unfaithful(ジェイ×アッシュ) 普段ペラペラ喋る奴に限ってベッドの上では静かだったりするものだ。
大体において、初めから誘い文句らしいものもなく事は始まった。言葉が無くても伝わるとか目を見れば分かるとかロマンチックなものではない、アッシュは頭の中で独り断言する。そんな何処かで聞いたような言い訳は手垢に塗れていて、そもそも本質など分かったものではない。一番自分達には関係ないな、とも思う。アッシュの連想は坂道の石のように転がる。
今夜はたまたまベッドに横になっていたところへ、ジェイが態とらしく床にスリッパの底を擦り付けたような足取りで近寄ってきた。寝ている人間を起こそうとするような忍び足に、今気付きましたという表情で上体を起こして分かりやすく眉を顰める。あまりに白々しくあまりに滑稽で、こんなパフォーマンスに意味があるのかという問いに対する答えも分かっている。敢えて口を噤むのは倫理的なマナーだ、その点においてアッシュとジェイは見解が一致している。だから余計な事を言わぬように努めている。
分かりやすくする為のパフォーマンスだから、必ず最初にキスをする。拒まなければ是で突き飛ばせば非だ。明快である。
恐らくその為にジェイは、初めに唇に触れる際に若干身構えている。今夜はキスの前に親指で触れてきた。ご機嫌伺いをされている、とアッシュは感じた。頬を撫でる手を捕まえた指で、手首の内側を指が動かせる範囲で二回程往復させる。おおよそはこれで伝わる。察しがいいのは助かる。
服の裾から義手の方の手が入り込んでくる。硬質なそれが肌を辿る時アッシュは無意識で腹筋に力を入れてしまう。義手でも素手でもその膂力でひと捻りで潰せてしまうと脅してきた事があったいつかの日の事を、アッシュは忘れた事がない。
その男が気を遣ってこれでもかも優しく甘やかしてくるのだからおかしくて仕方ないのだ。
ジェイがアッシュの脇腹を指先で撫で上げて、胸元で一度手を止める。指を皮膚に軽く埋めて弾力を弄するように揉む。それから慎重に胸の先端を摘まみ上げた。
「……っ」
ジェイが小さく笑ったような気配がした。声を上げぬよう咄嗟に唇を噛み締めた事に気付かれただろうか。アッシュが呼吸を整えようとゆっくりと息を吐いている間に、ジェイは体を屈めて唇を寄せた。左胸に、殊更緩慢な動作で見せ付けるようなキスを落とす。水音を立てて離れていった唇を目で追って、そして熱の篭った舌がその突起に覆い被さるように押しつぶす様をはっきりとアッシュは見た。更に舌先で捏ね回される感触に身が震える。
「はぁ……っ」
アッシュは息を殺して耐えていた。背を浮かせて身を捩るとジェイは今度は右胸に口づけてきた。先程よりも粘着質な水音を立てながら何度も吸い付いては舐られ、思わず腰の奥が疼く。
何度されても慣れない、アッシュは口の中で呟いた。性感とはまた別種のむず痒さを覚えるのも、もう何度目になるか分からない。
男としての正直な部分が感じ取る高揚感がある、昼は艶事なぞ想像もさせないような男が自分に対して興奮しているという事実への優越感もある。にもかかわらずそれを霞ませるような漠然とした虚しさがうなじから這い上がってくる。
--ああそうか、こいつが女を抱くような手付きをしているから違和感がするのか。
胸元への愛撫に意識を集中させているジェイから目線をずらし、天井を見上げながら今し方思い至った思考について見つめ直す。
法的手続を終えているとはいえ、妻も子供もいるんだったな。改めて思うと、不義、とか、不貞、といったワードがアッシュの額の辺りに浮かんだ。眉根を強く寄せるように目を閉じ、三秒ほどかけてほどきながら目を開く。
自分ではない何者かを想像させる文脈の手付きがただただ無性に腹立たしいだけだ、と。
到達した解は、ずっと以前からあった感情だ、あまりに滑稽で直視に耐えない、ただの真実だ。
「上の空だな」
不意にジェイが口を開いた。それが自分に向けた問い掛けだという事にアッシュは気付くのが遅れた。
「何を考えているんだ?」
表情を悟られたくないのか夜半を気にして声量を落とす為か。耳元で囁かれる言葉に、なんと答えたものかとアッシュは途方に暮れた。
「何も。憂鬱だって思ってるだけだ」
ベッドの上で初めてまともに交した会話だった。
〈了〉