさぁ、最初なかなか薬が効かなくて、すぐ元に戻ってたんだよ。だから今回もすぐに切れると思ったら、まさか3日も続くなんてねぇ。」
「へぇー。でも効き目は長い方がいいんじゃないの?」
「それがそうでもなくて。薬の効果を博士に報告して謝礼をもらう予定なんだよ。なのにいつまで待っても切れないからさぁ、貰えないじゃん。」
「え?報告?謝礼?!まって待ってどうゆうこと?!それってつまりカラ松は実験台?!お前、兄ちゃんを売ったの?!そして今心配してるのはカラ松より謝礼なの?!怖いよー!弟が怖いよー!」
「だから!そもそもはカラ松兄さんの頼みだったんだって!
それに、もし兄さんがボクの立場だったらどうする?今この状況でカラ松兄さんの心配、する?」
「そりゃあもちろん俺だったら…」
「だったら?」
「…俺だったら……今すぐデカパンに『お金いつもらえんの?』って聞きにいく。」
「それだ。」
トド松がおそ松を指差す。その人差し指でスマホを操作し発信履歴を開く。ほどなく電話がつながる。
「ホエホエーどちら様ダスか?」
「あ、どもども、トド松でーす。この前カラ松兄さんに打ってもらった薬の事なんだけど…」
「おお!あれからどうダスか?カラ松くんは元気ダス?」
「おかげ様で未だにバッチリ薬が効いてるんだけど。」
「なんと!まだ効いてるダスか!これは驚きダスね!」
「ええ?!博士が驚いてどうすんの!」
「そのための実験ダス!それにしても、予想では1日で切れるはずなんダズよ。3日たっても切れないなんて全くびっくり仰天ダス。」
「ええー?」
トド松が言葉を失う。その隙に、おそ松が横から口を挟む。
「ところで博士、よくそんなピンポイントな薬があったね。」
「ちょっとおそ松兄さん。…まあ、ボクもそれは気になってた、ていうか猫系男子なんてよく知ってたなって。」
「ホエホエ!よくぞ聞いてくれたダス!そこがあの薬のすごい所!そもそもコレは『なりたい属性』になる薬ダスよ。そこに色んなトッピングを追加することで、色んな属性になれるダス!まさに可能性は無限大!…猫系男子なんて言葉は初めて聞いたしさっぱりダスが、猫だからあの薬には猫の毛をトッピングしたダス!」
「…え?それって…」
「結果は一緒に見た通り。見事に猫になったダス!」
「ダメじゃん!猫系じゃない!それ猫じゃん!」
「ホエ?」
「それに薬が切れるどころか、だんだん進行してる気がするんだよ!カラ松兄さん返事もしなくなってきてるし、気が乗らない時は呼びかけても振り向きもしないし、今朝なんて天井の隅っこの何もない所じぃっと見てたりナニかを目で追っててねぇアレ何が見えてるの?!」
「猫あるあるダスなぁ」
「ほっこりしてる場合か!ねえ博士、まさか…このまま薬が切れない、なんてこともあったりするの?」
「そうダスなぁ、なんせあの時は倍々で増やして一度に大量摂取したダスから、もしかしたら最終的に完全猫化して一生そのままって可能性も、無くはないダス。」
「えええええ?!」
「でも彼が望んだ姿なら、結果オーライ?」
「じゃないし!なに?!どっからツッコんだらいいの?!」
「ホエー。薬の効き目が長くて怒られたのは初めてダス…」
「言ってる場合か?!どうにか解毒剤とか作れないの?!」
「ワスも初めて作った薬だから難しいダスな…何より開発費用が」
「あ。じゃあいいです。」
「ひぇ。急にドライ。…まあ、一つだけ、元に戻る可能性も無くはないダス。」
「何?!」
「カラ松くんの体質ダス。あれだけの薬を打っても打っても戻ってしまう、彼は相当強い免疫と犬属性を持っていたダス。その免疫力だか犬属性だか何だかを引き出すことができれば、また薬に打ち勝って元に戻るかもしれないダス。」
「…なる…ほど…。分かるような分からないような。」
「じゃあそういう事で…」
「あ!待って!一番大事な事!」
「なんダス?」
「そのー、実験に協力したお礼っていうのは、いつ貰いに行けばいいのかなぁって。」
「ああ、その事ダスか。今回は常人じゃああり得ない量の薬を投与したからそもそもデータとして使えないダス。だから謝礼の話は無かったことに」
「えええええええ?!」
「こっちも貴重な薬を大量に使って作り直しダスから、痛み分けダスな。それではこれにてドロン!」
「いやまた懐かしい挨拶!じゃなくて!ええ?!博士?!もしもし?!もしもーし!」
ツー ツー
「チクショウ切れてる!ええー?!報酬なし?!ゼロ?!完全に骨折り損じゃん!
こうなったら意地でもカラ松兄さんを元に戻して手数料と迷惑料をぶんどってやる!おそ松兄さんも協力して!」
「ええー?まぁ面白そうだからいいけど。じゃあチョロ松と十四松も呼んでこようぜ!」
探し出して家へ連れ戻してチョロ松と十四松を前に、トド松がこれまでの経緯を熱弁し、ちゃぶ台をバン!と叩いて締める。
「…という訳で。このままカラ松兄さんを放っておいたらまずいんだよ!何とか元に戻さないと!」
対してチョロ松は冷めた目で返す。
「いやそれ、お前が元凶だろ。それに、確かに異様な光景ではあるけどさ、それは僕らが慣れないってだけだし、今のところ周りに被害は出てないし。何よりカラ松本人が望んだ事ならいいんじゃない?何がまずいの?」
トド松は両手の拳を握り、うつむいた顔を震わせて訴える。
「…覚えてないの?兄さん。3日前に話したこと。」
「え?何だっけ?」
「猫系男子は…女子にモテる!」
「「「?!」」」
「ボクもカラ松兄さんがああなってから気づいたんだけどね、一松兄さんがそもそも猫系男子だったんだよ。まぁ、一松兄さんの場合は本人がアレだから心配なかったんだけど…カラ松兄さんもとなると話は変わってくる。」
語るトド松に十四松が手を挙げて追撃。
「ハイはーい!ぼく昨日見たよ!公園で!カラ松兄さんと一松にーさんが猫に囲まれてて、それ見た女の子たちがねぇー…
『ねぇ見てアレ!かわいいー!』
『本当!お兄さんたち双子かな?雰囲気もそっくり!』
『ね!あんなにクールな感じなのに、あんなに猫に懐かれてるの可愛いよね!』
『きっと猫には内面の優しさが分かるのねェ。素敵!』
…って言ってた!」
「「?!?!」」
「ホラぁ!やっぱり!同じ猫系でもカラ松兄さんは一松兄さんほどの闇が無い。そして何より2人がそろう事で『双子ユニゾン』という属性まで追加されてる!このままじゃどんどんモテちゃって、もしかしたら…もしかするかも!」
「そりゃあまずい!そんなんお兄ちゃん許さないよ!」
「ああ…何としても阻止しないと。」
「マッスルー!」
途端に一致団結してがっしりと手を結ぶ4人。
「って事で!皆で何とかするよ!じゃあまずはチョロ松兄さん!」
「ぼ、僕?!いやいきなり言われても…」
「安定のツッコミ!饒舌で場を作り時にぶっ壊す俊足の一番バッター!ボクらの牽引役!ペースメーカー!」
「え?そんな…い、いやあしょうがないなあ、まあ僕で全て解決とは行かないかもだけど、情報収集と対策と傾向、今後の方針くらいは出せるように探りは入れてくるよ。」
「頼んだよ!」
「「いってらっしゃーい!」」
階段を上がり子供部屋へ向かうチョロ松。見送るトド松と手を振る2人。やがて襖が開く音と。
ガラ
「ちょっといいかな?カラ松、話があるんだけど。」
「…何?おれがいちゃ駄目な話?」
「いや、別にそう言う訳じゃないんだけどさ、ってかまあ、お前でもいいんだけど、ちょっと聞きたい事があって。」
「…何?」
「最近カラ松どうしたの?なんかすっかりケモノみたいになっちゃったじゃない。」
「け?!け、けけ、ケモノぉ?!お前!またケモノっつったか?!」
「ケモノはケモノだろ?冷静に今のこいつを見てみろよ。僕らの話も全然聞いちゃいないし、こっちの方見てるのだって、ただ僕の指の動きが面白くて目で追ってるだけだし何ならちょっと狙ってきてるし!」
「あああかぁんわいいぃぃでもそんなシコ松のシコ臭い指なんかよりこっちのじゃらしの方が面白いよぉー?」
「完全に猫扱いじゃんってかシコ松言うなシコ臭ぇって何だよ喧嘩売ってんのか!ってか臭ぇのはそっちだよ知ってるんだからな!コイツ昨日風呂入ってないだろ!」
「そんな毎日風呂なんか入れたらストレスでハゲるだろ猫は水嫌いなの知らねぇのかダぁほ!」
「だぁから猫じゃねぇっつってんの!いよいよケモノ臭するだろやめさせろ!最低限の社会性も保てねぇならダンボールで捨てるぞこの駄目飼い主!!」
「だからケモノって言うんじゃねぇよ!捨てるとかよく言えたなヒトの心はねぇのかコレだからニワカのエセ猫スキーはよぉ!」
「ん?!誰がエセじゃあ!!」
「んだやんのかゴルァ!!」
「「にゃーーーーーーーー!!!!」」
「うるっせぇえええええええええ!!」
スパン!と襖を開けておそ松。
「お前らうるっせえよ!またかよお前ら!何回にゃーにゃーにゃーにゃー言うの!いい加減にしろよ!!ハイ撤収ぅー!!一旦退くぞチョロ松!」
「ちょ!離せ…」
スパン
「…駄目。全然ダメ。忘れてたけどコイツと一松に猫の話させちゃダメなんだよ。」
「いや犬の話をして欲しかったはずなんだけど…」
「とにかくダメ。相性サイアク。」
「んー、じゃあしょうがない、2番手!十四松にーさん!兄さんも犬属性でしょ、上手いことカラ松兄さんの犬を引き出してきて!」
「アイサー!」
ズダダダダダ
「いや勢いはいいけど…あいつ、本当に目的分かってる?」
「自信はない。けど、あの2人って時々訳分からん所で意気投合してたりするじゃん?そこに賭けるしか…」
ガラッ
「カッラまっつにーさーん遊びましょー!ぼくまたボール持ってきたよ!」
「!」
ズザッ
「?!十四松?!」
「あ!そっか!一松にーさんも一緒が良いよね?」
「えっ?ちょ…」
「いちについて、よぉーいー…どっせーい!」
「あっぅぉわぁあああ?!」
ガシャーン
「どぉーーーーん!」
ズバタン!
ズドドドドドドドドダダダダダダダ
ガラガシャーン!
「ちょっな?!なに何?!」
「もの凄いスピードででかい何かが2つ階段をかけ降りて玄関から出てったみたいな音がしたけど…?」
「あと、明らかに2階の窓が割れた音したよね?」
「ええ?何が起きたの、どこに行ったんだよ…」
「たっだいまー!あー楽しかったぁー!」
「十四松兄さん?お、おかえり…泥だらけでどこ行ってたの?」
「んっとねー、ボールと、一松にーさんを、窓から投げてー、カラ松兄さんと追っかけて、街中走ってきた!」
「えええ?…あっ!一松兄、さん…お、おかえり…」
「………………死ぬ。」
「お、お疲れ…と。なんか目ぇキラキラさせたカラ松兄さんも、おかえり。…に、兄さんも、楽しかったの?」
無言でコクリと首を縦に振るカラ松。
「そ、そう、そりゃ何より…」
「だめじゃん!全然ダメじゃん!」
「なるほど、今のカラ松にとって十四松は遊び相手って認識なんだな。」
「へっへー。申し訳ない面目ない!」
「もーしょーがないなぁー。こうなったらカリスマレジェンド長男さまの出番だな!」
「お願いね!ビシッと決めちゃって長男兄さん!」
「へへっ任せとけ!カラ松なんてちょちょいのちょいよー!」
ガラ
「おーいカラ松ぅ…」
シャーーーーー!!!
ズタン!
バリバリバリバリ
「いったぁああああ?!」
「何あれ?!何あれ?!俺何もしてないけど?!ただ呼びかけただけなんだけど?!何でそれだけであんな怒って飛びかかられて顔中引っかかれるの?!」
「…まあ、そりゃあねえ。」
「おそ松兄さんだからね。」
「しょーがないね!」
「どーいう意味だよ!」
「もう仕方ないなぁ、こうなったら全員で行くか。」
「トド松、お前はやらないの?」
「え?ボクは情報提供者であり、指揮官でしょ?指揮官が前線にでちゃだめでしょ。」
「…お前…。」
「じゃーあー、早速みんなで…何する?素振り?!」
「素振りはしない。けど、そこなんだよねぇ。そもそも犬属性を取り戻すってどうすりゃいいのか…とりあえず、様子でも見に行く?」
「それ今言うの?!分からないまま兄をけしかけてたのお前?!とんだ指揮官だな!
…まあでも、一理無くはないよね。そもそもあの2人、ずっとべったりくっついて何してんだろ?ってのも気になるし。」
「だよねぇー。やたら静かだし。俺らが入ったときはただ座ってたし、何してたかさっぱり分かんなかったよね。やっぱここはこっそり覗かないと!」
「なるほどりょーかい!てーさつ!てーさつー!!」
「十四松、静かにな?」
4人、足音を忍ばせて階段を上がる。途中でチョロ松が呟く。
「そういえばさっき見た感じだと、カラ松また一段と猫っぽくなってたね。大丈夫かな?」
「だよなぁ。あれ、ホントにモテんの?」
「だからどんどん進行してるんだって、このまま行ったら完全に猫になっちゃう。」
「でもネコだったら、モテてもしゃーない!」
「うん、まあ、確かにね?完全に猫になっちゃったら、いくらモテても進展しようがないとは思うんだけど。…でもさ。」
こっそり襖を開けて覗いたトド松が、青い顔で振り返る。
「…単純に、あの絵面、ヤバくない?」
言われて3人も覗き込んだ部屋の中。
あぐらをかいた一松の膝に顎と両手を乗せてうつぶせに丸くなり、頭や背を撫でられていかにも満足げに目を細めているカラ松の姿。
「う、うわーあ…」
「ヤバいね。ぼくでも分かる。」
「うん。成人男性2人であの絵面は、ヤバい。」
4対の冷えた視線の先。見られていることにまるで気づいていない一松の、独り言のような声が聞こえてきた。
* * *
「みんな今日はどうしたんだろうね、次から次へと。」
「…」
独り言のように呟けば、膝の上の顔がふと持ち上がり、こちらをじっと見てくる。
この3日でめっきり口数が減ってしまったカラ松だが、元々猫は目で会話する生き物だ。猫づきあいの長いおれならば、普通の猫でもその時の気分くらいなら大体分かる。それに何より、おれたちはむつごだ。アイコンタクトも慣れたもので、猫よりもっと複雑な感情も読み取れる。つまり今のおれたちは、目を見るだけで大体の会話が成り立つまでになっていた。例えば今も。じっとこちらを見てくるその目が、何を問いかけているのか、手に取るように分かる。
『お前は、良いのか?』
「なにが?」
『お前、兄弟が好きだろ、なのにずっとオレとだけいて、寂しいんじゃないか?』
「何それ。それを言うならお前だって、兄弟大好きじゃん。…博愛主義者が急におれだけにべったりになったから、みんなびっくりしてたよ。」
『オレは別に、べったりなんて…』
「はいはい。…いや、おれもね。兄弟で遊ぶのも好きだけどさ、今はこうしてお前と2人で過ごす方が、いいかな。」
『…』
すり、と、頭を擦り付けてくる。その動きは、本当に、本物の猫のようで。
その頭をゆっくり撫でてやりながら、この3日間を思い返す。
猫となったカラ松は本当に可愛いし、傍にいて落ち着くし、何より分かりやすい。皮肉なことに喋らなくなった今の方が、コイツが何を考えているのか分かる。コイツから向けられる信頼、親愛を、すんなりと信じて受け入れられる。そしてそれを、これまた素直に返すこともできている。
余計な事は何もない。
すれ違いもいさかいも無い、穏やかな時間。
心を乱されることも、読めない未来を恐れることも無い。
永遠も信じられる、まさに、理想の関係。
だと、思うのだが。
…こんな理想の状況でも、結局つき進めないのが、おれのゴミな所なんだろう。
この3日、歓喜と幸福感で満たされる胸の奥底に、反比例するようにジワジワと溜まってきた不安と、不満を。ついに吐き出す事にした。現状への決別と、自分への呆れを乗せて、ため息をつく。再び見上げてきた目に、問いかける。
「なあ…お前はさ、これでいいの?今の状態は、本当にお前が望んだことなの?」
ピクリと耳を震わせたカラ松が、目を細める。
『何故そんな事を聞く。お前が、この方が好きなんだろう?今のお前はこれまでで一番満たされてるように見える。』
「そりゃあ、まあ。おれはそういうやつだし、同じ空気の方がもちろん、落ち着くんだけど、さ…」
『ならいいじゃないか。』
「…落ち着けば良いってもんでもないだろ。」
『…どういう事だ?』
「だから、さ、その…お前はこのままでいいのかって事。」
『さっきと同じ事言ってるぞ。』
「ッだぁああ!だから!!2人ともこんなんだったらいつまでたっても何も進まねぇぞ!良いのか?!」
『?!』
「知っての通りおれは絶対に自分からは動かない!動けない!お前がその分グイグイきてたから何とかなってたのにさあ!お前までそんなんなっちゃったら!なあ!お前!お前がっ!
…お前はさ、今まで通りでいいから…おれの言うことなんて無視してさ…お前が振り回すくらいじゃないと…こ、困るんだよこっちも…」
「…ぇ」
「おれはさ、確かに猫が好きだけど。猫のお前は確かに可愛いんだけど…でもさ、おれがさ、つ、つき合うって返事したのは…猫のお前じゃないよ?
あの時は確かに酒の席だったし、どうせその場のノリなんだろうと思ってたけど、おれはそれでも…嘘でも冗談でも、嬉しかった。ずっと欲しかった言葉、だった、から。だから、いつものノリでぶち壊すなんて、できなかった…
おれだって、さ、分かるだろ、同じクズのむつごだよ。無理してつき合うなんてあり得ないし、嫌だったら逃げるし抵抗もするし、むしろアレが冗談だったとしてもゴリ押しすればお前流されてくれんじゃないかとか、そんな事考えてた位だし、だから、つまり…その…あの返事は、お前が、お前だった、から、ああなったんだよ。だからつまりその、何が言いたいかって…
おれも、お前が、猫じゃないお前自身が…す、すす、好っき、なんですけど…」
・・・
思い切ったはずの自分の言葉が尻すぼみに消えていく。
いや。
静か。
気まずい、どうしよう。
お前なにかないの?と見た先。
目を見開いて。
固まっていた。
と思ったら。
ズサ!と予備動作なしで飛び上がり、飛びついてきた。伸ばした両手でこちらの両肩を正確に捕らえてそのまま後ろへぇええ?!
「ぅおあ?!」
ドスン
「ってぇ…」
押し倒され、したたか後頭部をぶつける。畳で良かった。これには流石に「いきなり何しやがんだコラ!」と怒鳴ろうとしたのだが。勢いのままこちらに馬乗りになってきた奴の、顔は足の方に伏せていて見えない。つむじしか見えない。その頭が、肩が、こちらの肩を抑えている両手が。
ブルブルと、震え始めた。
え。いやどういう反応。怖い。
「え?なに、だ、大丈夫…?」
「う、うう…ぅうぐううううう」
唸ってる。怖い。こわいこわいなに。
急にまた全然分かんないし。
ただ、とりあえず具合が良いようには見えない。『大丈夫?救急車呼ぶ?』とか、聞いた方がいいのかな。思って「あの」と呼びかけた瞬間、その声をかき消す大音量が、家中に響き渡った。
ゥウワオォオオオオオオオオオオオンンッッッ!!
「っえ?何?!遠吠え?!犬?!」
「っちまぁああああああああつ!!!」
「にあ?!」
再び飛び掛かられた。すでに倒れているのに押し倒され、もっかい頭打った。オーバーキル。いやどういうこと?
「いちまぁつ!一松いちまつイチマツああ一松!可愛いなぁかわいい!可愛いぞぉいちまぁつ!!
そうかぁお前もオレの事が好きだったんだな良かった!よかったぁああー良かったぁ!もちろんオレもだぞ酒の席のノリだなんて冗談じゃないオレだってあわよくばだったしチャンスを逃したくなかったしだからあれは偽りないオレの真心さぁ!ちゃんと受け取ってくれたんだなセンキュー!さすが一松さすがオレたち!なぁオレたち同じこと考えてたんだなぁこれはもう運命!ディスティニー間違いなし!さあこれからは心置きなく憂いなく愛を語り合おうじゃないかなぜならぁ?オレたちは!愛し合うべくして生まれた運命の半身だからなぁああマジで?!やったー!ひゃっほぉーもぉーやっぱり可愛いかわいい!可愛いぞ一松愛してるぞいちまぁつ!アァイ!ラァブ!ゆ…」
「ハイいい加減うるっせぇ!」
ゴス
「だっ」
耳元で急にまくしたてられた、懐かしく騒がしい声に圧倒されていると、いつの間にか部屋に入っていたチョロ松がカラ松の脳天に一撃を食らわせて黙らせた。続いて部屋に入ってきたのは。
「何なに?つまりカラ松は元に戻ったって事?今ので?何で?」
「めっちゃくちゃデカい遠吠えだったね!」
「うーん、詳しくは分からないけど、一松兄さんのおかげで治ったんだよね?」
「ああ!…すまないなトド松。せっかく協力してもらったところ悪いが、オレはやはりオレの道を貫く!」
「なんかカッコいい風に言ってるけど、要は一松兄さんに言われたからでしょ。」
「そう、これこそまさに!愛の力さぁ!」
「ウザい近い!だから距離感!」
「あ?!あああああ愛?!愛!とか!そんなおれは別に…」
「…ちがうのか?」
「ぅぐう!その目!捨てられそうな犬の目!」
「ハイそこイチャイチャしない。もっかい殴るよ?」
「い?!イチャイチャなんてしてないって!」
「お前さっきまでの方がよっぽど素直だったね、なんなの、お前とカラ松どっちかが必ずツンデレでないと死ぬ呪いでもかかってんの?」
「そう…決して解ける事のない愛という名の呪縛の鎖に縛られた2人!悪くない。」
「…お前は絶好調だな。一松お前ホントにこれで良いの?前の方が静かで平和じゃなかった?」
「…正直迷う。」
「いちまぁつ?!」
「…冗談だよ。」
「はっ!冗談か!ホントだな?!ホントに冗談だよな?!…いや、大丈夫オレはお前を信じている!もう大丈夫!さっきまでのお前がしてくれたように、今度はオレが、お前の真の心の声を受け取って見せるぜ!そう…目と目で通じ合う…オレたちだからな!」
「言い方がキモい。」
「それから十四まぁーつ!」
「アイ!」
「人を2階の窓から投げちゃ駄目だ。」
「急に冷静。」
「アイすまんこってす!でも一松にーさんといっぱい遊べて楽しかったね!」
「そうだな、お前のおかげだ、ありがとうな!」
「ええー?そこでハイタッチなんだ?お兄ちゃん全然分かんないんだけど。どういう事?」
「フーン、おそ松。お前にも礼を言わないとな!」
「え?俺?」
「流石は長男、お前は初めから、全てお見通しだったんだな。」
「え?いや俺何も知らないけど…初めっていつ?」
「かつて釣り堀でお前が『変わらなくていい』と言ってくれた!その通り!オレは、オレのままでいい…そうだな?!」
「ここでそれ入れてくんの?!いや俺そういうつもりで言ったんじゃないんだけど?!」
「それにオレと一松が互いの気持ちに気づいたきっかけも、酒の席でのお前のひと言だからな!さしずめお前はオレたちの…愛のキューピッドさ!」
「やめてぇ!そんなつもりないから!巻き込まないで!てかこんな展開になるなんて思わないでしょ!」
「うわぁー。マジかぁおそ松兄さんさすが兄さん。」
「おいおい弟思いすぎるだろおそ松兄さん。」
「おそ松兄さんお疲れ様でーっす!」
「ちがうってぇ!こういう時だけ兄さん呼び!やめてぇ!!」
とか何とか。
一気にわちゃっとした、久しぶりの6人分の喧騒は、まさに3日分の長い夢から覚めたようで。それでもこの3日間が、中でも、夢かもしれない夢に違いないと疑う事で逃げ続けていたコイツの言葉が。どうも夢じゃなかったらしいって事が、ようやくおれにも分かってきた。
だって、このバカ騒ぎの中。
おれだけじゃなく大好きな兄弟たちに向かって絶好調で語りかけるクソな兄は、クソドヤ顔でクソな発言を4方向にまき散らす兄は。チョロ松にどつかれても、トド松に絡んでウザがられても、十四松とハイタッチした時もおそ松兄さんに感謝を述べてたその間も。
ずっと。
おれの右手だけは、しっかり握って離さなかったのだ。
* * *
何事も無いいつもの昼下がり、いつもの居間で。
いつもの様に隅っこで体育座りをして眺める目の前。ちゃぶ台には2人の兄。赤と青が1冊の雑誌を見ながら話していた。
「犬系女子?」
「そー!この雑誌に書いてあったんだけどさ!ホラ、ここ!
明るくてーひと懐っこくてーせーじつなんだってさ!可愛くない?!お前そーいうの好きだろ?」
「なるほど…オレだけに従順なガールか。…フッ、悪くないな。」
「なんかお前が言うと怖いんだよなぁ。んで何で上から目線なの?」
………
まだまだ続きそうな会話はそれ以上聞かず、そっと立ち上がって部屋を出る。階段を上がる。子供部屋には誰もいなかった。そのまま窓から屋根まで上がる。
いた。
十四松。
何をするでもなく足を投げ出し、口を開けて空を見ている。
近付いて、隣に座って、同じように空を見ながら、切り出した。
「ねえ十四松、ものは相談なんだけど…」
「あいあい!なんでしょー?」
「おれを…犬にしてくんない?」
「エーーーーーーーーーーーーッ?!」
終わり!