the plup クラブ活動すらない現代の高等課程で、その目玉のような学園祭を復活させようという動きは、どういうわけか数年に一度起こるのだという。それは考査に向けて忙しい生徒を除いての話らしいのだが、まだ人生の全てを決めるそれには関係のない俺も、やはりというかなんというか、皆で一つの何かを成し遂げるという行事には興味が持てなかった。
けれど、狡噛はそうではなかった。そして学年の中心にいる狡噛が心動かされるものには、みんなが心動かされたのだ。
結果的に狡噛を含めた数人が動き、教師の黙認のもと、文化を尊んだらしい秋のこの時期に、シビュラシステムに違反しない限りで前世紀のそれを模倣することになった。とはいえ、それらはフードプリンターで作った菓子を喫茶店方式で売るとか、不用品を持ち寄ってバザーをするとか、芸術家志望の学生が記念にコンサートをするとかの、ごくごく気楽なものだった。もちろん公式の行事ではないため参加しないでも許されたから、俺はその日を勉強に充てることにした。図書室にはそんな生徒も多くいて、だから俺はあの特別教室の中で浮かなかった。外のざわつきは気になったけれど、集中すればすぐに忘れてしまった。忘れたかったのもある。皆に囲まれている狡噛を見るのが、少しつらかったのもある。でも、そんな俺を連れ出した人間がいた。もちろん、狡噛である。俺のたった一人の友人で、親友で、縁があってつい最近恋人になった男が、また俺を外に連れ出してしまったのだ。
せっかく勉強をしていたのにと文句を言う俺に、狡噛は「そんなこと言うなって。今日は文化祭だろ?」と図書室の扉を開きながら言った。途端に外からのざわめきが強くなり、勉強に夢中だった連中もふと顔を上げる。俺はそれが面白くなく、狡噛を教室から押し出して、声をひそめて次のように言った。
「お前が勝手にやってるだけだろう。教師まで巻き込んでよくやるよ」
図書室の脇に据えらえた時計を見ると、時刻はまだ昼過ぎだった。けれど狡噛は何か目的があるのか、無邪気にこれから視聴覚室に行こうと言って歩き出す。それは各教室にスクリーンが設置された今では滅多に使われない場所で、俺は少し変に思った。そこで何をするんだろう。何をするつもりなんだろうと。そんな俺の疑問を汲み取ってか、狡噛は次のように言う。
「映画好きのやつらが、廃棄区画で見つけてきた映画のフィルムを流してるんだってさ。面白そうだろう?」
「面白そうって、廃棄区画で見つけたって、政府公認じゃない非公認を見てるのか? この学校で?」
日東学院は、一応はシビュラシステム管理下にある、中央省庁を目指すエリートが集められた学校だった。そんなところで非公認の映画を見るって? 俺は絶句する。将来が心配じゃないのか? って。狡噛がそういった昔の映画が好きなことは知っていたが、それでも驚かざるをえなかった。というか、狡噛だけじゃなく、物好きが他にもいたなんて、そんなこと信じたくはなかった。でも、狡噛は人の波を縫いながら、廊下を進み続ける。俺はただそれに翻弄されて、時折ちらりとこちらに向けられる、多分狡噛に向けられる視線にも鈍感になった。
「ほら、ここだ」
視聴覚室の前に立って狡噛が言う。階の隅にあるそこは、廊下から見た分では人の気配はなかった。いや、きっと中に人はいて、それを悟られないようにと皆が息をひそめているのだろう。それくらいこんな場所で非公認の映画を見るということはリスキーだった。
「静かにしてろよ。もうすぐ始まるから……」
狡噛がドアを三回ノックする。すると鍵が開き、俺たちは立て付けの悪いそれを引いて、視聴覚室の中に入った。スクリーンには映画の予告編が映し出されている。そこまで映画館と同じようなものを模すかと思ったけれど、これに狡噛が一枚噛んでいるのなら、それも当たり前のように思えた。
幕が下ろされ、薄暗くなった教室にはパイプ椅子が等間隔に並べられていた。狡噛はその一番後ろに俺を誘い、正面のスクリーンに映し出される映画の予告編に集中しろと言った。そうして自然と俺と手を繋いでみせると、途端に何もつぶやかなくなった。まったく、自分勝手な男だ。でも俺だって、今さらここのルールを破って出ていくこともしたくはなった。熱い手のひらを振り解くのが、面倒だって理由もあったが。
映画はとあるレストランで、不良のカップルがじゃれあいながら話をするところから始まった。俺はそれに大した感動も持てずにいたが、この空間にいる人たちは誰もが、きっと映画好きの人たちは誰もがその二人に夢中だった。不良のカップルはやがて強盗になり、どういう偶然かその場に出会したギャングの殺し屋、さらにギャングからの八百長話を断り、追われる身となった落ち目のボクサーの物語が絡まり、映画は展開してゆく。二時間近くの長尺を使って丁寧に描かれるシビュラ以前は多く撮られた過激な映画は、確かに非公認らしかった。
「最高だったろ?」
エンドロールにディック・デイル版のミシルルーが流れ始めた時、周りの目を気にしてか手のひらを離すと、ついに沈黙を破って狡噛が言った。俺は勝手なそれにいくらか呆れたが、周りの連中も似たようなものだったから、あえてそれを伝えなかった。アカデミー脚本賞、カンヌ映画祭のパルムドール。今も外国では行われているらしい映画祭でいくつもの賞を取った伝説の作品。それだけのことを積極的に言い募られれば、当時の熱狂ぶりが分かったし、今の狡噛の気分も分かる気がした。それにしても伝説か。そんな作品を俺と見たかったというのなら、狡噛も少し可愛らしいかもしれない。まるで幼い少年が、親に自分の感動を伝えるような、そんな感覚を持ったから。
「絶対にギノに見せたくってさ。俺も一枚噛ませてもらったんだ」
映画の上映が終わったあと、データを回収して散り散りに解散してゆく人々を指して狡噛が言う。廃棄区画に潜入とする愚行を犯した彼らにしてみても、学年トップの狡噛が噛めば自分たちの処分が軽くなるとの打算があったに違いない。なんなら、狡噛ならば全部俺の責任だと言い出しそうな気もしたし。
「そんなに見せたいんなら、俺の部屋で見ればよかったのに」
「お前の家ならきっと集中できないからさ。側に恋人がいて、他に誰もいないんだったら映画に集中するなんて無理だろう?」
狡噛がぎょっとすることを言う。まだ人がいるというのに、小さな声だとはいえ大胆すぎる。でも、その言葉は少し嬉しかった。それくらい俺のことが好きだってことだから、好意を表されて、悪い気はしなかった。
「……それでも、別に俺の部屋でよかったのに」
俺は視聴覚室を出ながら言う。すると狡噛は今はまだまばらな人の波に向かって歩きながら笑い、「ギノならそう言うと思った」と答えた。そして小さな記録媒体を制服のポケットから取り出し、次のように言った。
「実は同じ監督のもっと過激な映画を借りてさ。お前の家で見ようぜ」
「集中できないくせに?」
「無理なら別のことに集中したらいいさ」
人の波は段々と強くなる。狡噛はそんな人混みの中で俺の手を握る。視聴覚室でそうしていたよりもずっと、大胆にも強い力で。
きっと、俺たちはこのまま部屋になだれ込んで、映画を見て、そうしていつものようにともに寝るのだろう。自堕落に、ただお互いしかいない部屋で。俺たちの物語はあの映画のようには複雑には絡み合わない。軽妙な会話もない。でも、それは狡噛がポケットに入れた映画よりも俺たちにはずっと刺激的だった。
俺はそれをおかしく思い、彼に従って歩いた。いつもは品行方正な生徒たちは、今日ばかりは前世紀の生徒たちのように野蛮だ。それは多分、普段は隠されているものなのだろう。俺たちがお互いに好意を抱いていることを日常的に秘密にしているくせに、こんな目立つ場所で手を繋いでしまったのも、その野蛮さが伝染したのだろう。俺はそう言い訳をして、繋いだ大きな手を握りしめた。狡噛の手のひらはやはり熱っぽく、まるで子どもだった。好きなものを好きな相手と分かち合いたいという感情は本能なのかもしれない。俺はそんな本能に従って生きる彼が結構好きだった。文化祭に熱狂する人混みの中を歩いていると、その思いがいっそう強くなった。
「映画、楽しみだな」
狡噛が言う。俺はそれに「そうだな」と返し、映画のおまけについてくる彼とのキスの方がよっぽど好きだってことは言わないでおいた。秘密がいくつかある方が物語は面白い。きっと恋愛に置き換えてみたってそうなんだろう。俺はそんなふうに珍しく狡噛のようなことを思って、密集する人の波の中を歩いた。