意味なんかないはずだけど 髪を伸ばしていることに確かな意味なんてない。伸ばし初めの時は、よく聞かれたものだ。願掛けをしてるんですか、何を願っているんですかって。俺はそれを聞かれる度に何も考えていないんだって言い返して、実際のところどうなのだろうと悩んだ。理由もなしにこんなに髪型を変えるだなんて、そんなことはきっとない。俺は多分どこかで狡噛に会たくて髪を伸ばしていた。そうしたら会えたのだ、あの奔放な男に。それからはずっと惰性で伸ばしている。また会えたらいいと、自分から突き放しておいてまた会えたらいいと。狡噛は知らないだろう。外務省で再び出会った時は髪型は変えないんだなと言われた。何か理由でもあるのかとも言われた。俺は意味なんてないさとつぶやいて、少し伸びた髪を触った。果たして願掛けをして髪を伸ばしていたと言えば彼は喜ぶだろうか? そこまで思われていたと思って喜ぶだろうか? それともいつものようにクールに振る舞う? 俺は分からない。彼の考えが俺には分からない。彼を喜ばせたいけれど、どう振る舞えばあの男が俺を愛してくれるかが分からない。願掛けで髪を伸ばしていたと言えば重いと思われるかもしれない。それともロマンチストな彼は喜ぶだろうか。俺には分からない。
「伸びたな。戦闘中邪魔だろう。編み込みでもしてみたらどうだ?」
二人で一緒に風呂に入っている時、浴槽に浸かった狡噛が言った。浴槽に浸かった俺はそれにどう答えて良いか分からなくて、「ん」とだけ言った。確かに髪は少し伸びていた。あまり伸ばしすぎると的に引っ張られてしまう。アドバンテージを与えてしまう。だから良くない。分かってはいるのだが、今から理容室に行くのは面倒だった。ぽちゃん、湯が跳ねる。狡噛が湯をすくって髪に馴染ませる。俺の髪は湯船の中で揺れていて、それは水草のようでもあった。欲を言えばオフィーリア、現実を見れば薄汚い水草。俺はそれを切らねばならないと思いながら、どこかで最初は意味なんてなかったはずの伸ばした髪を削がねばと思った。
「なぁ、狡噛。お前が切ってくれないか? 適当でいいんだ。どうせ結んでしまうから。敵に引っ張られない程度に切ってくれよ」
そう言うと、狡噛は固まった。このバスルームには狡噛が髭を剃るためのナイフがある。それで削いでくれと俺は願い事をしたのだった。けれど狡噛は悩んでいるようだった。俺の髪をこのままにしておきたいのだろうか? 編み込みなんて面倒じゃないか。もし解けたらやっぱり敵に引っ張られてしまう。それはそれで気持ちが悪い。
「適当でいいんだって言ってるだろう。理容室に行くのは面倒でな。あの店でのやりとりが苦になってさ」
俺がそう言うと、狡噛はやっと浴室から身体を半分出して、鏡の近くに置かれたナイフを取った。官舎のバスルームの鏡は曇っていて、俺が今どんな髪型なのかは分からない。けれど、俺は全て狡噛に任せてしまうと、何だかどうでも良くなってしまった。ぽちゃん、また水が跳ねる。俺はそれにまぶたを閉じて、狡噛が切りやすいように浴槽の中で座る。
「再開した時、髪型が違うのに分かったの、本当に嬉しかったんだ。髪型を変えてもギノはギノだって。俺もずいぶん変わってたからな。でも、もう一度再会した時も同じ髪型だとは思ってなかった。てっきり願掛けだと思ってたから。俺に会うためのな」
「はは、ずいぶん気が大きいんだな」
ナイフが短く束ねた髪に刺さる。そしてゆっくりと削がれてゆく。俺はそれを頭の皮膚で感じながら、優しく引っ張られるそれで感じながら、まばたきをして何も写っていない鏡を眺めた。じょり、髪が離れる感覚がある。狡噛は何も言わない。俺はまばたきをやはりして、狡噛に語りかけた。
「どうだ、男前になったか?」
「お前はいつもハンサムだよ」
狡噛はそう言って、ゆっくりと俺の髪を削いでいった。相変わらず器用だ。切られた髪は浴槽の淵に置かれていて、それは短いもののどこか気持ち悪かった。早く流してしまいたい。これじゃあまるで遺髪のようじゃないか。
「なぁ、本当にこの髪型に意味はなかったのか?」
狡噛が言う。俺はうまく返事ができなくて、ただ視線を落としただけだった。
「俺はお前にまた会えるんなんて思ってなかったし、願い事もできる身分じゃないと思ってた。お前が俺にまた会いたいと思ってくれてたんなら嬉しい」
そうだよ、と言ったら狡噛は喜ぶだろうか? 俺が願掛けをして、今も願掛けをしているのはお前がいなくならないためだと知ったら果たして喜ぶだろうか?
なぁ、狡噛。お前はもう俺の前からいなくならない? 試すように髪を切らせたのはそのせいなんだ。お前はもう俺の前からいなくならない? 髪を切ってしまっても、髪の先を少しでも切らせてしまっても、お前は俺の前からいなくならない? 俺は何も言えない。ただ俯いて、俺は狡噛が「出来た」と呟くのを待つ。湿度の高い浴室で。