茶番「あり得ない。」
「いーや間違いない。」
平日昼下がりのファミレスにて。
テーブルを挟み向かい合った瓜二つの顔が、正反対の表情を作っている。
紫のトレーナーを着た方は、苦虫を噛み潰したようなしかめ面。
黒い革ジャンを着た方は、サングラス越しでも分かる、己の正しさを信じて疑わないしたり顔。
ガタン
前触れなく革ジャンが立ち上がる。しかめ面をまっすぐ指差して。
「一松、おまえ―――オレのこと好きだろう!」
しばしの沈黙。一松と呼ばれたしかめ面は無反応。いや今はしかめ面ではなく、目を丸く開いた虚無の顔。
周りの客のさざめきと、食器の音。そこそこの大音量で問いつめた声はしかしどこにも響かないまま、ごく日常の風景に虚しく溶ける。
その余韻が完全に消えた頃、したり顔がしたり顔のまま席につく。一松はその動きを目だけで追った後、何事もなかったかの様に渋面に戻って「ケッ」と吐き出す。
「だからあり得ないって。何を根拠にそんなデタラメ」
「根拠ならいくらでもあるさぁ!そう!夜空に輝く無数の星々の様に!…聞きたいか?」
「………別に。」
「ッフゥーン」
そっぽを向く一松に対して、革ジャンは余裕の態度を崩さず脚を組み、右手でグラサンの位置を直す。
と、そこに。
「お待たせ致しました、ご注文のブレンドコーヒーと、こちら『月と黒猫のマロンショコラパフェ』でございます。」
「あ、ども。」
「フッ…サンクス。」
一松が恐縮し、革ジャンが指を鳴らして応える。店員は一瞥もせず品を置き、一礼して去っていく。その後ろ姿が完全に見えなくなってから
「……で?」
「ンンー?」
「…だから、何だよその根拠って。」
「フゥン!聞きたいか?!そうかぁそんなに聞きたいのなら」
「べ別に聞きたい訳じゃねぇよ!紙クズみたいな根拠いくら並べようと一個一個つぶしてやる!そんでお前のそのクソな認識を正してやるって言ってんだ!」
「そんなに聞きたいのならぁ!」
「お前が聞け!」
「仕方がないじゃあ話してやろう!まずひとぉつ!!
…オレたちの様な孤独な戦士の疲れ果てた心を暖める、夜闇に灯る一軒の灯し火…兄弟の絆を確かめ合う憩いのひと時…」
「普通に話せブッ殺すぞ。」
「あっハイ。
その、チビ太の店とか、居酒屋とかでな?飲み会の席でお前、しょっ中オレの隣に座るだろう。」
「…いやいやそれは、おれが好き好んでやってるんじゃねぇよ仕方なくだ。おれが座る時は大体もう皆座ってるだろ?んで大体、お前の隣しか空いてないんだよ、みんながお前の隣を避けた結果なの。いわば貧乏くじ。」
「フッ…。残り物には福が」
「ねぇわ!って事で、はい論破!次だ次!」
「ンー、せっかちな子猫ちゃんめ。」
「誰がスコティッシュフォールドだ!」
「じゃあ行くぜ、ふたぁつ!!
…夜の帳が下り静寂が世を支配する頃」
「さっき言った事もう忘れた?脳みそもツルッツルのガラス玉でできてんのかお前はァアン!?次言ったら本気で殺すぞ!」
「すっすいません!」
「チッ」
「…あー。要は寝る時だな。お前いっつもオレの隣だろ?」
「っだからそれも結果論だろ。おれは端っこがいいの、クソ長男と末っ子は煩いし十四松の隣は死ぬし、あそこしかないんだよ。むしろお前がおれの隣に入ってきてんじゃない?」
「フゥーン、なるほど、逆転の発想か。いいだろう、それもまた真理!」
「訳分かんねぇ事言ってんじゃねえ!次!」
「逆に朝ごはんの時はお前、オレの対面に座るんだよなぁ。つまり、正面の方がぁ?このビューティーフェイスが良く見えるってワケだ。」
「何言ってんの?!それも!最後に行ったらそこしか空いてなくて!」
「いや朝はお前最後じゃないだろ。それにちゃぶ台なんて割とどこからでも入れるし。」
「うううるっせぇな!そんなに考えて座んないだろ自分ちの食卓なんて!意味なんてねぇよ!」
「フッ。じゃあ次は…」
「まだあんの?!」
「言っただろういくらでもあると!だがまあ何といっても忘れられない最大の根拠はアレだな!」
「嫌な予感しかしないけど…何?」
「お前がオレのパーフェクトファッションをその身に纏った記念すべき」
「てめぇえええええ!!それは墓まで持ってけって言ったろうがぁああ!」
ガチャン!
一松がテーブルに乗り上げ革ジャンの襟首を掴み上げる。揺れるコーヒーとパフェグラス。衝撃でパフェのてっぺんに乗った黄色い栗と猫型のチョコプレートが僅かに傾く。
「ぅぐえ。ちょ…ホントに締まってる!締まってるから!ギブ!ギブギブ!!」
自らをシメる両腕を必死にタップする革ジャン。一松は舌打ち混じりに手を離し、席に戻る。
「次ぃ蒸し返したら殺す!絶対に殺す!」
ゲホッゴホゴホ
「…っあー。マジで死ぬかと思った。」
「いいか、もう二度とその話はするなよ。…フリじゃねぇからな!」
「いやしかしなぁ。」
「何だよ!」
「それは無理な相談だ。」
「何でだよ!!」
「だってなあ、オレは何も聞いてないんだ。何故お前があんな事をしたのか、とか。知らないから、あれからずっと気になってな、ぶっちゃけ頭から離れない。」
「ぐっ…」
「なぁ教えてくれないか、何故あんな事したんだ。」
「…っ……っ知らねぇよ!気まぐれだあんなもん深い意味はない!」
「そうかぁ?本当は着たかったんじゃないのか?憧れてたんだろうこのオレに!照れなくてもいいさぁ素直になるんだ!まるでぇ?生まれたての赤ん坊のように!」
「うるっせえ気持ち悪ぃこと言うな!あああアコガレる訳ないだろあんなイカれた格好にぃ!あれは!ホラ!アレだ!おそ松兄さんがあっさり騙されるから面白くなってからかってただけで!」
「いやお前あの時思いっきりテンパってただろ。」
「ちがっ…」
「それにただの気まぐれにしてはヤケに嬉しそうに、オレの手鏡で全身チェックしてたし。」
「?!」
顔面蒼白で固まる一松。しばし詰まった息をようやく絞り出して
「…なななんでそれを?おおお前あの時まさか、まさか…お、おお、起きてたの………?!」
「いや何となくそんな気がしただけで。何だ本当にやってたのか。」
「ああああああああああああああああああああああ」
頭を抱えてテーブルに崩れ落ちる一松。革ジャンがそれを気遣わしげに覗き込む。
「…大丈夫か?」
「もぉお前なんなのぉ?おれの心をブン回して何が楽しいのぉ…。」
「いやすまん、そんなつもりは…。あ、ホラ、いい加減コレ食べないか?アイス溶けちゃうぞ」
言いながらパフェグラスを雑に押し出す。栗と猫がさらに傾く。
チラリと上目に伺う、革ジャンは自分のコーヒーを啜る。それ以上の動きがない事を確認した一松が、ゆっくり起き上がってパフェを引き寄せる。視線は革ジャンに固定して警戒は解かず、長いスプーンで端っこに乗ったクリームを掬い。
「あんまぁ。」
途端に相好を崩し、2口、3口とスプーンを進めていく。それを見てるのか見てないのか、サングラス越しの視線は読めない。ただカップを口につけたまま微動だにしない革ジャンの、口の端が僅かに吊り上がった事に、一松は気づかない。
やがてグラスの中身が半分ほどになった頃、ようやく落ち着きを取り戻した一松が尋ねる。
「てかさ。」
「ん?」
「何で急にそんな事言ってきたの。」
「ンンー?何が言いたい?」
「だっておかしいでしょ、どう考えても。そもそもそんな発想が出てくる事自体がもうホラーなんだけど、まあ百歩譲ってそこを流したとしてもだ、それの真偽を確かめてどうしようっての。しかもお前、おれに肯定して欲しそうに見えるんだけど。」
「そうだなぁ。」
手応えのない革ジャンの返答に苛立った一松が、相手と自分を交互に指差しながら、
「いやホントどういう事だよ。兄でしょ、弟でしょ。あり得ない、そこを認めさせてお前はどうしようって…はっ!まさか!」
ガタン!と椅子ごと後ずさる。青い顔でぶるぶる震える。
「ん?どうした?」
「そうか…つまりコレは、お前の復讐…‼︎」
「ワッツ?」
「そうだ…そうに違いない、ニートで童貞の上にブラコンでホモのレッテルを貼り付け、親兄弟にふれ回って家に居られなくしてやろうって魂胆だな!」
「どうしてそうなる?!オレってそんなに陰険か?!」
「ああ今さら隠さなくてもいいよ。そりゃあいくら優しいお前でも限界はあるよなあ。こんな殴ったり石臼投げたりバズーカ撃ってくる様な弟なんて、いない方がいいよなぁ…。くそっ!お前だけはそんな事しないって!信じてたのに…っ!」
「ここでそのワード入れてくる?!何かオレが裏切ったみたいになってるんだけど?!
とにかく落ち着けいちまぁつ!オレはそんな事カケラも思ってない!全部お前の被害妄想だ!」
「なるほどそういう作戦ね。分かるよ。一旦持ち上げて油断させてから落とすと効果は倍増…」
「違うってぇ!頼むから信じてくれぇ!」
「信じられるかよ!他にどんな理由があるって言うんだ!あるなら言ってみろよ!!」
一松がそう吠えた途端。かかったとばかりに革ジャンの口が釣り上がる。ちょっと出かかってた涙を拭って立ち上がる。堪えきれない喜びで全身を小刻みに震えさせ、
「…フッ。ついに!ついにそれを言う時がきた!そうかぁそれを知りたいかぁいちまぁあつ!!」
「あ、やっぱいいです。」
「いちまぁぁああああああああああつ!!
待って!ウエイトぉ!引かないで!お前のそういうとこだぞもっと粘って!諦めないで!」
「うっせえな、どうせおれはこういう奴だよ。」
「ああああちがう違うすまんオレだよな、オレが悪かった!ごめんってぇコレを言うためにここまで来たんだよお願いだから聞いてぇ!」
必死で取りすがる革ジャンの言葉に一松がピクリと反応する。
「…お願い?」
「お願いします!」
「聞いて欲しいの?」
「聞いて!ください!」
涙声の懇願に、今度は一松が口角を上げ
「…聞いてくださいぃ?違うだろぉ?
この愚かな雄豚めの鳴き声をお聞きください一松様だろう?」
「この愚かな雄豚めの鳴き声をお聞きください一松様ぁ!!」
「一松様あ!」
「一松様あ!!」
「鳴かせてください!」
「鳴かせてくださいぃ!」
「ああもう我慢できない!」
「ああもう我慢できなぁあい!!」
「アッハァあ!!しょうがねぇなあ!!聞いてやるよぉ雄豚の汚ねえ鳴き声を!言ってみやがれ何であんなイカれた事言い出しやがったんだぁ?!」
「ありがとうございます!言わせていただきますぅ!」
そこまで言うと、今度は本格的に溢れていた涙を両手でぐしぐし拭いて、ポケットから出したハンカチで鼻をかむ。それで気を取り直したのか斜めの気取ったポーズを取り直し
「なぜかというとぉ?!いちまぁつっ!!
オレも!お前のことが好きだからだぁ!!」
「え?」
「…フッ。イメージとちょっと違う形になったがまぁいい。つまりはそういう事だ!」
「いやどういう事だよ!はあ?!なに?!お前が?!おれのこと?!…す、すすすすす」
「好きだぁ一松!アァイ!ラァブ!ユ」
「うっせえ黙れ!!」
「えええ…」
「いやいやないないあり得ない…え、何それ。そんな捨て身のドッキリとかする奴だったっけお前?」
「だから…何でそうなるんだ。ていうかそんな聞き方する時点で分かってるんだろ?裏もドッキリもない、オレはいつでも心から湧き出る真実の声しか言ってない!オレは、お前が、好き。これは事実だ。信じてくれ。」
「いやそれこそ信じられるかよ何だよ好きって。どういう事?そもそもこんなゴミのどこに好きになる要素があるんだよ。」
「まぁそれも、さっきの根拠と同じく数え上げればキリがないが。とりあえずさっき話したのは全部好きな所だな。」
「…は?」
「普段あんなにつれない態度をとってる癖に、事あるごとに隣に寄って来るのが可愛くてなぁ」
「んなっ」
「夜寝る時だって、始めはあからさまに向こうを向いてる癖に、寝入るとすぐ寝返りうってくっついてきたり」
「はっ?!」
「寒い日なんかはもっと大胆に、オレの腕にしがみついてきたりもするぞ。そういう時は両手で抱き寄せても何も言わない、むしろホッとしたように顔を緩めて擦り寄って来るその姿…プライスレス!」
「ぇええ?!」
「そして朝は、お前の寝起きの気怠げなセクシーフェイスをじっくり堪能しながらの朝食…」
「は?!」
「お前の方だってチラチラこっちを見てるだろう?」
「うっっっそだろ?!」
「なんだアレ無意識か?あまりに熱い視線を送ってくるからこっちもついサービスしようと、ベストオブオレ…な角度を研究してたのに。」
「何それ?!てか、いや、いやいやもう何だよちょっと待って!ここまで数々明かされる怒涛の衝撃の事実!ツッコミ追いつかない!」
「もちろん、お前からの好意だけで好きになった訳じゃないぞ?オレの方を見てない時のお前もちゃんと可愛い。十四松とはしゃいでる時の天使の様な笑顔とか、トド松をからかってる時の小悪魔顔とか。。飲み食いしてる時も風呂入ってる時も猫と遊んでる時も、全体的に動きが静かで柔らかくて、そう…セクシーだぜ。」
「…お前だいしょうぶ?主に目とか頭とか。やっぱ石臼ぶつけたのは駄目だったかな。」
「この感情は石臼より前からだぞ。」
「マジかよ?!え、いつから…いやいい答えなくて。聞くのが怖い。」
「いつからと言われたら」
「いいって!言うな!それよりも、何でそれを今日、急に言おうって気になったんだよ。お前の話を信じるなら、これまで隠して来たんだろ?」
「そうだな。流石にオレだって色々悩んで隠してきたさ。これだけは言っちゃいけない、お前を困らせるだけだって。
…でもな。ある日、気づいたんだ。」
急に深刻な表情を見せる革ジャン、一松も知らず唾を飲み込み、続きを促す。
「…気づいたって、何を?」
「ああ。オレは、気づいてしまった。
―――これ一生続けるのか?って。
思ったらどっと疲れてな、一気に色々どうでもよくなった。」
「お前…。」
「だってなあ、見れば見るほどお前もオレに気があるんだ。もう間違いないって思ったら、オレは何をそんなに我慢してるんだ?って。馬鹿みたいじゃないか。
どうせ家から出る気も就職する気もサラサラないんだ。失うものも気にする世間も何もない。じゃあさっさと想いを告げあってしまえば、あとはもう薔薇色の人生が待ってるだけだ!」
「いやいやいやちょっと待ってちょっと待って何ひとつついて行けない。」
「だから、さあ!お前も素直になるんだ一松!心の鍵を開いて!この胸に飛び込んでこぉい!」
「行くか!!いやもうホント…ちょっと待ってよ。こっちは急に色々言われて何にも整理がついてないんだよ。」
片手で額を抑え、もう片方の手のひらを、制止のために革ジャンの方に突き出す。その様子をじっと見つめた革ジャンはボソリと。
「…断らないんだな。」
「え?」
「いや、お前が自分で言ってたが、普通なら考えるまでもなく『ない』話だろこんなもん。これがトド松やチョロ松だったらバッサリ切って終了、おそ松や十四松なら聞かなかったことにするか笑いで流すとかしそうだな。でもお前は、ちゃんと、考えてくれるんだろう?そういう、根が真面目なところも好きだぞ。」
「っぁ?!…やっ…ちがっ!だから…!」
「ああ、その顔だ。それも好きだな。二十数年一緒に生きて、毎日顔を見てるけどな、お前がそんな顔、オレの前以外でするのを見た事ないんだ。だからやっぱりオレは、お前にとって特別なんだろうなって思うんだよ。」
「……っっっっっ!っっ!!」
ついに言葉にならず声すら出なくなり、口をはくはくと動かしながら顔がどんどん赤く染まる。そんな一松の様子を目を細めて眺めていた革ジャンは、ふと視線をテーブルに移す。
パフェグラスの中身はもはや悲惨なほどに溶けてクリームの海と化している。その中に半分埋まった猫型のチョコプレートを指差して
「ところでそのパフェどうする?食べないんだったら貰っていいか?そのチョコだけでも」
「いい訳あるかブッ殺すぞ!」
「ええ…。」