迷い込んだ風(あなたのこと) 風が吹いていた。ここ高山地方では、珍しくもない風が。七色の旗がはためくごつごつとした道を歩いていると、外で編み物をしていた老婆が、「あれは、仏様の生まれ変わりの合図だよ」と言った。いつか旅立って行った家族がそろそろ帰ると、風を吹かせていることで合図をしているらしい。頭の中の槙島が言う。僕はまだ生まれ変わりたくないな、君の頭の中で遊んでいたいよ。馬鹿、出てくるな。死人はじっとしていろ。灰になって帰ってくるな。「誰が帰ってくるかは分かるのか?」俺はまだ編み物を続ける老婆に尋ねる。すると、皺の寄った顔でくしゃりと笑った老婆は、「今回はうちのじゃないね、あんたのだよ」と言った。誰だろう。俺が失った人々。とっぁんに、縢に、槙島。狡噛慎也、それは間違ってるよ、僕はまだここにいるじゃないか。それから、ギノ。もう会えないのなら、死んだのと同じだ。「あんたと縁の深い人が帰ってくると出てる。それに会いたい人にももうすぐ会えるよ。ほら、拝んで行きな」老婆はそう言うと小さな手持ちのマニ車を取り出して、しゃんしゃん、と鳴らした。俺はどう反応していいか分からず、ただ感謝の意を示すために、ここいらで流通する銅貨を何枚か彼女の前に置いた。ここに来て、しばらく経ってのことだった。
テンジンとの生活は驚くほど静かだった。護身術と日本語を教える生活。そういえば昔は教員の道を目指したこともあったなと思い出す。ギノに出会って公安局を知って、そちらに目移りしてしまったけれど、本当はこう言うのが似合っているのかもしれない。狡噛慎也、また人のせいにしたね。宜野座伸元がいなくても君は僕に出会っていたよ、君は猟犬であり、使役者なんだ。そして犯罪者の対になるもの。頭の中の槙島は喋り続ける。だから俺はギノのことを考える。ギノのことを考える時だけ、槙島は静かになった。きっと、それくらい深くかつての恋人を考えていて、あいつにも邪魔が出来ないんだろう。窓がみしみしなる。迷い込んだ風が床を吹き荒ぶ。俺はギノを思う。愛していると、もしまた会えたら、老婆の言う通り会えたらなら、もう二度と離さないと誓う。