『試される』① Side一松 どうしよう。どうしたらいい。
ああもう今日は最悪の日だ。最悪だけど、逆に最大のチャンスかもしれないんだ。だから絶対逃げられない。最悪だ。
石にでもなったかのように、膝に拳を乗せた正座の姿勢で固まって、かれこれ1時間。
目線はもう、左膝の先の畳に落ちてしまっている。そして右のこめかみに、さっきからずっと刺さり続ける視線が。痛すぎる。
こいつもこいつだよく1時間も付き合うなとチラリと伺う。同じく石のように固まった同じ顔。おれと違うのは胸の前で組んだ腕とやや太めの眉。それがいつも以上に厳しく吊り上がり、挑むような、試すような目でこちらをじいっと睨んでいる。痛い。即座に目を逸らしたついでに時計が見えた。何だまだ15分しかたってない。嘘でしょ?!絶対1時間はすぎたって!
…まあ。
1時間だろうと何だろうと、おれから動かなければ何も進まない。それは分かっている。奴が求めて、おれが応じたのだ。例えそれが、売り言葉に買い言葉だったとしても。
玉砕覚悟、よりもう少し積極的に否定的な気持ちで。軽い自殺くらいの覚悟はあったと思う。色々悩み煮詰まった末の決断だが、今思えば結局ヤケだったのかもしれない。
とにかくどうにでもなれと閉じ込め続けた思いをそのまま吐き出した、相手の反応は、想定したどのパターンにも当てはまらなかった。
曰く。
「信用できない。」
お前あれだけおれのこと信じてるとか言っておいて。
みたいなツッコミが脳のどこかで虚しく響く。
しかし続けて
「お前のこれまでの仕打ちを考えるととても信じられない。嫌がらせか、兄弟との罰ゲームか、それとも何かオレの考えつかない裏があるんだろう。」
などと。
言われてみれば、そして自分の所業を顧みれば、至極当然の反応なのだ。
それでも。
理屈は分かっても精神がついてこない。体は動かない。馬鹿みたいに口を開けたまま微動だにせず脂汗を流すばかりのおれを見て流石優しいおニイサマは、こんなでも弟だと哀れに思ったか、続く道を提示した。
「本当だと言うなら、証明してみせろ。行動で。」
行動で。
その台詞に分かったやってやろうじゃないか吠え面かくなよなどとやたら勢いよく返事をしたのはおれじゃない。いやおれなんだけど、おれはだって相変わらず呆然としていたし言ったのは多分、売られた喧嘩は買う兄弟のおれが脊椎反射で返事をしたのだ。
それから一時間。違った15分。
固まってしまったのがそもそもの間違い。
「吠え面かくなよ」と言ったその勢いで、行動してしまうべきだったのだ。一旦止まってしまったら、もう動けない。無理。最悪。
それでも。
逃げられない。逃げるわけにもいかない。
だって、見てしまった。
一縷の望みを。希望の光を。
『っっっ分かったよ!やってやろうじゃん吠え面かくなよ!何されても文句言うなよおれぁ本気だからな!』
テンパってギャンギャン吠えるおれの顔を、黙って見つめるその顔が。
見開いた目は、常よりきらきらと潤んでいたような。
口の端が、わずかに、でも不自然に引き上がっていたような。
そして頬が、予想に反して赤みがかっていたような。
実の弟からとんでもない告白をされた人間の顔にはとても見えない、あれは。おれの人生経験上から導き出せる、あの顔に相応しい言葉はむしろ
「期待」
まさか。
そんな事があるだろうか。追い詰められた自分の脳がせめてもの慰めに作り出した都合の良い幻覚ではないのか。
おれの中の大部分はそう言って引き止めてくる。それでもあの、一瞬の表情が離れない。希望を捨て切れない。だから逃げられない。
だってこいつも逃げないのだ。
もう15分。じっと向かいに座って、待っているのだ。
それすら期待に繋がって、ますます逃げ場がなくなる。
今しかない、やるしかないのだ。
心の声に押されてついに体が動く。
膝立ちで勢いをつけ、両手を相手の肩に置く。
照準を合わせて
バチっ
目が合う。静電気みたいな何かが、頭の先から尻尾まで走って。そこでまた固まってしまった。
あああ馬鹿やろう勢いだって言ったじゃないかよりにもよってこんな所で止まるなんてこっからどうしたらいいの?!
顔が、目が、近い。見てられない。でも逸らせない近すぎる。てか目ぇでかくない?!だから何でそんなにキラキラしてんだよやめろぉ見るなぁ!
ついに負けて目を閉じてしまった。更に動きにくくなる。一人で勝手にどんどん追い詰められていく。もうやだ。死にたい。でも死ぬなら死ぬ前に、コレが結局チャンスだったのかそれともおれの妄想だったのかそれだけは確かめておこうと最後の根性で固い目蓋をこじ開け、ようとした、その時に
口に何かが
当たって
?
開けた視界いっぱいに、顔が。
「あ」
ゼロ距離で目が合う。
「すまん。つい。」
声が耳より口に当たる。
ついって。
何だ?