波打ち際(サマータイム) 恋人と行きたいデートスポットは? もちろん海です、夏の海はロマンチックだもの。俺はそんな若い女の感想を耳にしながら、やがて海を模したプールの宣伝に変わってゆくコマーシャルを一つ無人タクシーの中で見た。途中でナイアガラの滝が出てきた時は笑ってしまったが(あれは川だ)高濃度汚染水で満たされていると分かっていても、彼女らにとっては海は憧れの場所なのだろう。
狡噛が読んでいた本にも海を賛美するものは多かった。詮索はしなかったけれど、事実彼は泳げもしない海を眺めに行っているようだった。誰かに影響されやすい、可愛らしい恋人。
俺は今、母の遺体を引き取りに沖縄に来ていた。そして何かに導かれるように、全てを終わらせると海に行った。多分、学生時代に俺の母の出身が沖縄と聞いた狡噛が、きっと色なんて全然違うんだろうなななんて、そんな馬鹿げたことを言ったからだった。その頃は俺は監視官で狡噛は執行官だったから、俺は意固地になって言わなかったが、彼の言葉はいつだって俺の中にあった。
無人タクシーを走らせ、喪服のままで行った沖縄の海は、東京のどす黒いそれより美しかったが、それでも汚染水の危険を知らせる看板は立っていた。俺は靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、波打ち際には行かないように波から遠い場所を歩いた。そこにはかつて打ち上げられた貝殻があり、俺はそれを一つ取って、耳元に当てた。ひゅう、ひゅう、ざあ、ざあ。それは母の呼吸のように思えた。そしてまた狡噛の言葉を思い出した。貝殻追放の話だ。古代アテネの人々の、貝殻追放の話、嫌な人間の名前を貝殻に書いて海に流すと、消えてしまう、そんな寺山修司の長い詩の話。俺は母の思い出にと貝殻をスラックスのポケットに入れ、そしてもう一つ貝殻追放用のそれを探して、それからそこに書く名前を探した。
今俺は消えたかった。狡噛とともに消えたかった。けれどデバイスで全てを済ませる俺はペンすら持たず、あの詩の少女のように自分を消すことはできなかった。足が砂に沈む。俺は東京に帰る。母の遺骨を持って、何にもない東京に帰る。