夢の花 移民が多く住む出島では、夏至祭が盛大に行われる。色とりどりの花を冠にした少女が走り回り、苺やベリーを大声で売る商人が身振り手振りで客引きをし、古い言語で歌われる恋の歌がラジカセから流れ、花の葉についた朝露を老婆たちが健康を願って孫たちに含ませる。もちろん民族によって夏至祭は多くの種類に分けられるから、さまざまな国家から脱出した人間が集まるここでは、全てが統一されているわけではない。現に夏至祭が行われる日もばらばらだ。二十一日だったり、二十六日までだったり、そもそもが移動祝祭日だったり。冬至に祝う民族もいる。それでも共通して一つだけ残っているものがある。というか、日本人にも、特に若い女たちの間で広まりつつある風習があった。それは夏至祭のイブに、枕の下にセイヨウオトギリの黄色い花を敷いて眠るというものだ。俺がそれを聞いたのは、太陽が天に昇る頃のマーケットの果物屋で、腹の出っぱった親父から林檎やら何やらを買い、おまけだと黄色い花をもらった時だった。
「兄ちゃん、想い人にこれを送りなよ。枕の下に敷くんだ。夢に未来の夫が出て来るって俺の国じゃあ有名なんだぜ」
「へぇ……」
俺はそれを聞いてなぜか怪談、いや都市伝説を思い出してしまった。将来の夫を見る方法、夜十二時に剃刀を口に挟んで水を張った洗面器を見ると結婚相手が分かるというやつ。美しい花を見てそれを思い出すなんて、ロマンもへったくれもない。
「俺が夢に出てくれたらいいんだが」
林檎を受け取り、虫食いがないか、腐っていないか検分しつつ言うと、果物屋の親父は笑ってこう言った。
「兄ちゃんは男前だから大丈夫さ、自信を持って渡しなよ。そのままプロポーズしちまってもいいぜ。俺も今の嫁に送ったんだ、遠回しにな。それで一発オーケーさ!」
親父は笑って手を叩いているが、そんなこと俺に出来るだろうか? 俺は少し悩んで、みずみずしい林檎をひとかじりして、官舎の自室に戻ることにした。今日はギノと珍しくオフが重なって、昼食を共にすることにしていた。彼が好む評判のベーカリーのフランスパン、チキンとバジルのトマトソテーをメニューに、焼き林檎にアイスクリームを添えてデザートにする予定だ。
「ありがたくいただくよ。俺もそろそろ観念するかな」
「それがいいよ兄ちゃん、あんたもいい加減いい歳だろ。日本人だから若く見えるが」
「それこそはた迷惑だよ」
俺は笑って果物屋を離れる。親父は笑って次の客を相手にする。
真っ白なドレスに花冠をつけた、金髪の少女たちがあちこちを走り回っている。赤い糸で縫い取った刺繍のドレスを着た女や、彼女らに花を売ったのだろう、花屋の老婆がおまけにと、三角に丸がぶら下がった、緑の夏至祭のマークのピックをつけたりしている。
それは幸せな光景だった。ここに住む人々は、皆東京に行くことを夢見ている。清潔で、仕事にあぶれることのない、教育の充実した東京に。幸せが待ち受けている東京に。彼らはその順番待ちをする間、ここで闇市のようなマーケットを形成して、そして自由に取り引きをしていた。見世物小屋みたいな興行もあるし、そのけつ持ちをするマフィアもいる。彼らにとってここは通過点だったが、俺はそんな場所が気に入っていた。自分が育った、あの整頓された街よりも。
「未来の夫か……」
俺は黄色い花の匂いをかぎ、ギノにどう説明すべきか悩んだ。果物屋の親父には観念するかなと言ったものの、果たしてどうすべきか。
彼と将来を共に出来たらと思う。けれど彼の弱点になりたくないとも思う。けれど離したくないとも思ってしまうのだから、本当にそろそろ観念すべきなのかもしれない。
俺はそんなことを考えながら自室に戻った。
そこにはまだギノはいなかった。俺は貰ったセイヨウオトギリを水の入ったボウルにつけ、昼食のための料理を始めた。さぁ、ギノにはどうやって話そうか? 俺の夢を見てくれって、いつ言おうか? そしてどんなふうにネタばらしをしようか?
キッチンで育てているバジルをちぎり、冷蔵庫から鶏肉とトマトを取り出す。塩胡椒の入った容器や、記念の日に使う皿を、彼から送られた皿を並べたりする。
未来の夫、未来のパートナー。俺は彼のそんなものになれるだろうか? 彼の父親が俺に予言した、お前は伸元を幸せに出来ないって呪いを、俺は破れるだろうか?(これは執行官堕ちした時に言われた言葉だから、今となっては呪いでもなんでもないのだけれども)
トマトを潰しソースにする、鶏肉を焼く。オーブンでパンをあたためる。そろそろギノが訪ねて来る頃だ。俺はそんなことを考えながら、黄色い花を見つめた。なぁ、これを枕の下に敷いて、俺の夢を見てくれないか、そんな遠回しな台詞を、果たして彼は好むだろうか?
俺は料理を続ける。インターフォンが鳴る。俺はコンロの火を止め、ボウルに飾ったセイヨウオトギリを見つめる。この美しい黄色の花言葉は預言者。さて、この花は俺をギノの夫として予言してくれるだろうか?
そんな迷いを抱きながら、俺は鮮やかな花を見つめ、扉を開けて、愛おしい恋人にどうぞ自分を選んでくれと願ったのだった。